車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

可睡斎(かすいさい)~其の二 in 静岡県袋井市

2019年03月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

山門から境内に入り手水でお清めをすませたら、諸々の堂宇などを拝観し次へと向かいます。 参道まっすぐの正面には、高祖『承陽大師』、太祖『常済大師』を両祖とする「本堂」。(承陽大師とは明治天皇より賜った道元禅師の勅号(ちょくごう)):(常済大師とは、日本曹洞宗の太祖:瑩山(けいざん)禅師の諡(おくりな))

「聖観世音菩薩」を本尊とする、遠州三十三観音霊場三十番札所。

可睡斎は「福井の大本山永平寺」「横浜の大本山總持寺」を大本山とする、總持寺の直末寺院。 徳川家康との密接な関係により、10万石の寺禄を与えられ住職は代々僧録司(そうろくし)に任ぜられました。
その後も「東海大僧録」として三河・遠江・駿河・伊豆の曹洞宗寺院を支配下に収め今日に至っています。

御詠歌【 みをおさめ こころをきよく まびふせぐ ひぶせのあきは かすいにおわさん 】

巨大な下駄が置かれている本堂脇の「大黒殿」。お子様身長の私ですが、多分大きさは伝わると思います。 いわゆる天狗の高下駄と呼ばれるもので、横から見ると「歯」が一本。 置かれていたのは大黒殿の脇ですが、おそらく秋葉の大天狗様の下駄として奉納されたと思われます。

大黒殿の堂宇には、「黒髭を蓄えた白兎」を両脇に従えて、「出世大黒天」が鎮座。大黒様と大国様(大国主命)、ひらがなで書けば同じ「だいこく様」ですが、私的には全くの別物!!故に、大黒天が白兎を脇に従えるのも、実はもの凄~~~~~~~~く!!不満と、私ごときが何度叫ぼうと(笑)

その「大黒殿」の前に置かれていたのが、佐賀の海蔵寺に伝わる「願いを叶えるかんかん石」。 【願】をかける時に、石を叩いて鳴らしてから祈ると願いが叶うと『弘法大師』が教えたとか。 大黒様に散々ケチをつけた後ですが、それとこれとはまた別で、早速石を叩いて願い事を。

「大黒殿」の巨大な下駄に負けじと、「位牌堂」には軒下まで届く巨大な「灰ならし」「火箸」。 火を扱う場所には欠かせなかった二つのお道具も、やはり火伏せの秋葉様への奉納かも。

「位牌堂」では、御開山如仲天誾大和尚をはじめ、暦住五十六世までの諸位大和尚の霊位を祀ります。

幼い家康を匿い「可睡斎」の名の由来となった、「出世六の字穴」
【出世六の字とは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世間から離脱する「出世間」からとも、あるいは六観音や六地蔵に由来するとも伝えられる。】案内板より

【戦国時代、徳川家康は武田信玄との戦いにおいて遠江・森、袋井方面へと攻めてきた武田勢に追われ、この寺のほら穴に隠れて命拾いをした。その後、家康は浜松城主となり、やがて駿府城、江戸城などを築き国を平定し、江戸幕府を開いて将軍となった。その出世の故事になぞらえ、当齋のほら穴は、家康公の威徳を称えていつしか「権現洞」と、また「出世六の字穴」とも呼ばれるようになった。】案内板より

洞穴の内部は意外と広く、中間部分に仕切りが作られており、奥には延命地蔵が祀られています。 今更出世に興味はありませんが、こうして新しい何かに出会う為にも元気で長生きしたいですね。

参拝日:2011年11月16日&2016年12月14日

 

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可睡斎(かすいさい)~其の一 in 静岡県袋井市

2019年03月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

袋井市久能にある「萬松山(ばんしょうざん)可睡斎(かすいさい)」。寺紋は「丸に三つ葵」。 旧遠江国の三古刹を意味する「遠州三山」の一つとして知られています。私たちは2011年11月に一度、そして御朱印を頂くため、2016年12月に二度目の参拝をしました。

由来【当寺は室町時代初期の応永年間、『恕仲天誾(にょちゅうてんぎん)禅師』によって開山され、「万松山東陽軒」と名付けたのが始まりとされている古刹です。
11代目住職『仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚』は、武田軍から逃れた幼い家康とその父を戦乱の中から救い出して匿い、岡崎城へと送り届けました。】

