発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

2018年7月のそのほか 生産性にまつわるエトセトラなど

2018年07月30日 | 日記

◆生産性にまつわるエトセトラ

 「生産性」という言葉は、「原材料の量や労働者の数に対して、製品の生産される割合」あるいは「どれだけ多く生産するかという度合い」という意味だ(『新明解国語辞典』第六版 三省堂より)。より少ない人数で時間をかけずに歩留まり良く製品をつくり、結果として儲かる度合いのことである。生産性を上げるとは、もっと儲かる状態にする、生産性が低い≒儲からない状態、生産性が高い≒儲かる状態と言い換えても結構通じる。

 

◆ゲンナリNGワード「生産性がない」

 とある政治家が、あるグループに属する人々について「生産性がない」と書いたことが物議をかもしている。

 「子どもをつくらないので生産性がない」という言葉だけで、もともと工業生産に係る「生産性」という日本語を、ひとさまの子どもにあてはめるなど、言語に対する鈍感さというか無神経さを感じざるを得ない。与党内からも批判されるのは当然である。

 全部読めということなので読んでみたが、やはり「そういう『生産性がない』人たちに税金を注ぎ込むな」という考えには変わりはない。その上、そのグループの人を差別しないと書きながら差別していると私の読解力は言う。

 「あなた(方)には生産性がない」と宣言することは、その人の生産性を著しく損なう言葉であると思う。傷つく。悲しくなる。結果として、やる気なくなっちゃう。

 だから税金を注ぎ込むな、と言われると、今、生産性とやらがあまり上がっていない、言い換えれば、働けない事情がある人たち、あまり稼げない事情がある人たちも、悲しくなると思う。好きでその立場を選んで働けないわけじゃないのに、まるで生きる価値がないように言われた気になるよね。まったくやる気がなくなること甚だしい。まったくもってゲンナリNGワードであると思う。国民をどこに連れて行きたいのか? やる気を失わせてどうするんだ?

 

◆もっといい言葉を使おうよ。やる気が出るような。 

 そこで宮澤賢治の名言である。

「私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません。」(『気のいい火山弾』より)

 ひとりひとりが、今できることを。そう考えただけで、勇気がわいてこないだろうか。誰にも役割があって、それを意識して日々果たして行くことで、世の中が少しずつ明るいほうへと動いていく。そんな気にならないだろうか。働いていない人も、働こうかという気にならないだろうか。自分でも何か人の役に立てることをさがそうという気にならないだろうか。

「あらゆる立場の人が、それぞれ、できることをしましょう。それで世の中を良くしましょう。それを助けるために私はいるのです。政治はあるのです。」誰かこう演説する人はいないだろうか。

 

◆ポエマーが降臨してきたので、ちょっと書いてみる

 

  青空(2018年7月のある朝)

 

街の電光掲示板にニュースが流れ

それがついさっきだったことを知る

 

今朝彼は告知され

今朝のうちに彼のすべてが終わった

 

もう同じ空気は吸っていない

 

このことを知って

声を押し殺して

泣くしかないひとたちがいる

ことについて

 

あのころ出会ったか

出会わなかったか

それだけの違いかもしれない

ことについて

 

空の高さは途方もなくて

 

でも彼はもう青空を見ることはない

(MTJ)

 

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昭和の夏休み、田舎無名の海辺リゾートのロコ小学生のおもひで

2018年07月26日 | 昭和のおもひで

 酷暑である。熊谷市で41度越えなど、百葉箱の中の温度なのだから、太陽の下はまさに炎天下なのだろうな。

 酷暑は静かである。蟬の声ばかりである。カラスはどこへ行った? 国体道路を運転していて、けやき通りに入ると、涼しい木陰にほっとする。歩いてても車でも、信号待ちは日陰に入りたい。歩きは日傘必須である。夕刻も静かだ。夜も過度に暑いので、静かだ。玩具花火の売れ行きはどうだろうか。

 子どもの頃は夏休みともなれば、まず終業式の夜は隣に住んでた従兄妹たちとでガーデン花火大会である。朝はラジオ体操。まあよくある感じね。

 家から数分歩けば、そこは入り江の中にある遠浅の海岸で、いつでも泳げた。そんな距離だから、家から直接水着を着て浮き輪を持って行く。入り江を取り囲むのはふたつの岬で、ひとつは月崎、入り江の向う側は灯台のある漁港で丸尾崎といった。その入り江の月の岬の近く側が私たちの遊び場だった。今では考えられないかも知れないが、子どもだけで勝手に海に行って泳いでいた。夏休みの心得に、6時までには帰宅しろ、行き先は親に教えろ、というのはあった気がするが、必ず大人と行きましょうなどという注意はなかった。当時は、海は勝手に行って泳ぐものだった。ともかく遠浅で、どこまで行ってもぬるい海水があって、足が地面についた。ちょっと掘ればアサリがいた。砂浜には普通にカブトガニがいた。桜貝の貝殻を集めた。誰が溺れたとか死んだとかいう話も聞いたことがなかった。大きな川が流れ込んでいない入り江の遠浅海岸というのは、今考えれば、海水浴場としては理想的である。安全だったのである。

