2019/3/25、ユナイテッドシネマ豊洲。
12番スクリーン。D列を選択。
*
神木隆之介、有村架純、時任三郎、斉藤由貴、志尊淳、DAIGO、北村有起哉。
*
20年前。
山梨の山中に多くの乗客を乗せた旅客機が墜落する。
殆どの乗客が死亡したが、木山慎一郎少年は一命をとりとめた。
周りにはおびただしい死体とそれに交じって体の一部が透けて見える何名かがうめいていた。
瓦礫に挟まれた少女が「助けて」と呼び掛けるものの何もできない慎一郎。
程なく、瓦礫が崩れ少女は下敷きになってしまった。
*
20年後の現在。
慎一郎は遠藤哲也(時藤三郎)に引き取られ、「GARAGE ENDO」で
自動車の整備/修理に精を出していた。
ある日、帰宅中の電車の中で、体が透けている男性を目にする。
慎一郎は気になってその男性と同じ駅で電車を降り、後をつけていく。
男性はわき見運転のトラックにはねられて即死する。
暫くして、慎一郎はひねくれ者の先輩、金田大輝(志尊淳)に突き飛ばされ、
倒れた拍子にケータイの液晶画面が割れてしまう。
ケータイショップに何度か行くうち、対応してくれた桐生葵(有村架純)の手が
透けていることに気づいた慎一郎は、葵をカフェに誘う。
仕事帰りにカフェに来た葵の手は透けておらず、慎一郎はつい命が助かったと言ってしまう。
慎一郎はGARAGE ENDOの2号店の店長として異動。
作業していると葵が訪ねてきて、慎一郎に命を救われたと言い出す。
あの日、ちょうど葵の帰宅時刻に帰り道で工場の爆発事故があり、3名が亡くなっていた。
慎一郎が葵を誘わなければ、爆発に巻き込まれていたというのだ。
そんな中、一号店でトラブルがあり、慎一郎は社長の遠藤の手が透けていることに気づく。
慎一郎と遠藤が食事に行った帰り道、物陰から金田が遠藤に殴り掛かる。
慎一郎は咄嗟に遠藤をかばい、金田に殴られて胸に激痛を覚え、気絶してしまう。
病院で担当の医師、黒川(北村有起哉)とやり取りの末、黒川自身も死が近づいた人が
透けて見える「フォルトゥナの瞳」を持っているとわかる。
人の運命を変えてしまうと、自分の体を傷つけることになるという。
そして人の運命にはかかわるな、と忠告する。
慎一郎は意を決して葵に交際を申し込み、慎一郎と葵は急速に親しくなるが、
ある日、慎一郎と葵の手が透けていることに気づく。
いったいなぜ、いつ頃どこで。
果たして葵の運命を変えるべきなのか否か。
慎一郎は葛藤する。
*
原作は百田尚樹。
フォルトゥナは英語表記では「FORTUNA」とつづる。
どこかで見たような、そう、「Fortune」の語源だそうで、
「運命の女神」「幸運の女神」などと称される。
「運」には幸運もあれば不運もあるわけで、必ずしもいいものだけとは限らない。
運は通り過ぎてからは掴まえることができないので、フォルトゥナには後ろ髪がないとされ
(後頭部は禿?)絵画でもそのように描かれていたが、のちにはすべての髪を前に束ねた姿で
描かれるようになった、と言われている(らしい)
*
切ない結末。
細かい設定は原作と異なる点もあるようだが、全体の流れは原作通りらしい。
ラストの展開は映画と原作では大きく異なるようだが、映画のほうが腑に落ちる。
原作のラストでは、金田が事故の原因で、葵は電車に乗っていないらしい。
原作を読んだ人からは葵が何もしなかったことに疑問を抱く人もいるようだが、
映画ではお互いが自分の命を賭して相手を救おうとするわけでずっと受け入れやすい。
映画では透けることと死ぬまでの時間の関係は示されないが、原作では透けるレベルで
死ぬまでの時間がだいたい予測できることになっているらしい。
映画でも、透けるレベルをもう少し強調するか色が変わっていくなどで表して、
その辺がわかりやすければよかった。
*
他人の運命を直接変えようなんてのはおこがましいのは共感できるが、
誰にも感謝されないから止めとけというのはちょっとどうなのか。
他人を救うことで自分に危害が及ぶのは良いとして(設定として理解できるが)、
運命はゼロサムのほうがわかりやすい。
つまり、誰かの命を救えば代わりに誰かが死ぬ、みたいな。ありそうな設定だけど。
*
鑑賞中、どうも神戸っぽいなと思っていた。
ただ、海岸などは自分の知っている場所ではなかったが、公園の告白のシーンで
明石海峡大橋に違いないと確信した。
12番スクリーン。D列を選択。
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神木隆之介、有村架純、時任三郎、斉藤由貴、志尊淳、DAIGO、北村有起哉。
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20年前。
山梨の山中に多くの乗客を乗せた旅客機が墜落する。
