車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 三重県朝日町

2018年03月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

三重郡朝日町(あさひちょう)は三重県北勢地域に位置し、三重県で一番面積の小さい自治体です。 町の北西側半分は丘陵地であり、更新世(洪積世)に形成された低い丘陵地で桑名市と。南東側半分は沖積になった平野の水田地帯で構成され四日市市と。東側は川越町に接し、主に住宅地は丘陵の裾の旧東海道沿いに立地します。町名は、日本書紀に『天武天皇』が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだとの故事から引用されました。「町の木:白梅」「町の花:ヒマワリ」「町の鳥:鶯」を制定。

キャッチフレーズは「住みよさの 魅力輝く歩みのまち」「萬古焼発祥の地」

町役場入口前には、伊勢国朝明郡小向村(現・朝日町)の庄屋の家に生まれ、江戸時代後期の国学者で天保の国学四大家の一人とされた「橘守部(たちばなもりべ)生誕之地」碑。

国学の研究を深める中で「古事記」よりも「日本書紀」を重んじ、神話の伝説的な部分と史実の部分との区分の必要性を説いた人物として知られています。碑は『佐佐木信綱』の揮毫により昭和27年に建立されました。

明治22年(1889)、朝明郡朝日村が発足。

1896年、朝日村の所属郡が三重郡に変更、三重郡朝日村となる。

1954年、朝日村が町制を施行、三重郡朝日町となりました。

マンホールには「町の木:白梅」と町章がデザインされています。

昭和39年年7月24日制定の町章は「朝日の「ア」を三つ重ね合わせ「アサ」を表し、外円は. 太陽を図案化したものです。」公式HPより

仕切弁

右から左に文字が書かれた「制水弁」

役場近くに建つ「国登録有形文化財:朝日町資料館」。大正5年(1916)に旧朝日村役場として建てられ、昭和39年(1964)まで使用。その後公民館として活用され、昭和53年からは町内の民俗資料を展示する資料館として活用されています。

撮影日:2011年4月9日&2017年3月26日

 

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ご当地マンホール in 三重県旧長島町(桑名市)

2018年03月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧桑名郡長島町(ながしまちょう)は三重県の北勢地域、木曽三川河口部の濃尾平野の南西部に位置した町です。かっては堤防に囲まれた複数の輪中によって構成されていた為、町全域は平坦で低湿。地名の長島は7つの洲からなる「七島」、あるいは南北に長い土地であることから付けられたと云われます。明治時代に行われた木曽三川分流工事に伴って、輪中を分けていた小河川の多くが廃川となり、また同時に一部の土地は長良川の新河道となって現在のような地形となりました。

1995年に選定された「全国水の郷100選 水郷の郷 ながしま」の碑

支所の敷地に置かれていた「さざれ石」

1889年、町村制の施行により、桑名郡長島村・楠村・伊曽島村が発足。

1954年、長島村が町制を施行、桑名郡長島町となる。

1955年、桑名郡楠村と合併、改めて長島町が発足。

1956年、桑名郡伊曽島村を編入。

2004年、桑名市・多度町と合併、桑名市となりました。

マンホールには、旧町の花:カキツバタ」と「木曽三川に架かる橋梁」が描かれています。(旧町役場の裏通りに敷設)

車中より「木曽三川に架かる橋梁」

昭和49年8月1日制定の町章は「ナガシマのナの文字を図案化したも ので、先端の水玉は、水郷長島の円 満、発展、躍進を象徴したもの。」合併協議会資料より

中央に「農」の文字。上に「改良区」下に「分水工」の文字。土地改良区農業用水用マンホール

長島町浦安にある大型アミューズメントパーク「ナガシマスパーランド」。西日本有数の絶叫マシンの宝庫といわれており、絶叫マシン愛好家や海外からは「東の富士急、西のナガシマ」と並び称されているとか。私には一生縁のない場所です(^^;)(車中より撮影)

撮影日:2011年4月9日&2017年3月27日

 

