発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

スローなブギで田川気分

2016年08月30日 | 物見遊山

   夏が終わってしまう。福岡タワーでゴジラにも会えたし。

(BGM 「スローなブギにしてくれ」南佳孝)

 これは先日、田川市に行ったときに見つけたポスター看板。実際は上映していない飾り看板。西鉄の後藤寺バスセンターにて。浅野温子嬢はたち。古尾谷雅人氏ご存命。1981年の映画だったのね。

◆後藤寺バスセンターの建物。

 この建物は1959年生まれで私より長生きなのだが、9月に廃止になるらしい。昔は飲食店や映画館の営業があったのだ。今はバス停と飲料自販機数台のみである。福岡から田川へのバスの本数は結構多い。平日は、天神からと博多からを合わせて70往復をこえる。通勤通学路線として使われている。

◆一辺3mのチロルチョコ

 田川は、チロルチョコレートの故郷でもある。工場入り口の巨大な看板。アウトレット直売所では、チロルチョコをバラでたくさん売っていて、9時の開店を待つ人々が並んでいたりする。チロルチョコだけでなく、製菓材料のツブツブ状のチョコレートを売っていることもある。今回は真夏だし、保冷容器も持ってなかったので買わなかった。涼しい時期に行けたらいいなと。 ↓

 

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大阪芸術大学プロムナードコンサート。アクロス福岡シンフォニーホール

2016年08月26日 | 物見遊山

◆迷ったら負け

 大阪芸大のコンサートは、前にもいちど福岡に来たことがある。ようするに学校宣伝と発表会を兼ねたもので、大阪のほか、都市を2箇所くらい巡回するのだが、今年は名古屋と福岡に来たのだ。有料入場もあるが、学校の持ち出しがほとんどだと思われる。前回は何年前だったか、福岡サンパレスで開催された。学内オーディションを通過した若い音楽家の演奏会である。

 前半はポピュラーミュージック、美しいアカペラ、2台ピアノでChick  Coreaとか、アコースティックギター1台抱えて、何?本当にギター1台なの?誰か隠れてるんじゃないの?って凄い演奏や、この女性ヴォーカリスト、カッコ良すぎ!! などなど、全部書ききれない。

 後半はクラシック。選抜オーケストラ。「木星」を6列目で生演奏で聞けたのは良かった。もうストリングスの前奏からワクワクである。オーケストラを聞きに行っていつも思うのは、曲の中でほんの数小節だったりすることもあるソロ部分について、どのくらいの研鑽の積み重ねが必要なんだろうか、ということだ。大輪のバラを染め抜いた青いドレスの川井郁子がストラディヴァリウスとともに登場。これも目当てだったんだけど、世にも美しいチャルダッシュを聞くこともできた。

 休憩時間、ロビーにチアガールが何人かいたので「?」と思っていたが、アンコールで学校応援歌が演奏され、そのときに登壇した。そういえば昔ヒットした大学応援団が舞台の漫画家も大阪芸大出身だったな、と。漫画のような応援団は出てきませんでしたよ。

 プロになるために進学して成果を上げている人たちのことだ。うまいのは当然。どうやって聞かせるかどうやって見せるかについても研鑽している。芸術を安くはない学費で4年間勉強するためにやってきているのである。特に音楽方面などは、プロになれるかどうかとか、職業としてやっていけるかどうかなんてのは、すごく狭い道なんだろうけど、たぶん、迷ったら負け、迷う暇があったら練習する技術と表現を磨く、ということなんだろうと思う。