殆どの乗客が死亡したが、木山慎一郎少年は一命をとりとめた。
周りにはおびただしい死体とそれに交じって体の一部が透けて見える何名かがうめいていた。
瓦礫に挟まれた少女が「助けて」と呼び掛けるものの何もできない慎一郎。
程なく、瓦礫が崩れ少女は下敷きになってしまった。
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20年後の現在。
慎一郎は遠藤哲也(時藤三郎)に引き取られ、「GARAGE ENDO」で
自動車の整備/修理に精を出していた。
ある日、帰宅中の電車の中で、体が透けている男性を目にする。
慎一郎は気になってその男性と同じ駅で電車を降り、後をつけていく。
男性はわき見運転のトラックにはねられて即死する。
暫くして、慎一郎はひねくれ者の先輩、金田大輝(志尊淳)に突き飛ばされ、
倒れた拍子にケータイの液晶画面が割れてしまう。
ケータイショップに何度か行くうち、対応してくれた桐生葵(有村架純)の手が
透けていることに気づいた慎一郎は、葵をカフェに誘う。
仕事帰りにカフェに来た葵の手は透けておらず、慎一郎はつい命が助かったと言ってしまう。
慎一郎はGARAGE ENDOの2号店の店長として異動。
作業していると葵が訪ねてきて、慎一郎に命を救われたと言い出す。
あの日、ちょうど葵の帰宅時刻に帰り道で工場の爆発事故があり、3名が亡くなっていた。
慎一郎が葵を誘わなければ、爆発に巻き込まれていたというのだ。
そんな中、一号店でトラブルがあり、慎一郎は社長の遠藤の手が透けていることに気づく。
慎一郎と遠藤が食事に行った帰り道、物陰から金田が遠藤に殴り掛かる。
慎一郎は咄嗟に遠藤をかばい、金田に殴られて胸に激痛を覚え、気絶してしまう。
病院で担当の医師、黒川(北村有起哉)とやり取りの末、黒川自身も死が近づいた人が
透けて見える「フォルトゥナの瞳」を持っているとわかる。
人の運命を変えてしまうと、自分の体を傷つけることになるという。
そして人の運命にはかかわるな、と忠告する。
慎一郎は意を決して葵に交際を申し込み、慎一郎と葵は急速に親しくなるが、
ある日、慎一郎と葵の手が透けていることに気づく。
いったいなぜ、いつ頃どこで。
果たして葵の運命を変えるべきなのか否か。
慎一郎は葛藤する。
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原作は百田尚樹。
フォルトゥナは英語表記では「FORTUNA」とつづる。
どこかで見たような、そう、「Fortune」の語源だそうで、
「運命の女神」「幸運の女神」などと称される。
「運」には幸運もあれば不運もあるわけで、必ずしもいいものだけとは限らない。
運は通り過ぎてからは掴まえることができないので、フォルトゥナには後ろ髪がないとされ
(後頭部は禿?)絵画でもそのように描かれていたが、のちにはすべての髪を前に束ねた姿で
描かれるようになった、と言われている(らしい)
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切ない結末。
細かい設定は原作と異なる点もあるようだが、全体の流れは原作通りらしい。
ラストの展開は映画と原作では大きく異なるようだが、映画のほうが腑に落ちる。
原作のラストでは、金田が事故の原因で、葵は電車に乗っていないらしい。
原作を読んだ人からは葵が何もしなかったことに疑問を抱く人もいるようだが、
映画ではお互いが自分の命を賭して相手を救おうとするわけでずっと受け入れやすい。
映画では透けることと死ぬまでの時間の関係は示されないが、原作では透けるレベルで
死ぬまでの時間がだいたい予測できることになっているらしい。
映画でも、透けるレベルをもう少し強調するか色が変わっていくなどで表して、
その辺がわかりやすければよかった。
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他人の運命を直接変えようなんてのはおこがましいのは共感できるが、
誰にも感謝されないから止めとけというのはちょっとどうなのか。
他人を救うことで自分に危害が及ぶのは良いとして(設定として理解できるが)、
運命はゼロサムのほうがわかりやすい。
つまり、誰かの命を救えば代わりに誰かが死ぬ、みたいな。ありそうな設定だけど。
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鑑賞中、どうも神戸っぽいなと思っていた。
ただ、海岸などは自分の知っている場所ではなかったが、公園の告白のシーンで
明石海峡大橋に違いないと確信した。
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