車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

茨城県水戸市のマンホールカード

2019年12月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

利根町を最後に茨城県のマンホール・名所の紹介は終了。ラストは、これまでに交換して頂いた茨城県のマンホールカードを一挙に紹介したいと思います。

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2016年4月1日、第1弾として全国28自治体で30種類の マンホールカードの配布が 開始されました。「水戸市」のマンホールカードは、「水戸観光案内所」でいただけます。

2013年に設置されたマンホールには「みとちゃん」と「市の木:梅」がデザインされています。

【この蓋に描かれたキャラクターは、水戸市の「みとちゃん」です。デザイン・名前とも市の公募で決まりました。みとちゃんの衣装は、水戸黄門でお馴染み、水戸光圀公のものによく似ています。それもそのはず、みとちゃんは、いつか黄門様のように全国行脚をしたいと願うお出かけ大好きな女の子。頭にかぶっているのは「わらづと納豆」で、市の木「梅」の花の飾りがとてもチャーミングです。このマンホール蓋は、水戸駅北口側市街地の歩道に設置されていて、街の人びとからは「街の雰囲気が明るくなった」と大好評。みとちゃんはこれからも街を見守り、訪れる人達を楽しませてくれるでしょう。】

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水戸市(みとし)は茨城県の県央地域、関東平野の東側に位置する市です。ひたちなか市、笠間市、那珂市、東茨城郡城里町、大洗町、茨城町に隣接。中心部を含む市域の大部分は旧茨城郡に属しており、茨城県の名称は県庁が茨城郡水戸に置かれたことに由来。また「水戸」の地名は、那珂川の舟運の河港として盛え、水運の戸口とされていた事に由来します。市域の那珂川の周辺は低地で、それ以外は台地が広がり、日本初の水道専用ダム「楮川ダム」を擁します。徳川御三家の一つ「水戸徳川家」所縁の地で、『水戸黄門(徳川光圀)』や、日本三名園の一つ「偕楽園」が知られています。明治時代以降、水戸の伝統であるワラ納豆(水戸納豆)の生産が盛んになり、全国的に知られるようになりました。「市の木:梅」「市の花:ハギ」「市の鳥:シロセキレイ」を制定。

明治22年(1889)4月、町村制の施行により水戸市が発足。日本で最初に市制を施行した全国31市の一つ。

1955年、東茨城郡上大野村・渡里村・吉田村・酒門村・河和田村の一部、那珂郡柳河村を編入。

1957年、東茨城郡飯富村・那珂郡国田村を編入。

1958年、東茨城郡赤塚村を編入。

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ご当地マンホール in 茨城県利根町

2019年12月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

稲敷郡利根町(とねまち)は茨城県南部の県南地域に位置する町です。龍ケ崎市、取手市、稲敷郡河内町に、また県を跨いで千葉県:我孫子市、印西市、印旛郡栄町に隣接。町域はほとんど平坦で町の南側は利根川に沿っており、農業は稲作が中心。4月の桜の時期は、利根川の河川敷に面した数十本の桜並木が花見客で賑わい、また毎年8月には「納涼花火大会」が開催され、周辺地域からの人出で賑わいます。「町の木:桜」「町の花:カンナ」「町の鳥:ヨシキリ」を制定。

キャッチフレーズは「ともに創ろう みんなが住みたくなるまち とね」

明治22年(1889)、町村制の施行により、北相馬郡布川町、文村、文間村、東文間村が発足。

1955年、布川町、文村、文間村、東文間村が合併、利根町が発足しました。

マンホールには「利根川にかかる栄橋」「町の木:桜」「町の鳥:ヨシキリ」が描かれています。

利根町役場の展示蓋は、役場の方と町民の方のお口添えで、休日にも関わらず撮影できました。お名前を出しても良いとの事なので、「レストラン・ドルチェの伊井様」その節には本当に有難うございました🙏

