ビーゴ・モーテンセン、コディ・スミット・マクフィー、シャーリーズ・セロン
**
文明が破壊されつくした社会。
父(ビーゴ・モーテンセン)と息子(コディ・スミット・マクフィー)は、
ただ南へと進んでいる。
空は一面が雲で覆われ、気温は低く、動植物は死に絶えた。
生き残った人々は徒党を組んで他の生き残った人を襲い食い飢えを凌いでいる。
二人は他の人々との接触を避けつつ、食べ物を探しつつ、ひたすら南へ進む。
時々、健やかだった世界と美人の妻(シャーリーズ・セロン)と
温かい家庭の夢を見ながら、ただ、南へ進む。
途中で食料を見つけたり、
強奪者の群れを避けたり、
泥棒に荷物を盗まれたり、
誤解から襲われたりしながらも、
ひたすら南へ。
この親子の未来はあるのだろうか。
**
破滅の原因は不明。
いわゆる「核の冬」を具現化したような世界観なので、
核戦争後なのかもしれない。
文明が破滅した後は混とんたる無秩序の末に
野獣と化した人の群れによる殺し合い/カンニバルの世界だとの考え方は
西洋世界には普遍的なものなのだろうか、洋画の中では良く使われる設定だ。
この映画では子供は闇の中の光の象徴とされているのだろう。
恐れおののき互いを信じず無慈悲な行動をとる大人に対し、
子供は常に慈悲深く楽観的で希望を持っている。
どんな悲惨な状況にあっても互いを助け合い許しあう心を忘れてはいけない、
ということなのか。
ただ、そういったどちらかというと宗教的な側面を意識しなければ、
はっきり言って救いようにない映画である。
なぜそうなったのか、なぜそうするのか、行く先に本当に希望はあるのか、
何もわからない。
それでも誰も信じず、ただひたすらに進むことができるのだろうか。
最後に息子が他人を信じるのは希望の証かもしれないが、
それまでの展開でもう少し救いがあってもよかろうと思ったのは私だけだろうか。
*
ビーゴ・モーテンセンは「LOTR」のアラゴルン。
コディ・スミット・マクフィーは「モールス」のオーウェン。
映画としてはこちらが先。
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文明が破壊されつくした社会。
父(ビーゴ・モーテンセン)と息子(コディ・スミット・マクフィー)は、
ただ南へと進んでいる。
空は一面が雲で覆われ、気温は低く、動植物は死に絶えた。
生き残った人々は徒党を組んで他の生き残った人を襲い食い飢えを凌いでいる。
二人は他の人々との接触を避けつつ、食べ物を探しつつ、ひたすら南へ進む。
時々、健やかだった世界と美人の妻(シャーリーズ・セロン)と
温かい家庭の夢を見ながら、ただ、南へ進む。
途中で食料を見つけたり、
強奪者の群れを避けたり、
泥棒に荷物を盗まれたり、
誤解から襲われたりしながらも、
ひたすら南へ。
この親子の未来はあるのだろうか。
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破滅の原因は不明。
いわゆる「核の冬」を具現化したような世界観なので、
核戦争後なのかもしれない。
文明が破滅した後は混とんたる無秩序の末に
野獣と化した人の群れによる殺し合い/カンニバルの世界だとの考え方は
西洋世界には普遍的なものなのだろうか、洋画の中では良く使われる設定だ。
この映画では子供は闇の中の光の象徴とされているのだろう。
恐れおののき互いを信じず無慈悲な行動をとる大人に対し、
子供は常に慈悲深く楽観的で希望を持っている。
どんな悲惨な状況にあっても互いを助け合い許しあう心を忘れてはいけない、
ということなのか。
ただ、そういったどちらかというと宗教的な側面を意識しなければ、
はっきり言って救いようにない映画である。
なぜそうなったのか、なぜそうするのか、行く先に本当に希望はあるのか、
何もわからない。
それでも誰も信じず、ただひたすらに進むことができるのだろうか。
最後に息子が他人を信じるのは希望の証かもしれないが、
それまでの展開でもう少し救いがあってもよかろうと思ったのは私だけだろうか。
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ビーゴ・モーテンセンは「LOTR」のアラゴルン。
コディ・スミット・マクフィーは「モールス」のオーウェン。
映画としてはこちらが先。
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