後に浜松城主となった家康は、和尚を招き旧恩を謝したのですが、すでに相当の年齢であった和尚。 なんとその席上で居眠りを・・(^^;)、周囲の空気は凍りついたでしょが、その様子を見た家康。
「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」と言ったとか。
以来、和尚は「可睡和尚」と呼ばれるようになり、後に寺号も「万松山可睡斎」と改められました。

可睡斎の入り口ともいえる「総門」は、高さ・幅共に十メートル弱で、木造・瓦ぶき。 1959年の伊勢湾台風で倒壊したものの、後に再建されたと、売店に居た人が教えてくれました。
総門には「萬松山」の扁額が架けられ、天井部分には十二干支の方位版がおかれています。

右手に立派な御神木(お寺の場合は何と呼ぶ?)が聳える長い石段の先に参拝者を迎える「山門」。「山門」は禅宗寺院の七堂伽藍の一つとされており、寺院への正式な入口となります。門には「三つ葉葵」の幕が掛けられ、さらに門の両袖には阿吽の仁王像が置かれています。

山門案内に【昭和10年に当時、建築界の重鎮、特に寺社建築の泰斗であった伊東忠太博士に設計依頼しておりましたが、完成にまで至らず、76年の歳月を経てこの度、伊東忠太博士の設計図を基に平成22年に落慶致しました。】(実は、『伊東忠太』博士が関わった別の建築物が境内に存在しますが、それはまた次の項で。)

仁王は正式には「金剛力士」と呼ばれ、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つとされます。一般的に、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情と言われています。

まだ新しい山門の屋根には、ご亭主殿の好物(笑)の装飾瓦がいぶし銀の輝きを見せていますが・・さて、これは何と呼ぶのが正しいのでしょうか?鬼・・にも見えますが、獅子・・にも見えます。ご亭主殿に尋ねた所、「やっぱり一応は鬼じゃないの?」と、何とも曖昧なお返事(笑)。

山門を潜って右手に見る建物は、迎賓施設として使われる「瑞龍閣(ずいりゅうかく)」。木造二階建、妻入り、入母屋造桟瓦葺で下屋を廻らし、正面には唐破風玄関を構えています。 昭和12年(1937)に建築されたもので、2014年12月に、国登録有形文化財に指定されました。

山門を潜って左手に見えるのは、2008年の修復工事で移設された「可睡斎輪蔵(りんぞう)堂」

中央の心柱を支えとする八角形の回転書架には、「一切経(大蔵経)」が納められているのだとか。 信心をもってこの書架を一回転させると、一切経読誦の御利益が得られると言われています。 信心深いとはお世辞にもいえない身ですが、今は亡き大切な人の後生を願って・・・・

輪蔵堂内の正面には、輪蔵を考案した『傅大士(ふだいし)』の木像を安置。傅大士像は常に微笑の相を表していることから、 俗に「笑い仏」ともよばれています。

「僧堂」は坐禅堂とも称し、修行僧はこの一畳の畳に起居し、坐禅修行に励むのだそうです。 「今は直(じき)に今なり、一切もちゆることを必要とせずこれ単(ひとえ)なり、これを示せるは禅なり」

「僧堂」の前に建立された「慈母観音」。その慈悲の目には、どんな世界が映っているのでしょうか。

まだまだ続く「可睡斎」参拝の思い出、明日は『聖観世音』を本尊とする「本堂」から紹介です。

参拝日:2011年11月16日&2016年12月14日

 

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御前崎岬 ~2016年 in 静岡県御前崎市

2019年03月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

前回から5年後の2016年、今度は友人Jさんが加わって三人での「静岡県車中泊の旅in御前崎」(笑) 今回もしっかり写してきました「静岡県最南端の碑」と再会できて感動のあまり抱きつくおバカな二人・・(-_-;)

少しばかり冷静になっての女子二人、それでも最南端の碑とのペアショットは外せない(笑)

重く垂れ込めた雲、灰色の冷たい海、流石に12月のこの季節はすべてがどんよりとしています。うかれてはしゃいでいるのは、もしかしたら私たち三人だけかも・・まっ、それも良しでしょう。

駐車場に併設されたみさきの広場には新たなモニュメントも加わって・・でもこれ、どう見ても難破船(゜゜;)。 場所が場所だけにこれは笑えないと思うのだけど、もしかして何か別の意図があるのかも・・

