発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

Go to anywhare but here ここではないどこかへ

2020年11月20日 | 物見遊山
◆ご公儀の主導するキャンペーンには乗っからない
 地味に近辺を歩きまわるだけ。

◆北九州

 陣の原駅の北にあるこのツインタンクは北九州市の浄水場の敷地内の汚泥処理施設で、卵形消化槽という。駅からよく見える。年季が入っていそうだが1988年の運転開始で見た目より若い。年季の入った工場設備というのは北九州市では普通にみられる。八幡の官営八幡製鉄所の最初の高炉は保存されていて「1901」の年号が大書されている。門司の製糖工場の建物はレンガの百年選手で、中の設備は見えないが、現役である。出入りするトラックを見る限り、いろいろ異なるブランドの砂糖を生産している。

◆対岸は下関

 昔は、貨物列車を船に積みタグボートで引っ張って門司(小森江)下関間を輸送していた。その後自走船となり、関門鉄道トンネルができて廃止された。このレリーフは、下関駅前の建物の壁に設置されている。
 
◆下関駅から北側の海岸に沿った道を歩く。
 漁港・水産加工場エリアである。焼き魚の匂いが漂っているのは、マルハニチロの工場で、ちくわを焼いているのかもしれない。
    脳内に、なぜか「勇敢なるスコットランド兵」が再生される。一次大戦時、英国陸軍スコットランド連隊の軍服は、無地カーキのキルトにハイソックスであった。
 漁港エリアを歩けば30分かからない場所に橋一本渡って行く島がある。下関ではヒコットランドとも呼ばれる彦島である。下関戦争の戦後処理のとき、かの高杉晋作が交渉しなければ香港のようにイギリスに統治されてただろうな。

◆下関駅に戻る
関釜フェリー。旅客取り扱い停止中。

下関駅前、謎の光る馬車。乗れる(乗ったんかい!)。

 下関駅から九州にわたる列車の行先は様々だが、日豊線に向かう便が最も多かったと思うが今はほとんど小倉止まりのようだ。これは新田原行き。
 SHINDE「N」BARU  かSHINDE「M」BARUか論争があったことが伺える。
 宮崎県には同じ文字で、「にゅうたばる」という地名があり、航空自衛隊の基地があるが、福岡の新田原の近く(正確には隣の築城駅が最寄り駅)にも、航空自衛隊の築城基地がある。

 よいことと思いついたら、できることからすぐ始めようと思った。時間を無駄にしないことの第一は、よく眠ることだ。寝る前に爆睡ハーブティースペシャルを飲み、あとは眠くなるまでなにか書く。


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新刊 『あれから七十五年』

2020年11月13日 | 本について

◆新刊

『あれから七十五年』1500円+税 順次配本中。


 引揚と援護、双方に関わった人々の手記。

 博多港に4人の子供とともに上陸した母親は「ああ、これで誰も死なせずに済む」 と思った。
 終戦とともに、「外地」に生活基盤を置いていた人々の環境は一変した。敗戦国民として日本に帰らないといけなくなったのだ。

 「『日本人は乗車させぬ』と切符を取り上げられ」

「兄の暖かだった体は次第に冷たくなり」

 「途中、小さな子がいなくなっていました。迷惑をかけるからとどうにかしたらしいです。とてもかわいそうでした」 

「母は奥様と呼ばれていたプライドを捨て、私たちを助けるために物乞いをする決心をしました」

「着物がわりのゴザを纏い」


 本書では、
 朝鮮は、元山、釜山、京城、恵山鎮、鎮海、清津、全州からの引き揚げ
 満洲は、奉天、新京、哈爾濱、暉春からの引き揚げを扱っています。

 援護は、検疫、送出、税関、日赤看護婦、地元学生有志、聖福寮(福岡友の会や福岡女学院有志)、医療援護(聖福病院…現在の浜の町病院、千早病院の前身)、そして二日市保養所と記念碑のことなどについて紹介しています。