 

 この海岸沿いに昔から住んでいたのだと父は言った。二十何代まで遡る、と。文政期の墓が残っているので、江戸時代の人の移動を考えると、たぶんそれは本当のことなんだろうな、と思う。いちど「その前はどこで何をしていたの」と聞いてみたことがある。さあ、瀬戸内の海賊だったのかもね、と笑ってた。江戸時代には樺太探検をした人も出た場所である。海賊はともかく、海の民の住み着いたところかも知れない。ちなみに、そのあたりで歌い継がれている盆踊り歌は、なぜか那須与一だった。

 お盆過ぎには刺すクラゲが増えるので、海に行くのはやめる。それとともに宿題モードとなり、そのうち夏休みは終わるのだった。

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限りなく現代国語に近い夏、あるいは、おそるべし、「高三コース」

2018年07月20日 | 昭和のおもひで

◆暑中お見舞い申し上げます。

 と、書いたところで、キャンディーズが脳内でハモる私は古い。

◆常田富士男氏逝去

 「日本昔ばなし」、というよりも、私にとっては、「ゲバゲバ90分」で名前を知った。出演者の半分以上は彼岸の向こうなのではないか。最近は朝丘雪路も亡くなったし。テーマ曲については以前書いたことがある。「ワシントンポスト」と同じ作曲者だと長い間勘違いしていた。スポンサーは、サントリーと本田だったか。サントリーオールドの音楽は「夜がくる」。HONDAは「Z」を売っていた時代だったと。

◆流政之氏逝去

 ボテっとした黒御影石の彫刻はよく見かけた。日本経済新聞の「私の履歴書」で、名前をおぼえた。

◆現代国語な日々

 私の仕事は教科で言えば現代国語である。日々是現国である。たとえば、「この二万字の文章を、用字用語を統一し、誤った漢字、不適当な助詞、慣用句の使い間違いなどがあれば正し、適当な段落をつけて読みやすく一万字程度に要約せよ」というような問題を日々解くのである。制限時間はすなわち生産性である。この程度で忙しいと言っていると笑われる。

◆読書とわたくし

 高校の頃までは、ろくに読書せず過ごしていたような気がする、というか、私よりもたくさん本を読んでいる同級生はいくらでもいた。倫理社会の課題として岩波新書の『人間はどこまで動物か』を読み、それ以降、そういった新書を読むようになったが、小説などは教科書に載っているもの以外はほとんど読んでなかった。現国の時間、先生が「誰か読んで」というとき、なるたけ挙手して朗読するようにしていたのは、居眠り防止のためである。語彙も豊富とはいえず、「タイハイ的のタイハイってどう書いたっけ?」と聞かれ「退廃」と書くと、「それじゃなくって」。つまり「頽廃」のことだったらしいが、難しい字での「頽廃」など、アナザーワールドのものだった。

 当時は旺文社と学研から、中高生向けに、学年別の雑誌が出ていた。選者だった田村隆一と鈴木志郎康に合計3回ほど詩を載っけてもらえたことがある。河原淳はイラストを載せてくれたよ。あるときそれに、何かコンピューター占い的というか適性検査的なものがついていて、それに書き入れ切手を同封して送ると、適職が書かれて送られてくる、というのがあって、私の検査の結果は、何だったと思います? 「編集者」。おそるべし、「高三コース」。

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あれから七十三年 十五人の戦後引揚体験記  15/1,390,000ということ

2018年07月18日 | 本について

◆発売中の新刊です。

『あれから七十三年 十五人の戦後引揚体験記』堀田広治監修 ISBN978-4-901346-63-4

 どうぞよろしく。1500円+税

 ◆博多港引揚に関する本です。表紙は「那の津往還」。豊福知徳氏の作品で、博多港中央埠頭、マリンメッセ横に設置してあります。これは引揚げた人々の記念碑です。

 ◆マリンメッセは、大きなコンサートや、モーターショーや、アイススケートのグランプリファイナルの会場にもなる多目的の建物です。すぐ近くには国際旅客ターミナルがあり、今では、釜山に行く定期フェリーや高速艇のほかに、巨大なビルディングにそのままスクリューをつけたような客船が、外国からのお客様を何千人も載せて毎日のようにやってきます。平和と繁栄の象徴のようなウォーターフロント地区の一角にこの記念碑はあります。