ともあれ、今日も丘の上に見えているあの白亜の塔が・・白亜の?白亜の???「御前埼灯台」が無い!!。

・・・・いや、無いわけではない・・だって先端に見える投光器部分は間違いなく御前崎灯台のもの

何が何でも自分で確認しなくては!とは言え、雨の所為でぬかるんだ坂道は、以前よりマシになったとは言っても私の足では無理。今回はご亭主殿が写真だけ撮りに行ってくれる事になったのです。それにしても・・あの白亜の美しい灯台は外装工事中。 後で知った事ですが、工事内容は外壁の塗り替え、内側の保護材のパネルをヒノキ材に、らせん階段の途中に小窓を新設・・等々。1982年以来の海上保安庁による改修工事が完了したのは、2016年12月末のこと。私たちが再訪したのは2016年12月13日・・ため息です。

ご亭主殿が灯台の写真を撮りに行ってる間に、私たちはみさき公園付近の探索に。まずは観光振興への御利益の願いを込め、2016年5月に開設されたばかりの「渚の宮神社」

「伊勢神宮」の式年遷宮に伴い提供を受けた御用材が、ちょうどご神体のように展示されています。 「伊勢神宮」のご用材という事なので、きっと神威はある筈、友人と一緒に旅の無事を願いました。

灯台の撮影を終えて帰ってきたご亭主殿、帰り道で句碑と古そうな塚を画像に収めてくれました。灯台入り口手前に『山口誓子』句碑【碧の濃き 灘 通り来し 土用波】

通路の途中に建立されていたという「遷れい塚」
碑文全文【御前崎灯台の建設に功労のあった灯台役人「朝臣今武源高光」と公儀棟梁「村山源清弘」を祀ったもので、正面に「遷れい塚」と太く記され右面に「朝臣今武源高光・村山源清弘」、左面に「維時明治六年壬申6月」、基石正面には御前崎松林久佐エ門、相良増田銀蔵、上御崎山﨑円七、下御崎下村粂右エ門、二ツ家沢入惣三郎、沢入専三郎、女岩川口半次郎、広沢横山粂右エ門の名が刻んであります。】

5年前のライオンに守られていた黒い碑は『清水みのる』の「ふるさとの燈台」の歌碑。何故かライオンは消えて、多分ですが設置されていた場所もあの時と違っています。その前に『清水みのる』って誰?!

最南端の碑から覗き見た海岸は、打ち寄せる波が白く砕けて、5年前とは全くの別風景。目の前に広がる灰色の海の中に、小さな黒い点のようなものが・・・黒い点?!もしかして動いてる!

と思ったら、展望所から少し離れた岩礁の上に、海の一点を見つめてじっと佇む人影も発見。 いくらサーフィンの好適地だからって、真冬の海でサーフィン!!、色々びっくりな御前崎です。

訪問日:2016年12月13日

 

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御前崎岬 ~2011年 in 静岡県御前崎市

2019年03月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

そこに綺麗な灯台があると聞くと可能な限り立ち寄らずにはいられない。これはもう性というもの、残りのコースは?とか、現在時間は?とか、そんなもの、後で何とかなる!うん・・・多分・・・(笑)
今回は2011年と2016年の二度にわたって訪問した「御前崎岬」と「御前埼灯台」の紹介。
マリンパークを後にして駿河湾の海岸線に車を走らせる事7分(近!)、南に遠州灘を望む「御前崎岬」に到着。海岸沿いの展望所には、東経136・16・36 北緯34・35・42と刻まれた「静岡県最南端の岬の碑」

そこが「最○端」と聞くと可能な限り立ち寄らずにはいられない。これはもう性というもの・・・ってこればっかり(笑) アホな性癖に相反して先端&高所恐怖症の私、ご亭主殿には半ば呆れられながらも、毎度毎度、トンデモな希望を叶えて頂いています(笑)

静岡県の最南端から見る遠州灘。このフレーズだけで物語が書けそうな設定なのに、今回は道路沿いの平坦な場所、しかも道路を挟んで駐車場があるという好条件。
「最南端の岬の碑」から見上げる白亜の美しい灯台。あれが有名な、とっても有名な!「御前埼(おまえさき)灯台」

もうこの時点でテンション上がりっぱなしの私たち・・・でも肝心の灯台まではかなり急な斜面&遠い。 元気に旅を楽しんでいますが、こう見えて薬頼りの身。無理も無茶もすぐに検査結果に現れるので、お医者様から固く!禁止されています。

