発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

2019年10月のそのほか

2019年10月31日 | 日記

◆ホモ・モーベンス

 18日は「時間学講座」と「民法債権法改正講座」(行って大正解の大改正)に行き、19日は北九州に仕事に出かけたついでに「棟方志功の旅展」に行き、20日は田主丸に仕事にでかけたついでにカッパを採集し、21日はユナイテッドシネマキャナルシティで「ひとよ」試写会、それから熊本に行って、広島に行って、山口に行って、広島に行って、また福岡に帰って広島に行って30日に帰ってきた。というのがここ2週間の話で。

◆時間学講座

 山口大学にジャンルを越えて時間について研究する機関があって、ときどき福岡で市民講座を開いている。聞いてスッキリしなくていい、モヤモヤしてもらうための講座なのだそうな。

 今とは何か。哲学的アプローチについての話を聞きながら、私が思い出していたことがある。10代のころ、ポラロイドカメラを持っていた。シャッターを押すと、即時にプリント写真が出て来るインスタント写真の古典的道具である。

 あるとき、雑踏のなかで一枚ポラロイドを撮った。画像はゆっくりと現れてくる。そのだんだん濃くなってくる画像と、シャッターを押したばかりの風景がどんどんずれていく。今というのは目に見えている自分の手と手に持っているフィルムと目の前の風景のことで、でも現れてくるさっき撮ったばかりの画像は、どんどん今と離れていく。手のひらの上で今が過去になる。さっきと同じ場所に立っているひともいれば、遠くに去っていくひともいる。ただそれだけのことなのに不思議なものだなあ、これの連続が時間が経つことなのかなあと。

◆棟方志功の旅展

 北九州いのちのたび博物館。恐竜の骨とか化石とかが主な展示だったと思うが、特別展では歴史だとか美術だとかの展示を行うのだ。というわけで、棟方志功。

 棟方志功をはじめて見たのは、やはり10代のころ神戸の湊川神社の壁画だったか、ともかくうわあ、と大きい絵だった。それと思い出したのが唐沢なをきの「怪奇版画男」という全編版画でできた漫画単行本、もちろんギャグ漫画なんだけど、これ見事すぎて買ってしまった。それに登場する版画男が棟方志功の版画ふうである。必見の力作である。

◆「おとうさん、こわいよ。何かくるよ」

 と「顔、ぶたないでよ。私女優なんだから」この二つのフレーズで薬師丸ひろ子を連想できる人は私と同じくらい古いと思う。出典は映画「野生の証明」1978年と「Wの悲劇」である。「野生の証明」はデビュー作、「Wの悲劇」は、夏樹静子の同名の小説の劇中劇にまつわる話で、薬師丸は先輩大女優のスキャンダルを肩代わりすることを引き換えに主役の座を奪い取る。のちに乗馬姿で颯爽と現れる華族令嬢昼ドラヒロインで一世を風靡したのち、テレビコメンテーターとなる高木美保がライバル役で登場している。

 それはともかく、久留米市田主丸。カッパ伝説の残る場所は、川とともに生活してきた場所である。駅のホームにカッパ。駅舎がカッパ。マンホールがカッパ。店頭にカッパ。街灯にカッパ。橋にカッパ。イルカに乗った少年ならぬナマズに乗ったカッパ。黄桜のCMソングがヘビロテで脳内再生。

 長くなるので熊本と広島についてはまた。

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野分

2019年10月16日 | 日記

 つい先日までは、昼は夏で日没とともに秋になっていたのが、台風が過ぎて以来、お昼にも秋が来た福岡。

◆台風19号

 あんなに九州から遠い台風だったのに、静岡上陸の時間「普通の台風が熊本の玉名あたりを通ってる」くらいの強風が吹いて警報が出ていた。大きな河川が決壊したところを直に見たことはないが、筑後川の原鶴分水路(水害用河川バイパス的なもの。平時は枯れ川の大きなグラウンドであるが、川が氾濫しそうになると水を流して水害を防ごうとするもの。2017年の朝倉大水害のときに使われたのでグラウンドとしては今は利用されていない)の大掛かりさを見るに、水の力の恐ろしいことである