◆ 博多港にもうじき着く引揚船の写真は、どれも、甲板は人でぎっしりです。能古島と志賀島の間を通って博多湾に入ると、船からは博多福岡の町が見えてきます。その後背には緑の山々が控えています。あれは立花山、油山、叶山、背振山……この記念碑は、背伸びをして祖国の影を見つけた人々の姿だと、私は思いました。

◆博多港には139万人が引揚げてきました。139万通りの引揚体験が存在するのですが、この本にはそのなかの15人の引揚者の手記を掲載しています。壮絶な体験です。あの戦争とはどういうことだったのか、の欠片の15個です。

 

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帰宅難民装備

2018年07月14日 | 日記

◆サバイバル

 今月は、台風の中、唐津から帰ったり、大雨の中、佐賀から帰ったり。こうなるとあまり遠出はしたくないが、仕事がらみなので致し方ない。結局6日夕方は佐賀から新鳥栖まで国道34号線を歩いたら一番早く帰宅できたはず、と、地図を見ながら思うわけだが、晴れて明るければわけはないが暗くなっていく雨の中20キロ歩けたかというと自信はない。ただ、帰宅難民には歩く覚悟は必要だということね。 

◆帰宅難民装備

  台風や大雨が来そうだ、というときは、予測がある程度つくから準備できる。今回役に立ったもの、必要だと思ったものについて書いてみる。

・携帯用充電池。交通機関の生き残り情報を入手して動くための情報収集用ひみつ道具が電池切れにならないように。今回の電池切れは新鳥栖駅到着と同時だったので良かったけれど。

・水に強い長く歩ける靴。長く歩かなければならないときはレインブーツでない方がいいこともある。遠出するときは、撥水皮革のウオーキングシューズ(利点=なんぼでも歩ける。軽い。欠点=老人っぽい。結構高い。)のことが多いのだが、大雨ではやはり傷む。あと雪用底のついた防水プレーントウも重宝している。見た目まったく普通の靴なので、普段から時々履いて足に慣らしておけば、役に立つ。今回は、悪天候になりそうだとわかっていたので、合成皮革スニーカー。

・撥水加工のポリエステルのテーブルクロス。120×150。これは、ピクニックなどで敷物として使っているものだが、唐津では台風の中、レインパンツがなかったので、巻きスカートのように使用して雨よけにした。他にもいろいろ使い道はあるだろう。安全ピンがあればさらに用途は広がる。ポンチョとしても使用できよう。乾けば寒さよけになる。素材については検討の余地がある。パラシュートクロスのようなもっと軽くて薄い素材を探しておくべきかも知れない。

・ナイロンのパーカー。風が強く傘が役立たずのときはフードが必要。持って出て来てないときは百円均一やコンビニで調達できるといいかも知れない。その上からブリムのある帽子をかぶるとなおよし。

・撥水素材の帽子。私が使っているのは、ブリムを収納すると直径10センチくらいの薄い円盤状になるポケッタブルハット。これは無印良品で安く売られていたときに何色か買った。素材はパラシュートクロス。街歩きのときの軽い雨のときにも役に立つ。

・水泳用の度つきゴーグル。これは玉ねぎを大量に刻むときにも使っているが、大雨大風に視界を確保するのに役立つ。メガネが飛ぶような大風には遭ったことはないが、一度飛ばしてしまうとメガネ人間は、まったく動きが取れなくなり特に日没後は危険きわまりない。これは今回は持ち出してなかった。

・タオルも大事だが、大判のハンカチは役に立つ。雨やどりできたときに絞って広げておくとすぐ乾く。乾いたお気に入りの柄のハンカチというのは、びしょびしょの自分を勇気づけてくれる。

・かさばらない食糧。カロリーメイトなど。所詮人間、栄養である。おなかがすくと気力と判断力が鈍る。キャンデーやチョコやチーズもいいわね。

・アイマスクとマスクと耳栓。これは常備している。博多や天神止まりの高速バスでよく使う。休息ができるときには豪胆に眠ること。

 台風や雨なら、いくらか準備はできるだろうが、地震や大事故など、予測できないものへの準備(普段持ち歩くということ)をどこまでやっておくかだ。長いこと歩ける靴、おやつ、帽子、折りたたみ傘、充電池、アイマスクとマスクと耳栓。あとは大判ハンカチとスカーフあたりがあればいいかな、と。

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豪雨のなかを帰ってきた

2018年07月07日 | 日記

 回来了。

 家に帰ったら日付が変わってた。それでも帰宅できただけよしとしよう。夕刊の天気図を見ると禍々しい停滞前線。天変地異は地球の都合であるから、腹を立てたりするのは間違っている。とはいえ豪雨。

