発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

すくらっぷあんどびるど

2016年10月24日 | 日記

◆秋が来た

 気の早いものも少しはいたが、キンモクセイは、示し合わせたように香りだし、そして営業終了した。秋は進む。カーディガンがいる。帰りが夕方になるのなら、念のためスカーフをバッグに入れとく。涼しいのでいくらでも歩ける。

◆スーパーが更地になってた

 桜坂を降りて行くバスに乗る。カーブの多い坂の脇には、台湾の福岡弁事処(領事館のようなもの。正式名称はもっと長く漢字も繁体字である)、料亭、ケーキ屋、結婚式場などがある。福岡の桜坂は、春に桜はそれほど多くはない。下り終わったところのスーパーだった場所が更地になっていた。建った当時は北九州のスーパー「丸和」の高級店「ラ・パレット」として開店し、そのあと、柳川のスーパー「マミーズ」の「マミーズ・プレミアム」になっていたが、ヤオイカンことになったのかどうか、知らないうちに撤退どころか更地だ。マンションになるのかな。「ラ・パレット」の撤退は当時の「丸和」の経営不振によるものだが「マミーズ・プレミアム」は、桜坂の店そのものの不振だと思う。お惣菜がおいしくなかったのは私が買ったときの買ったものだけかもと思ってなんとなく遠ざかっていたらなくなっていた。車を停めやすいスーパーは、あのあたりでは貴重だったのだけど20年もたなかった。

◆ららら科学の子

 市内を歩く。舞鶴の少年科学文化会館の取り壊しが進む。70年代の建物で、展示も古いものがたくさんあった。ここが立て替えになっているせいで、現在、福岡市内の科学博物館は、公設のものは、九州大学の総合研究博物館くらいではなかったかと思う。百道浜の福岡市博物館は歴史博物館である。太宰府市の九州国立博物館も歴博だ。県の科学博物館は、久留米の青少年科学館(1990年〜)で、ここは一日中遊べる。久留米にあるのは、当時福岡市には少年科学文化会館や九州電力の九州エネルギー館(すでに閉館)があり、北九州市にも自然史博物館(八幡駅ビルにあったのですよ。駅に恐竜の化石!!  今はスペースワールド近くの「いのちのたぴ博物館」に移っていて、歴史の特別展もやってる)があったから県南につくられたのだと思っている。

 少年科学文化会館は、月に1度くらいボランティアの人たちが子ども向けに科学遊びのイベントを開いていた。小さな図書館と、化石などの展示があった。素敵な鉄道ジオラマと、本物の新幹線の座席と窓が据えてあって窓は青一色。モニターを見ていると座席に座った自分たちと、窓の外には駅を出発してから駅に着くまでの景色が映る、つまりクロマキーで博多から小倉まで新幹線で出かけることができる展示も楽しかった。プラネタリウムもあった。ホールには、年に2回くらいは、子ども向け劇団が来ていて、先着順で入れた。「金のがちょう」は記憶している。2005年には世界物理年記念イベントがあり、アインシュタインとのツーショット合成写真のプリクラを撮った。"An hour sitting with a pretty girl on a park bench passes like a minute, but a minute sitting on a hot stove seems like an hour." 時間というものは曖昧なものだということを、アインシュタイン先生はこんな言葉で語っている。博物館は大好きだ。知らないことは、まだいっぱいあって、おとなである自分の分野とかけ離れていても、知ることは楽しい。少年科学文化会館は、六本松の九州大学教養部跡地に移るがまだ建設中で、名誉館長は若田光一さんだ。とても楽しみにしている。

◆こども病院

 海近くに行くと、市立こども病院が取り壊し中だった。放水しながら重機を使っていた。ここにはお世話になっていないが、35年間で終了したらしい。物議をかもしながら東区の人工島に移ったのちの取り壊しである。昔、長野県の人から、治療のため赤ちゃんを福岡大学病院に連れて行っている話を聞いたことがある。その分野の日本で一番いい治療を、ということだったが、裕福な家庭とはいえ、長野から福岡市城南区、しかもまだ福大病院に地下鉄が通っていなかったし、都市高速も完成していなかったから、空港からタクシーにせよ大変だったと思う。分野によっては他に治療法がない、ということもある。経済的な問題の絡んだ深刻な選択というのはざらにあるのだろう。支援が十分とは思えない。人工島の病院近くには付き添いの親が1000円で泊まれるマクドナルドハウス(16室で十分なはずもないだろうが)もある。とりあえず、親戚の子どもたちには、お年玉に添えるプレゼント袋に赤白縞のソックス(マクドナルドハウスに寄付すると貰える)も、入れておこうと思った。