「1874年、イギリス人技師の監督のもとに誕生した白亜の洋式灯台。強風や地震等の被害にも屈せず、美しい姿を保ちながら海の安全を見守り続けています。日本の灯台50選に選ばれているほか、歴史的・文化的価値の高さから、「Aランクの保存灯台」に指定されています。」公式HPより

ご年配の方ならご存知かもの、『木下惠介監督』の灯台守の日々を描いた映画「喜びも悲しみも幾歳月」。その中にもこの灯台が登場しています。
【♪俺ら岬の灯台守は 妻と二人で沖行く船の 無事を祈って灯をかざす】
と・・・素で歌える自分が怖い(^^;) 何しろ家族全員が、懐メロ大好きだったものですから(笑)

11月半ばの御前崎岬は吹き付ける風もいっそ心地よく、その気になって探せば、みさきの広場にだって色々と楽しめそうなものも・・ある筈(^^;)。
物資を積みこんで江戸-大坂間を定期に航行した菱垣船。主に上方から江戸に酒荷を輸送した樽廻船。 江戸時代、海上輸送の舞台となった駿河湾、遠洲灘は、海の東海道ともいえる重要な航路でした。「御前崎湊の碑」と題されたモニュメントは、そうした歴史的な背景を記念して建てられました。

まるで何かを護る神獣のような一対のライオン。なんでこんなところに?もしかして後の黒い碑と関係あるのかしら?と首を傾げながら、でも何故か確認していない(-"-)

マリンパークにいた「カメサーファー君」。どうやら最高の「パイプライン」に遭遇できたようですね。

広場の中に作られていたお手軽なパイプライン。ご亭主殿、それ乗ると言うより潜り抜けてるし、波というよりも巨大クラゲの足みたいだし。

興が乗るとどんなリクエストにでも応えてくれる優しい御亭主殿~💗 もちろん、ちゃんと「ステキ!」と褒める事を忘れてはいけません(笑)

引き潮の海辺は、打ち寄せる波も、濡れた砂もキラキラと輝いて、まるで手招きでもするかのよう。 しばし子供の頃に帰ってみたくて指をひたせば、お天気が良いとは言え晩秋の海水はかなり冷たく、思わず後じさり。
そんな些細なことさえ楽しいと思えるのだから、ホント!!旅って素敵。最高の特効薬だよね。

訪問日:2011年11月15日

 

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ブラリ御前崎の旅 in 静岡県御前崎市

2019年03月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

2011年&2016年・・五年の歳月を経て再訪した御前崎。時間が無いと言いながら、ついついぶらぶらと寄り道をする癖は全く持って健在(笑) あっちにふらり、こっちにふらり。二つの旅の思い出をかき混ぜての紹介です。

「御前崎海鮮なぶら市場」の看板に誘われて、お昼の食事もかねようとウキウキ♪寄り道。 ところが市場は定休日(^^;)、見る事ができたのはこの巨大な「カツオ君」だけ。いやそれにしても色といい質感と言い、ホント!よく出来てる。

白い船体の漁船はマリンパーク入り口に展示されていた「御前崎丸」。五年前とは場所が変わってる?! 「もっと海の近くじゃなかった?」「イヤイヤやっぱりこの位置だよ」「そうかなぁ??」
今は「御前崎丸」だけど、昔は「漁業取締船・天龍丸」って船だったんだって、漁業取締ってやっぱ密漁とか?・・なんか色々とすごいよね~(意味不明な会話がこの後延々・・・)

船の近くにある綺麗な建物は「波と風」をモチーフにした「御前崎観光物産会館:なぶら館」。「2011年にはこんな建物無かったよねぇ」「うん、無かった、カツオしかいなかった」等と話しつつ、なぜか素通り(笑)

以前に無かったと物と言えば「カメサーファー君」。マリンパーク御前崎海水浴場内にいて、海水浴期間中にお客様をお出迎えしてくれるそうです。
夏季限定!の筈なのに、真冬のこの時期に会えたのは、私たちが良い子だったから(笑)(笑)?

折角なのでJさんの提案に乗って記念写真。ねぇねぇ、こんなキャラのマンホール作れば絶対に人気出るのにね!