利根町のデザインマンホールは、雨水もカラーとモノクロ版が揃っています。

実際に利根川の「栄橋」を写して見ました。時も撮影位置も関係なしの画像・・まぁこんなものです😔

昭和40年(1960)1月制定の町章は「利根町の頭文字の「と」が図案化されて2つ組み合わされ、円形は、あさひを表します。単純な図形の中に円満融和と希望発展が象徴されています。」公式HPより

上水道関連の蓋「仕切弁」

「空気弁」

「消火栓」

「止水栓」

利根町観光協会イメージキャラクター『とねりん』は、利根町の水田から生まれた妖精。帽子の先から洋服、靴の先に至るまで利根町の特産品やその他色々を盛り込んでいます。

日本行政書士会連合会メンバーの飼い猫さんで、猫の行政書士を目指す『ユキマサ君』。 利根町のキャラクターではありませんが、利根町役場で見つけたのも何かの縁・・・何といっても猫だし・・

一階ロビーの休憩スペースのテーブル、実は利根町のカラーマンホールで出来ているのです。マンホールとして写すには諸々が写りこんでダメですが、テーブルとしてはとても素敵。

撮影日:2019年3月16日

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ご当地マンホール in 茨城県河内町

2019年12月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

稲敷郡河内町(かわちまち)は茨城県の南端に位置する町です。龍ケ崎市、稲敷市、北相馬郡利根町に、又県を跨いで千葉県:成田市、印旛郡栄町、香取郡神崎町に隣接。町内には、利根川と新利根川が流れ、水と緑に恵まれた田園風景が広がり、町内のほぼ全域が、江戸時代以前に干拓された干拓地です。江戸時代から利根川水運と河岸の発達により、中央文化の影響を受けてきた事うかがえます。明治中期に利根川がほぼ現在の流路に改修され、香取郡は川により分断、北部は千葉県から茨城県に越県し、下総国香取郡金江津村は稲敷郡に編入。町内には常陸・下総の国境があり、現在「大境」の地名がその名残を伝えています。「町の木:ケヤキ」「町の花:アジサイ」「町の鳥:ヒバリ」を制定。

キャッチフレーズは「空と緑と金色の 穂平船(すいへいせん)の見えるまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、河内郡生板村、源清田村、稲敷郡長竿村。千葉県香取郡金江津村が発足。

明治29年(1896)、郡制の施行により、河内郡(小野川村を除く)・信太郡(東村・中家村を除く)の区域をもって稲敷郡が発足。

1899年、千葉県香取郡金江津村が茨城県稲敷郡に移行。茨城県稲敷郡金江津村になる。同日、千葉県印旛郡豊住村大字田川を編入。

1942年、長竿村と源清田村が合併し、稲敷郡瑞穂村となる。

1949年、瑞穂村の一部が分立、稲敷郡源清田村が発足。

1955年、稲敷郡長竿村・源清田村・生板村が合併、稲敷郡河内村が発足。

1958年、稲敷郡金江津村が河内村に編入。

1966年、金江津地区の一部(旧十三間戸(じゆうさんまど)村の一部)を千葉県神崎町へ編入。

1973年、金江津地区の一部(旧十三間戸村の一部)を東村(現:稲敷市)へ編入。

1996年、河内村が町制を施行、稲敷郡河内町となりました。

マンホールには「AJISAI IS THE SYMBOL FLOWER OF KAWACHI」の文字と、「町の花:紫陽花」がデザインされています。

1996年6月1日制定の町章は「全体と中の楕円は、一粒の米を表し、その中に町内を流れる2つの河川(利根川・新利根川)をイメージしたアルファベットの「K」を組み込んでいます。」公式HPより

