米沢市城南に建つ「旧米沢高等工業学校」。染織産業の長い歴史を持つ米沢市が「染織学科を主科目」とする官立の高等工業高校の創設を誘致したもので、設立当初の学科は、「染織科」「応用化学科」の2科が置かれていました。
明治43年(1910)3月、東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続いて、全国7番目の高等工業学校として開設された「米沢高等工業学校」。昭和19年4月米沢工業専門学校と改称、昭和24年5月の学制改革によって山形大学工学部に改組されました。
文部省建築課の『中島泉次郎』設計による、 ルネサンス様式を基調とした木造2階建。中央屋から左右に胴屋が連なり、その両端に短い翼屋。正面・幅・全長94メートルに及ぶ大規模なもので、屋根は寄棟造り、中央屋正面には両端に小塔形の角屋(階段室)が突き出し、中央玄関には車寄せがついています。
外壁は下見板張りで、屋根は中央家がストレート葺、胴屋と翼屋は桟瓦葺。窓は側回り内部間仕切とも上げ下げ窓、出入口は全て開戸様式。
およそ学校らしからぬ木々が枝を伸ばし、さながら文明開化の時代を彷彿させる「旧米沢高等工業学校」。米沢に入って最初の立ち寄り地の景色は、心に深く刻み込まれました。
『サミエル・ウルマン』の「青春」詩碑。心に深く残った一節「~年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる~以下略」。碑の下左右には翻訳者の岡田義夫氏、詩を広めた森平三郎氏のレリーフが嵌めこまれています。
『大竹 多気(おおたけ たき)氏』胸像。繊維工学を専門とし、日本の染色技術、毛織物工業の近代化に貢献した人物。工学博士の学位を持ち、千住製絨所長を経て、米沢高等工業・桐生高等染織学校の初代校長を歴任しました。
『大髙庄右衛門先生』碑
「重要文化財旧米沢高等工業学校本館」記念碑。建物は、明治後半に建設された一連の高等工業高校の遺構として、学校建築史上でも貴重なものであるとして、昭和48年(1973)6月2日、国指定重要文化財に指定されました。
旧米沢高等工業学校・石塀
訪問日:2015年6月21日