海のテラスの画像は2011年当時のものだけ。何しろ2016年の画像は小雨がぱらつくたびにデジカメさんを服の下に隠しながらのマンホール撮影・・(^^;) それに月で言えば一ヶ月しか違わないのに、海の色も空の色も全くの別物。やっぱり詩心の無い我々には、海を見るのは冬以外が良い。

芝生広場の中央、まっすぐ海に向かって伸びる椰子の道。間にあるのは「風力発電機・くるくる」

「海のテラス」から見る西ビーチ、その向こうに見えるのは多分「御前崎港」。 風力発電の白い羽と、あの綺麗な船は「みやこ丸」かな?、それとも「むさし丸」?もしかして両方かも。

思いがけなく出会った「カメサーファー」、御前崎ではカメ関連の色々を結構見かけます。 実は御前崎はアカウミガ産卵の北限地として知られており、国の天然記念物にも指定されているのです。
古来より、カメは大漁の導師であり、豊漁の神様として猟師たちの間で大切に守られてきました。 

御前崎から浜岡に向かう途中に見かけた「アカウミガメのトイレ」。ホント!!よく出来てる~(^_^;)。

訪問日:2011年11月15日&2016年12月13日

 

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池宮神社と桜が池 in 静岡県御前崎市

2019年02月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

「池之宮神社」の大切な御神域であり、遠州七不思議「龍神伝説」でも有名な「桜ヶ池」。 およそ二万年前、丘陵の谷を砂が塞き止め、そこに涌いた水が池となって出来た「砂丘堰止湖」。標高四十メートル、小高い山の上にあり、東西北の三方を原生林に囲まれた神秘の池。深い緑の色に染められた池の面を時折揺らすのは、ゆらりと日差しを浴びる水鳥たち。

その桜ヶ池を真正面から見据えるように建立された『皇円阿闍梨・法然上人』供養碑。平安時代末期の嘉応元年(1169)6月13日、すでに96歳の齢であった比叡山の名僧『皇円阿闍梨』は、世の人々を救済する為に人の身を捨て、自ら桜ヶ池に入定されて龍神と化し、池の主神となられました。

後に高弟であった『法然上人』は、赤飯をつめた二つのお櫃を供養のために池心に沈めました。 一つは池宮神社のご神体である池に、一つは自ら龍神となられた我が師『皇円阿闍梨』のために・・

その伝説を元に、池之宮神社ではお彼岸の中日に「お櫃(ひつ)納め(県無形民俗文化財)の神事がとり行われます。地元の氏子青年たちが、池の中央に立ち泳ぎで進み、願いを込めたお櫃を池の中央に次々と沈める。そうして、お櫃が空になって浮かび上がれば願いが叶うとされています。

「桜ヶ池とおひつ納め」の看板には、祭礼の由来と共に、神事の様子が紹介されています。「池の中央に立ち泳ぎで進み、奉納されたお櫃を池の中央へ沈めていく」というものですが・・でも絵で見ると、まるっきり龍に襲われて必死に泳ぐ氏子たち・・・・いや・・何か違う(^^;)

ちなみにこの看板の側には、樹木で作った龍が、イラストのままに首を向けて迫ってきます。 なんかますます「恐ろしい龍神様」の祟りを恐れて、お櫃をお供えします的な雰囲気(笑)

とりあえず龍神様の近くには、御幣を指し水を湛えた「御神櫃」と呼ばれるお櫃が奉納されています。

ご祭神とは別に「桜ヶ池」をご神体とする「池之宮神社」。朱塗りの美しい手水舎の中央に置かれた手水には、力強く刻まれた「波間より顔を出す龍神」。

願い事を書いて納める諸願成就の絵馬には「水面に浮かぶお櫃を満足そうに見る龍神」。でもこの場面で雷雨は、ちょっと氏子さんたちが気の毒だと思うのですが(^^;)

神秘の水を湛える「桜ヶ池」ですが・・伝説によれば、実はこの池は信州の諏訪湖と底が続いていると言われています。 そのため、この桜ヶ池に沈めた「お櫃」が「諏訪湖に浮かぶ」と言う伝説もあるとか。諏訪湖が出たので、実は桜ヶ池も諏訪湖も「全国に及ぶ富士の外八海」とされる水の聖地。琵琶湖、二見浦、箱根湖(芦ノ湖)、諏訪湖、中禅寺湖、榛名湖、桜池、鹿島海(霞ヶ浦)。未踏の地は箱根湖(芦ノ湖)、中禅寺湖、榛名湖の三海だけ・・制覇は無理か??