◆お仕事とお天気

 サバイバルモードに好んで飛び込む趣味はないが、朝、交通機関は全部動いていて、夕刻に台風が通過する「かも」しれないとき、日帰り距離のアポイントメントをキャンセルするかどうかは、簡単には決められない。台風や豪雨や大雪の季節には仕事が進まないとなると自営業には死活問題である。

 去年は、雨のなか佐賀に出かけて、帰ろうとするとJR在来線と高速バスが止まり久留米まで路線バスで行って西鉄電車(人身事故以外ではなかなか止まらない)か新幹線で帰ろうと思ったが、久留米市内のあちこちが水に浸かったため大渋滞の末、目達原でバスは止まり、西鉄電車も不通。なんとか新鳥栖にたどり着いて唯一動いている新幹線で博多に向かい日付が変わったころに帰宅することになったが、それもまたラッキーな綱渡りだった。もしもモバイルでの情報収集がなければ帰れません一択である。

 雨だけなら、在来線が止まっても新幹線は動いていたりする。在来線が完全アウトなときは、特急料金なしで新幹線に乗せてもらえる。 

◆機敏に動くこと

 そういえば、平成はじめの「りんご台風」のときは、家から会社に「帰り道が危ないので帰って来るな」という電話が来て、急遽ビジホ泊まりとなった。非常の場合はコンビニも閉まるとそのとき知ったし、当たり前にあると思ってるホテルのレストランの食事も、みんながみんな外に食べに行けないときは、食べ物がなくなって早めにオーダー停止となる。お湯も早めに終了してしまう。安全が確保されたとホッとする間もなく、あれこれ機敏に前倒しする必要がある。書いていて思う。やっぱりサバイバルはしんどい。引きこもりたい。でも、なかなか事情が許さない。


 



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芸術の秋、読書の秋

2019年10月11日 | 日記
◆芸術の秋、G線上のアート
 「表現の不自由展」が再開され、抗議のため名古屋市長が座り込んだ。それもまた不自由展を構成する要素になると思う。物議をかもす。中断される。脅迫が届く。予算が出なくなる。入場制限をする。全部完璧な「表現の不自由」を作り出している。しかも美術史にこれは残るだろう。
 表現者にとって辛いのは制限でも批判でもなく、スルーされることなんだもんね。松下由樹が「徹子の部屋」かなんかで「姉の婚約者を取る妹の役をしたときに視聴者からカミソリが送られてきて女優冥利に尽きると思った」と語るのを見たことがある。
 今まで見てきた美術作品のなかで、これはいやだ。私は芸術とは認めないというのはひとつだけあった。どういう展示かというと室内に張り巡らされた透明プラスチックの中を、大量のG(本物)が走り回っているものだった。よく会場が許可したものだと思う。
 問題は展示後である。どうやって撤収を行ったのだろうか。鑑賞のハードルも決して低くはないが、後始末の作業に耐えられる人はさらに少ないと思う。会場に取りこぼすのは許されない。バルサンを焚くにせよ、洗剤液を噴霧しまくる(窒息して動かなくなる。殺虫剤よりは安全かな)にせよ、掃き集める、チリトリにとってポリ袋に入れる。いかなる昆虫を思い浮かべてもきついが、それがGちゃん。想像するだけでうああっである。