 
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『暮しの手帖』とわたくし

2016年08月23日 | 本について

◆職業写真家になる方法

 福津、唐津街道畦町宿で編集長講演。他社の本の撮影をしたときの話。誰か写真を買ってくれる人がいれば職業写真家である。猫の写真が得意なら(岩合光昭)猫好きの人が買ってくれる。だから、誰か買ってくれる得意分野を探せば職業写真家になれる。写真の出来に自信がなければ写真とともに文章力を研鑽すれば済む話である。キャプションが書ければそれは写真力を補完してあまりある。写真の方向性を恣意的に変えることだってできる(『写真の読みかた』名取洋之助 岩波新書、絶版。高校時代に読んだ)。または自分の写真についてよいキャプションをつけてくれる人を探せば、セットで写真は売れる。歴史街道や修験場についての知識があれば、街道や修験の本として写真が売れる(のぶ工房)。詩が書ければセットで写真が売れる(銀色夏生)。いずれにせよ表現者たる覚悟が必要であるが、とりあえず知的財産法についての学習は必須である。

 キャプションが写真の方向性を決めることについては、もう少し注意を払ったほうがいいかも知れない。写真は(加工をしていない範囲では)真実であるが、作り話のキャプションをつければ、書き手の意図するところに読み手が「事実として」話を誘導されうるのだ。

◆人間真人間

唐津街道原町宿「ぬあん」でランチ。ご飯は玄米。おかずヘルシー。真人間に戻るヘルシーランチである。

◆暮しの手帖とわたくし

    今の朝ドラ「とと姉ちゃん」は、雑誌『暮しの手帖』の創業者のお話らしいが、例によって見ていない。だが、私は昔『暮しの手帖』の読者だった。私が『暮しの手帖』を読んでいたのは、70年代である。習字の先生が定期購読していて、バックナンバーも先生の家にいっぱいあった。好きなだけ借りていいと言われたので、毎週何冊か借りていたのである。なにぶん、昔のことなので、どんな内容だったのだろうか。商品テストに関しては、家電製品のテスト、とくにオーブントースターでトーストを焼いて、表裏の焼きムラを比較するというのを記憶している。広告がないのが売り物の雑誌であるが、暮しの手帖社から出ていた書物の広告は載っていた。『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』『戦争中の暮しの記録』『アラバマ物語』『一銭五厘の旗』『すてきなあなたに』など。召集令状のハガキが一銭五厘だったことを知った。 『すてきなあなたに』は、姉の学校の卒業記念品にされていた。

  なぜ今年の台風は三陸海岸を通過してばかりいるのか。福島は大丈夫なのか。

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SMAP解散はともかくとして

2016年08月19日 | 日記

  (BGM「Let it  Be」ビートルズ)

◆SMAP解散

 彼らに「職業選択の自由」はあるのか、という話を1月に書いたが、今回、彼らの「職業選択の自由」は「解散」というかたちになった。彼らに「事務所移籍の自由」はなかったが「解散の自由」はあった、ということだ。それを考えると良いことではなさそうだが最悪の事態ではないと思っている。

 実はどういう事情で解散した、とかいうのは歯医者の待合室などに置かれている雑誌が知らせてくれるだろうから、ここで言及する必要もない。私に考えうる最悪の事態というのは、たとえば、お上の圧力で、つまりクールジャパンがどうのバラリンピックがどうので、解散すら許されなくて、全員が完全に同時に壊れて、芸能活動が続けられなくなるほどの不祥事を起こすとか、いろいろ思いつくが、ともかく「事務所」とか「お上」の思惑とは違う格好となった、というところは、最悪ではないような気がするのだ。

 私が最初の会社に勤めていた頃、ローカル紙に、私と同じ年齢の女の子が自死した記事が載った。団体職員の彼女は職場が不満で死んでしまったのだった。世間的には「いい勤め先」で、今でいうブラック事業所であったとは考えにくいが、まあ、入社するにあたりしがらみがあり、たぶんすごく親の言うことをよく聞くいい子であった彼女は、やなことあっても辞めたいなんて言えなかったんだろうな。痛ましいことだと思った。何がどうあれ、死ぬよりは逃げた方がましなのだ。退職届出して14日経てば辞めることができるのは権利である、と、知っていれば死なないで済んだ人は結構いるのではないかと思うことが時々ある。

