◆豪華な舞台挨拶
都久志会館。舞台挨拶があるということは聞いていたが誰か来るかは知らされていなかった。小林稔侍、橋爪功、蒼井優である。生小林、生橋爪、生蒼井が、ほんの10メートル先でしゃべってる。
年老いた親に、いつ車の運転を(人身事故を起こす前に)やめさせるか。運転老人のいる家庭の共通のテーマである。映画の舞台となっている家庭は、長男(西村雅彦)が駅まで歩いて通勤しているようだったから、駅までは徒歩圏、タクシーを使ったところでたかが知れていると推測される。だから運転をやめてもらうのは容易だと思うが、それでもやめたがらない頑固親父(橋爪功)なのだ。これが限界集落かそれに近い田舎の話だったら、もっと深刻な問題だっただろう。
◆運転にまつわるエトセトラ
私の父は、誰にも言われないうちに自分で免許を返納に行き、それから何だか入退院が増え、ゆっくり風船の空気が抜けるように弱り、一年経たずに亡くなった。弱る前段階としてスズキセニアカーのような低速カートに乗って元気に行動するような状況をぼんやり想像していたのだが、それは省略してあちらの世界に行ってしまった。だから車の運転に執着する老人の気持ちもわからないではない。他人の迷惑や事故の危険と、やめると死んじゃうかもという不安を天秤に掛けて考えていたとしたら。
車の運転は、脳を含めた全身フル活用なので、私の場合、運転していると全体的に調子が良くなる。頭痛腹痛筋肉痛肩こり眠気倦怠感は消滅し、上機嫌となる。生命がかかっていて手加減できない状況というのは、一般人の日常の生活では、車の運転というのが一番多いのではないか。生命がかかっているから、全体的に好調になるよう努めているのだと思う。私は運転免許はMTでとったが、最初の車(従兄の乗っていたものを中古車屋の引き取り価格で譲ってもらい、自分で登録した)からずっとこの方オートマしか乗っていない。私が乗ってきた車は、乗ってた車がダメになったときにたまたま手に入った現金払いで買える中古車で、だから何の脈絡もない車種が続く。が、どの車も、乗ってるときは大大大好きな車なのである。やはり中古で入手したシトロエンには5年くらい乗っていただろうか。この車は、しょっちゅう故障し、その間に私には怖いものがなくなった。走っている途中で白煙を出し、車を止めてボンネットを開けたことが何度もある。調子が悪い部品はネットで取り寄せ、近くの修理工場で取り付けてもらっていた。乗ってる間は楽しいけど、それと今度また買うかどうかはまったく別の問題である。たぶん今後死ぬまでシトロエンを所有することはないと思う。
最近老人のペダル踏み違い事故(ブレーキと思ってアクセルを踏んでしまう)が増えている。右足でアクセルもブレーキも踏むからそうなるのだ。私はブレーキは左足で踏む習慣がはっきりついている。これはシトロエンに乗っていたときについた習慣である。シトロエンは、どの車種もそうなのかどうかは知らないが、右足でブレーキペダルを踏むことが不可能なのである。