2008/5/1、よみうりホールでの開催。
舞台中央にはスタンドマイク。
ロビーにも大きなポスターが飾られ、
いかにもゲスト登場を思わせるしつらえ。
中央前2列は「関係者席」の紙が張られ、
見ていると「取材の方ですか?」と聞かれる。
右サイド前から5列目くらいに陣取るが、
スロープ席にもTVカメラが数台待機しているのが見える。
ゲストの撮影は報道関係の方に限定しますとのアナウンスの後、
司会者が登壇、簡単に映画の紹介とともに、ビヨンセが来ているとほざく。
そんなわけねえよという冷めた見方と、
ひょっとしてという淡い期待の交錯する中、
現れたのは、案の定、渡辺直美で会場は大爆笑。
つかみは成功で、例の「ドリームガールズ」のマネを演じると、
そそくさと退場した。
ビヨンセがマンデラを尊敬している一人だとしても、何で?
と言う気もしないでもないが、思わぬ「おまけ」で、
会場が和んだことは間違いない。
ついでに言うと、彼女、どういうわけか裸足だった。素足でなくてはだし。
つまり、靴を履いていなかったのだが、理由は全く不明。
***
ネルソン・マンデラが収監されていた27年間の大半を
ほぼ専属の看守として過ごしたジェームス・グレゴリー自身の手により、
1995年に出版された「Goodbye Bafana」の映画化。
***
ほぼストーリーの全部を書いています。
(全容を知りたくない人は読み飛ばしてください。)
*
**
***(ストーリー、ここから)
*
アパルトヘイト(人種隔離政策)が当然のように行われていた頃の南アフリカ。
アパルトヘイトは表向き、民族自立により各民族の独立を目指すとされていたが、
その実は白人の権利を維持するための差別政策である。
わずか4百万人ほどの白人が、2千数百万人の黒人を差別し、
基本的人権を与えないなどの差別を行っていた。
ANC(アフリカ民族会議)の副議長、ネルソン・マンデラは、
1962年に逮捕され、1964年終身刑となり、
ケープタウンの北北東15キロほどの海上にあるロベン島の刑務所に収監される。
1968年、計務所の看守としてロベン島に配属された
ジェームズ・グレゴリー軍曹(ジョセフ・ファインズ)一家。
ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバート)を
共産主義テロリストと信じて疑わないジェームズ・グレゴリーだったが、
マンデラの話すコサ語(コーサ語)が分かるためマンデラ担当となる。
会話や手紙の内容を情報機関に密告するジェームス。
自身の密告の直後、マンデラの側近や妻や息子が逮捕されたり事故死したりする。
マンデラの行動には反発しながらも、彼との会話から、
当時禁制品だったANCの宣言した「自由憲章」(Freedom Charter)を読み、
また、白人による黒人に対する暴行などを目にして、疑問が募るようになる。
ある時、ジェームズはマンデラに便宜を図ったことがばれ、刑務所長が首になり、
自分や家族が「黒びいき」として周囲から疎外される。
辞職覚悟の申し出により、ケープタウンの刑務所に移ることになるが、
数年後、今度はマンデラとその側近4名が
ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移送され、
ジェームズ・グレゴリーもそこに移ることになる。
国際社会からの非難により徐々に南アフリカ政府の
マンデラに対する扱いもマシなものとなっていくが、
1989年、新大統領デ・クラークのアパルトヘイト廃止へ向けた動きによって、
ついに、1990/2/11、マンデラは釈放される。
ここまで、20年以上もマンデラとともに生きたと言っても
過言ではないジェームズ・グレゴリーは、
やっと少尉に昇進、その後、2003年に癌により死亡した。
*
**
***(ストーリー、ここまで)***
淡々と事実を描いた作品。
ジェームズ・グレゴリーは、幼少のころ近くに住む黒人の子供と遊び、
コサ語を覚え、棒術に興じた。
引っ越しで別れる際、その少年からもらった(たぶん兎の)尾のお守りを、
大人になるまで大事に持っていて、
本来、黒人差別を是としないが、テロリストは憎むという性格だったようだ。
妻、グロリア(ダイアン・クルーガー)は
アパルトヘイト政策(の教育宣伝)に晒され、
端から黒人差別を是としていたが、長い年月の間に偏見をなくしていく。
***
ネルソン・マンデラはご承知の通り、南アフリカ最初の黒人大統領であり、
ノーベル平和賞受賞者でもある。
釈放されて後、政治的にも活躍するわけだが、
この映画はその華々しい時代ではなく、
30年近くも収監、幽閉された不遇の時代を描く。
物語はジェームズ・グレゴリーの目を通したマンデラを描くと言うよりは
グレゴリー自身を描いている。
その点で邦題は、原題「Goodbye Bafana」と大きくかけ離れてはいるものの、
ずれてはいない。
舞台中央にはスタンドマイク。
ロビーにも大きなポスターが飾られ、
いかにもゲスト登場を思わせるしつらえ。
中央前2列は「関係者席」の紙が張られ、
見ていると「取材の方ですか?」と聞かれる。
右サイド前から5列目くらいに陣取るが、
スロープ席にもTVカメラが数台待機しているのが見える。
ゲストの撮影は報道関係の方に限定しますとのアナウンスの後、
司会者が登壇、簡単に映画の紹介とともに、ビヨンセが来ているとほざく。
そんなわけねえよという冷めた見方と、
ひょっとしてという淡い期待の交錯する中、
現れたのは、案の定、渡辺直美で会場は大爆笑。
つかみは成功で、例の「ドリームガールズ」のマネを演じると、
そそくさと退場した。
ビヨンセがマンデラを尊敬している一人だとしても、何で?