 惜しまれて解散といえば、ビートルズですね。ドキュメンタリー映画「Let it  Be」は、劇場で見た。日本初公開からかなりあと、何か別の映画を観に行ったときの、2本立てのもう1本だったような気がする。別の映画は何だったっけ。「Hair」あたりだっただろうか。髪を切ってヴェトナムで死んだヒッピーの話。

 オリンピック開催中でなければ、もっと時間を割いて報道されたのだろうな。それにしても平和なことである。そんなことより、オリンピック報道に紛れ、控えめに発表されたことに注目しないと。凍土壁計画が破綻した、とか。

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それにしても青空

2016年08月18日 | 本について

◆着信アリ

(BGM 「ピーターと狼」プロコフィエフ)

↑マクドナルドの近くの席で打ち合わせをしていたおじさんたちの誰かに電話がかかり、着メロがこの曲だった。2回ほどかかってきたので大脳皮質に引っかかり、冒頭部分のみ脳内ヘビロテ絶賛再生中である。素頓狂な着メロというのは近頃あまり聞かないが、たまに「笑点」のタイトルなどがかかると、何か深刻な場面で切り忘れていたら致命的ではないかと思ったりする。着メロ如きで思想信条趣味嗜好などを推測されたくはないので、私はてきとうな機種できあいの音を着信音にしている。

◆空の図鑑

『空の図鑑』雲と空の光の観察ガイド 村井昭夫 学研 

 運転中に空ばかり見ていると上の空になり大層危険である。この本は科学読み物で写真集である。図版はほとんど中学理科地学分野である。雲は高さ、形、特質で、結構規則的な名前を持つ。虹のしくみ、光芒のしくみ、夕焼けがどうして赤いのか、空はなぜ青いか。そろそろ気がついただろうか、私のツボにはまった。こういう本好き好き好き好きっ!! 宮沢賢治の時代にカラー写真があれば、彼は、このてのシリーズでたくさん本を出していそうだな。

 

 

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思考停止装置

2016年08月13日 | 日記

◆何やってるんだ自分は

(BGM 「嵐の季節」甲斐バンド)

 なぜ「発行人日記」で検索すると、このブログが一番上に出てくるのだろうか。相変わらず暑くて暑くて、でも、声は相変わらず枯れている。声枯れが半月続いている。仕方がないので渋くてカッコいい声になった、と思うことにした。

 伊方原発再稼働のニュースに福島を思う。すでに県別線量の数値は新聞には載らなくなったが、ネットでは、文科省発表に基づく数値がいつでも検索できる。深刻な状況に変わりはない。ものすごい暑さのなか、廃炉作業は続いていて、たぶん「コントロール下にある」というのは、懸命な努力によってある種の平衡状態がかろうじて保たれているという意味なのだ。今のわたくしたちの生活を守っている外堀はそこにある。それが壊れれば、あるいはもう1箇所でも「似たようなこと」が起これば、そこに目を向けていようがいまいが否応なく、自分たちののっている薄氷は壊れるのだ。

 選挙の投票率の低さや、関心の薄さは、ひとことでいって「当事者意識(のなさ)」がキーワードであると思われる。考えたくもない、考えすぎると死んだ方がましと思えるような状況ではあるが、死なないで済む程度、夜眠れて、ご飯が食べられて、仕事や勉強や家事ができる程度には、世の中と自分自身について考えた方がいいと思う。そして自分を虫けらのように犠牲にされない方向で、少しでもましな方向に状況を持っていこうと思うのなら、他人に決めさせるのが嫌なら、投票に行ったほうがいい。

 たくみにつくられた思考停止装置にコントロールされない決意も大事である。たとえば今はやりのゲームは、ひとが行く場所を課金しながら操るのである。20年、いや5年前に今の状況を文章化したとしても、悪い未来のSFとしてしか読まれないと思う。

