発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

制服にまつわるエトセトラ

2018年02月23日 | 日記

◆トーキョーギンザの名門公立小学校の制服というか標準服がアルマーニというブランドになることが物議をかもしている。ひとえに校長さんほとんどひとりでお話を進めたのが悪かったのだ、ということなんだろう。で、制服についていろいろと思ってたことをつらつら書いてみる。

 ◆まず、わたくしと制服について。小学校のときは、特に定められてはいなかったから、他のものを着てもいっこうにかまわなかったのだが、記念写真などでは白襟の紺色スモックジャケットをほとんどの子が着せられていた。私ははこれが嫌いでならなかった。実際記念写真を見る限りでは、めちゃめちゃ似合わない。ダサレトロとでもいうべきレトロさである。可憐な感じの、カオリちゃんだのハルミちゃんだのセイコちゃんだのにはとてもよく似合ったが、私のような地味顔は、さらにブスを増幅させる服だと今でも思う。まるで女子用リクルート黒スーツみたいに。

◆中学時代は紺色ウールギャバジン地車ひだブリーツスカートのセーラー服という、ありふれた古典的なものを着ていた。中学に入って急に背が伸びた(食べ物の好き嫌いがなくなった時期である)ため、途中からミニスカートになってしまった。

 ◆卒業して数年して、従妹が同じ中学に通いだしたとき、制服が変更になった。といってもセーラー服の線の数と色が変っただけである。特に機能的になったわけではない。つまり、公立中学校の制服というか標準服は、ただ単に子どもたちをどこの中学の子か見分けるためだけにあったのだということが判明した。

 ◆高校では、ボックスシルエットの上着に、チロリアンジャケットふうパイビングがほどこされていた。これは昔とすればかなり目立つ制服だった。くらもちふさこの漫画「おしゃべり階段」で、特徴のある制服でどこにでも出かける仲良しな女子ふたり、というのが出て来るが、自分の制服が制服であることを知ってる人の少ない、ちょっと遠くに友達と出かけるときは制服を着てたな。着てて楽しいということは良いことである。

 ◆現代の福岡市内でも男子は黒学ラン上下、女子はセーラー服を指定している公立中学は多いが、セーラー服上衣を着ていても下はジャンパースカートなのが特徴といえば特徴である。まったく機能的ではない。おそらくは1970〜80年代、いわゆるひとつのスケバンスタイル(「愛と誠」ワールドね)の長ーいスカートというのが流行したため、スカート丈の調整をしづらくするための苦肉の策がジャンパースカートだと推測する。ウエストのところでスカートをぐるぐる折って短くしたり伸ばしてロングにできない、というわけである。なぜグレたお嬢さんが長いスカートを愛用してたかというと、ミニスカートが流行した当時、マジメを装う世を忍ぶ仮の姿のロングスカート、というのが始まりだったと、当時読んだことがある。昔は「床からのスカート丈を先生が計っている(床上◯◯センチ以上だと咎められる)」という表現があるくらい、ロングスカートはマジメ少女の象徴だったのである。

 ◆ブランド制服といえば、近所の中高一貫校の制服は近年共学になるにあたってJプレスとなった。冬服の縞マフラーなどとてもかわいいのだ。しかしJプレスの服の特徴的な裏地の赤ラインパイピングがないので、他のノンブランドというかトンボやスクールタイガーの制服と見た目はあまり変らない。(まあ、このブランドのアメリカの製品にはないとか、他の色のラインがあるとかいうことは話が長くなるので端折るけど)ちなみに当然ではあるが、このブランドを日本でライセンス生産するオンワード樫山の製品である。

 ◆唐津にある、東京の某有名大学の名がついた中学高校、唐津にバスで行くときによく乗り合わせる生徒たちの制服もJプレスなことはJプレスと聞くが、詰め襟男子と丸い襟なしジャケット女子のどこがJプレスやねん、超日本的なんですけど、と突っ込みを入れたくなる。

 ◆ほかに近くの学校のブランド制服といえば、ハナエモリ(市立女子高校)とか。あと太宰府だけどリンデンホールもハナエモリだったかと。昔ファッションデザイナーの漫画「レディー・アン(里中満智子)」で、高校の制服に採用されたけど、こういう仕事は儲からないと主人公がぼやいていた記憶がある。儲かるものではないのに銀座の小学校の制服をアルマーニは引き受けてくれた、ということなのかしら。儲からないから他からは断られたのかしら。それにしてもシャネルとかエルメスってどうよ。制服の実績があるからたぶん普通に作ってくれるだろうJプレスやハナエモリはギンザに相応しくないほど庶民的なのかしら? 

 ◆アルマーニといえば、西日本鉄道の前の制服の縦縞ネクタイはアルマーニだったそうである(ヴェルサーチェの記憶違いかも)。ネクタイ以外のブランドはどうだか知らない。

 ◆JR九州の制服黒スーツは、駅長や新幹線と特急車掌はダブルブレステッドで、駅員や車掌、運転士はシングルだが、胸のつばめのエンブレムの他に、袖と背中に小さくつばめの刺繍がある。カワイイ。というよりも、どの方向から見てもJR九州の職員だとわかる。たとえば電車に乗ったりホームにいる制服自衛官が駅員や車掌と間違えられたりしないよい機能性を持つ。

 ◆自衛隊のPRポスターで壇蜜嬢が着ていたのは、陸海空一尉の制服である。ポスターをはじめて見たとき、最近はお綺麗な方がいらっしゃるのねぇ、それにしても三人ともどことなく似ているわ、と、全然壇蜜嬢だと気がつかなかった私である。