上水道関連では、町章付き「制水弁」

町役場周辺には、町章も自治体名もない雨水用の規格マンホールが設置。

昭和53年4月15日制定の旧章は「全体で「河内」を表し稲の花を中心に「和」を円形に意匠化しています。」

旧河内村当時の制水弁

河内町公式イメージキャラクター『かわち丸』。顔が「お米」、体が「れんこん」、腰に「あじさい」のワンポイント。人間でもない、動物でもない謎の生物です。

撮影日:2019年3月16日

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ご当地マンホール in 茨城県稲敷市&旧東町

2019年12月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

稲敷市(いなしきし)は茨城県南部の県南地域に位置する市です。2005年3月22日に、稲敷郡江戸崎町・新利根町・東町・桜川村が合併して発足しました。潮来市、龍ケ崎市、牛久市、稲敷郡阿見町、美浦村、河内町に、又県を跨いで千葉県:香取市、香取郡神崎町に隣接。地域の北側には国際的な研究学園都市「つくば」を、南側には世界への玄関口「成田」を擁しており、これらの核都市と首都圏中央連絡自動車道で結ばれています。市域は、稲敷台地と広大な水田地帯からなり、霞ヶ浦、利根川、新利根川、小野川などの水辺環境に恵まれています。また「茨城の日光東照宮:大杉神社」「大念寺」などでも知られています。「市の木:桜」「市の花:菊」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「みんなが住みたい素敵なまち」

2005年3月22日制定の市章は「「地球」「稲」「豊かな実り」をイメージしたデザイン。緑は大地を象徴し、白い4つの半円は市の発展と合併した4つの町村を稲穂の形で表しています。上部の青は明るいまちづくりを表すと同時に、水に恵まれた新市の特徴を表現しています。」公式HPより

上水道関連は「仕切弁」「制水弁」「消火栓」の規格蓋で、稲敷市の市章が付けられています。

「農水:管理孔」のマンホール

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旧稲敷郡東町(あずままち)は茨木県の南部に位置した町です。稲敷郡江戸崎町・新利根町・河内町・桜川村に、さらに県を跨いで千葉県佐原市・香取郡神崎町に隣接。利根川にかかる「神崎大橋」で千葉県と結ばれており、また香取市との県境に設置された「横利根閘門」は近代化遺産として重要文化財に指定されています。

「町の木:槇」「町の花:菊」「町の鳥:白鷺」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、稲敷郡本新島村・河内郡伊崎村・千葉県香取郡十余島村が発足。

1896年、郡制の施行により、河内郡・信太郡の区域をもって稲敷郡が発足。

1899年、香取郡十余島村が、茨城県稲敷郡十余島村となる。

1955年、稲敷郡本新島村・十余島村・伊崎村が合併し東村が発足。

1996年、東村が町制を施行し稲敷郡東町となる。

2005年、東町、新利根町、江戸崎町、桜川村が合併、稲敷市となりました。

マンホールには「二羽の町の鳥:白鷺」と「町の木・マキ」、周囲に「町の花:桜」がデザインされています。

曲渕地区集落排水マンホールには「二羽の町の鳥:白鷺」上下に「町の木・マキと町の花:桜」がデザインされています。

1996年9月1日制定の町章は「便宜的に制定したもので、「アズマ」を円形に図案化しました。」

上水道関連の蓋は「仕切弁」が二種。

旧東町町域で見つけたマンホールですが、中央の知章が何処の自治体章なのか不明。どこかで見た覚えがあるのだけど・・・・どうしても思い出せない😭

旧稲敷郡江戸崎町・新利根町・桜川村の三自治体は未訪問です。

撮影日:2014年5月17日&2019年3月16日

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ご当地マンホール in 茨城県行方市&旧麻生町

2019年12月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

行方市(なめがたし)は茨城県の東南部、鹿行地域に位置する市です。2005年9月2日に、行方郡麻生町・玉造町・北浦町が新設合併し、行方市が発足しました。鹿嶋市、潮来市、かすみがうら市、鉾田市、小美玉市に隣接。地形的には東西の湖岸部分は低地、内陸部は標高30m前後の丘陵台地(行方台地)により形成。霞ヶ浦沿岸部は概ねなだらかで連続的な稜線であるのに対し、北浦側は比較的起伏に富んでいます。また、霞ヶ浦湖岸の一部は水郷筑波国定公園に指定されており、美しい自然景観を有しています。「市の木:イチョウ」「市の花:山百合」「市の鳥:白鷺」を制定。

キャッチフレーズは「やさしい自然 かがやく人 わたしたちがつくる魅力あるまち・行方市」

行方市は予定外ですが、潮来市集排マンホールが旧麻生町を経由していたという嬉しい誤算😄 そこで急遽寄った行方市役所に、なんと、行方市のマンホールが展示されていました。

