2009/8/12、新宿、明治安田生命ホールでの開催。
比較的こじんまりとした会場で、中断から後ろはかなり傾斜がある。
前方の列でも前席が邪魔になることはない。
***
ソニー・ピクチャーズの配給。
「宇宙へ」と書いて「そらへ」と読ませるが、「空へ」とは何の関係もない。
BBCの製作なので、EARTH(Gyao)、Home(アスミック・エース)
と似たような映画かと思っていたが、ちょっと違った。
一言で言うと、NASAの宇宙開発の歴史をかいつまんで100分にまとめた、
ドキュメンタリー番組と言うところだろうか。
ただし、宇宙飛行士も含め、開発者や技術者のインタビューは交えず、
実際の映像だけで構成されている。
また「NASAのドキュメント」であってソ連の話は一切出てこない。
以下のソ連の記述部分は、筆者が書いたもので、映画と直接は関係ない。
実際の映像のフィルム、NASAが所有しているものも含めてだが、
歓喜のシーンだけではなく、事故のフィルムもある。
他に公表されない事故があったのかどうかは分からないが、
大きな3つの死亡事故、すなわち、
アポロ計画で初の有人飛行予定のアポロ1号のカプセル火災で死亡した3人、
1986年のスペースシャトル、チャレンジャーの爆発事故で7人、
2003年大気圏再突入で空中分解したスペースシャトル、コロンビア号で7人。
これらの事故は映画に登場する。
**
1960年初頭、米ソの宇宙開発競争は、大陸間弾道弾開発の延長線上だった。
映画には出てこないが、1961年、ソ連はボストーク1号(ガガーリン少佐)
による有人宇宙飛行(地球周回)に成功している。
NASAは、それに対抗して翌月に有人の大気圏外弾道飛行を成功させる。
これに感激したのか、当時のジョン・F・ケネディ大統領が、
1960年代に人間を月に送る、と宣言した。
しかし、地球周回に成功したのはソ連に遅れること10カ月の1962年だった。
宇宙開発は一人乗りのマーキュリー計画から2人乗りのジェミニ計画に移るが、
いずれもが月旅行のためのステップだったことが説明される。
ケネディは1963年に暗殺され、ジェミニ計画の宇宙飛行士の歓迎で
オープンカーに同乗していたのは、その次の大統領、ジョンソンである。
ジェミニ計画によって、月旅行への基本的な課題をクリアし、
計画は3人乗りのアポロ計画へと引き継がれた。
ここで1967年にアポロ1号の火災事故が起こる。
そのためアポロによる有人飛行は当初予定よりおよそ1年8カ月遅れ、
1968年10月のアポロ7号だった。
続くアポロ8号は1968年のクリスマス、月着陸船を搭載せずに月を周回して帰還。
アポロ9号は月着陸船を地球周回軌道でテスト、
アポロ10号は月周回軌道で着陸船のテストを行い帰還、
いよいよアポロ11号が、月面着陸を成し遂げる。
時に1969年7月、故ケネディ元大統領の公約が果たされた瞬間であった。
その後、アポロ17号まで6回の月面着陸に成功している。
ただし、映画の中では、あの「アポロ13号」の事故については触れられない。
アポロ計画は1972年で終わってしまうが、
その後の有人宇宙開発はスペースシャトルに委ねられた。
1977年の何度かのテスト飛行を経て、1981年大気圏外飛行が開始された。
1986年初めまでに24回のミッションをこなし、
1986年1月下旬、チャレンジャーの爆発事故が起きた。
2年半間があいて1988年9月から再開、
1990年にはハッブル宇宙望遠鏡を軌道に乗せることに成功。
その後も功績をあげたが、2003年1月、コロンビア帰還時に空中爆発を起こし、
またも2年半のブランクののち、2005年7月に再開となったが、
現在の計画では、あと数回、来年9月で終了となる。
**
ナレーションは、宮迫博之。
中々堂に入っていた。
ある動物映画のナレーションだったどなたかよりはかなり良い。
オープニングタイトルのナレーターは違っていたが、
英文のエンドロールにも宮迫博之の名前は(ローマ字で)出ていたし、
最後の方の地球のショットで日本が中央に来るのは日本版だけのアレンジか。
**
スペースシャトルの終了で国際宇宙ステーションへの対応も懸念されている。
次期宇宙開発計画はどうなるのだろうか。
ブッシュ前大統領が有人月探査の再開、火星への有人飛行までぶち上げたが、
技術面、資金面、そう簡単なものではない。
とはいえ、弾道飛行で高々200キロ弱の高度に達することができた段階で、
10年以内に38万キロのかなたへ行って帰るなんて、
当のNASAにとってすら、それこそ途方もない大ぼらだったはずだから、
近い将来には火星旅行ができっこないなんて誰にも言えない。
問題はお金だけかも。
比較的こじんまりとした会場で、中断から後ろはかなり傾斜がある。
前方の列でも前席が邪魔になることはない。
***
ソニー・ピクチャーズの配給。