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あたしおかあさんだから、についてわたくしも考えた

2018年02月16日 | 日記

寒中見舞いの時期もとうに過ぎ

 ともかく元気でいます。年末年始とちょっとしたアクシデントに見舞われたのと、それから先仕事が詰まってたせいで、書けませんでした。まだ仕事は詰まってますが、ぼちぼち書いていきます。個人的にお便りもします。

◆地雷原ソングがなんだって採用されたのかという不思議

「あたしおかあさんだから」という歌が物議をかもし、そのあと作詞者と歌手があまりの不評ぶりに商売の継続が困難になりそうな気配なのでゴメンナサイしたためこの歌はおそらくお蔵入りするのだろう。世の中気に入った歌ばかり流れてるものではないが、どれどれどんな歌詞かしら、と、調べてみたら見事なまでに地雷原ソングだった。すでにあちこちで叩かれているけどMTJもチラっと自分の考えたことを書いてみる。

◆モラハラにして経済DV夫の歌

 この歌は「あたし」を、「あなた(あんた、おまえ、きみ、あるいは妻の固有名詞)」に言い換え、「◯◯するの」を「◯◯しろよ」に変えると、まんまモラルハラスメント+経済ドメスティックヴァイオレンス夫の歌になる。炎上したのはだからだ。

 「あたしおかあさんだから」の歌は父親が出て来ない。だが主人公はシングルマザーというわけでもなさそうである。(昔のような正社員じゃなく)パートに出ろ。(たまにであっても)自分の服買うな。夜中に出歩くな。ライブ行くな。ハイヒール履くな。休日に妻が美容院に行くために夫が子どもを数時間みることさえしてくれなさそうな家庭である。どんなモラハラ男と結婚したんですか、なんの経済DVですか?と突っ込みを入れたくなるような母親像である。全体的に自己肯定感が低い(独身時代は立派に働けると「強がってた」など)が、それもモラハラ男の台詞っぽい。そういう歌が広く歌われるということは、モラハラと経済DVが容認されるということである。有名な絵本作家が作詞して人気のある歌のおにいさんが歌う歌としてはまずいのではありますまいか。

◆ネタ元を勝手に推測する

 おかあさんたちのエビソードを募集してつくったようなことを作詞者は言ってたけど、歌詞をぱっと見て思ったのは、去年リリースされ、シングルマザーが主人公であると思われる「母である為に」(阿部真央)という歌の歌詞と似たところがある(たとえば、大好きなおかずを子どもにあげる≒ごはんのおいしいところは先に食べさせる)。それに、おととしテレビドラマ化されたレディースコミック「ふれなばおちん」(小田ゆうあ)の昔ハイヒールのバブルOLだったけど、今はなりふり構わないお母さん(第一回の時点で)という主人公。このふたつを適当に混ぜてつくったような。トレンドを追うのも人気商売として大事なことだしね。でも、そうだとすれば両方ともちゃんと読んでないと思う。

◆母親の自己犠牲を美化しすぎの歌、というのとは違う

 母親の自己犠牲を美化しすぎの歌、という評判だったが、いやいやいや、そんな美化された母親の歌では全然ない、と思う。だって「あたしおかあさんだから」の主人公の「あたし」は、母親になったことについて実は後悔しているようだからである。歌のなかで「もしも戻れたなら夜遊ぶ、ライブ行く、自分の服買う」と言っている。ほんとうはそうしたいのだが、おかあさんだからできないというのである。潔くないこと甚だしい。というか、おかあさんになったことよりも、モラハラ男をひきあててしまったことを後悔しているようにも聞こえるんだな。夫がいなくなれば「母である為に」という歌に出てくる、いろいろ大変だが母親になったことをこれっぽっちも後悔していなさそうなシングルマザーになれるであろうのに。

◆ムッとしそうな人が多すぎる。これでは支持されまい

 とりあえず、正社員のワーキングマザーは、ムッとするだろうね。この歌をタテにパート身分にされることを推奨されるようなことがあってはならない。そのほかこの歌を聞いてムッとしそうな人は枚挙に暇がない。1枚でも自分の服を買ったとか、子どもを預けてライブに行ったとか。おかあさんだからやっちゃいけないと言ってるのかこの歌は?パートであたしが稼いだお金ででも?と感じるだろう。

 たとえ、「あたしおかあさんだから」の歌のような状況に近い人だって、納得してその状況を受容している(「ふれなばおちん」の主人公とか。この人は、夫が思いつきで部下に「妻を誘惑してくれないか」と言ったりしないかぎりはそのままで幸せだったのだたぶん)人もいるだろう。自分の服なんてあとまわしでいい、夜遊びなど興味ない、ライブに行きたいとも思わない人もいると思う。第一母親になることは、不可逆なことで、戻れないなら楽しもうと思ってやってる人も多いだろう。

 そんな人々に、不満を持ちながらおかあさんやってる人の歌など聞かせてどうするんだ? じつはあなた不満なんでしょ?独身時代に戻りたいんでしょ?と囁かれてるような気分にならないか? とりあえず、歌のおにいさんに歌わせる歌じゃないよね。

 おかあさんの応援歌としてつくった、とすると、マーケットを舐めとったな。というわけで、気分が悪くならない人の方が少数であろう、という珍しい歌が昔々あったとさ、ということになりそうな話でした。

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