発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

「呪いの招待状」明朗会計デスノート

2024年03月05日 | 漫画など
◆デスノートは欲しくない
 名前を書けばその人が死ぬノートを手に入れた青年が「新世界の神」を目指し失敗して死ぬ話が全13巻にわたって展開された「デスノート」。大ヒットし、アニメ化され、映画化され、ミュージカルになった漫画。デスノート使用は原則無料だが、もれなく死神が憑く。その一存で命を失うかもしれない。こわい死神に「デスノートを使った人間は天国へも地獄へも行けると思うな」と言われたら、そんなもんいらんがな、と思う人がおおかたなのではないかと。

◆もしもデスノートが明朗会計だったら
 それならリーズナブルな報酬で1件単位で完全犯罪できるとしたらどうでしょう。老舗の「ゴルゴ13」さんは高いので庶民には無理。では10年の寿命でひとりというのはいかがでしょうという漫画がある。ネット漫画「ピッコマ」や「めちゃコミック」で読める曽祢まさこ「呪いのシリーズ」「呪いの招待状」「続呪いの招待状」が面白い。10年の寿命と引き換えに人を呪殺する呪術師・カイの元を訪れる人間たちの物語だ。デスノートの明朗会計バラ売りみたいな話である。

◆1話完結読み切りプロット
 強い殺意を察して怪しい猫がやってくる(「招待状シリーズ」ではカードを渡されるとそれが道案内となる)と、呪術師の部屋を訪ねることができ、10年の寿命と引き換えに人を1人殺めることができる。逃亡不要、ちょっと想像しただけでも鬱になる実名報道の不名誉や、家族係累関係者に及ぶ多大な迷惑、逮捕から判決までの手続き、そして懲役や絞首台なしに!    
 なんてお得なの、と思ったのかどうか。呪術師のもとには、いろんな事情と殺人動機を抱えた人々がやってくる。
 呪術師は、濃紺のスーツにネクタイの美青年である。そんな服装の人はそこら辺にいくらでもいるが、腰まであるロン毛が特徴である。人間の格好をしているが、人ではない生命体で、人の寿命を糧に老いずに長生きしている。人の寿命は何らかの形でいいレートで換金できるようで、ポルシェに乗っている。
 ゴルゴ13さんのように、依頼者の事情を聞いてくれる。ゴルゴさんよりは親切である。また、殺人状況が指定できるのはデスノートに近い。基本、どのような自分勝手な事情でも断らない。依頼者は「客」、呪殺は「仕事」である。
 寿命が残り10年に足りなくとも引き受けるが、客は実行翌日に亡くなる。
 このプロットで何十もの物語が描かれた。

◆同時多発依頼の話
 何回も呪殺依頼してしまい寿命を使い果たしてしまう話はもちろんあるし、父の愛人を呪殺した娘が妻子持ちと交際深入りしその娘に呪殺される話など因果応報の話もある。
 面白かったのは「カルテットゲーム」。父の愛人が小学生の娘を、小学生の娘が父の愛人を、不倫中の父が母を、母が父を、ほぼ同時に呪殺依頼する話である。愛人は愛される邪魔な娘を消して彼氏との生活を、父は妻を消して娘と愛人との暮らしを、母は不倫夫の死亡保険金で娘との贅沢三昧な暮らしを夢見ている。娘は昔のような仲のいい家族を望んでいるだけなのに、大人3人の身勝手さ半端ない。全員同時消滅すれば終了の仕事なのだが、呪術師はどうしたか。
 ホラーに分類されるけど、夢に出てきそうなほど怖い話はない。少女漫画の作者なので、登場人物も可愛い。無料公開されている作品も多いので興味があったら読んでみてね。 

