峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

17年と半年ちょっと前の話

2006年07月23日 19時55分36秒 | 思い出話
十数年間ごっちゃに いろんなものを入れたままの引き出しから、平成元年の手帳が出てきました。
そこには忘れていた出来事が。 あのときは日本国中が非日常でした。
以下、その手帳から。


            



1988年(昭和63年)9月から、天皇が瀕死の状態で、民間では新元号などについて数々の噂が飛び交った。
まず、「アサヒ」 になるという噂。これは、「朝日」 という説と 「旭」 という説があり、
東京をはじめ京都、九州あたりまで まことしやかに流れた。
中には、「教育委員会からの情報」 ともいわれた。
その他 「自民党の関係者から聞いた」 という別の元号等、いろいろあったが、
実際に候補にあがった3つ ( 平成・修文・正○? ) は、ひとつとして噂にのぼらなかった。
御陵も 「昭島の昭和記念公園が御陵となる」 という噂があったが、実際には八王子の武蔵御陵となった。

1月7、8の両日、全テレビ局がCMなし。天皇関係の話や、昭和史ばかりだった。つまらなかった。( NHK教育テレビのみ通常 )
民間は2日間、歌舞音曲停止だった。( クラシックのみ許可 )
ラジオもずーっと繰り返しの話ばかり。



           



このメモを書いたとき、私は長男を妊娠中でした。
噂を聞く範囲もそれほど大きくない、一妊婦の見聞です。
インターネットも普及する前だったし。

教育テレビの 「スキー教室」 は印象的でした。
全チャンネル出演者が白黒の衣装で沈痛な面持ちの中、カラフルなスキーウェアに身を包み、にこやかで明るかった。
ちょっとホッとしたのが本音でした。


ニューヨーク大停電の10ヵ月後がベビーブームだったように、
平成元年11月頃って、出生率は増えなかったのかなあ。