福島の地名は、安土桃山時代に信夫郡・伊達郡が蒲生氏郷支配になったとき、蒲生氏郷の下で城主となった木村吉清が、それまでの杉妻を福島と改名したという説が有力とされています。江戸時代以前より、福島城(杉妻城、大仏城)の城下町として町並みを形成。福島藩時代には幕府直轄領、徳川四天王本多忠勝の一族である「本多家」、老中を多く輩出した「堀田家」と藩主が変わり、江戸中期になると徳川将軍家との関係が深い「重昌流の板倉家」が治めることになり、会津藩に次ぐ石高を有していました。
明治以降の福島は蚕種、生糸、織物の集散地として栄え、日本銀行の支店を函館に続き全国で7番目に開設。福島競馬場の誘致にも成功し、現在に続く福島市の経済を支えています。
明治40年(1907)4月1日制定の市章は「「フ」の字を9字、「マ」の字を4字組み合わせて「フクシマ」を表し、四囲に大きく発展することを表現しています。」公式HPより
雨水用マンホール
制水弁
仕切弁
空気弁
消火栓
「消防用貯水槽・福島市消防本部」
規格蓋はコアなファンには秘かに人気があるのですが、地味さがまさって一般的には無視されがち💦。ラストは意外と綺麗なデザインが多い側溝蓋で花を添えます。お花見の名所信夫山の側溝蓋には「桜」がデザインされています。
桜のようにも見えますが花の先が丸いので「市の花:桃」と推測。
あぶくま親水公園のオオハクチョウ(コハクチョウ)がデザインされた側溝蓋。
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旧伊達郡飯野町(いいのまち)は阿武隈高地北部の丘陵地域に位置した町です。福島市、二本松市、伊達市、川俣町に隣接。福島県内では湯川村、中島村に次いで3番目に面積が小さく、北部に天井山 (532.2m)、千貫森 (462.5m) があるほか、比較的小さな山丘が連なっており、中心市街地を除く集落はその山裾に沿って点在しています。古くから農業とともに養蚕業が盛んで絹織物業の町として発展してきました。
明治22年(1889)、町村制の施行により伊達郡飯野村・立木村が発足。
1893年、立木村が青木村、立子山村に分村。
1930年、飯野村が飯野村と明治村に分村。
1937年、飯野村が町制を施行し、伊達郡飯野町(第一次)となる。
1955年、飯野町、青木村、大久保村、明治村が合併、伊達郡飯野町(第二次)となる。
2008年、福島市に編入し、福島市飯野町となりました。
昭和34年(1959)4月制定の町章は「「いいの」の文字を図案化して組み合わせたもので、4つの花弁は合併した1町3ケ村がお互いに手をとり合って飯野町が発展することを意味しています。」旧公式HPより
撮影日:2015年6月23日
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