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乙嫁語り                                                                                                                                                                                                                                                          

2021年04月10日 | 漫画など
『乙嫁語り』(森薫 エンターブレイン)←第1話試し読みできます。
 珍しく、既刊13冊を揃えている。
 19世紀後半の、カスピ海あたりから、中東にかけてが舞台のお話で、何人かの花嫁が登場する。
 ウサギを食べてみたいという話を嫁ぎ先で聞くなり馬でひょいと出かけて何羽か射て持ち帰る美しいお嫁さん。ササッと捌いてスープと毛皮に。その夫は8歳年下の少年で、早く妻に見合う強い男になりたいと思っている。
 嫁入り支度。婚活。結婚にまつわる諸事情。結婚式。異なる習慣。幕屋。民家。ぺルシャの豪邸と公衆浴場。砂漠。大きな港。市場。漁港。旅人。隊商。厳しい自然環境。雪の中の騎馬鷹狩り猟。生き残りをかけた戦闘。馬の群れ。羊の群れ。民族ごとの衣装。刺繍や織物や木彫や装飾品。馬や鳥の表情までの緻密な描きこみ。
 画力はいうまでもなく、膨大な資料収集が必要だったことは想像にかたくない。そして魅力的なキャラクターとストーリー。ともかく、お得感たっぷり。可愛くて出せないアンケートハガキつき。

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ツルフェウスの窓

2020年10月31日 | 漫画など
◆オルフェウスの窓
 このままでは、本に埋もれてしまう。地震でも来たらおしまいである。というなか、新しくコミック本など買いにくいので、マンガは、ネット漫画の古典を少しだけ読んでいる。
 「オルフェウスの窓」by池田理代子が、お話てんこ盛りが過ぎる。いや当然いい意味でなんですが。
(確執、復讐譚、出生の秘密、隠し財宝)✖(歴史、一次大戦~ロシア革命そして友情努力勝利の学園ドラマ)✖(恋、多くは道ならぬ恋、長年引きずった恋、横恋慕、主要三人物にあれこれ派生する多角関係、情熱家が多いので話が複雑になる)✖(音楽、ドイツ、オーストリア、ロシアなど、ヨーロッパの主に寒そうなとこ、そして華麗な画風)✖(男装の麗人と毒母と腹違い意地悪姉とツンデレ姉そして寝たきり父、健気な天才ただしDV気味、胸の病つき薄幸の少女、スネ夫とママ、不良先輩は世を忍ぶ革命家、美人すぎる革命家、いい人すぎる貴族令嬢、怪しすぎる教師と校長、恐喝医者など豪華キャスト)、全体を包む豪華絢爛な鬱展開。たまりませんわ。脇役の一人ひとりの人生まで思いをめぐらせる書き込みぶりこそ池田理代子様。しかも40年以上前の作品。
 たくさんの登場人物が波瀾万丈の末(多くは変死により)消えて、主要三人物の唯一の生き残りに、別の主要人物(直前のページで「人は傷つくようにできている」と語る男)が言うのだ。
「おい、すばらしい少年時代だったな!」(←その後この御仁は家族がいなくなって気落ちしているツンデレ姉さんにプロポーズに行く)
 主要人物生き残りは「ああ!」とほほ笑んで返答。
 これでもかこれでもかという悲惨ドロドロも、過ぎてしまえばこれもまた人生の味わいってもんさ、生きていくのさ僕たちは、というご教訓を感想にできれば良いのですが、別の有名な近衛連隊長の男装麗人と比べて重すぎるものをしょい込む本編の男装の麗人に感情移入しすぎると鬱になるとの評も多いお話でございます。

 雑誌は家にもあったけど、掲載リアルタイムでは、「オルフェウスの窓」はあまり読んでなかった。そのころは、どちらかといえば、ツルフェウスの窓だったと思う。子供時代に読むものが人格形成に影響する一例と解釈していただいても差し支えない。
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『ひねもすのたり日記』 ちばてつや 

2018年10月12日 | 漫画など

◆ある家族の博多港引揚

  戦後博多港に引揚げて来た人々が139万人いた。漫画家のちばてつや氏もそのひとりだ。

 ちばてつや氏が満州から引揚げて来た話は「屋根裏の絵本かき」という短編漫画でずっと昔に読んだ。昭和20年、敗戦の冬、引揚げ途中の一家は一時、父親の友人の家の納屋に匿ってもらっていた。父親は滞在中の一家の食糧を確保するため中国人を装い、友人と行商に出掛ける。母親と幼い子どもたちは、納屋の屋根裏部屋でじっとしていなければならない。日本人を匿っていることを周囲に知られると、友人が酷い目に遭うのだ。退屈する弟たちのために、てつや少年は絵本を描き、母はそれを読んできかせた。その冬が漫画家のちばてつや氏をつくったのかもしれないという話だった。