と言う気もしないでもないが、思わぬ「おまけ」で、
会場が和んだことは間違いない。
ついでに言うと、彼女、どういうわけか裸足だった。素足でなくてはだし。
つまり、靴を履いていなかったのだが、理由は全く不明。
***
ネルソン・マンデラが収監されていた27年間の大半を
ほぼ専属の看守として過ごしたジェームス・グレゴリー自身の手により、
1995年に出版された「Goodbye Bafana」の映画化。
***
ほぼストーリーの全部を書いています。
(全容を知りたくない人は読み飛ばしてください。)
*
**
***(ストーリー、ここから)
*
アパルトヘイト(人種隔離政策)が当然のように行われていた頃の南アフリカ。
アパルトヘイトは表向き、民族自立により各民族の独立を目指すとされていたが、
その実は白人の権利を維持するための差別政策である。
わずか4百万人ほどの白人が、2千数百万人の黒人を差別し、
基本的人権を与えないなどの差別を行っていた。
ANC(アフリカ民族会議)の副議長、ネルソン・マンデラは、
1962年に逮捕され、1964年終身刑となり、
ケープタウンの北北東15キロほどの海上にあるロベン島の刑務所に収監される。
1968年、計務所の看守としてロベン島に配属された
ジェームズ・グレゴリー軍曹(ジョセフ・ファインズ)一家。
ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバート)を
共産主義テロリストと信じて疑わないジェームズ・グレゴリーだったが、
マンデラの話すコサ語(コーサ語)が分かるためマンデラ担当となる。
会話や手紙の内容を情報機関に密告するジェームス。
自身の密告の直後、マンデラの側近や妻や息子が逮捕されたり事故死したりする。
マンデラの行動には反発しながらも、彼との会話から、
当時禁制品だったANCの宣言した「自由憲章」(Freedom Charter)を読み、
また、白人による黒人に対する暴行などを目にして、疑問が募るようになる。
ある時、ジェームズはマンデラに便宜を図ったことがばれ、刑務所長が首になり、
自分や家族が「黒びいき」として周囲から疎外される。
辞職覚悟の申し出により、ケープタウンの刑務所に移ることになるが、
数年後、今度はマンデラとその側近4名が
ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移送され、
ジェームズ・グレゴリーもそこに移ることになる。
国際社会からの非難により徐々に南アフリカ政府の
マンデラに対する扱いもマシなものとなっていくが、
1989年、新大統領デ・クラークのアパルトヘイト廃止へ向けた動きによって、
ついに、1990/2/11、マンデラは釈放される。
ここまで、20年以上もマンデラとともに生きたと言っても
過言ではないジェームズ・グレゴリーは、
やっと少尉に昇進、その後、2003年に癌により死亡した。
*
**
***(ストーリー、ここまで)***
淡々と事実を描いた作品。
ジェームズ・グレゴリーは、幼少のころ近くに住む黒人の子供と遊び、
コサ語を覚え、棒術に興じた。
引っ越しで別れる際、その少年からもらった(たぶん兎の)尾のお守りを、
大人になるまで大事に持っていて、
本来、黒人差別を是としないが、テロリストは憎むという性格だったようだ。
妻、グロリア(ダイアン・クルーガー)は
アパルトヘイト政策(の教育宣伝)に晒され、
端から黒人差別を是としていたが、長い年月の間に偏見をなくしていく。
***
ネルソン・マンデラはご承知の通り、南アフリカ最初の黒人大統領であり、
ノーベル平和賞受賞者でもある。
釈放されて後、政治的にも活躍するわけだが、
この映画はその華々しい時代ではなく、
30年近くも収監、幽閉された不遇の時代を描く。
物語はジェームズ・グレゴリーの目を通したマンデラを描くと言うよりは
グレゴリー自身を描いている。
その点で邦題は、原題「Goodbye Bafana」と大きくかけ離れてはいるものの、
ずれてはいない。
あー、一緒の試写会でしたね。
ビヨンセはすぐわかりましたが、あれだけでTVが入ったりするのかと驚きました。
地味な作品でしたが、いい作品だと思いました。
でも内容が地味で避けたくなっちゃうんでしょうか?
もっとたくさんの人にみてほしい作品だと思うんですが、あまりあたってないようで残念です。
この映画は日本では受けないだろうなと思いました。
確かにカメラには驚きました。
その後の報道でも映画の内容より、
芸人ネタですからね。
「キター」のおじさんも、
ナルニアより大きく取り上げられて、
何か本末転倒ですよね。
今晩は★☆
確かに、作品の完成度は今ひとつですね。
いい役者さんばかりなのに、もったいないって
感じですが・・・・。ネルソン・マンデラのこと
を知るにはいい機会でした。まあそれだけでも
良かったかなと思います。
コメント・TBありがとうございましたm(__)m
でも、ビレ監督には、やっぱり北欧の舞台の方が似合うような気がしました。
>彼のタイプではないなあと
>こういう映画を撮る、ということ自体に価値が
なるほど。
丁寧に作ってあるとは思いますが、
ちょっと吹っ切れてない感じがしました。
淡々としているからこそ、さまざまな歴史を学ぶこともできました。
なかなかいい映画でしたね。
地味でしたが、看守目線で時代を見続ける
なかなかおもしろい映画でした。
直接歴史には残らなくとも、こういう歴史に名を馳せた人に深く関わった人物って、きっといっぱいいるんだろうなぁって思ったし、これから多分一生自分は知ることがない、そういう歴史の陰に隠れた、でも歴史に少しずつ関わった人物のことに思いを馳せました。
近代の歴史はなかなか詳しく知ることがないのでこういう映画はとても勉強になります。
地味なお話でしたがとても興味深い作品でした。
>看守さん自身の物語
>歴史には残らなくとも歴史に名を馳せた人に深く関わった
まさにそう言う感じでした