車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高郷地内~あちこちウォッチ in 福島県喜多方市高郷町

2024年12月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市高郷町上郷野際戊にある、JR東日本磐越西線「荻野駅」・・・から見た線路😅

線路しか写していないのに、この駅が何だ?と聞かれれそうですが、実は目的は駅舎の床。何と床一面に福島県の地図が描かれているのです。ちなみに私たち、この床を見る為だけにここに来ました😆

ご当地マンホールのデザインにもなったボート。喜多方市高畑地区は「ボートのまち宣言都市」なんだそうです。

喜多方市高郷町塩坪橋付近、阿賀川にかかる塩坪橋から峯橋の間のおよそ2㎞を中心に分布する「天然記念物塩坪化石層」

約1000万年前の砂岩層で、クジラやサメ、アシカなど海にすむ哺乳動物の他、巻貝や二枚貝などの化石が大量に埋れています。昭和55年(1980)に「アイヅタカサトカイギュウ」が発見され、世界中から注目を浴びるようになりました。

塩坪橋から見る歩道橋

「高郷村塩坪橋の歴史」に橋の歴史が簡単に紹介されています。「明治26年まで舟渡し」「明治26年から舟橋」「大正14年:木製吊り橋(賃取り橋)初代塩坪橋」「昭和10年まで木製吊り橋2代塩坪橋」「昭和37年 鋼橋(トラス橋+鉄桁)3代塩坪橋」昭和60年 歩道橋」

塩坪橋から改めて見る歩道橋。ずっと奥に見えるのは東北電力(株)の「新郷ダム」

折角の綺麗なダムなのに、もう少し近くまで行けばよかったと・・お決まりの「先に立たない後悔」😔

喜多方市高郷町西羽賀十二林に鎮座される羽賀神社」

喜多方市高郷町西羽賀西羽賀に門を構える「浄土真宗:明照寺」

隣り合わせの境内、どちらも下から見上げての参拝とさせて頂きました🙏🙏

訪問日:2015年6月19日

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県旧高郷村(喜多方市)

2024年12月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡高郷村(たかさとむら)は福島県の西北部に位置した村です。東は喜多方市、熱塩加納村、西は西会津町、南は阿賀川をはさんで会津坂下町、高郷村と隣接。北は磐梯朝日国立公園の飯豊連峰(最高峰・大日岳2,128m)によって新潟・山形の両県に接しています。町の総面積の約82%を山地森林が占めており、田・畑はわずかに9%前後。北部飯豊山山麓を源として発する一ノ戸川が町の中央を縦断しており、途中、早稲谷川、五枚沢川、宮古川を合わせて、町の南部を横断する阿賀川に合流。耕地は合流点付近の南部平坦地を中心として各河川流域に点在しています。「村の木:ケヤキ」「村の花:姫小百合」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により耶麻郡山郷村、河沼郡高寺村・片門村・束松村・新郷村・千咲村が発足。

1954年、河沼郡高寺村・片門村・束松村が合併、河沼郡高寺村となる。

1955年、耶麻郡山郷村、河沼郡高寺村・新郷村・千咲村が合併、河沼郡高郷村が発足。村名は高寺村の「高」と山郷村の「郷」を合成。

1960年、高郷村が、河沼郡から耶麻郡に変更。旧高寺村域の高寺・片門・束松の一部を河沼郡会津坂下町に編入。残部の束松地区が耶麻郡西会津町に編入。

2006年、喜多方市、耶麻郡塩川町、熱塩加納村、山都町と合併、喜多方市高郷となる。

マンホールには村章を中心に「村の花:姫小百合」、周囲に「ボートを漕ぐ人」がデザインされています。

阿賀川のダム湖を利用して昭和27年の国体開催のときに作られた、全長1000m 6レーンの公認コース「荻野漕艇場」

昭和50年10月9日制定の村章は「高郷 ( タカサト ) 村 の「タ」を図案化したもので、外の輪(和)は高郷村が永遠に平和に発展することを願い、中心の円は丸く未来に向かって前進することを象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月19日

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山都駅界隈~散歩 in 福島県喜多方市山都町

2024年12月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市山都町西原に位置するJR東日本:磐越西線「山都駅」。何か催しがあったのか、それとも単に休憩されているだけなのか・・何か・・微妙に居心地悪い😥