 ビッグコミックに連載中の、ちばてつや氏の『ひねもすのたり日記』には、引揚げの思い出話がたくさん出て来る。「屋根裏の絵本かき」で読んだ話も、前後からもっと詳細に読める。満洲は奉天(現在の瀋陽)の印刷会社構内にある社宅での平穏な生活が終戦とともに一転、流浪の難民となる。大陸の寒さ。移動の厳しさ。乏しい食糧。伝染病。そして恐怖と不安。そのうえ暴力、略奪、食糧と引き換えに子どもを売り渡す誘惑すらやってくる。引揚げ船にやっと乗ったところで命尽きる人もいた。あの戦争が「終わる」ということはかくも過酷なことだった。こんなことがあった、ということは、誰もが知っておいて良いと思う。四人の幼い兄弟を連れて引揚げる若い両親。一家の強い意思と僥倖とが生きて日本の土を踏ませたのだと。第一巻はこの二月に出て、すぐ買ったけど、紹介が今になった。絵の力はすごいなあ。引揚げの様子がすごく伝わってくる。

『ひねもすのたり日記』の終戦から引揚げの記述には、たくさんの人々の姿が描き込んである。一人ひとりがそれぞれの過酷な体験をした。ほかの人びとがどのように引揚げて博多にやってきたのか、ということが知りたくなったら、こちらの本もどうぞ。平和と繁栄は何の上にあったのか、ちゃんと知っておくべきなのだ。

 

 

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この世界の片隅に こうの史代原画展

2017年09月24日 | 漫画など

   福岡天神大丸の、靴バーゲンで賑わう8階催し場の片隅で原画展。

   カラー彩色された原画の美しさ。

  どういうお話かというと、ある女性の居場所の話。ある家庭の話。戦争中の暮らしの話。平和で温かい家庭こそが楽園であるという話。

   物語の核心には、あまり触れていませんが↓

   昭和19年2月、広島市の海沿いに住む主人公は、顔も知らなかった呉市の男性のところに嫁ぎ、婚礼が終わった途端に、主婦としての、おさんどんライフを開始する。何しろ披露宴の食器から花嫁が洗うのである。やがて口煩い小姑は出戻ってくる。物資はいよいよ不足してくる。そのうち空襲も始まる。時節柄、全く安泰ではない生活を強いられる。日本中どこの家庭も程度の差こそあれ、間違いなく大変な時代だった。

  でも、ラッキーなことに、舅姑は優しいし、何より旦那さまは、戦中男としては、完璧に近い。ちょいと訳ありってことが解っちゃったけと、愛してくれれば問題ないわ……というわけにはいかないのは、まだ若かったせいかしら。とりあえず、結婚したからには、相手の元カノのことは気にしないこと。人生のルールよ、すずさん。

  過酷な戦争をくぐり抜け、ともかくすずさんは、自分の居場所を見つける。呉で生きて行くと決めるのだ。

     このお話の件については、また。

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冬も墓場で運動会

2015年12月09日 | 漫画など
◆冬きたりなば
 また長くてゆったりしたコートが流行しはじめている。学生のときはじめて自分で買ったコートも長くてゆったりしていた。ROPEの艶のあるウールギャバジン、トレンチコートだが、ベルトを取るとAラインとなる。ダブルの打ち合わせで袖はラグラン、ずっしり重く、肩章はショルダーバッグの滑り止めになってなかなかよろしい。学生当時とすれば結構なお値段だったが、ゆったりしていてインナーを選ばないので、長い間愛用していた。これは虫喰いにやられて処分した。それでも10年以上は着た。
 10年以上のコートで現役のものはほかにもある。メルトン地のVANのジップアップ(この金具がまた頑丈で)ショートコートと、一重でウッドトグルボタンのダッフル、これはグローバーオール。ガンガン洗ってもびくともしない。冬コートは頑丈に限る。

