発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

そんなのは、昔の話だと思っていた

2020年02月20日 | 日記

   ダイヤモンドプリンセスの映像を見るたびに引き揚げ船の話を思い起こす。

   戦後外地から引き揚げたり復員してきた日本人は600万人を超える。 民間人と軍人軍属が、半々と思っていただければ差し支えない

    戦争に負けて満州や中国各地や朝鮮半島などから追われ、命からがら港にたどり着きやっと船に乗って日本に帰ってきた人たちの話は五木寛之氏のエッセイや、ちばてつやの漫画などで知った人も多いと思う。引き揚げの旅の苦難や船に乗ってほっとした途端命尽きた人々が水葬される様は、ちばてつや氏の『ひねもすのたり日記1』にも出てくる。

    このあたりの話は、小社刊『博多港引揚』『あれから七十年』『日本に引揚げた人々』『あれから七十三年』などで扱っている関係で、少し同年代より詳しい。

    さて。いざ上陸となる時の検査で船内にコレラ患者が見つかった場合である。 患者は即座に病院に隔離、残りの人々はコレラの潜伏期間が終わるまで船ごと港に足止めとなった。139万人が引き揚げた博多港では博多湾の懐に船が入っていながら上陸できない事態が、船によっては発生したのだ。

    潜伏期間が待てず博多湾を泳いで上陸しようとした人もいたがそういう人々は栄養失調からの体力不足で溺れて命を落とすことになった。

    とはいうもののその厳しい検疫と DDTとが戦後の栄養状態の悪い日本人を伝染病から守ったということも事実なのである。

     そういうのは70年以上昔の話だと思っていた。

    未知のウィルスというのは始末が悪い。

   コレラなどと違い、いろいろ見当がつけられない。ワクチンもない。致死率がもっと高かったら、と想像すると身震いが起きるが、 することは、いつもの風邪やインフルエンザ予防と同じである。

  

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幾時代かがありまして

2020年02月13日 | 昭和のおもひで

◆サーカス見物

   雪が降ったり、道が凍ったり、寒くて手袋がいるわねなどと思ったりしないうちに沈丁花が香り始めた今日この頃の福岡市中央区。

    寒くはない雨。平日なので、きっと空いているに違いない、と思って、出かけた先はサーカス。誰にねだられたわけでもない。私が行きたかった。

   ゼンジー北京(私、中国は広島生まれョ)と、東京コミックショー(レッドスネークカモン)は、昔ライブで見た記憶がある。 福岡に来てからは、宮崎の大空港(おおぞらみなと)師匠の腹話術ショーとイリュージョンショーの二本立てを見に行ったり、ジャグリングは、ピーター・フランクル氏(もちろん数学者本人)のパフォーマンスを新天町で2度ばかり見かけた。

   映画に出てくるサーカスは、「怪人二十面相・伝」で金城武が軽業師を演じる。レトロモダンな世界がツボにハマる楽しい映画である。

   昔はサーカスショーは、よくテレビ放送していた記憶がある。だから、子供のころ親に連れていってもらったサーカスで記憶しているのは、こういうのだろうな、と予想のついた空中ブランコでも猛獣使いでもなく、直径7~8メートルくらいの球形のカゴの内側をオートバイがぐるぐる走るパフォーマンスだ。意表をつかれたのだと思う。

   というわけで赤坂門でバスを降り、舞鶴公園までてくてく歩くと、そのうちテントが見えてくる。

    平日小雨午前の部だったが、お客さん多し。佐賀県の小学校の団体さんも。

  場内が暗くなり、ミラーボールの散らす光とスモークで、いきなり異界へと連れて行かれる。洗練されたアクロバットやみごとなジャグリングや逆さまに走るバイクやゼブラや象やライオンのショーや息を呑む空中ブランコ(中原中也のゆやゆよん)休憩はさんで正味2時間くらい堪能。ああ夢の世界ね。

    あらゆるパフォーマンスを鑑賞するに、音楽にせよ踊りにせよサーカスにせよ、同じことを思う。どのくらい鍛錬が必要だったのだろうか。

    

    

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