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ご当地マンホール in 三重県旧多度町(桑名市)

2018年03月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧桑名郡多度町(たどちょう)は三重県の北部に位置し、養老山系を挟んで岐阜県海津町と境を接した町です。町の東に揖斐川が流れ、北には養老山地の南端である多度山を擁し、町の面積である4758haのうち2439haが林野で占められています。「町の木:梅」「町の花:アヤメ」を制定。

町域には「北伊勢大神宮」とも呼ばれる「多度大社」があり、県内では伊勢神宮・二見興玉神社・椿大神社に次いで四番目に参拝者の多い神社として知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、桑名郡多度村・野代村・古浜村・古美村・七取村が発足。

1954年、多度村が町制を施行、桑名郡多度町となる。

1955年、桑名郡野代村・古浜村・古美村・七取村と合併、改めて桑名郡多度町が発足。

2004年、(旧)桑名市・桑名郡長島町と合併、(新)桑名市となりました。

マンホールには「多度山」を背景に、「町の花:アヤメ」「町の木:梅」と「うぐいす」がデザインされています。(多度支所近く:多度大社近くに設置)

多度支所展示マンホール

昭和33年(1958)5月1日制定の町章は「「多ドの文字を図案化したもので真中 の多度の多を5ツの町村がトの字で しっかりとささえ、将来の躍進を象徴し たもの」」合併協議会資料より。

仕切弁

消火栓

中央に「農」の文字。自治体名の無い「改良区制水弁」

桑名多度支所前、かって多度大社に存在していたという三重塔を模した「ふるさと多度文学館」のモニュメント。。

撮影日:2011年4月9日&2017年3月28日

 

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ご当地マンホール in 三重県旧桑名市(桑名市)

2018年02月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

古くより「鋳物の街」として知られる桑名。江戸時代、桑名には朝廷より鋳物製造を許可された、三軒の「御鋳物師(おんいもじ)」が存在していたと伝わっています。「勢州桑名に過ぎたる者は 銅の鳥居に二朱女郎」と里謡に歌われたという、春日神社の青銅鋳物の鳥居。高さ約7m、幅約6mで、その堂々たる威容は、 旅人の目を驚かせたと伝えられています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、桑名郡桑名町・赤須賀村・益生村・大山田村・桑部村・在良村・深谷村・城南村、員弁郡七和村・久米村が発足。

1923年、桑名郡桑名町が赤須賀村を編入。

1929年、大山田村が町制を施行・改称して桑名郡西桑名町となる。

1933年、桑名郡桑名町が益生村を編入。

1937年、桑名郡桑名町が西桑名町を編入。市制を施行し桑名市となる。

1951年、桑名郡桑部村・在良村・員弁郡七和村を編入。

1955年、桑名郡深谷村、員弁郡久米村大字坂井・赤尾・友村・島田・志知を編入。

1956年、桑名郡城南村を編入。

2004年、桑名郡多度町・長島町と合併、(新)桑名市となりました。

旧桑名市のマンホールには、市章を中心にキャラクター化された「はまぐりファミリー」がデザインされています。

その昔、大名貴族のお姫様が、お嫁入り道具の一つとした、蛤の殻を装飾した雅な「貝合」。さて・・桑名が蛤の特産品というのは大昔の話になってしまいました。現在日本で流通する蛤のうち、桑名産天然蛤はわずか2%・・よほどの老舗で供されるもの以外「中国産の冷凍蛤」だと、地元の知人から教えられがっかりした思い出が・・(^^;)

昭和12年(1937)4月1日制定の旧市章は「「桑」の略字体「桒」を図案化し、中央に「太陽」を配置したものです。」合併協議会資料より

バルブ

制水弁

バルブ・ガス

桑名市今中町に門を構える「専正寺」の一画に建立された、市指定文化財「蛤墳(こうふん)」碑。

「昔この辺りは漁村で、付近一帯にたくさんの貝殻が埋もれていたので、文政六年(1823)に今一色に住んでいた谷氏が蛤の供養のために、この碑を正念寺(現在専正寺)に建てた。碑文は。桑名の狂歌師黒沢行業(一雲山人)に依頼したものである。行業は国学者・歌人として有名だった桑名藩士黒沢翁満の父。今でも時雨蛤の業者が毎年、供養を行っている。