 と、文字通りのスクラップ&ビルドが続く近辺である。レトロな建物は幸いであるとつくづく思う。

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資生堂のテレビコマーシャルの放送中止にまつわるエトセトラ 一体全体何がまずかったのかわからないと単なる言論統制と間違える。

2016年10月08日 | 日記

◆放送中止のコマーシャル

 資生堂のテレビコマーシャルが、女性差別だセクハラだということで放送中止となったということである。それでテレビをほとんど見ない私までYouTubeで見ることになった。差別だセクハラだ放送中止だということで表現が及び腰になってしまうと、世の中に面白いものなどなくなってしまうような気もするが、ともかく見ないことにははじまらない。

 で、見てみたよ。とりあえず、「バースデー編」。これは25歳になった女の子(私から見ればね)とその友人の、いわゆるガールズトークに終始する。「今日からあんたは女の子じゃない」「もうチヤホヤされないし、ほめてもくれない」「カワイイという武器はもはやこの手には、ない」一回見たところ、絵的にはむしろ面白かった。「ある程度の年齢になると、天然でカワイイとはいえなくなるので意識してアップデートする必要がある」ってことでしょ。「カワイイをアップデートできる女になろう」というメッセージはそう悪くはない。だが違和感はあった。何が気分悪くさせるのだろうか。だってさあ「キレイでカワイイを武器にチヤホヤされている立場の女優さんたち」が「カワイイという武器はもはやこの手には、ない」っていったってなあ、共感得られるだろうか。

◆「女の子の気持ちのわからない会社には未来はないのよ」

 考えてみれば「あんたはもう女の子じゃない」というフレーズも、化粧品会社としては致命的である。市場の全否定である。ネガティヴ表現を使って宣伝活動をするのは、細かい注意と配慮をしないといけないが、たぶん成功していない。

 あらゆる年齢の女性のハートには「女の子」がいる。年代を問わない女性たちのハートに住む女の子の部分が、レースのポーチやシェニール織の小物やスワロのチャームなどなどなどの、乙女チックでかわいい品物を自分用に買って行くのである。もちろん程度には各人差がある。化粧品についていえば、少なくともマスカラとつけまつげと頬紅は、完全に脳内の「女の子」パートが買っている。女性の脳内に「女の子」パートがなけれぱ、マーケットは縮小する。店頭に積み上げられた美しい色合いといい香り立ちの石けんも売れたりはしないだろう。「女の子の気持ち」に訴えかけなくてどうやって女性にものを売るのか? 第一「もう女の子じゃない」のに「カワイイをアップデートできる女」になれるのか?このあたりの文脈の不整合が違和感を呼んでいるところもある。

◆束ねられるのはやだな

 さらに違和感は、はっきりきっぱりターゲット年齢で線を引いちゃったからかな。25歳になった全国の女性に厳しくダメ出ししているが、十把一絡げにするのは時代遅れだ。「わたしを束ねないで」(新川和江)的な気持ちになる。多様性を否定するところに古さを感じちゃうんだなぁ。

 ただ、このCMが気に入らなければ、資生堂を買わなければ済むだけの話なのである。商品が売れなかったらそれは出来の悪いCMのせいであり、一企業の自業自得というところだ。放送中止にする必要まではない。

◆電波媒体の性質についての基礎的見落とし

 問題なのは、テレビという媒体は、ターゲット(20代中盤の女性)以外にも広く露出することである。このCMの夏帆の台詞「あんたはもう女の子じゃない……」、これ、よく見知った友人同士の内輪のガールズトークなら許されるが、同じ台詞をオフィスや飲み会で、男性が女性に向かって言ったとすればどうだろう。周囲の男どもが、テレビを見て「ほら、あんたもう25なんだからさあ、若かないんだからさあ」と調子に乗ってダメ出しするようなことがあればそれはセクハラである。このコマーシャルがセクハラを助長することは十分考えられる。ああ、まずかったのはここだ。社会的に非常にまずい。

 でも、このCMだけではセクハラの存在は、よくわからない。ガールズトークにセクハラというのもおかしい。ひょっとして見る人間の深読みかも知れない、制作側の意図はどうだろう、と、思ってたところに第二弾である。

「それ(仕事にがんばってる様子)が顔に出るようじゃプロじゃない」と、男性上司が女性部下に向かって言うのである。

 あちゃー。見た目の好印象が売り上げに直結する仕事(接客とか)してるわけじゃないんだから。顔よりは仕事の進捗状況と品質について気にしてくれ上司、というか、まんまセクハラだ。この第二弾のせいで「バースデー編」もあわせて、女性差別思想が根底にあると思われてしまい、批判が炎上し、放送中止に至ったのだろう。女性相手の企業がセクハラまがいのことをしてどうする。

「本来意図したメッセージが伝わらなかった」(資生堂)というのはテレビコマーシャルとして失敗である。というか、大丈夫か、資生堂?

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