実設のカラーマンホールは「天王崎観光交流センター」の入り口前に設置されています。

鯉のマンホールは合併した旧麻生町のデザインで、自治体名が行方市になり市章が追加されています。

2005年9月2日制定の市章は「行方市の「N」と帆引き船の帆をモチーフとした市章です。3つの帆は、麻生町・北浦町・玉造町を表しています。それぞれの色は、 赤『降りそそぐ太陽』、青『霞ヶ浦・北浦』、黄緑『豊かな自然』をイメージしています。行方市の発展と飛躍を表現しています。」公式HPより

上水道関連の蓋は、旧麻生町域で、行方市の市章つき消火栓を見つけることが出来ました。

行方市マスコットキャラクター『なめりーミコット』。なめがたとユリのリリーで「なめりー」、古代の高貴なイメージ「尊」から「ミコット」。市の花「山百合の帽子」が似合ってます。

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旧行方郡麻生町(あそうまち)は茨城県の東南部、日本で2番目に大きい湖・霞ヶ浦と北浦に面した町です。鹿嶋市、潮来市、北浦町、玉造町に隣接。都心へ80キロ、新東京国際空港へも30キロの近さです。「町の木:イチョウ」「町の花:菊」「町の鳥:ヒバリ」を制定。

旧キャッチフレーズは「風光る霞ヶ浦 あそう」

明治22年(1889)、町村制の施行により、行方郡麻生町・行方村・大和村・小高村・太田村が発足。

1955年、麻生町・行方村・大和村・小高村・太田村が合併、改めて行方郡麻生町が発足。

2005年、北浦町、玉造町と合併、行方市となりました。

マンホールには、「霞ヶ浦に浮かぶヨット」と、勢いよく飛び跳ねる「鯉」が描かれています。霞ヶ浦北浦では昭和40年頃から鯉の養殖が行われており、その生産量は全国一だそうです。

昭和33年(1958)10月15日制定の町章は「麻生のアの字を図案化し、円により円満と和を表しています。」旧公式HPより

町の木:イチョウの葉が三枚並んだデザインの水道仕切り弁、中央に小さく町章があります。

旧麻生町の訪問が偶然の産物につき、旧北浦町、旧玉造町は未訪問です。

撮影日:2019年3月14日

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茨城県行方市のマンホールカード

2019年12月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「行方市」のマンホールカードは、天王崎観光交流センター「コテラス」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「なめりーミコット」と「山百合」がデザインされています。

【行方市のマスコットキャラクター「なめりーミコット」を描いたマンホール蓋です。 「なめがた」と「ユリ」で「なめりー」が名字、古代の高貴なイメージ「尊(みこと)」や「ヤマトタケルノミコト」の伝承も残されていることから「ミコット」が名前になります。 市の花「ヤマユリの帽子」をかぶり、古代の衣装「貫頭衣(かんとうい)」を身にまとい、特産品のサツマイモの勾玉を首に下げ、行方市の頭文字Nをイメージした前髪で愛らしく笑うなめりーミコットは、市民祭りやイベント等で大人気。 愛されキャラをマンホール蓋にデザインすることで、下水道のイメージUPが期待されます。】

座標軸のマンホールは「天王崎観光交流センター」の入り口前に設置されていました。

配布先には「白帆の湯あそう温泉」があり、17時以降の入浴は嬉しくなるようなお値段設定!千葉県内の入浴施設が何処も「高い!」と嘆く私には、素通りするのが切なく、とても複雑な気分・・ああ世の中上手くいかない😭

訪問日:2019年3月14日

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ご当地マンホール in 茨城県旧牛堀町(潮来市)

2019年12月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

旧行方郡牛堀町(うしぼりまち)は茨城県の南東部、霞ヶ浦の東端に位置した町です。麻生町、潮来町、稲敷郡東町に、又県を跨いで千葉県佐原市に隣接。『葛飾北斎』が描いた「富嶽三十六景:常州牛堀」は、権現山から見た牛堀を描いたものと言われています。「町の木:シイ」「町の花:桜」「町の鳥:ウグイス」を制定。