2016年の参拝の帰路で見かけた朱塗りの鳥居。車内からでしたが「桜ヶ池」の額が見て取れました。

参拝日:2011年11月15日&2016年12月13日

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おまけ

「外八海」がでたので、ついでに「富士の内八海」。仙瑞(せんずい)、山中湖(やまなかこ)、明見湖(あすみこ)、河口湖(かわぐちこ)、西湖(さいこ)、精進湖(しょうじこ)、本栖湖(もとすこ)、四尾連湖(しびれここ)。ただし『甲斐国志』『甲斐名勝志』『駿河国新風土記』などでは「仙瑞」ではなく、「須戸湖(浮島沼)」となっている。

 

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池宮(いけみや)神社 in 静岡県御前崎市

2019年02月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

御前崎市佐倉、桜ヶ池のほとりに鎮座される「池宮(いけみや)神社」

2011年にご亭主殿と二人で参拝、2016年は御朱印を頂くため、友人Jさん同行で二度目の参拝。(晴れて明るい画像は2011年、雨に濡れて寒々しい画像は2016年。都度に織り交ぜての紹介)

御祭神は『瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)・事代主命・建御名方命(たけみなかたのみこと)』

参道入口、二の鳥居の左右にて神域を守護されるのは、昭和6年1月生まれの狛犬さん一対。 一般的に見かける石製ではなくコンクリート製。その所為もあるのか、表情豊かで滑らかな体がとても印象的。

全体的に丸身をおびた姿からは、獅子の猛々しさよりも、守役のような優しさが感じられます。 きっと狛犬たちは、はるか昔から祀られてきた姫神様の新たな守役となって、ご機嫌なのかも。

と写真を撮っていて、狛犬の台座に刻まれた浪の間から、にゅっと顔を出す奇妙な顔を発見! じっくり見た所では・・亀ですね。台座に亀が刻まれているのは良く見ますが、こんな風に立体的に顔を覗かせているのはかなり珍しい。

正面に広がる桜が池は明日にまわし、拝殿正面に立つ三の鳥居へ。左手が社務所、さらに境内社が鎮座します。

姫神様が鎮まられる社、清めの手水舎は後方に広がる紅葉の朱を写して鮮やかに染まり、雨に濡れて更にしっとりと趣きを見せ・・。

11月のさわやかな空の下、鳥居の手前から見る朱塗りの拝殿。深い緑の腕(かいな)に抱かれ、柔らかく差し込む日差しの中でたゆとうように静かに鎮座されています。

12月・・音も無く静かに重い雨まじりの空の下、屋根も朱塗りの柱も真っ白い壁も更に深い色に変わり、その美しい姿はどのような季節であろうとも変わることなく・・

【創祀は敏達天皇十三年(584)に瀬織津比詳命がご出現。社殿の造営がなされた。後、栄枯盛衰が激しく平安時代初めには衰退し、社殿は大破した。しかし平安時代中期一条天皇の長保三年(1001)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興。
室町時代に入ると駿河・遠江を領有する今川氏の崇敬を受けたが戦国末期に武田・徳川両氏の高天神城争奪の地となり、社殿をはじめ神宝、旧記、古文書の大部分を焼失。
江戸時代に神官信盛が再び興し徳川家の崇敬を受け、明治維新に至るまで地頭の祈願所となっていた。
享保十六年(1731)には正一位の神階宣示を受け、本殿は宝暦十年(1760)、拝殿は元文四年(1739)に、時の大宮司従四位下佐倉治部大輔源朝臣信幸が造営し、その名を池宮天王社とも称され現今に至る。
御由来より

天皇十三年に『瀬織津比詳』の御出現を寿ぎて社を造営。その後、幾多の災禍を経て今日に至る古社。 宝暦十年(1760)に造営された本殿は市の指定文化財ですが、建物は拝殿から続く覆屋の中にあり、見る事は出来ません。

御神紋は「丸に三つ柏・三つ桜」。「丸に三つ柏」は良く見ますが、それに「三つ桜」が加わった紋は初見。 桜は「桜が池」からの流れか・・・今更ですが、御朱印の時にお聞きすれば良かった・・