 誰かの金銭的利益になるとき、教育的配慮は後回しにされることはよくあることである。

 孫のご機嫌取りのツールとしてそのゲームの裏技を紹介する雑誌記事があった。嘆かわしい。大人であろうが子どもであろうが、自分自身への教育的配慮を常に意識していないと、待ち構えている思考停止のわなにはまる。わたくしたち一人ひとりの思考停止は一体誰の利益になるのだろうか。

 考えを止めている暇などない。 

 

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いとしの冷やし中華

2016年08月10日 | グルメ

 そうこうしているうちに、夏休みが半分終わった。休みでもなんでもないわけだが。月前半は風邪に喉をやられた。咳は、筋力弛緩剤入り市販薬で止めたものの、未だにややハスキーボイスである。元気なんだけど。「あつがなついぜっ」(出典『ピンポン』松本大洋)。美しい夏雲の写真を撮ったりしている。

◆夏なので、冷やし中華をつくる(BGM 「今日の料理のテーマ」冨田勲)

 料理番組や雑誌記事で見た献立で、すぐ作ったものは、レパートリーになることが多い。若い頃よく買ってたファッション雑誌に(帝国ホテルの)故・村上信夫さんが簡単な洋食を紹介する記事が連載されてて、その中でも、キャベツ一個まるまる使って、楊枝を使わないで巻き、鍋底にぴったり並べて煮るロールキャベツとか、バター、ケチャップ、塩胡椒だけでとてもおいしく出来上がるチキンライスは、いまだによく作っている。

 冷やし中華は、どの人が紹介していたのか、かなり昔にテレビで見た。簡単なのでメモする必要もなかった。麺は生麺、乾麺、油揚げ麺、何でもいい。ともかく茹でて水洗いして水を切って、ゴマ油をまぶして冷やしておくこと。鶏肉は茹でて刻んで冷やす。あとは胡瓜、トマト、錦糸卵など好みの具を用意して、醤油、酢、砂糖を混ぜ、鶏の茹で汁で伸ばしてスープとする。盛りつけてできあがり。30年以上作ってる。カロリー過剰にならないために、最初に捨てる熱い麺の茹で汁を、もやしを入れた鍋に入れて、茹でもやしを作り、それも冷やして麺に混ぜて盛りつけている。載せて盛りつけてもいいんだけどね。

 冷やし中華とチキンライスについては、家で作ったのがいちばんおいしいと思っている。材料費がかかるものでもないのだが、そういうものだからこそ、材料がものを言うのだと思う。べつにブランド鶏や高価な卵を使っているわけではない。たとえば、ごま油もバターも、食油としては高いものだが、家庭で使う1回分の材料としてみれば、それほどのものではない。バターを1回の料理で50グラム使ったところで、バター高騰とはいえ100円くらいのものである。たぶん外食では、そのバターやごま油を、コストカットの材料にされているのだと思っている。

◆役に立つ料理本

 たとえば、テレビに良く出てくる料理人さんで、有名な料理教室を開いている人の本のメニューであっても、透明になるくらい卵焼きにお砂糖がたくさん入るとか、豚を角煮にするのに大根おろしをまぶして蒸すとか、そんなレシピはあまり自分には現実的でなかったりする。好みの味だったり料理が簡単だったりする、自分が使える本でないと結局見なくなるのだ。で、使える料理本としては、『割合で覚える和の基本』(村田吉弘著、日本放送出版協会)はおすすめである。これを読むと、大概の家庭の冷蔵庫は片付くと思う。もしも家庭に「おでんつゆの素」「肉じゃがのたれ」「生姜焼きのたれ」などがあれば、それはすぐ捨てたくなるはずだ。「めんつゆ」さえ、自分で作った方がおいしいことがわかる。大概のものは「醤油、みりん、酒、だし汁」あと「酢、砂糖、塩」(あとは生姜とか唐辛子とか)があれば調味できてしまうのである。肉じゃがは、醤油とみりん「だけ」があれば調味完了である。あとのものは「一切」必要ない。「合わせタレ」を買う必要がない、ということは、用途別にタレを買う必要がない。半端にタレが残らず経済的であるし、その分、良い醤油や味醂を買えるから、料理がよりおいしくなる。

 

 

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ホットロード 80年代暴走族の世界にご招待?