◆読書の秋
 スルーされるよりはましなのかも知れないが、ものごとの表層しか見ない人々も困りものである。
 8年近く前『博多港引揚』という本を上梓したとき、ネットで炎上した。おお、叩かれること。「出版停止」とか「(こんな本が出てしまって)福岡県民として申し訳ない」とか。
 でもね、よく読むと、批判してる人たちのほぼ全員が、本どころか新聞記事さえ読まずに批判している。
 新聞の取材を受けた編集委員のひとりが「日本の侵略の歴史もわかる」と言い、それが記事に載った、多くはその部分を叩いているのである。
 編集委員にはいろいろな思想信条の人たちがいるが、この本をつくるにあたっては「戦争は簡単に終わってはくれない、実際に体験したことを知らせたい」という考えで一致している。そのための本なのである。 
 昭和20年9月の閣議で「現地の悲状に鑑み内地民生上の事情を犠牲にするも可及的速やかに之が完遂を期する」と決まったものの実際は悲惨な難民の旅を強いられたのが引き揚げである。その事実を知り、それは何の結果なのかということに考えを及ばせる本なのだ。それを侵略と呼ぶ人がいたから出版停止しろとは。
 200を超える書き込みのなかで、立ち読みをしたと思われる人の書き込みはただひとつ。
「本屋でちょっと読んだけど、別に侵略は強調されていないよ」
 新聞記事を実際に読んだ人の書き込みは
「邦人の苦労をしのばせるものだろ。ちゃんと読め」
 残りはほぼ「本を見ずに」「新聞記事さえちゃんと読まずに」書いたオッチョコチョイと察することができた。
 ついでに「税金が使われているんだろうな」というデタラメな憶測を書いた輩までいる。これは会員、多くは年金生活者のポケットマネーを集めて出版されたものだ。失礼きわまる。
 ちなみに、我が社に直接電話してリアルで発行人や編集長に議論仕掛けてくる勇者はいなかった。
 批判してもいいから、ちゃんと読んでね。できれば買って読んでね、と思う発行人である。
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「空の青さを知る人よ試写会」 10/7 Tジョイ博多 おら東京さ行ぐだ物語

2019年10月09日 | 映画
「空の青さを知る人よ試写会」
「私はミュージシャンだ」というのは、70年代から80年代にかけてのサブカルチャー漬け少年少女の世界では、掃除当番などをやりたくないときに使う言葉であった。
それはさておきこの映画、高卒後、彼はミュージシャンの夢をかなえるために東京に出、両親に事故死された彼女(姉)は幼い妹を育てるために地元に残ることを選んだ。13年の月日が経ち、姉は市役所勤務、妹は孤高のベーシスト高校生。これは恋人たちの再会と少女の成長物語なのだ。ありえないファンタジー設定で、少女の恋は叶わないとすぐわかるが、どう終わらせるかに注目して鑑賞。えらいぞ妹!!
 この映画ではなんと七角関係が展開される。六角ともいえる。
◆松野兄弟がもし一人っ子だったら
 脇役として登場する市役所職員にしてドラマーにしてシングルファザーの父とその小学生の男の子が、おそ松さんに似たデザインで可愛い。
◆ひねくれ者は手口にツッコミを入れる
 離ればなれになり音信不通になっていた恋人たちの再会。
 って、車が埼玉ナンバーをつけてるところであれ?と思った。埼玉って東京の隣県で、舞台である秩父からは、西武線で鈍行でも池袋まで2時間かからない。電車代も片道800円かからない。渋谷や原宿に出ても1000円以内で、直方や大牟田から天神に出るよりも安い。早起きができれば相当遊べそうだ。終電の時間にさえ気をつけていれば、毎週でも遊びに行けるところではないのか。中学生だって夏休みに友だちと誘い合わせて出かけたりできる場所じゃないのか。それがひどく遠い場所のように描かれていた。東京住民から秩父は遠い場所なのかもしれないが、秩父住民から東京は近いと思う。
 なぜ会わないまま13年も過ごす? なぜ普通に遠恋しない? というか片道1000円以内で遠恋? 全国遠距離恋愛連盟というのがあれば、それは遠距離恋愛と認定してもらえないと思う。
 彼は売れっ子の花形ミュージシャンにはならなかった。しかし、一流歌手のバックを務めるミュージシャンはライブに行って私が見る限り一流の演奏をする人たちで、つまり彼はたゆまぬ努力をしたのだ。スターにならなかったからといってそんなに腐って世の中を斜に構えてみるような必要はまったくない。ビッグ(……)になって迎えに来れる確率はすっごく低いんだけど、何か不満? 何が不満? むしろ、時間をかけて、なかなか立派な鮭になって遡上してきたといえるのではないか。
 ついでに意地の悪いことをひねくれ者は書く。東京さ出てスターミュージシャンになったアーティストはなかなか「地元一般女性と結婚」なんてしないよね。ついでに書けば、糟糠の妻と離婚までしてモデルとか女優とかと結婚した人も枚挙に暇がない。スターミュージシャンにならなかったからこその復縁ファンタジーなのだ。







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