◆水木しげる氏死去
 「ゲゲゲの鬼太郎」が雑誌連載されていたころ、私は子どもだったはずだが、どうも記憶にない。隣家にひとつ上の従兄が住んでいたので少年漫画雑誌はよく読んでいたはずなのだが。テレビでも見た記憶はない。主題歌はよくおぼえているのになあ。
 水木しげるについてじっくり読んだのは高校に入ってからで、市立図書館にあった現代漫画集に載ってた。つげ義春や白土三平などについてもそのシリーズで知った。
 確か戦争の話などもその本で読んだと思うが、特に印象に残っているのは、ねずみ男が登場する「錬金術」という短編。両親がねずみ男が指導する錬金術に入れあげ、身上をつぎ込んでいるので、その子どもが、ねずみ男にやめさせてくれないかと頼む。ねずみ男が言うには
「人間は、それでいいんだ」
「世の中にこれが価値だと声を大にして言えるものがあるかね? みんなまやかしじゃないか」
 爾来「まやかしではない、これが価値だと声を大にして言えるもの」を探している。

◆市が民泊要請
 福岡市は、嵐やEXILEなどのコンサートなどのイベントのとき民泊を募集するらしい。
 ああ、それもありかな、と思った。コンサート前日や当日の市内ホテルの宿泊権がネットオークションで取引されているのだ。本来ホテルに支払うお金は別にして、ということなのである。ホテルを押さえるだけで儲けている人々も存在するのだ。ホテル宿泊について、そういった手合いが儲けて、ホテルは本来の稼働率以外何も得をしないというのは良くないことである。
 宿泊場所が絶対的に不足して、少年少女をはじめとした若年層が真夜中にたむろすることになるのは良くないからなあ。当然ネットカフェもいっぱいになるのだろう。この時期は寒いと命にかかわることもあるし。
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過激表現、残酷表現にまつわるエトセトラ

2013年08月17日 | 漫画など
 あの『はだしのゲン』を、松江市の教育委員会が「描写が過激」ということで小学校中学校の閉架図書としたらしい。くやしいのう、くやしいのう、ギギギ……と、ゲンが言っているかどうかはさだかではないが。
 
 この夏、広島呉山中に、リンチのあげく殺した友人の死体を遺棄した少女が、山中の死体を見て自首を決意した、というニュースがあったけど、その話で思い出したことがある。
 私の行っていた市立中学の図書室で、一番過激な本は、最も人気があった。それは『死体は語る』(上野正彦著)である。上野氏は当時監察医。今も時々テレビに出て来られる。
 その本は、臨床が苦手で監察医となった医師が検屍や死体解剖にまつわる話を2ページ1話くらいで著わしたもので、ベストセラーになったものである。白黒で小さい死体写真がいくつも載った本だった。これも閉架行きかしら。
 海岸近くに住んでいた私は、1度だけ偶然に自死者を見たことがある。たぶんまだ5~6歳のころ。季節はまだ寒い春先。時間は日暮れ近く。引き揚がったばかりで警察官が来る前、筵の上に寝かされていた。その女性は、眠っているだけのように見えた。だが、それが僥倖であったことを後に中学時代に図書室で知ることになるのである。まったく、トラウマ背負わず、悪い夢にもならない体験だったのは、ラッキーなことだったと今も思う。
 死んだらどうなる。殺されたら(殺したら)どうなる。倫理や哲学や道徳ではなく生物、化学的に。縊死が自殺か他殺かは、昔の法医学でもすぐにわかる。偽装殺人などバレバレである。『死体は語る』は、犯罪抑止にも役立ったのではないかと。
 それにしても夏場に山中に死体を放置したらどうなるのかわかってなかったのかあの広島のバカ共は? 
 ついでに書くが、すぐ死ななかったらどうなる、生き残ったらどうなる、という知識があれば、なかなか自死したいとは思わないものだと思う。
 中学のとき、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んでの私の感想は、ウェルテル君の恋や悩みや絶望などどうでもよくて「ピストル自殺って、頭を撃っても亡くなるまでずいぶん時間がかかることもあるんだなあ」ということだった。服毒や有毒ガスなども、亡くなるまで苦しいに違いないし、もし生き残ることができても、腎臓、肝臓、脳などに重篤な障害を残す。
 お迎えが来るまで、少々辛いことがあっても、自分の生命をまっとうする。ほかの人の生命もまっとうさせる。それが大事だってことだ。
 死んだら具体的にどうなるか知らない、たぶん本など読んでいなさそーな(失礼かしら)少年少女だから、猛暑の中、山の中に死体を捨てたらどうなるかなんて想像もしなかったんだろうね。腐乱死体を見てはじめて自分たちのやったことがわかって、警察に行こうと思ったのだと。
 死んだらどうなる、から目をそらした清潔な社会は、こんな愚か者を生んだりするのだ。とりかえしのつかないことになるところまで想像が及ばない者が出て来るのだ。
 などと思っていたところに『はだしのゲン』にまつわるニュース。
 取扱いには注意を要するが、過激に見える表現、残酷に見える表現からだって、子どもはちゃんと学ぶ。
 過激な表現、残酷な表現も、その表現の扱い方まで見て、子どもに見せるかどうか決めてほしいと思う。すでに古典化している漫画を、今さら「描写が過激」ということで閉架にするなど、理解に苦しむ。が、却って関心を持って読まれるようになるかもね。
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「一緒に遭難したいひと」1巻、2巻