潮来市牛堀にある「権現山公園」は、茨城県観光審議会が選定した100の景勝地の一つだそうで、「茨城百景入選記念碑」と刻まれた碑が、ちょっと気恥ずかしそうに建立されていました😊

明治22年(1889)、町村制の施行により、行方郡香澄村、八代村が発足。

1955年、香澄村と八代村が合併、牛堀村が発足。同年、町制を施行し牛堀町となる。

2001年、行方郡潮来町に編入、市制を施行して潮来市となりました。

マンホールには、『葛飾北斎』の富嶽三十六景「常州牛堀」の図が描かれています。

私たちも北斎に習って、現在の牛堀の町並みを、絵筆では無くデジカメに収めて来ました。展望台から見る景色は全くの別世界ですが、利根川、霞ヶ浦そのはるか向こうには「筑波山」の姿も見ることができます。

昭和43年9月15日制定の町章は「「うしぼり」の、「う・し」を意匠化したものです。」

上水道関連の蓋は「制水弁」

「空気弁」

「消火栓」

「うしく」と書かれた小型デザインハンドホールは、牛久市の越境蓋。描かれているのは牛久市のマスコット「かっぱの「キューちゃん」。「うし」繋がりで借用したのかどうか・・思いもかけずの可愛いマンホールにホクホク。😍

撮影日:2014年5月17日&2019年3月14日

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ご当地マンホール in 茨城県潮来市

2019年11月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

潮来市(いたこし)は茨城県南東部の鹿行(ろっこう)地域に位置する市です。
東は鹿嶋市、稲敷市、南は神栖市、北は行方市に、西は県を跨いで千葉県香取市に隣接。霞ヶ浦や北浦、常陸利根川などに面した水郷で有名な都市で、江戸時代には利根川水運の港町として栄えてきました。現在は水郷筑波国定公園の一角として、水郷潮来あやめ園を中心としたあやめ(花菖蒲)の名所や、川を巡る十二橋めぐりといった水郷特有の観光名所を有しています。「市の木:ポプラ」「市の花:あやめ」「市の鳥:ヨシキリ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然 あふれる元気 みんなでつくる水の郷」

明治22年(1889)、町村制の施行により、行方郡潮来町、津知村 、延方村、大生原村 が発足。

1955年、行方郡潮来町、津知村、延方村、大生原村が合併、潮来町(二代目)が発足。

2001年、行方(なめかた)郡牛堀町を編入、市制を施行し潮来市となりました。

マンホールには、水の色を背景に、「市の花:アヤメ」が鮮やかな色で描かれています。(潮来市潮来にある「長勝禅寺」の表門前の道路、セイミヤ潮来店の横断歩道手前の歩道に設置)

北浦に面した大生原地区の集排マンホールには、「北浦に船を出す船頭」と「3羽の白鳥」が描かれています。

2002年7月1日制定の市章は「『い』の字を表し、水郷地帯を流れる緩やかな川の流れを表します。 昭和32年12月に潮来町・町章として制定されたものを、市制施行後に引き継がれました。」公式HPより

中央に「潮」の文字が書かれた規格マンホール、「潮」はおそらく「潮来」の頭文字が由来と思われます。

上水道関連の蓋は仕切弁二種

制水弁三種

排泥弁

消火栓

親子マンホールには自治体を現すものが何もありませんが、市内に設置されていたものです。

潮来市PRキャラクター『あやめちゃん』は、水郷潮来あやめ園に咲く「あやめの花の妖精」。お友達でお供の『よしきり君』は、実は東南アジア方面の出身ですが、潮来市の市の鳥なのです。

撮影日:2014年5月17日&2019年3月14日

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2019年の千葉・茨城の旅で車泊させて頂いた「道の駅:いたこ」。とても綺麗で気持ちの良い道の駅でした。

館内に飾られていた「潮来花嫁さん」の原型とか、ラーメン缶の自販機とか、見所満載😄 観光気分も充分に味わうことが出来ます。しかもお土産用の「美味しいもの」も一杯💛

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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ご当地マンホール in 茨城県旧波崎町(神栖市)

