発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

広告掲載。耶馬渓紀行と引揚げ関連の本

2018年05月30日 | 本について

◆2018年5月30日、毎日新聞西部版朝刊、テレビ面、半三段広告。

これは、九州と山口県、沖縄県、島根県西部石見地方の新聞に載りました。『あれから七十三年』の発刊予告と、発売中の本の紹介。左半分は、福岡の出版社木星舎の広告です。この『国東六郷満山』は、弊社編集長にして写真家の遠藤薫(写真家のときは遠藤カヲル名義)がほとんどの撮影を行っています。

←詳細が見たい方は、こちらをクリックすると、かなり大きく出てきます。
せっかく枠買ったから、こちらでも紹介しようっと、ということなのです。 

『あれから七十三年』の、下のイラスト。こんな恐怖を味わい、命からがら逃げて来た人たちがたくさんいたのです。体験記をたくさん載せています。戦争関連の調べごとなど、夏休みの自由研究にも使えます。

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2018年5月のそのほか 中旬の倉敷

2018年05月28日 | 物見遊山

◆倉敷 写真はクリックで拡大します。

    かなり久し振りの倉敷。駅から美観地区まで歩く。前回ははるか昔のことで、いわゆるひとつのアンノン族的(わかんない人はお母さんに聞いてね)なオサレスポットであったのだが、のちに大原孫三郎の伝記『わしの眼は十年先が見える』(城山三郎)を読んだときには、知らなくってゴメンナサイと思ったものである。大原美術館をつくった人は、単なる美術コレクターの会社経営者程度にしか考えてなかったのだが、そうではなく、仕事を成功させ社会に還元する、働く人の環境改善を目指す機関http://www.isl.or.jp/をつくる。そういう人だったのである。歴史的背景を知ってた方が旅は面白い。四国の松山で売ってる変わった名前のカラフルな蒸しパン「労研饅頭」も、大原孫三郎の労働科学研究所がルーツだったとは。

この建物は美観地区にある証券会社の支店。相場見通しが黒板にチョークで書かれている。景観を壊さないというか、渋いというか。こんな建物も。水島臨海鉄道の列車も忘れずに撮る。お土産は、むらすずめ。甘いお焼きにつぶ餡が挟んである。

 

 

 

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反省

2018年05月23日 | 日記

   これは5月22日にに、久留米市で見た空。雲が鳥だか翼竜だかに見える。

◆リスクマネジメント

  日大アメフト部のラフプレイ実行選手の昨日の会見。まったく期待していなかった自分を反省している。うそをついていては、あらゆる質問に矛盾なく答えることはできまい。正直が最大の危機管理であることを身を以て証明した。おそらくは、結果として彼が今回負う傷は最小限にとどめられることと思う。それとともに、何か世の中の流れを変える契機となってほしいと思う。正直者が馬鹿をみる、うそつきがまかり通り、うそである証拠をつきつけられたら開き直る者が後を絶たず、卑怯であることを潔しとしない美風が廃れている今日この頃、またろくでもない会見を見せられると思っていた自身を反省するとともに、見習っていただきたい方々が大勢いる。それにひきかえ、日大のリスクマネジメントはどうなのだろう。あらゆる企業、学校は以て他山の石とされることを願う。

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しでかしちまった悲しみは、動画に撮られて世界に配信(MTJ)

2018年05月22日 | 日記

  スポーツは全くの門外漢である。というか、しょうじき、私はトロい。子ども時代はスポ根漫画の全盛期で、今のように囲碁将棋書道かるたなどの文化部漫画などなかったから、運動ができないというのは非常に肩身が狭いものであった。しかし、社会に出て、車の運転がそこそこできれば、学校時代の体育実技の成績のことなど忘れてしまうものだ。

 アメフト悪質タックルについて。事実関係はこれから詳らかになるのだろうが、指示した人がいれば愚かだし、指示を実行するというのも愚かである。事情はどうあれ、犯罪の範疇に入ることだ。スポーツ人は、先を読みながら試合を進めると思っていたが、社会的な先は読めなかったということなのかな。被害者の怪我が取り返しのつかないものでなかったのが不幸中の幸いである。

  これは公衆の面前での暴力である。各方面から非難されると予想できなかったのなら絶望的に愚かとしか言いようがない。

 

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ヒデキ逝去 昭和が遠くなるなあ

2018年05月17日 | 昭和のおもひで

◆西城秀樹(5月17日死去)

 小学生のとき、当時の少女向け雑誌『女学生の友』に「こんど広島から上京して歌手デビューする木本龍雄くんです。ステキな芸名を考えてあげましょう」という芸名募集の記事が載ったのを記憶している。ちなみに表紙は映画「小さな恋のメロディ」で一世を風靡したマーク・レスターだった。とくにファンではない、というかファンは他にいた。「ちびまる子ちゃん」に、お姉ちゃんが熱心なヒデキファンという話が出てくる。アニメのエンディングの「走れ正直者」という歌は好きだったな。

◆井上堯之(5月2日死去)

 沢田研二のバックバンド。「危険なふたり」の軽快なイントロ。ジュリーも古希である。あるいは「太陽にほえろ!」のテーマ。あるいは「愚か者(よ)」(←同じ歌だけど萩原健一が歌うのは「愚か者よ」で、近藤真彦のは「愚か者」)の作曲者。

◆加古里子(5月2日死去)

 絵本作家。「地下鉄のできるまで」が好きだな。

◆古川薫(5月5日死去)