本殿横にひっそりと鎮まる境内合殿社は「八幡神社・弁天神社・津島神社」。「津島神社」の祭神は『牛頭天王(素戔男尊)』で、一般的に「お天王さま」とも呼ばれています。 由来にある「天王社」の呼び名は、かってここに『牛頭天王』が祀られていた事を示しており、だとすれば合殿に祀られる「津島神社」はその名残なのかも・・

明日は「桜ヶ池」に伝わる龍神伝説と、それに因む池之宮神社の祭礼「おひつ納め」の紹介です。

参拝日:2011年11月15日&2016年12月13日

 

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高松(たかまつ)神社 in 静岡県御前崎市

2019年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

御前崎市門屋にある「高松緑の森公園」。その公園の隣の小高い丘の上に鎮座される「高松(たかまつ)神社」。 御祭神は『伊弉冊(いざなみ)尊 、速玉男(はやたまお)命、亊解男(ことさか)命』

参道入り口では「鈴昭和」と呼ばれる狛犬さんが、はるかな高みの神域を守護されています。

はるかな高みの言葉通り、境内まではかなり急な213段の石段を登らなければなりません。 雨上がりで滑りやすくなった石段を登るのは、足に不安を抱えた身ではかなり難儀。それでも折角ここまで来て一人で車内で待つことを思うと、亀の歩みでも行くっきゃない!!

辿り着いたと言う表現がぴったりの最上段、振り返った先には遠州灘を背景の町並みが広がります。 もっと上等のカメラなら、この遠望は本当に素晴らしいのですが・・・まぁ雰囲気だけでも(^^;)

【当、高松神社は、第四十二代文武天皇の御祈願により、大宝元年(701)九月、紀州熊野三社をこの地方に移し祭ることにした。その由来は、藤原鎌足公の孫宮子姫が、文武天皇の御后になられたが、皇子無きため、深く紀州熊野三社に御祈願をされ、その御神徳により望みがかない、皇子を御安産され、此の皇子を後の聖武天皇と申し上げる。
そして、御祈願成就の上は、急ぎ東国に三所の社を建て移し祭るべきであると言う天皇のおことばにより。公家の奥野左衛門惟吉卿を遣わし、宮地を見聞せしめられ、此の景勝の地を新宮の宮地と定め、移し祭られた社が、当高松神社である。
また、横須賀の地を本宮と定め、移し祭られた社が三熊野神社であり、那智の宮地として移し祭られた社が小笠神社である。】
境内由緒書より。

宝暦12年(1762)に建て直された、入母屋造り・平入流れ・向拝付きの拝殿。

本殿は天明4年(1784)に建て直しがされており、御前崎市の指定文化財。 間口三間、奥行き三間の総欅の入母屋造りで、千鳥破風付きに銅葺きの屋根。

本殿には、木鼻に12、蟇股に12と、多くの彫刻が見られ、それらを解説したものも展示されています。  で、どうしてもアルバムに残しておきたいと言う私の希望に、ご亭主どのとJさん、透かし塀にしがみ付く勢いで頑張ってくれました(^^;)

とはいえ、塀の外からでは見える彫刻にも限界があり、しかもピントを合わせるのにも一苦労。まずは比較的ましな「菊滋童」。周の王の待童で、菊の蕾を飲み不老不死になったと云われています。

「唐獅子牡丹」は、唐の代に伝わった架空の動物「獅子」と、富貴の花「牡丹」との組み合わせ。

「菊水」は延命長寿のめでたい柄として、家紋や織物、建築物の装飾などに多く用いられています。

どんな強風にも決して折れない竹と強い虎を組み合わせた「竹に虎」。男児向けの教訓かな? 一説には、虎よりも強い巨獣に襲われたとき、身を隠すのに最も最適な場所が、竹林だとか。

境内社は一つ屋根の祠ですが、「八幡神社・春日神社・若宮神社・津島神社・天満宮・松尾神社・丸山神社・於玖波神社・秋葉神社・金比羅宮」の神々が祀られています。

生憎と社務所はお留守で御朱印は頂けませんでしたが、参拝も無事に済ませる事ができました。
それではもと来た道を・・・・Σ( ̄□ ̄!) 大丈夫!登れたんだから降りるのだって問題ないはずです(笑)

参拝日:2016年12月14日

 

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下水(しもすい)神社 in 静岡県御前崎市

2019年02月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

御前崎市池新田に鎮座される「下水(しもすい)神社」。別名「水神さま」とも称され、御祭神は『弥都波能売神(みつはのめのかみ)』。火を鎮める水神にして豊穣をもたらす農耕神とされます。

