映像は別人、男性無罪=「ずさん捜査」と非難―現金窃盗の防犯カメラ・金沢地裁(時事通信) - goo ニュース
「捜査がずさんだった」ことに反応して、記事を書こうと思ったわけではない。
気になった点が2つ。
一つは、
>男性が起訴前の検察官調書で「わたしの姿であることは間違いない」と供述した
ことで、
>昨年10月に逮捕され、容疑を否認。翌月に起訴された
こともその関連。
つまり、全くの別人の行為を自分のことだと認めるのに1か月しかかからないということ。
肉体的な拷問がされたわけでもないだろうに、濡れ衣、冤罪、をわずか1か月で自白した。
相当精神的に痛めつけられたと思われる。
よく言われるように、
認めさえすれば、尋問から逃れられると思うようになったり、
だんだん自分がやったんじゃないかと思うようになるのに、
1か月ほどしかかからないということ。
そういう捜査、尋問の在り方が許されていいのか。
いや、精神的に追い詰めたりしていない、あんなのはTVやドラマの世界、
実際には常識的な尋問であり、任意の自白だ、と言うのであれば
捜査の全面可視化は必要ないだろうか。
可視化し、記録に残すことのデメリットがないとは言わないが、
密室のデメリットの方が大きすぎる。
この男性は公判では否認したらしいが、後半で供述書と違うことを言うと
刑事や検察官に怒られると思って言えなかった、なんて話もあるから怖い。
映画「宮廷画家ゴヤは見た」では、異端尋問でユダヤ教徒だと自白させられた
ナタリー・ポートマンの父が神父のハビエル・バルデムに拷問を掛け、
「私はチンパンジーとオランウータンの合いの子である」と自白させる場面がある。
ナタリー・ポートマンの自白は拷問によるものだとして無効を訴えるためだが、
映画ではハビエル・バルデムを失脚させるだけの失敗に終わる。
勿論、現在は肉体的拷問などないとは思うが、精神的に追い詰めたりしていないのか、
捜査過程は釈然としないものがある。
捜査の可視化の議論が盛り上がることを期待する。
もう一つは、捜査の可視化とは別の観点で、なぜこの男性が逮捕されたのか、ということ。
なぜこの男性が選ばれたのか、と言ってもいい。
もちろん、防犯カメラの映像に似ていたからであり、警察はその男を探し当てたわけだが、
全く身に覚えのない無関係の男性の行為を自分だとして逮捕される、
まるで、映画の展開のようなことが現実に起こる。
検察が悪いとか、警察が悪いとかではなく、この漠然とした恐怖。
映画でいえば「ゴールデンスランバー」の堺雅人のような恐怖。
あの映画では、堺雅人のそっくりさんと思われる爆弾犯の映像があちこちで残っていて、
地元では顔の知られていた堺雅人が犯人に仕立て上げられるのだが、絵空事ではない。
世の中に瓜二つの人が何人もいるというし、
同じような背格好、同じように服装、パッと見似ている人なら五万といるわけで、
誰かを知人と勘違いするレベルのことなら誰しも経験があるでしょう。
防犯カメラが悪いというわけではない。
誰かが見ていて、あいつだったとか、だれだれに似ているとか、
面通しで間違いないとか言う可能性も十分あるわけで、
知らないことに対して、お前だと言われる怖さはどうしようもないだけに怖い。
会社でも他人と間違われて「いついつどこどこにいたね」とか言われたこともあったし、
私と間違われたことがあるという人物も知っているし、ない話じゃない。
「捜査がずさんだった」ことに反応して、記事を書こうと思ったわけではない。
気になった点が2つ。
一つは、
>男性が起訴前の検察官調書で「わたしの姿であることは間違いない」と供述した
ことで、
>昨年10月に逮捕され、容疑を否認。翌月に起訴された
こともその関連。
つまり、全くの別人の行為を自分のことだと認めるのに1か月しかかからないということ。
肉体的な拷問がされたわけでもないだろうに、濡れ衣、冤罪、をわずか1か月で自白した。
相当精神的に痛めつけられたと思われる。
よく言われるように、
認めさえすれば、尋問から逃れられると思うようになったり、
だんだん自分がやったんじゃないかと思うようになるのに、
1か月ほどしかかからないということ。
そういう捜査、尋問の在り方が許されていいのか。
いや、精神的に追い詰めたりしていない、あんなのはTVやドラマの世界、
実際には常識的な尋問であり、任意の自白だ、と言うのであれば
捜査の全面可視化は必要ないだろうか。
可視化し、記録に残すことのデメリットがないとは言わないが、
密室のデメリットの方が大きすぎる。
この男性は公判では否認したらしいが、後半で供述書と違うことを言うと
刑事や検察官に怒られると思って言えなかった、なんて話もあるから怖い。
映画「宮廷画家ゴヤは見た」では、異端尋問でユダヤ教徒だと自白させられた
ナタリー・ポートマンの父が神父のハビエル・バルデムに拷問を掛け、
「私はチンパンジーとオランウータンの合いの子である」と自白させる場面がある。
ナタリー・ポートマンの自白は拷問によるものだとして無効を訴えるためだが、
映画ではハビエル・バルデムを失脚させるだけの失敗に終わる。
勿論、現在は肉体的拷問などないとは思うが、精神的に追い詰めたりしていないのか、
捜査過程は釈然としないものがある。
捜査の可視化の議論が盛り上がることを期待する。
もう一つは、捜査の可視化とは別の観点で、なぜこの男性が逮捕されたのか、ということ。
なぜこの男性が選ばれたのか、と言ってもいい。
もちろん、防犯カメラの映像に似ていたからであり、警察はその男を探し当てたわけだが、
全く身に覚えのない無関係の男性の行為を自分だとして逮捕される、
まるで、映画の展開のようなことが現実に起こる。
検察が悪いとか、警察が悪いとかではなく、この漠然とした恐怖。
映画でいえば「ゴールデンスランバー」の堺雅人のような恐怖。
あの映画では、堺雅人のそっくりさんと思われる爆弾犯の映像があちこちで残っていて、
地元では顔の知られていた堺雅人が犯人に仕立て上げられるのだが、絵空事ではない。
世の中に瓜二つの人が何人もいるというし、
同じような背格好、同じように服装、パッと見似ている人なら五万といるわけで、
誰かを知人と勘違いするレベルのことなら誰しも経験があるでしょう。
防犯カメラが悪いというわけではない。
誰かが見ていて、あいつだったとか、だれだれに似ているとか、
面通しで間違いないとか言う可能性も十分あるわけで、
知らないことに対して、お前だと言われる怖さはどうしようもないだけに怖い。
会社でも他人と間違われて「いついつどこどこにいたね」とか言われたこともあったし、
私と間違われたことがあるという人物も知っているし、ない話じゃない。
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