【あまおふね  のりのみ声に はまぐりの  貝の耳にも とめてしのばむ】」

公式HPには「もとは1m足らずのものであったのを、大正年間、時雨蛤の同業8人が現在のように改築したものである。」と紹介されています

撮影日:2011年4月9日&2017年3月26日

 

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ご当地マンホール in 三重県桑名市

2018年02月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

桑名市(くわなし)は三重県の北部、木曽三川河口に位置する市です。2004年12月6日、旧桑名市、桑名郡長島町、多度町が対等合併し新たに桑名市となりました。古来より伊勢国東の玄関口と位置づけされ、七里の渡には「伊勢神宮・一の鳥居」が立ち、東海道随一の宿場町・港町として栄えてきました。

歌川広重「東海道五十三次之内 桑名 七里渡口 」

また、桑名は古くから「鋳物の街」としても知られています。 伊勢国桑名藩十万石の初代藩主となった『本多忠勝公』から 鉄砲製造の命をうけて本格的に始まった「くわな鋳物」。道路に設置されたマンホールは、鋳物製品の代表格かもしれませんね。「市の木:カイヅカイブキ」「市の花:花しょうぶ」を制定。

キャッチフレーズは「水と緑と歴史が育む豊かな快適交流文化都市」

マンホールには、「県指定史跡:七里の渡」と、宮宿へと向かう「七里の渡舟」、長良川~揖斐川にかかる「伊勢大橋」が描かれています。

桑名  保勝會建立「七里のわたし」

消火栓にも同じデザインが採用されています。

路上のタイル絵

桑名市無形文化財に指定されている「桑名の千羽鶴」がデザインされたマンホール。

路上のタイル絵

一枚の紙から数羽の連続した鶴を折る独特の連鶴。その技法は、桑名の長円寺11世住職『魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)』によって江戸時代に考案。その後18年の歳月を費やし、現在の折形を完成させました。

古い諺にも謳われる「その手は桑名の焼き蛤」。桑名は江戸の昔から「焼き蛤」が名物で、マンホールにはキャラクター化した「ハマグリ」たちが、市章を中心に輪になっています。

旧長島町デザインマンホール、自治体章が桑名市市章に変わりました。

2004年12月6日制定の市章は「水と緑が交流の輪を描く様子を表現し、その中央にハマグリの姿を描き市の文化や歴史をイメージしました。円満に発展し、快適で住み良い桑名市をシンボライズしています。公式HPより

仕切弁

空気弁

防火水槽

止水栓

水道メーター

方位表示マンホール

路上タイル「市の花:花しょうぶ」

桑名商工会議所所属・桑名市認定キャラクターの『ゆめ はまちゃん』。木曽三川河口からやって来ました。ゆるい容姿が何ともかわいい、夢見るハマグリの女の子です。

飛び出し注意のキャラクター『くわっぱ』。「わっぱ」は「童(わらべ)」の事で、さしずめ「桑名のわらべ=くわっぱ」かなと解釈しました。本当の所は???のまま(笑)

撮影日:2011年4月9日&2017年3月26日

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新旧のマンホールが数多く混在する桑名市。明日は旧自治体章が有る「旧桑名市」のマンホール紹介です。

 

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三重県桑名市A&Bのマンホールカード

2018年02月26日 07時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)のマンホールカードが配布されました。桑名市のマンホールカードは桑名駅東口にある『桑名市物産観光案内所』で頂けます。記念スタンプは『夢見るハマグリの女の子:ゆめはまちゃん』。

