発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

春を背負って

2014年06月10日 | 映画
春を背負って 試写会。都久志会館。先日の「WOOD JOB 神去なあなあ日常」に続き、山のお仕事の映画。標高はさらに上がって舞台は冬でなくても雪が残る標高3000メートルの山小屋。

◆立山とわたくし
 原作小説では秩父の話らしいけど、映画の舞台は立山連峰。立山黒部アルペンルートは、ずいぶん前だけど、ちょうど今の季節に行ったことがある。映画にもチラっと出てくる、雪の壁の間を通る道だ。もちろん歩きの登山などしてない。
 ここ十年は、自力登山といえば鴻巣山(福岡市中央区)くらいのものである。

◆山小屋へおいでませ
 それなりの装備が必要な登山をしないと到達不可能な標高3000メートルの有人食事宿泊つき山小屋の四季を、ドラマと絡ませた映画である。小屋開きの準備から、営業の様子、そしてそのシーズンの山じまいというか小屋じまい。冬は雪に埋もれるので営業しない。必要な資材は原則ひとが背負って運ぶ。ベテランさんなら1回に60キログラムくらいは運ぶようだ。ファイトいっぱつが普通ですが何か?という世界なのである。
 戸締まりをしていてもうっすら中に雪が積っている。壁に凍り付いた雪をはつるところから始まる。荷物を運び込んで、布団を干して、さあ、お客様を待ちましょう。予約のお客様、天候の変化に避難してくるお客様。
 ともかく、圧倒的に美しい山の風景の移り変わりを楽しむことのできる映画である。

◆元・山ガールと山ガール
 登場人物はおしゃれである。アウトドアの山スタイルは、たいがいは、おそらくはモンベルあたりのシンプルなウエアである。登山のときのサングラスが皆さんファッショナブル。民宿経営のお母さん(檀ふみ)のステキな作務衣。蒼井優のバッチワークスカートとか。山の空気にびったりな気がする。

◆主役は山ですね
 山はひとを哲学くんにするのか、人生訓的な台詞が多い。気になる方はスルーして山を楽しみませう。ストーリー自体は、たんたんと進む。山小屋の主人をしていた父(小林薫)が山で事故死して、金融トレーダーをしていたひとり息子(松山ケンイチ)が、ちょうど取引で大穴を開けたところ(やめるときには、その穴も小さくなってたみたいだけど)だったこともあり、郷里に帰って山小屋を継ぐことにした。それからその翌年の山小屋開き準備までのお話。気まぐれ風来坊山男(豊川悦司)とか、料理上手な訳あり娘(蒼井優)とか、無茶をする客とか、山岳警備隊の人々とか。大体予定調和内でお話は進みます。物語にケチをつける向きもあるでしょうが、この映画は、山が主役なのだと思います。だからいいんです(たぶん)。 
 
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残業にまつわるエトセトラ

2014年06月06日 | 日記
◆残業とわたくし
 今現在私の辞書には、残業手当の文字などない。一日8時間以上、出版社の仕事をしたところで、時給に上乗せがつくわけがない。ぼんやりと生産性の低い仕事っぶりを続けていれば減収となる。収入=本や仕事が売れた報酬、すなわち成果である。
 だからといって、多くの人たちに残業手当がつかなくなるかも知れない件について、自分に関係ないからどうでもいい、とは全然思っていない。
 残業手当がつかなくなることが、より不幸な社会に向かわせているのではないかと思うことと、それだけならまだいいが(よくないけど)そのことが、日本の品質を全体的に下げるのではないかという危惧をもつからである。

◆残業代ゼロの対象は一体全体誰なのか
 残業代がなくなるかも、と、最近よく新聞や週刊誌に書かれている。
 http://news.tbs.co.jp/sp/20140529/newseye/tbs_newseye2212458.html
 これから残業手当がつかなくなる仕事がどこからどこまで、というのは、まだまだ流動的のようである。だが、自分に都合の良い期待は持たない方が良さそうである。
 厚生労働大臣は「労働時間ではなく成果で評価することが可能な『世界レベルの高度専門職』に対象を限定」と言っている。この場合、対象範囲はごく狭い。
 ところが、経済同友会代表幹事らは「幹部候補の労働者などを対象に含めるよう求める案を示した」つまり「年収によって制限は設けず、経営企画や商品開発など企業の中核的人材や管理職の候補などに対象を広げるべきだ」と。
 それは「正社員なら年収(の低さ)は問わないで残業代ゼロにできるようにしたい」と解釈できる。すくなくとも使用者がそう解釈するとしても驚くにはあたらない。
 一生平社員でいいです、と思って正社員になる人っているだろうか? 面接のときに生涯平社員で、と、言って雇ってもらえるだろうか? そもそも「幹部候補募集」って、ブラック企業求人の常套句じゃなかった?
 つまり、全正社員が、残業ゼロの対象になりうるってことではないかと。自分が実質劇的賃下げに遭遇して慌てないように、関連報道には注意されたし。

