発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

7月前半のあれこれ 魂の救済にまつわるエトセトラ

2017年07月19日 | 日記

◆ワーグナーだよ

 何かいい音聞きたい、脳細胞修復したいと思っていたら、天からチケットが降ってきた。そんなわけないけどチケット入手して福岡シンフォニーホール。九州交響楽団の360回定期演奏会。ドイツからバイロイト音楽祭を振る指揮者(セバスティアン・ヴァイグレ)がやってきて、ワーグナーですと。タンホイザー序曲はいちどくらいはライヴで、と思っていたからこりゃラッキー。

 タンホイザー序曲と言ってピンと来ない人でも、聞けば唐沢寿明版「白い巨塔」で、財前さんが大好きだった曲ね、とか、そういえばネスカフェや佐川急便のCMで聞いたことがあるメロディーだなと思う人は多いだろう。大忙しのストリングスをバックにトロンボーンが「巡礼の合唱」の主旋律を壮大に奏でる。をを。この曲は、劇中では3幕で、ローマから還ってきた巡礼たちがヨタヨタと歩きながら歌うのだが、劇中ではアカペラのコーラスじゃなかったかな。とても難しい歌だ。巡礼たちは「ハレルヤ!」と叫ぶのだけど、タンホイザーの帰りを待っていたエリーザベトは、その中に彼がいないのがわかり、絶望するのだ。

 タンホイザーの全曲日本初演は、戦争が終わって2年経ってない1947年7月で、ほぼ一ヵ月にわたった帝劇での上演はどの回も超満員だったそうだ。おそらく多くの人々は、巡礼たちに引揚げや復員の苦難や郷里へ帰った喜び、エリーザベトやタンホイザーの死に身近な人々の犠牲と死と魂の救済、杖に芽吹く緑の芽に復興への希望をだぶらせたに違いない。

 

◆浅田次郎に泣かされて

 毎日新聞の連載小説は「おもかげ」。浅田次郎はひねくれ者を泣かせる名人であると、つくづく思う。主人公は定年送別会の夜、地下鉄の中で脳梗塞で倒れ病院に搬送されている。いろんな人が見舞いに来るが、その間も、意識がないはずのその男は時空を超えてあちこちに出かけていき、自分の人生を振り返る話だ。何しろ、自分の容態が急変して焦る当直医師については「おいおい、クライアントの目の前で上司に電話などするなよ」などと考えていて、笑えるが、ともかくあちこちに泣きの伏線が仕掛けてある。たまに小泣きさせてくれる。あと半月で連載終了、完結するが、読者の滂沱をともなう主人公の魂の救済が待っているはずである。

 これは特撮満載で映画化されると思う。

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朝倉市へ行く

2017年07月11日 | 日記

◆朝倉市甘木

  週末は、朝倉市へ行く。ここ数日、大雨災害のニュースに出て来るあの朝倉である。前からの仕事予定だったのである。行って大丈夫か打診してみるのは当然だが、大丈夫みたいなので行き、普通に用事を済ませた。ようするに、町の中心地、つまり朝倉市でも平成大合併前の旧甘木市の市街地は、ほぼ元のままで、大きな被害に遭ったのはそこから東方面のようだ。

 天神からは大分自動車道の高速バスもある。朝倉市甘木までは、筑紫野市二日市からの路線バスも通じているし、甘木終点の鉄道2本(久留米市から通じている西鉄甘木線と、佐賀県のJR基山駅が起点となる旧国鉄の3セク甘木鉄道)も無事だ。甘木の町も、注意すれば、ここは床下浸水くらいしたかも、というところや、側溝のステンレス蓋に草が束になって引っかかっている箇所がたまに見つかるくらいで、花壇の花もきれいに咲いているし、周辺には田植えからそう時間が経っていない美田が広がっているし。普通の大雨のあと、という感じにみえる。

 カーディーラーの店頭には、夏ボーナスを当て込んだ商談会の幟旗が立っている。ショッピングセンターでは戦隊ショーに親子連れが集まっている。

 

 朝倉警察署から青いユニフォームの一団が出て来た。広島県警の災害救援装備だ。上空をたまに飛ぶ自衛隊ヘリコプターや、「災害支援」と書かれた自衛隊トラックや、高速道路を走る救急車や消防車、スーバーの駐車場で支援物資の積み替えをしている他県ナンバーの民間車などを見かけると、災害があったのだなと。

 

  なにしろ甘木から東、杷木方面のバスは止まっている。道路があちこちで寸断されているのだ。

 帰りは、西鉄バスの甘木営業所からバスに乗る。

 洪水で道が隠れてしまった中を船のようにずんずん進む画像で話題になったバスの基地はここである。ここからは、博多駅に直行しているバスが出ているのだ。帰りのバスの中ではアイマスク持参でひたすら寝る。博多止まりであるから、携帯のアラーム機能を使わなくても乗り過ごしの心配はない。

 

◆原鶴分水路

 甘木はしょっちゅう行く場所だが、そこから東、杷木方面にもたまに行っていた。

 甘木から杷木へ行くバス路線の途中に原鶴温泉があり、道の駅がある。道の駅では大きなブロッコリーや、果物や、玄米(炊くために水に浸けておくと、発芽して自家製発芽玄米となる。スーパーで買う玄米よりも発芽が早い。イキがいいのである)を買ったりしてたのだ。

 原鶴温泉は川沿いにあるが、被災者の皆さんに無料で温泉施設を開放すると発表したホテルが何軒かあるので、無事だったと思われる。

 原鶴の道の駅から、JR久大線の筑後吉井駅(これがまたシックな白壁の町)までは、筑後川の橋を渡って何度か歩いた。せいぜい3キロかそこらで、暑い季節でなければ大したことはない。筑後川は温泉付近では鵜飼船を出したりするらしいのだが、原鶴温泉に大きな涸れ川のようなところがあった。橋はあるものの水は一滴もなく、底はグラウンドになっているのだ。

 これは原鶴分水路といって、人工的につくられた、いわば予備の川である。豪雨のときはそこを川にして水を流し洪水を防ぐのだ。昭和28年に戦後最大の水害があり、筑後川もあちこちで決壊、熊本、福岡を中心に、死者行方不明者が1000人を超えた。そのときに原鶴温泉街は完全水没したという。古くからある街道沿いの湯治場の割には、クラシックな感じがしないのはそういう事情なのだ。今回は、巨費を投じてつくられた洪水対策の分水路が役に立ったのだろう。

http://dobokuisan.qscpua2.com/search-list/01fukuoka/51haradurubunnsuiro/

  昼のネット配信のニュースに、杷木での災害支援任務の警察官の画像が出ていた。朝見た広島県警チームの人々だった。厳しい任務なのだ。これ以上被害が広がらないことを願う。

  日田も心配。ここでも何度か日田に行ったときのことは書いてる。

 川沿いの素敵な町なのだ。

 JR日田〜光岡間の花月川橋梁が流れた、ということは、当分の間鉄路(福岡からは久大線と日田英彦山線となる)では日田に行けない、ということである。

 予断を許さない状況は続いている。

コメント (1)
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