ダイヤモンドプリンセスの映像を見るたびに引き揚げ船の話を思い起こす。
戦後外地から引き揚げたり復員してきた日本人は600万人を超える。 民間人と軍人軍属が、半々と思っていただければ差し支えない
戦争に負けて満州や中国各地や朝鮮半島などから追われ、命からがら港にたどり着きやっと船に乗って日本に帰ってきた人たちの話は五木寛之氏のエッセイや、ちばてつやの漫画などで知った人も多いと思う。引き揚げの旅の苦難や船に乗ってほっとした途端命尽きた人々が水葬される様は、ちばてつや氏の『ひねもすのたり日記1』にも出てくる。
このあたりの話は、小社刊『博多港引揚』『あれから七十年』『日本に引揚げた人々』『あれから七十三年』などで扱っている関係で、少し同年代より詳しい。
さて。いざ上陸となる時の検査で船内にコレラ患者が見つかった場合である。 患者は即座に病院に隔離、残りの人々はコレラの潜伏期間が終わるまで船ごと港に足止めとなった。139万人が引き揚げた博多港では博多湾の懐に船が入っていながら上陸できない事態が、船によっては発生したのだ。
潜伏期間が待てず博多湾を泳いで上陸しようとした人もいたがそういう人々は栄養失調からの体力不足で溺れて命を落とすことになった。
とはいうもののその厳しい検疫と DDTとが戦後の栄養状態の悪い日本人を伝染病から守ったということも事実なのである。
そういうのは70年以上昔の話だと思っていた。
未知のウィルスというのは始末が悪い。
コレラなどと違い、いろいろ見当がつけられない。ワクチンもない。致死率がもっと高かったら、と想像すると身震いが起きるが、 することは、いつもの風邪やインフルエンザ予防と同じである。