2005年に設置されたマンホールには、市章を中心に可愛らしくデザインされた「ハマグリ」が並んでいます。

【桑名の蛤(はまぐり)は、古くは東海道中膝栗毛で紹介され、江戸時代には将軍家に献上されました。 当時から、焼き蛤と時雨(しぐれ)蛤は桑名の名産として全国に知られ、「その手はくわなの焼き蛤」というしゃれ言葉も生まれたほどです。 桑名の蛤は、木曽三川の淡水と海水が混ざり合う生息環境のおかげで、ふっくらと身が大きく、味わい深いのが特徴。 本マンホール蓋はその桑名産の蛤を可愛らしくデザインしたもので、中央には、旧桑名市・旧多度町・旧長島町の合併後の市章をあしらっています。 桑名市は鋳物の街としても知られていますが、マンホール蓋はその鋳物の代表格に挙げられます。】

カードに使われた座標軸のマンホールは、配布場所の斜め前に設置されています。カードにもマンホールにも興味があり、しかも遠方から来る方にとってはとても嬉しいい配慮。

雪の関が原を越えてきた甲斐あって、無事マンホールカードGETできました(⌒∇⌒)。

訪問日:2017年12月13日

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桑名市Bのマンホールカード頂きました

2022年1月15日、第16弾として全国41自治体で42種類(累計621自治体822種類 )のマンホールカードの配布が 開始されました。「桑名市B」のマンホールカードは、「宿場の茶店一(ハジメ)」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「七里の渡」と「伊勢大橋」がデザインされています。

「東海道42番目の宿場町として大変な賑わいを見せていた桑名宿と宮宿(名古屋市熱田区)の間は東海道唯一の海路で結ばれていました。「七里の渡」の名称は、宮宿から桑名宿までの海上距離が七里(約28km)であったことに由来しています。また、七里の渡し場は伊勢国の玄関ロにあたり、ここに立つ大烏居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称されています。マンホール蓋には七里の渡の風景と長良川、揖斐川にかかる伊勢大橋、その向こうに臨む伊勢湾が描かれ、新旧の交通路をあらわしています。」

「七里の渡(2011年4月9日)」

 

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ご当地マンホール in 三重県旧藤原町(いなべ市)

2018年02月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧員弁郡藤原町(ふじわらちょう)は三重県の最北端に位置し、岐阜県と滋賀県に境を接した町です。東近江市との境界にある標高1,144mの藤原岳は、鈴鹿山脈の北部に位置し、日本三百名山及び関西百名山、花の百名山に選定されています。古くは「志礼志の郷」と呼ばれ、その名の示すように藤原氏ゆかりの地として繁栄しました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、員弁郡東藤原村・西藤原村・白瀬村・立田村・中里村が発足。

1955年、員弁郡東藤原村・西藤原村・白瀬村・立田村・中里村が合併、員弁郡藤原村が発足。

1967年、藤原村が町制を施行、員弁郡藤原町となる。

2003年、員弁郡北勢町・員弁町・大安町と合併、いなべ市が発足。いなべ市藤原町となりました。

マンホールには「藤原岳」を背景に、「町の花:藤」がデザインされています。

庁舎から望む「藤原岳」

昭和38年8月1日制定の町章は「頭文字の「ふ」の字を円形にマーク化したもの」合併協議会資料より

減圧弁

仕切弁

空気弁

防火水槽

農業用水仕切弁規格蓋

撮影日:2011年4月9日&2017年3月25日

 

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ご当地マンホール in 三重県旧北勢町(いなべ市)

2018年02月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧員弁郡北勢町(ほくせいちょう)は三重県の最北端に位置し、北東は養老山地を境に岐阜県と接し、西南端は鈴鹿山脈の尾根で滋賀県に隣接した町です。町名は町域のあった北勢地方から名づけられました。

阿下喜地区に伝わる伝統行事「阿下喜八幡祭」。奉納される「あばれ神輿」が街中を練り歩く様は、街灯のレリーフにも使われています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、員弁郡阿下喜(あげき)村・十社(とやしろ)村・山郷村・治田(はった)村が発足。