◆残業手当がつかなくなったら、どうします?
 困る困るって、あなた、マジメにコツコツ働けばいいんですよ。そうすれば成果も上がりますって。
 とはいうものの、どうやって公平かつ正当に成果を評価するんだろう?
 これまでも働く人は、その成果で評価されてきたが、目に見える成果しか評価されないとしたらどうだろう。
 まじめに働かないとか、ダラダラ残業して手当を稼ぐ生産性の低い人は、もともと賞与や昇給の査定で考慮されてきたのではないか。あるいは大半はすでにリストラされてしまったんじゃないのか。
 お金になるからこそ、ダメな同僚や、しでかした後輩(や上司)や他部署のミスの後始末を居残って手伝うこともできるのである。お金になるから、帰りが遅くなっても優しくいられるのである。
 ところが、残業手当がつかないとなると、どうだろう。頑張ったし、それなりの手応えもあったと思うのに、自分の成果として認められにくい仕事の場合、やる気を失う。「やってられねーよ」ということである。
 すると誰もが自分のことだけに専念しだすギスギスした職場を作り出しはしないか。売り上げに直接はつながらない、自分の、あるいは自分の所属するチームの評価にはなりにくい、でも大事な時間のかかる仕事を、賃金にならないからといって誰もがやりたがらなくなったらどうだろう。
 オフィスワークであれば、明日に回せない問い合わせや苦情電話を終業まぎわに取るのは評価してもらえるのか? 要領のいいというか狡い人だけが残業せずに済むということにならないか? 終業30分前から、誰も電話など取らなくなるのではないか? 
 それは品質を落とすことにつながらないか。

◆「生産性の向上」について
「日本人の意欲と能力を最大限引き出し、生産性の高い働きができるかどうかに成長戦略の成否がかかっている」(安倍晋三首相)とはいうものの、それが残業手当なし、とどう関係があるのか。
 残業手当をなくすと、見た目の生産コストを簡単に下げることができる。つまり「生産性」が簡単に上がる。   
 ちょっと単純計算してみよう。
 まったく同じものを同じ分量生産するとして。
 人件費=人数×時給×労働時間として。
 以前は、人を減らすと、時給を変えなくても、残業=労働時間の増加分となり、残業分は通常、所定労働時間の時給の1.25倍を払わないといけないから、人件費はあまり減らない。というより、人を減らしても働く時間の総和が全く同じ場合は、却って人件費が余計にかかる計算になる。
 ところが、残業手当がつかないのを前提とするとなると、人数を減らし、人の数と時給との積が以前より減る範囲で平均時給を上げる(成果という客観的ではない公平ではないかも知れない曖昧な)と、賃金を払わないといけない労働時間が一定となるのであるから、人件費は簡単に削減できる。これは働く人が軽んじられてることにならないか。
 それが「生産性の向上」だとしたら? これは果たして「意欲と能力を最大限生かす」ことになるのか。「見た目の生産コスト」と私が書いたのは、このことが原因で過労死する人が増えたり、まじめに働いても貧しい人が増える可能性と同時に、やる気を失わせ、結果として品質を低下させるシステムになることを危惧しているのである。雇用者が労働者を尊重しなかったら、労働者は仕事を尊重しなくなる。顧客も商品も職場も軽んじるようになる。すると品質が落ちる。一時的に生産コストが下がっても、品質が落ちてしまうのなら、何にもならない。これ以上「日本の品質」が落ちるようなことがあってはならない。