 昔の中学の国語の教科書に、「ひと切れのパン」という、ユダヤ人が収容所に向かう列車から脱出して命からがら家へ向かう短編が載っていましたが、ほぼそれに近い危険を冒して帰還した人も少なくはありません。たまたま出会えた現地の友人の助けを借りて、死線から脱出する人の話、八路軍と国府軍の激しい市街戦。戦争とは何か、生きる力とはなにか、考えさせられます。
 難民というと、どこか遠い紛争国のことのような響きがありますが、日本人の民間人300万人の引き揚げは、まさに難民といえました。
 そして、引揚者援護をした人々。何もかも足りず混乱のさなかにある敗戦国の焼け跡で、愛と思いやりと行動力を発揮して、問題解決に奮闘した人々がいたことも、私たちは記憶にとどめておかなければいけないでしょう。
 そんな体験記の新刊です。

山本 高子 (著), 朝山 紀美 (著), 鹿野 純夫 (著), 波多江 興輔 (著), 中原 尚子 (著), 遠藤 美都子 (著), 永井 千夜子 (著), 村上 百合子 (著), 村松 雅江 (著), 泉 静子 (著), 上村 陽一郎 (著), 三宅 一美 (著), 大塚 政治 (著), 清水 精吾 (著), 納富 寛 (著), 山田 典子 (著), 糸山 泰夫 (著), 武末 種元 (著), 石賀 信子 (著), 山本 良健 (著), 秦 禎三 (著), 児島 敬三 (著), 堀田 広治 (著), 堀田広治 (監修), 博多港引揚げを考える会 (編集), 松崎直子 (イラスト)

 先の戦争が侵略だったのか進出だったのか、軍部の暴走がひきおこしたものか、欧米列強が自分のことは棚に上げて日本の海外進出を批判し日本を戦争に追い込んだのか、結果としてアジア諸国の独立をもたらしたのか、はた迷惑だったのか、そんな話は横に置いときましょう。この本では、あの戦争がもたらした民間人の辛い旅と、問題解決に動いた人々の話をご紹介しています。

 これらの本は、6冊目、のぶ工房が関わったのは4冊目ですが、この本の資金は「引揚げ港博多を考える集い」(多くは引揚げ者、今は老人たち)、のポケットマネーから出ています(あとは版元の労力手出しなので、売れてくれないと大赤字です、買ってね)。メンバーの思想信条はそれぞれです。共通しているのは、戦争はなかなか終わってはくれない(大陸にいた人々にとっては、むしろ八月からが戦争だった、しかも満洲や北朝鮮などで収入の手段が断たれたまま家を追われて冬を越さないといけなかった人々が多々あった)、自力で命がけで帰ってきた、という経験の記憶なのです。


 取り扱い書店は
◆福岡市
 紀伊國屋書店福岡本店
 丸善博多店
 ジュンク堂書店福岡店
◆宗像市
 うどう書店
◆飯塚市
 元野木書店
◆直方市
 いいの弘文堂
◆北九州市
 喜久屋書店小倉店
 ブックセンタークエスト小倉本店
 宗文堂書店
◆下関市
 梓書店 

 順次配本中。書店になければ注文すれば入ります。「地方小出版扱いの本」です。Amazonで購入する方はこちらのリンクを。

 直接お申し込みは

 お電話◆092-531-6353

 ファクシミリ◆092-624-1666

 メール◆fuyuharu3529@yahoo.co.jpへどうぞ。


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11月のあれこれ。冬に向かって匍匐前進

2020年11月12日 | 日記
◆おちおち熱も出せないし咳もできない。発熱に自由を! 咳込みクシャミ権の保証を! と思うが私は風邪をほとんどひかない。
◆(それはあんたが〇〇だからだ、とは言いっこなしで)
◆気力で風邪を治すのは困難だが、気力で風邪にかからないのは容易である。その実験を何十年も続けている。私ひとりのサンプルでは立証にならないことは承知である。 
◆失恋したショックで高熱を出すとかが可愛い齢はとうに過ぎたし、有給休暇のない世界に住む者にとって、風邪をひくと即減収という世知辛い現実が待っている。だから風邪はひかないと決めた。
◆一方、普通の風邪をひいたら命に関わる疾患を持つが無菌室でなく普通に生活している人々が少なくないのも昔から承知している。また、風邪で休めない代わりのいない重要な仕事に就いて、毎年毎日気をつけている人々ももとからいる。そういう人を真似ればいい。
◆私が風邪をほとんどひかなくなったのは、弁当工場を見学してからだと思う。HACCP(ハサップ)と呼ばれる厳しい衛生管理を目の当りにすると、コンビニの弁当が傷みにくいのも納得である。以来家庭での調理に手袋はしないが帰宅したら「必ず」調理まえは「丁寧に」手を洗うようになった。食あたりに限らず多くの感染症が口から入るから手をよく洗うと風邪にもかかりにくいのだ。
 今年は、風邪やインフルエンザや新型コロナも含め、罹ったり亡くなったりする人は、少なくとも我が国においてはトータルで減ると踏んでいる。以前より手をみんなが洗うから。
◆今の願いは、クリスマスコンサートが中止にならないこと。