 下関在住の作家。直木賞候補に何度もなりながら落選が続いたのは、ひとえに、あの御大のせいである。

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道徳という教科をどう評価するのか

2018年05月16日 | 日記

◆沙翁に学べ

 道徳のテストがどういう結果をもたらすかは、シェイクスピアに学べる。小学校六年生のときの国語の教科書に載っていた「リア王」は、言ってみれば生前贈与失敗の話である。姉たちは親孝行テストで模範解答をして領地をもらったあと父であるリア王を裏切った。末娘は模範解答することを拒否して領地はもらえなかった。その後リア王は放浪狂乱し、結果末娘と共に命を落とす悲劇となる。

 評価に向かないものを評価しようとすると、当然ながら、模範解答していい点を取るが行動を伴わない者が出てくる。かといって、まじめすぎてテストを拒否すると酷い目に遭う。つまり、道徳的によい子わるい子と道徳のテスト成績は、下手するとまったく関係ないことがある、ということをシェイクスピアは言っているのである(のか?)。

 評価に向かないものを評価しようとさせてはいけない。ろくなことにならない。その上、心底まじめな児童と教諭の悩みをひとつ増やすことになる。

 

◆おまえが言うな

 道徳は教えにくい。「おまえが言うな」と突っ込まれることがないように親や周囲の大人が行動や態度であらわすしかない。自分が「かくありたい」と思っている人に近づいているのか、大人こそ常に自問している必要がある。わが国の為政者はどうなのかな。権力やお金の面以外で「かくありたい」と思われている人、いるのかな。

  私は、亡くなった父のような人になりたいと思っていたし、今もそう思っている。姪が「爺ちゃん、ハイスペック」と言っていた。見る目あるじゃん、姪よ。爺ちゃんのハイスペックは即ち人格のことだ。それがちゃんと見えてる。孫に「ハイスペック」と言われる「普通の人」こそ理想である。

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大正の耶馬渓を旅する『耶馬渓紀行』

2018年05月01日 | 本について

 この春の新しい本はこれ。『耶馬渓紀行』

 昭和のはじめの復刻本である。

 耶馬渓は、むかーし、観光キャンペーンを行って全国区になった観光地なのだ。

  大正末期、作家の田山花袋と画家の小杉未醒が耶馬渓を旅して『耶馬渓紀行』という本にした。田山花袋は『蒲団』『田舎教師』。文学史のテストに出る文豪だ。小杉未醒は、小杉放庵(放菴)の別号だ。日光出身の画家で、東照宮のところに美術館がある。東大安田講堂の壁画で有名。都市対抗野球の優勝旗「黒獅子旗」は、この人のデザイン。画像検索してみて。画力はもちろんのことユーモアのセンスにあふれる守備範囲の広いアーティストなのですよ。ちょうど今、門司港の出光美術館の特別展で、上村松園や佐伯祐三などとともに展示されている。昭和6年の仙人風サンタクロースとか昭和26年の笠置シヅ子がモデルの神話ダンサー(アメノウズメノミコト)とか。ね、観たいでしょ。これは近いうちに行くと決めてる。

 文豪の旅日記に、画伯の絵がついたこの本は、スポンサーが別府の油屋熊八で、つまり油屋熊八の仕掛けた観光キャンペーンの一環なのですね。インターネットもテレビもない、もうじきラジオがはじまるよ、といった時代の古式ゆかしき観光キャンペーンには、有名な作家や画家を招聘し、紀行文や絵を書いてもらう、というものがあったのだ。

 彼らが名所をめぐったり泊ったり食べたり、地元名士にもてなされたりしているお話なんだけど、そのころの人々がどんな余暇を過ごしていたのか、というのも興味深い。乗り物や旅館のほかの客の様子などの描写がある。シーズンともなれば列車もバスも宿も満員となる。紅葉狩りドライブもすでに存在している。また、あのころにはもう職場(出て来るのは学校の教師の団体)で泊まりがけの旅行にやってきた人々もいた。

 明治大正の教養人は、漢詩がつくれないといけないのかな。田山さんはしょっちゅう漢詩を書いてる。途中で出くわした教授は、小杉さんの絵に賛を入れてる。昔の掛け軸の絵に別の人が書いた文字が入ってるあれだ。その場で当然のようにスラスラと書き入れたりするのだ。これも昔の教養人の必須科目なのかな。

 耶馬渓といえば、最近ニュースで……と思った読者も多いと思う。その金吉の地名もこの本に出てくる。小杉未醒が、裏耶馬渓の金吉渓にスケッチに出かける。今は車で簡単に行けるが、当時は徒歩だけが手段の不便な場所で、メタボ気味の田山花袋は連れに迷惑がかかってはいけないと宿に残るのだが、帰ってきた小杉末醒の話を聞いたりスケッチを見たら羨ましくてならなくなった、という話がある。「(危ない道だったので)君は行かないで好かった」と言いながら「別天地だよ。所謂桃原だよ」と、帰って来た小杉さんは田山さんに言うのである。ニュースに出た金吉には後藤又兵衛の墓もあり、その話も出てくる。

 復刻にあたり、すべての文字入力を行った。つまり字を打ち直した。当時の活字の書体と、今のフォントは違っていて、もちろん近いものを探して使うのだが、今のフォントには存在しない字も多く、それは、のぶ工房がバソコン画面でローテクにコツコツと作った。滑らかな中性紙に印刷すると、それはそれで味わい深いものとなった。

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