2011年10月19日 | 漫画など
◆「一緒に遭難したいひと」1巻、2巻
「一緒に遭難したいひと」
 神戸で女の子ふたりがワンルームに共同生活している。姉妹のように育ったおない年の従姉妹どうし。ライターのキリエと非常勤バニーガールの絵衣子。設定年齢27歳。きれいなおねいさんのゴージャスで清貧なライフスタイルが延々と描かれている。

 連載開始が1990年。
 バブル真っ盛りではありませんか。

 彼女たちは背丈と美貌に恵まれ、お金には恵まれていない。働くことに関しての才覚に欠けているわけではない。本気で働けば人並み以上に稼げる。でも、金欠でも自由、を選ぶ彼女たちである。
 Riches I hold in light esteem(富は問題にならぬ エミリ・ブロンテ)ってことかしら。
 でも、彼女たちは気づいているはず。美しいということは、すなわち富んでいる。
 ひとめを引く美女を連れ歩くことがステイタスのバブル期(いや、今もか)。
 アッシー、メッシー、ミツグくん、ということばが80年代後半から90年代はじめ、つまりバブル経済に浮かれていた日本にはあった。
 ステディな彼氏ではなく「お友達」で、無料タクシー代わりになってくれる男子が「アッシー」、お食事を御馳走してくれるのが「メッシー」、服やバッグや靴を買ってくれる人が「ミツグくん」である。今もそういう立場の男性はいるのだろうが、当時は今よりず~っと多かった。若い独身男性の正社員が多く、ボーナスも多かったのだ。不動産だけはやたら高騰していたが、他のものなら何でも好きなものが買えそうな雰囲気があった。
 本編では滅多に登場しない「心優しい」彼らに支えられた生活を送っていたから、収入が少なく、文筆業やバニーの報酬の入金のタイミングによっては、米びつがカラになり新聞代の集金に居留守を使うほど窮迫する彼女たちではあるが、着るもの持ち物には困っていない。すべて自腹でおしゃれしないといけない一般女性に比べて、はるかに富んでいるのである。そして誰かボーイフレンドが食事をごちそうしてくれるので、飢え死にすることはない。
 フワフワと浮き草のように暮らす美女ふたりを地べたにつなぎ止めているのは、キリエのステディなボーイフレンド、心優しく見た目可愛い堅気の青年、税務署にお勤めのマキちゃんである。
 キリエはマキちゃんのことを「一緒に遭難したいひと」と評している。最大限の賛辞ではありますまいか。
 ところで彼女たちは、すでにそれほど若くはなくなっているのかも知れないが、それを補う礼儀だとか心配りだとかがちゃんとある。
 バニーガールの後輩に、礼儀だとか心得だとかを押し付けがましくなく教えることができる。お正月にマキちゃんたちの実家に遊びに行っても、お土産を持って行き、きちんとごあいさつし、台所を手伝う。
 家ごはんは、質素にせよ、きちんとしたものを作って食べているようである。
 見た目は派手だが、たぶん、おつきあいするのに、男女世代を問わず、好感度の高いひとたちだと思う。 
 でも、このひとたち、年とったらどうするのかしら、いつまでこんなノー天気な生活ができるのかしら、マキちゃんはちゃんと結婚してくれるかしら、なんて心配は無用である。だって、2011年現在も、このお話は不定期連載中で、年齢設定も変わっていない。サザエさん方式というか。ちびまる子ちゃん方式というか。つまり、年をとるという問題からは彼女たちは解放されている。
 要するに、これは、妄想全開なファンタジーなのである。
 彼女たちのような生活をしている美女がどこかにいるかも知れないが、20年にわたって年をとらない人はひとりもいないもんね。
 こんな生活はとても無理。でも、女子力アップのヒントにはなる。きれいにしていよう、楽しく過ごそう、家にせよ外にせよ、おいしいお茶飲もう、と思うようになる。
  このコミックは、疲れたときに良いのである。元気な脱力加減が。
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ちゅうがくいちねんせいの夜