1929年、阿下喜村が町制を施行、員弁郡阿下喜町となる。

1955年、員弁郡阿下喜町・十社村・山郷村が合併、員弁郡北勢町が発足。

1955年、員弁郡治田村を編入。

2003年、員弁郡員弁町・大安町・藤原町と合併、いなべ市北勢町となりました。

マンホールには、「町の木:山桜」を中心に「町の花:アジサイ」がデザインされています。

「町の花:紫陽花」が大きく一輪と、花を鮮やかに彩る雨粒がデザインされています。

阿下喜駅近くの街灯にデザインされた紫陽花

昭和31年12月7日制定の町章は「荒鷲が大空に飛翔する姿を「北」の字に求め、町の発展と安定を図案化しました。中心の円は、円満を象徴、健康かつ平和で豊かな生活を表現しています。」合併協議会資料より

消火栓

空気弁

仕切弁

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阿下喜駅近くで見つけた、大阪府豊中市からの越境止水栓。

(大阪府豊中市 市章)

撮影日:2011年4月9日&2017年3月25日

 

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ご当地マンホール in 三重県旧大安町(いなべ市)

2018年02月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧員弁郡大安町(だいあんちょう)は三重県の西端に位置し、鈴鹿山脈を境に滋賀県と接した町です。鈴鹿国定公園の一角に位置する「宇賀渓」は数ある鈴鹿山脈の渓谷の中でも特に規模が大きく、その景観は随一と称えられています。町名はこの地域が奈良時代に大安寺の寺領であったことに由来して付けられました。

大安町久下(ひさか)地区、久下区民広場の片隅に建つ神武天皇御陵遥拝所碑。

明治22年(1889)、町村制の施行により、員弁郡梅戸井村・三里村・石加村が発足。

1954年、梅戸井村が町制施行して員弁郡梅戸井町となる。

1959年、員弁郡梅戸井町、三里村が合併、員弁郡大安町が発足。

1963年、員弁郡石加村と合併、改めて大安町が発足。

2003年、員弁郡北勢町・員弁町・藤原町と合併、いなべ市が発足。いなべ市大安町となりました。

マンホールには、町章と「町の花:シャクナゲ」がデザインされています。

昭和44年(1969)8月1日制定の町章は「「大」を安定的かつ雄飛的に図案化し、円満和気を表徴したもの。」合併協議会資料より

仕切弁

空気弁

防火水槽

側溝蓋

撮影日:2011年4月9日&2017年3月25日

 
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ご当地マンホール in 三重県旧員弁町(いなべ市)

2018年02月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

旧員弁郡員弁町(いなべちょう)は三重県の北部に位置し、北部は山地、南部は平野部で構成され、古くから河岸段丘の台地上に発展してきました。町域には、全長40メートルの前方後円墳「岡一号古墳」や、『種村秀信』の居城「金井城址」など、多くの歴史的遺産が残されています。(旧庁舎はいなべ市役所になりました)

員弁町坂東新田には、日本で4番目に発見された町指定天然記念物で山桜の変種「コノハナ桜」が有る事でも知られています。野生の「コノハナ桜」は、東員町に2本、京都府亀岡市の大本教団植物園に1本のみとの事。(画像は大本教団様HPよりお借りしました)

明治22年(1889)、町村制の施行により員弁郡笠田村・大泉村・大泉原村が発足。

1941年、笠田村・大泉原村・大泉村が合併、員弁郡員弁町が発足。

2003年、員弁郡北勢町・大安町・藤原町と合併、いなべ市が発足、いなべ市員弁町となりました。

マンホールには、いなべ公園の「五重の塔」と「町の花:さくら」がデザインされています。(いなべ総合学園前のカラー歩道に設置。)

いなべ公園の「五重の塔」。全高25mで、2階・3階が展望台になっています。

昭和46年制定の町章は「頭文字の「員」を図案化し、員弁の調和並びに勢いを象徴した。」合併協議会資料より

仕切弁

撮影日:2011年4月9日&2017年3月25日

 

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