◆品質が低下しない、幸せに働けるシステムを 
 「日本の品質」は、すでにあちこちで落ちている。資源もなく、食料自給率も低いこの国では、働く人の質が日本の価値そのものであるのに。長い時間をかけて品質は見えにくいところで低下している。バブル期に、まじめに汗を流して働くことを軽んじる風潮が生まれ、嘆かわしいと思っていた。バブル崩壊後、少しはまっとうになるかと思っていたが、二十年前に、大量の紙焼き写真の依頼先が「疲れた現像液」を使った役立たずのプリントという信じ難い仕事をしてくれたあたりから、何か変だと思っていた。食材や冷蔵庫の上に寝たり、ピザ生地を顔にのせた写真や、人気俳優がカード利用したレシートをネット投稿するアルバイト。それが日本を侵しつつある職業倫理なのである。
 誰かがとても儲かって、所得の再分配により社会全体が潤ってまわっていけばそれはそれなのかも知れないが、肝心の品質が、これ以上低下しては誰も得はしない(この言い方は私、よく使うね)と思うのだ。
 残業代ゼロはどの範囲となるのか今後の動向から目が離せないけれど、「正社員なら年収(の低さ)は問わないで残業代ゼロに」というのが、品質を保ちながら働く人を幸せにするシステムになるとは私には思えないのだ。
 いよいよ政治の動向が、多くの人の生活そのものにダイレクトに影響してくるかもしれない。さあ、どうする? 無関心でいられるかな。
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千秋真一の白いシャツ

2014年06月02日 | 映画
◆5月は忙しくて、新聞も、ニュース放送も途切れ途切れにしか見聞きしてない。

◆何か音楽聴きたいっ!! と、レンタルビデオに行くも、お気に入りの「オーケストラ!」がないっ!! 「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」もないし、まてよこれは笑う映画じゃなかった。それでテレビ版「のだめカンタービレ」を1本(2話)ずつ借りて、仕事のあいまにバソコンで鑑賞。面白い。車じゃ、サラ・ブライトマンとフィリッパ・ジョルダーノと溝口肇をヘビーローテ。

◆玉木宏の声はいいね。「真夏のオリオン」(2009年)という映画で倉本艦長(玉木)の台詞に「オーケストラの指揮者になるのが夢だった」というのがあって、爆笑したのをおぼえている。

◆「のだめカンタービレ」は、クラシック音楽の世界の、若い音楽家たちの物語である。言わずと知れた大ヒットコミックで、実写テレビ、映画と、アニメにもなった。主役は天才ピアニストの野田恵と、指揮者をめざす千秋真一である。実写版の登場人物はなかなかおしゃれである。野田恵の、母手作りの服もおしゃれだけど、これは自分で縫うか、縫ってくれる人がいないとムリなので、参考になりにくい。今回は千秋真一のスタイルについて書いてみる。
 放映から数年経ったが、何の違和感もない。

◆千秋真一の白いシャツ
 白いシャツしか原則着ないのが、千秋真一だ。まだ6話までしかみてないんだけどね。
 常に白シャツ長袖。ノーネクタイ。たまにグレーVネックTシャツ。白シャツの種類は多そう。ドビーなど織り柄の縞模様だとか、ピンタックもあり。でも白一色。学生の分際でダブルカフスのシャツを普段に着たりするが(勤める会社のドレスコードによっては、スーツを着る職場であってもダブルカフスを定年まで着ない人も多いのではと思う)ダブルカフスでないものは、ユニクロのだったりする。つまり高いものとは限らない。要するに誰でも真似できる。
 アウターは黒かグレー。ニットはVネック。カーディガンもよく着る。模様編みのこともあるが無地。あ、アーガイルチェックもあった。パンツも黒~チャコールグレー。たまにベージュ~オイスター。
 これらの組み合わせは、どれとどれを合わせて着ても大丈夫そう。誰もがこんな格好をすれば、たぶんお洋服業界は不況になってしまうだろうけど実に合理的なワードローブに思える。
 中の人、玉木宏のような男前さん、というわけにはいかないにしても、姿勢正しく着れば、誰でもなんとかなるような気がする。常に第二ボタンまではずし、下には何も着てない、というのを真似するかどうか、は別の問題として。
 あ。ピンタックやダブルカフスやドビー縞を着るとか、そういえば、ボタンダウンは着てなかったような、とか、ネクタイをしないってのは「一歩間違えて、まるで高校の制服」になっちゃわないため、かもね。
 千秋真一のワードローブがシンプルなのは、脳内のほとんどが音楽(=好きなこと)でいっぱいだから、なのだと思う。おしゃれに時間をさきたくないけどおしゃれしたい青年は、参考にできるのではないかと思う。
 ドラマでは、千秋真一の真似しようとして失敗しちゃってる例(大河内くん)も出てくる。そういえば、大河内くんの服装は、高校の制服っぽいな、と。






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