 日延べ出来ない用件で佐賀に。それでも行けなければ仕方がないのだが、行けてしまったから、問題は帰りである。市内のクリークがヤバい。ため池がヤバい。鳴り続けるスマホの警報情報がヤバい。嘉瀬川決壊のおそれ。牛津川も。マジヤバイ。

 佐賀から福岡へのルートは、普通はJR在来線それが怪しいときには西鉄高速バスを使う。今日の帰り道はどちらともダメになった。途中駅が水没し、高速道路も鳥栖ジャンクションが不通になった。7月7日午前2時現在確認すると、熊本以北は絶賛不通状態である。さて帰れるのかMTJ。

 佐賀から久留米行きの路線バスが出るということで乗った。西鉄電車は二日市以南は止まっていて、西鉄久留米に行っても西鉄で家に帰れない。久留米から甘木線(夕方はまだ走ってた)に乗って甘木に行き、そこから電車の動いてる二日市までバスで行って福岡市内に入るという蛇の道もあるが、遠回りで危険すぎる(実際そのうち止まった)。去年水害があった朝倉市のことだし。だが、久留米市内に入るとJR久留米駅があり、在来線は壊滅状態だが、雨に強いオール高架の九州新幹線はまだ通っている。わたくしの脳内は、マイア・ヒラサワの「BOOM!」(2011年春のJR九州「祝・九州新幹線」CMのBGM)で一杯となった。だが、いまだかつて経験したことのない大渋滞のなか歩いた方が絶対速いスピードで走るバスは市内あちこち冠水した久留米には行かずに目達原(ヘリコプターが墜ちた自衛隊の基地がある佐賀県の地名)止まりになるという。目達原には自衛隊があるが、あんな警備が厳しそうなところで助けてもらえるとも思えない。手前のどこか人里のJR駅に近い場所で降りることにした。スマホから得られる情報では、長崎本線は肥前山口以東で動いている様子だった。それなら新幹線駅でもある新鳥栖駅に行けるかも知れない。行けなくても、神埼市役所は近いし、帰宅難民が雨をよけて安全に眠れる場所くらい教えてもらえるかも知れない。神埼市役所のすべての階に灯りがついていたのも私を勇気づけた。とりあえず神埼でバスを降りて駅に行けば何とかなるだろう。それともバスの行く目達原まで行き、そこから新鳥栖駅まで歩くのか? 新幹線の終電に間に合うのか? ええいっと脳内でガラポンを廻し、神埼駅に行くことにした。そこで知ったのは長崎本線が止まっちゃってることだった。

 それでも帰れたのはわたくしの力ではありません。感謝しながら眠りにつくことにいたしましょう。

 新鳥栖から新幹線に乗ることができ(在来線が止まっていると在来線料金で乗せてくれる)、博多駅からは何とか交通機関があり、家に着いたときは7月7日だった。

 悪天候と渋滞のなか、私を家まで送り届けてくださった諸交通機関の方々、ありがとうございます。そして神埼ファミリーの皆様、お世話になりました。無事帰宅しました。「のぶ工房のホームページ」からメール下さいませ。本差し上げます。

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筑後吉井は白壁のまち    画像はクリックで拡大します

2018年07月05日 | 物見遊山

◆筑後吉井

 去年の水害で日田のところで橋が流され途切れていた久大線(久留米〜大分)が、この中旬に復旧開通する。耳納連山の北側に沿って久留米から日田に向って久大本線が走り、鉄道に並行して片側一車線の国道が伸びる。大分との県境に近い久留米寄りの福岡県側にうきは市吉井というところがある。ここは久留米城下町と天領であった日田を結ぶ豊後街道の宿場町だった。明治のはじめに大火があり、それから瓦葺に白壁の町となったんだそうな。大正期の建物が多いそうだが、本当に良く残っている。フォトジェニックなのだわ。鏝絵(白壁につくられた左官さんによるレリーフアート)が施してあるところも所々に見受けられる。「すずや」という呉服店(洋服も扱っているらしい)では、鈴と打ち出の小槌の鏝絵が。醤油屋では、恵比寿さんが醤油樽抱えてニコニコしてる。あと、鶴亀とか、彩色波兎とか、河童もあった。ともかく楽しい。鉄道とバスを合わせると公共交通のアクセスも悪くない、というよりも普通に久留米に通勤通学している感じである。私が行くときは観光客はあまり見ないが、寂れた感じはしない。空き店舗も地方都市としては少ない。でも、中には入居者募集の白壁物件もあるから、その気になれば住めるのだろう。スーパーも何軒かあり、産直野菜も売ってるし、銀行も郵便局もひととおりある。西鉄久留米駅からバスに揺られて一時間くらい。JR普通列車で久留米から30分。住んでみます?

 

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