◆生産性にまつわるエトセトラ
「生産性」という言葉は、「原材料の量や労働者の数に対して、製品の生産される割合」あるいは「どれだけ多く生産するかという度合い」という意味だ(『新明解国語辞典』第六版 三省堂より)。より少ない人数で時間をかけずに歩留まり良く製品をつくり、結果として儲かる度合いのことである。生産性を上げるとは、もっと儲かる状態にする、生産性が低い≒儲からない状態、生産性が高い≒儲かる状態と言い換えても結構通じる。
◆ゲンナリNGワード「生産性がない」
とある政治家が、あるグループに属する人々について「生産性がない」と書いたことが物議をかもしている。
「子どもをつくらないので生産性がない」という言葉だけで、もともと工業生産に係る「生産性」という日本語を、ひとさまの子どもにあてはめるなど、言語に対する鈍感さというか無神経さを感じざるを得ない。与党内からも批判されるのは当然である。
全部読めということなので読んでみたが、やはり「そういう『生産性がない』人たちに税金を注ぎ込むな」という考えには変わりはない。その上、そのグループの人を差別しないと書きながら差別していると私の読解力は言う。
「あなた(方)には生産性がない」と宣言することは、その人の生産性を著しく損なう言葉であると思う。傷つく。悲しくなる。結果として、やる気なくなっちゃう。
だから税金を注ぎ込むな、と言われると、今、生産性とやらがあまり上がっていない、言い換えれば、働けない事情がある人たち、あまり稼げない事情がある人たちも、悲しくなると思う。好きでその立場を選んで働けないわけじゃないのに、まるで生きる価値がないように言われた気になるよね。まったくやる気がなくなること甚だしい。まったくもってゲンナリNGワードであると思う。国民をどこに連れて行きたいのか? やる気を失わせてどうするんだ?
◆もっといい言葉を使おうよ。やる気が出るような。
そこで宮澤賢治の名言である。
「私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません。」(『気のいい火山弾』より)
ひとりひとりが、今できることを。そう考えただけで、勇気がわいてこないだろうか。誰にも役割があって、それを意識して日々果たして行くことで、世の中が少しずつ明るいほうへと動いていく。そんな気にならないだろうか。働いていない人も、働こうかという気にならないだろうか。自分でも何か人の役に立てることをさがそうという気にならないだろうか。
「あらゆる立場の人が、それぞれ、できることをしましょう。それで世の中を良くしましょう。それを助けるために私はいるのです。政治はあるのです。」誰かこう演説する人はいないだろうか。
◆ポエマーが降臨してきたので、ちょっと書いてみる
青空(2018年7月のある朝)
街の電光掲示板にニュースが流れ
それがついさっきだったことを知る
今朝彼は告知され
今朝のうちに彼のすべてが終わった
もう同じ空気は吸っていない
このことを知って
声を押し殺して
泣くしかないひとたちがいる
ことについて
あのころ出会ったか
出会わなかったか
それだけの違いかもしれない
ことについて
空の高さは途方もなくて
でも彼はもう青空を見ることはない
(MTJ)