2019年11月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

旧鹿島郡波崎町(はさきまち)は茨城県の最東南端、利根川の河口付近に位置した町です。北西は鹿島郡神栖町、南西は利根川を隔てて千葉県銚子市、香取郡東庄町に隣接。土地は平坦、砂質壌土であり、土壌に適合した土地集約型の施設園芸が盛んな農業、太平洋・利根川水系に支えられる漁業・水産加工業、鹿島開発により急速に発展した工業、恵まれた自然の観光資源を生かした、スポーツ合宿、マリンスポーツ・レジャーを中心とした観光などが主な産業です。「町の木:松」「町の花:センリョウ」「町の鳥:カモメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、鹿島郡東下村が発足。

1928年、東下村が町制を施行、改称して鹿島郡波崎町となる。

2005年、鹿島郡神栖町に編入、同日市制を施行し神栖市となりました。

マンホールには「町の木:マツ」「町の花:センリョウ」「町の鳥:カモメ」が描かれています。(はさき生涯学習センター付近に設置)

消火栓も、カラーマンホールと同配色で、同じデザインとなっています。

空気弁は消火栓と同じデザインですが全体がブルー一色で、わかりやすく区別されていました。

昭和39年3月26日制定の旧町章は「「はさき」の頭文字「は」を図案化したもので、下部の曲線で町の和と円満を表現し、上部の鋭角な表現で町の飛躍的な発展を象徴しています。」旧公式HPより

上水道関連の規格蓋は、町章の付いた制水弁が二種

撮影日:2014年5月18日&2019年3月13日

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ご当地マンホール in 茨城県神栖市

2019年11月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・茨城県

神栖市(かみすし)は茨城県最東南端の鹿行地域に位置する市です。鹿嶋市、潮来市に、また県を跨いで千葉県銚子市、香取市、香取郡東庄町に隣接。霞ヶ浦と北浦を源とする常陸利根川及び利根川と鹿島灘にはさまれた平坦な低地にあり、東西はゆるやかに傾斜しています。市域には、かって広大な面積の「神之池(ごうのいけ)」を擁していましたが、鹿島開発のため一部を残して大部分を埋め立て、市の北部から東部一帯に鹿島港及び鹿島臨海工業地帯が整備されており、鉄鋼、石油製品等の広域的な供給拠点として、重要な役割を担っています。地名は「神之池」と「息栖神社」の頭文字を取ってつけられました。「市の木:槇」「市の花:センリョウ」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「市民とともにつくる“躍進する中核都市”かみす」

明治22年(1889)、町村制の施行により、鹿島郡中島村、軽野(かるの)村が発足。

1925年、中島村が改称、鹿島郡息栖(いきす)村となる。

1955年、息栖村、軽野村が合併、鹿島郡神栖(かみす)村が発足。

1970年、神栖村が町制を施行、改称して鹿島郡神栖町となる。(「'85 :科学万博記念事業」プレート)

2005年、鹿島郡波崎町を編入、同日、市制を施行し神栖市となりました。

マンホールには、「鹿島港をゆくタンカー」と「港公園の展望台」が描かれています。(港公園の展望台一階)

マンホールのデザインとなった「鹿島臨海工業地帯」と、港公園にある「展望台」。

昭和45年3月24日制定の市章は【町章として制定され、市制施行後に引き継がれたもので、市民の融和と団結を表わすとともに、工業地帯として伸びゆく未来と産業文化の飛躍的発展を単純、明快、かつ力強く象徴化し、市章の中心は臨海の市を表わすための波頭を意味しています。】公式HPより

上水道関連で「制水弁」

「上水空気弁」

「消火栓」

「防火貯水槽」

中央に「HI-STAR」の文字、下に小さく「50kn」と刻まれたマンホール。

神栖市イメージキャラクター『カミスココくん』。頭の形が茨城県で、左手の矢印で神栖市の位置を示してます。

撮影日:2014年5月17日&2019年3月12日

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