鳥居の左右より神域を守護されるのは、皇紀2600年(昭和15年)建立の、岡崎方狛犬さん一対。

だからって・・・其処まであからさまにガッカリしなくても(^^;) 少なくとも機械彫り大量生産の中華製じゃないんだから・・ 狛犬さんたち、失礼な奴でゴメンね~(((((^_^;)

由緒に【慶長十年(1605)九月八日、新野池を干拓して池新田村を起こしたとき、村の守り神として池新田・下朝比奈両村氏が協議の上、奈良県(大和の国)丹生川上神社より『弥都波能売神』を勧請して建立。】

地面からかなりの高さまでが空洞になった御神木。生憎と木の種類は確認しませんでした。 それでも注連縄の結界に守られた空洞部分には、言葉にしがたい大きな力が感じられ、見る者を惹き付けます。

こちらは鳥居を入って直ぐの小高い場所に建立されていた慰霊碑。全部で四基あり、左から「日露戦没忠魂碑」「征清凱旋記念碑」「慰霊碑」「日露戦役記念碑」。すべてに手を合わせ首をたれて参拝。この国をお護り下さった皆様方に深く感謝申し上げます。

参拝日:2011年11月15日

 

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浜岡原子力館 in 静岡県御前崎市

2019年02月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

御前崎市佐倉、お茶畑がつらなる牧之原台地を背後に遠州灘に面した平坦な海岸地帯にある中部電力・浜岡原子力発電所。その敷地内に原子力発電の広報を目的として作られた「浜岡原子力館」があります。

【浜岡原子力館では、原子力発電のしくみや環境問題についての展示などを通じ、原子力発電をわかりやすく、身近なものとして理解できるようになっています。
次代を担う子どもたちが「科学する心」を育み、この美しい地球の環境を守りつつ、科学技術を上手に使うことができる人間へと成長する。浜岡原子力館が、その契機になればと考えています。】
公式HPより

浜岡原子力館に向かう通路の一画に展示されていた、巨大な歯車のようなもの。インパクト大の割には正体不明(笑)

原子力館の入り口である「アトリウム」にいた、原子力館キャラクターの『ユウユウ君』。放射線の疑問や不安などを、顔の画面で分かりやすく説明してくれる「ユウユウ探偵団」。 おでこの青いひげのようなもの、どうやら「ユウユウ君」のまゆ毛みたい(^^;)

中部電力家庭向け情報サイト「カテエネ」キャラクターの『カテエネコ』。 我が家に供給される関西電力には、クマの『はぴ太』がいますが、猫好きの私としてはやっぱりこっちに一票。

館内の各ステージや展示コーナーを案内してくれるのは「ユウユウ君」。もう大活躍です。・・って言うか、眉毛以外はこんな普通の顔だったんだ。

色々と興味深い展示はあったのですが、カメラを通すと何が何やらよく分からない絵になります。 実際に自分の目で全体像を見ないと、部分的に何かを見ても「何これ????」なものばかりになってしまうのが残念。それでも津波対策として建設された防波壁の「実物大防波壁模型」は、何とか全体像がわかるかな・・。 防波壁と、それを支える地中連続壁も含めた内部構造は、すごい・・・それ以外の言葉が出てきません。

色んなものを自分の目で見て、じゃぁそれで「原子力発電」が理解できたかなんて、正直分かりません。 それでも自分たちの日々の暮らしに「電力」がどれほど大切なものか、それが原子力で生み出されている事に対しても、きちんと理解できます。骨髄反射で「原子力」という言葉に拒否反応を示し、電力会社の社員やその家族にまで嫌味を言う人がいますが、では原子力で作られた電力全てにNO!を突き付けられますか?もちろん、原子力を用いて作られたものに対してもです。自分の現状をしっかり見据えて、その上で何が出来るのか・・私たち自身も考えなければいけないと思います

「新エネルギーホール」では、未来に向けて開発されている新しい発電方法が紹介されています。新エネルギーとは、水力・火力・原子力以外の私たちがこれから利用していこうとしているエネルギー。 太陽光、風力、燃料電池などの新エネルギー、未来に向けて開発されている新しい発電方法などが紹介されているそうです。原子力館で予想外に時間を使ってしまった為、残念ながら外観だけという事になりました。

訪問日:2016年12月13日

 

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