2016年08月02日 | 映画

◆「ホットロード」DVD鑑賞。

 一昨年の夏休み映画、だったと思う。確か別冊マーガレットという少女向けコミック月刊誌に連載されてたお話の実写映画化。能年玲奈の可愛らしさだけでも鑑賞する価値がある。原作コミックは読んでない。

 ダメ母なのでヤンキーになり彼氏が事故って立ち直った少女の話。←30文字で説明するとこうなります。

 主人公少女14歳、の母親は、清々しいまでのダメ母である。木村佳乃が演じているのだから、楚々として美しいのだが、高校時代から今まで続いているのになぜか結婚しなかった恋人(既婚、離婚調停中)と会うときには、まだ中学生の娘のことなどスッコーンと頭から抜けてしまうのである。結婚して娘をもうけた男性(娘の父)は亡くなっていて、父親の写真の一枚もない家で母子は暮らしている。娘はそのせいで、自分は望まれて生まれた子どもではないと心を痛めている。娘が万引き(犯罪行為が母の誕生日のプレゼントなのだよ。痛々しいね)してつかまっても、やってこないし(そこまでは彼氏とのデートではなく仕事ということも世の中にはあるだろうが)、そのことを娘から聞いても「なんじゃあそりゃああああっ」というような、ありきたりの母親のやりそうなリアクションもない。つまり娘には関心が薄い人だと、観客は思うわけだし、娘も、やっぱり愛されていない、孤独だと感じている。一緒に万引きした友人は母親がすぐ来て泣いて謝っていた。ああ、この子とは別の世界にいるんだと思って、転校してきた不良っぽい子と親しくなる。母親は夜勤のある仕事でもなさそうなのに、帰らない夜もあるようで、だったら、夜、不良っぽい子と出歩くようになるのは至極当たり前に思える。そして暴走族の彼氏ができるのである。集英社のコミックだから、不良だが、いい奴として描かれる。

 で、ダメ母は、娘のことを絶望的に孤独にしといて、まっとうにテストを受けろだの、自分のガウンを勝手に着るな汚くなったじゃないか、だの、行儀の良い娘であることを勝手に要求しているもんだから、娘はキレてどんどん不良化していくのである。まっ、しょうもない母親だけど、いろいろと大変なんだよな、ご苦労さん、という距離の取り方ができる子どもなら、夜出歩くこともなかっただろうが、そういう子どもしかいないのなら、警察少年課も生徒指導の先生もラクチンである。

 集英社だから、友情努力勝利のラブロマンス。彼氏は暴走族の頭となって、族の抗争とかに巻き込まれて、そのうち事故して意識不明になって、それでも一応ハッピーエンドというか社会的に立ち直るお話なのです。頭の乗るバイクを譲ってもらういきさつなど、よくわからないヤンキーワールドなのでした。抗争相手の刺繍ユニフォームも、まるで鳥肌実(ご存知ない方は検索してね)のスーツだし。胴にサラシを巻くとか、どこの高倉健のコスプレかい、と思ったりするのですが。PHSや携帯は普及していない。ポケベルも少年少女は持たない時代。80年代のお話だと思う。

 女優には旬があると思う。一番美しい数年である。それが長かったり短かったりするのは人によるし、その利子で生きていくのか、旬を終えて消えていくのか、演技力で勝負ができるようになり息の長い女優となるのか。自業自得だったりそうではなかったりするもののスキャンダルで表舞台から消えざるを得なかった期間に旬の大部分を奪われた人というのはいると思う。沢尻エリカだったり葉月里緒菜だったり、何人か思いつくが、能年玲奈はどうなのだろうか。少女の匂いのする繊細な美しさが、この映画の彼女からはあふれているのだが、活躍の場が少ないまま旬を終えてしまうのだろうか。

 

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