2011年07月26日 | 漫画など
 「ちゅうがくいちねんせいの夜」という漫画を思い出した。若槻久美子という人が、学生時代に、大学の漫画雑誌に載せたもので、今、その人はプロの漫画家らしい。今から3年前の夏に、その大学の大きなコンサートが福岡であって、そのときに貰って帰ってきた漫画雑誌に載っていた。左側の青い本。http://page12.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p167420591
 眠れなかったら、人の数だけ夜があって、何が起きているのか想像してみたらいい。どうでもよくなって眠れるよ、みたいなことを眠れなくて遅刻した親友に話している。
 彼女たちは中1の女の子で、季節は、たぶんGW後、梅雨前。
 部活のない放課後は、住んでいる地方都市の、ひと駅向こうのスーパーだかショッピングセンターだかをふたりで徘徊して、夜遅く、といっても、せいぜい9時台だろうが、帰宅する生活を続けている。いまのところ不良ではない。男の子にも関心はない。前月に離婚と死別でそれぞれ父親を失い、母親たちは働きに出るようになって帰りが遅い。それで女の子ふたり、ひとりきりの家に帰りたくなくて、寄り添うように徘徊しているのだ。
 その日、列車でひとつ隣の、いつものショッピングセンターは休みだった。不慣れな田舎道をほかのスーパーに向かって歩く。弁当を買ってベンチで食べようとすると、へんな男にナンパされそうになり、無視したが、それを見ていた他の買い物客に「ゴハンは家に帰って食べなさい」と、注意されてしまう。
 その家に帰りたくないから、スーパーのベンチで弁当を食べていたのに。
 たぶん配偶者をなくした母親も、生活のことや自分のことでめいっぱいで、娘のことが気がかりではあっても、徘徊を止めさせることなどできない。せいぜい夕飯代と防犯スプレーを渡すくらいで。
 行き場をなくした彼女たちは、薄暗いバス停の裏手で、おしゃべりしながら弁当を食べる。そのうちに夜になり、そう遅くはない時間だが、地方ローカル線の列車はもうない。夜道を歩いて帰宅する。友人を家に送ったあと、ひとりきりの帰路。中1にして底知れぬ孤独だとか、自分の力ではどうにもならないこととかを知ってしまった。 眠れなかったら関係ない他のもののことを考えればいい。でも、ほかのもののことなんてどうだっていい。
 自分の孤独が重くて背負いきれないまま、彼女は夜の町を歩くのだ。
 屈託なく談笑する可愛い女の子たちが抱えている眠れない夜について。しかも漫画の中の。
 地球上のある一日の物語 LIFE IN A DAYの映画をみた帰りのバスの中で、なぜだかこの話を思い出した。
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