「宇宙へ」と書いて「そらへ」と読ませるが、「空へ」とは何の関係もない。
BBCの製作なので、EARTH(Gyao)、Home(アスミック・エース)
と似たような映画かと思っていたが、ちょっと違った。
一言で言うと、NASAの宇宙開発の歴史をかいつまんで100分にまとめた、
ドキュメンタリー番組と言うところだろうか。
ただし、宇宙飛行士も含め、開発者や技術者のインタビューは交えず、
実際の映像だけで構成されている。
また「NASAのドキュメント」であってソ連の話は一切出てこない。
以下のソ連の記述部分は、筆者が書いたもので、映画と直接は関係ない。
実際の映像のフィルム、NASAが所有しているものも含めてだが、
歓喜のシーンだけではなく、事故のフィルムもある。
他に公表されない事故があったのかどうかは分からないが、
大きな3つの死亡事故、すなわち、
アポロ計画で初の有人飛行予定のアポロ1号のカプセル火災で死亡した3人、
1986年のスペースシャトル、チャレンジャーの爆発事故で7人、
2003年大気圏再突入で空中分解したスペースシャトル、コロンビア号で7人。
これらの事故は映画に登場する。
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1960年初頭、米ソの宇宙開発競争は、大陸間弾道弾開発の延長線上だった。
映画には出てこないが、1961年、ソ連はボストーク1号(ガガーリン少佐)
による有人宇宙飛行(地球周回)に成功している。
NASAは、それに対抗して翌月に有人の大気圏外弾道飛行を成功させる。
これに感激したのか、当時のジョン・F・ケネディ大統領が、
1960年代に人間を月に送る、と宣言した。
しかし、地球周回に成功したのはソ連に遅れること10カ月の1962年だった。
宇宙開発は一人乗りのマーキュリー計画から2人乗りのジェミニ計画に移るが、
いずれもが月旅行のためのステップだったことが説明される。
ケネディは1963年に暗殺され、ジェミニ計画の宇宙飛行士の歓迎で
オープンカーに同乗していたのは、その次の大統領、ジョンソンである。
ジェミニ計画によって、月旅行への基本的な課題をクリアし、
計画は3人乗りのアポロ計画へと引き継がれた。
ここで1967年にアポロ1号の火災事故が起こる。
そのためアポロによる有人飛行は当初予定よりおよそ1年8カ月遅れ、
1968年10月のアポロ7号だった。
続くアポロ8号は1968年のクリスマス、月着陸船を搭載せずに月を周回して帰還。
アポロ9号は月着陸船を地球周回軌道でテスト、
アポロ10号は月周回軌道で着陸船のテストを行い帰還、
いよいよアポロ11号が、月面着陸を成し遂げる。
時に1969年7月、故ケネディ元大統領の公約が果たされた瞬間であった。
その後、アポロ17号まで6回の月面着陸に成功している。
ただし、映画の中では、あの「アポロ13号」の事故については触れられない。
アポロ計画は1972年で終わってしまうが、
その後の有人宇宙開発はスペースシャトルに委ねられた。
1977年の何度かのテスト飛行を経て、1981年大気圏外飛行が開始された。
1986年初めまでに24回のミッションをこなし、
1986年1月下旬、チャレンジャーの爆発事故が起きた。
2年半間があいて1988年9月から再開、
1990年にはハッブル宇宙望遠鏡を軌道に乗せることに成功。
その後も功績をあげたが、2003年1月、コロンビア帰還時に空中爆発を起こし、
またも2年半のブランクののち、2005年7月に再開となったが、
現在の計画では、あと数回、来年9月で終了となる。
**
ナレーションは、宮迫博之。
中々堂に入っていた。
ある動物映画のナレーションだったどなたかよりはかなり良い。
オープニングタイトルのナレーターは違っていたが、
英文のエンドロールにも宮迫博之の名前は(ローマ字で)出ていたし、
最後の方の地球のショットで日本が中央に来るのは日本版だけのアレンジか。
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スペースシャトルの終了で国際宇宙ステーションへの対応も懸念されている。
次期宇宙開発計画はどうなるのだろうか。
ブッシュ前大統領が有人月探査の再開、火星への有人飛行までぶち上げたが、
技術面、資金面、そう簡単なものではない。
とはいえ、弾道飛行で高々200キロ弱の高度に達することができた段階で、
10年以内に38万キロのかなたへ行って帰るなんて、
当のNASAにとってすら、それこそ途方もない大ぼらだったはずだから、
近い将来には火星旅行ができっこないなんて誰にも言えない。
問題はお金だけかも。
鮮烈に記憶に残っています。
20年以上も前のこととは思えません。
色んなプラモデルを買ってきては作ってました。それだけにチャレンジャーの事故はショックでしたねぇ。今観ても心が痛みます。まだ思い出の範疇ですから。