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運命の人にまつわるエトセトラ

2020年11月05日 | 本について
◆オルフェウスの窓
 池田理代子のコミックのタイトル「オルフェウスの窓」は、お話に出てくるドイツの男子向け音楽学校の古い塔の窓のことで、オルフェウスとエウリディケの神話に習い、そこから最初に見た女性と運命的な恋に落ちるが悲恋に終わる伝説がある。
 男子2名が共通の女子1名(わけあって男装しその学校にいる)をそこから見てしまった。その3人の運命を縦軸に枝葉いっぱいでドラマが進行する。彼らは学園の伝説に刷り込まれて恋に落ちたのか、それとも本当に魔力のある窓だったのか。
 男子修道会の付属学校で、滅多に女子にはお目にかかれないから、女性が通りかかったら即運命の人というのも必然であるが、その学校の出入り業者に女性がいるなら、それは危険極まりない業務ではありますまいか。
◆君の運命の人
 運命の人? ベートーヴェンでしょう!
 それはさておき、「君の運命の人」という文字列を見れば、商業施設で去年からヘビロテの歌「プリテンダー」のメロディーが浮かぶ。綺麗な女の子と交際にこぎつけたが相手はあまり気乗りしないようで大好きだけどお別れしようといった歌詞だ。
 彼女はもっとドンピシャな相手との交際や恋愛を望んでいる、のなら、他の人とデートしてる場合なのだろうか。
 運命の人ってなんだ?
 人生のなかで会えるのか? 
◆海に降る雪
 「(今は)恋愛にとって苛酷な時代」と、40年以上前から言う人がいた。畑山博だったか。今好転したとは言い難い。彼の『海に降る雪』という小説は、都会で孤独に暮らしていた男女、身寄りのない男子と、郷里に毒親近所にセクハラ義兄ありの女子が出会ってボロボロになって別れるというお話だが、ハッピーな日々を暗転させるトリガーは、彼氏が押し入れの中の彼女の日記を読んでしまったところからだった。で、帰宅した彼女を思いっ切りなじるのだ。ダメねぇ。
 現在進行でないことに関しては知ってしまっても知らんぷりしないと不幸を招く、というご教訓が得られる。読書って大事ね。
◆めでたくない「結婚行進曲」
 と書いたところで思い出したのは、ワーグナーの「結婚行進曲」、すなわち歌劇「ローエングリン」の「婚礼の合唱」である。このオペラは全曲聞いたことはないが、そのなかの「エルザの大聖堂への行列」という有名な曲をコンサートで聞く機会があり、そもそもどんなお話なのか調べてみたら、新婦が新郎の秘密をしつこく聞き出したために、結末で新郎が逃げ出し、新婦は死んでしまうという、まったくめでたくない物語と知った。
 結婚にこぎつければそれは運命の人なのだが。
 なんでまた、こんな不吉きわまりない(笑)「婚礼の合唱」が華燭の典で演奏されるのかとずっと疑問に思っていたが、『海に降る雪』について書いていて思った。
 つまり、相手が教えたくないことを知ろうとすると簡単に壊れる関係なのだという警告をもってこの曲で祝福するということなのかしらと。いやそこまで深く考えて使われてはいないと思うが「ローエングリン」のお話を知っていて、彼または彼女の内緒の過去を知る出席者は、結婚行進曲に少し苦笑いするのかもしれない。
 
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