マンホール収集の目安として、庁舎・代表駅などは一応押さえておく事にしており、マンホール以外に何か見つけられれば、それはラッキーな偶然。で見つけたのが、角巻の中に幼子を抱いた「北の親子像」。彫刻家:鈴木政夫氏、1989年の製作。右手には「財団法人修養団創立者 蓮沼門三先生生誕の町」の柱。喜多方市の「蔵の里」でちらっと登場しました。

駅近くで見かけた建物、いわゆる看板建築の類だと思うのですが、二階部分に四つ並んだ窓がとてもお洒落です。

次の目的地に向かう途中に車の中から偶然見かけた鉄橋の上を行く電車😲。急いでシャッターを押して捉えた一枚。

一ノ戸川にかかる長さ445m、高さ24mのJR磐越西線の鉄橋「一の戸橋梁」。明治43年(1910)の完成当時は東洋一の規模を誇った石造りの鉄橋で、経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれています。

車から降りて写せばよかったのですが、その時はそんなに大層な代物とは思いもつかず😱・・・ただ、すごく絵になる鉄橋だなと思ってシャッターを切ったというのが本当の所。

山都支所に向かう道すがらに見かけた神社。朱塗りの鳥居は稲成のお社でしょうか?

多分、この神社の境内にあったと思われる「飯豊山の碑」・・9年の歳月は流石に長いと、改めて思い知ります。

訪問日:2015年6月19日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 福島県旧山都町(喜多方市)

2024年11月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡山都町(やまとまち)は福島県の北西部に位置した町です。喜多方市、熱塩加納村、高郷村、西会津町、会津坂下町。町の北部の飯豊連峰山頂付近で県を跨いで新潟県新発田市、阿賀町。山形県飯豊町、小国町に隣接。飯豊連峰山頂の神社とその参道が山都町に属するため、飯豊連峰の三国岳、種蒔山、飯豊山、御西岳と続く稜線に沿って、細長く突き出た形の町域を有します。「町の木:飯豊(いいで)杉」「町の花:シャクナゲ」「町の鳥:セキレイ」を制定。

旧キャッチフレーズは「飯豊とそばの里 山都町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、摩耶郡山都村・小川村・木幡村・相川村・一ノ木村・早稲谷村・朝倉村が発足。

1950年、山都村、小川村、木幡村が合併、摩耶郡山都町(第一次)が発足。

1954年、山都町、相川村、一ノ木村、早稲谷村、朝倉村賢谷・沼ノ平地区が合併、山都町(第二次)が発足。

1955年、 河沼郡千咲村大字三津合を編入。

2006年、喜多方市、耶麻郡塩川町、熱塩加納村、高郷村と合併、喜多方市山都町となる。

マンホールには町章を大きく配し、中に「町の木:飯豊杉」と「町の鳥:セキレイ」下に「町の花:シャクナゲ」。周囲の三角は「そばの実」を図案化。

町章を中心に種々の模様がデザインされたマンホール。喜多方市建設部下水道課によれば、特にこのデザインに意味は無いそうです。

昭和29年3月3日制定の町章は「 山都町の「山ト」を歯車に図案化したもので、町民の平和、友情を表わし、町勢のたゆまぬ発展を象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月19日

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧国鉄日中線:熱塩駅 in 福島県喜多方市熱塩加納町

2024年11月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

喜多方市熱塩加納町熱塩字前田丁に残る「旧国鉄日中(にっちゅう)線 熱塩(あつしお)駅」

昭和13年(1938)、耶麻郡喜多方町:喜多方駅と耶麻郡熱塩村:熱塩駅を結んで開通した日中線。喜多方・会津村松・上三宮・会津加納・熱塩の5駅を結ぶ11・6キロメートルの路線で、終点熱塩駅の奥にある「日中温泉」が路線名称の由来とされます。

昭和58年(1983)の末期には列車は1日に三往復、乗降客も少なくなり、昭和55年(1980)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により第1次特定地方交通線に指定。昭和59年(1984)4月1日に全線廃止となり、開通から46年にわたる役目を終えました。

駅舎はひどく荒廃していましたが、廃止から1年後の昭和60年(1985)に整備され「日中線記念館」として公開。館内には日中線に関する資料等が展示されています。

さらに2009年には、経済産業省の「近代化産業遺産群 続33(東北開発)」の一つとして、近代化産業遺産に認定。待合室のベンチや切符棚、運行当時の写真などさまざまな品が展示されており、思った以上に興味深い内容でした。

当時の場所に今もそのまま残されている「踏切」

最終駅だっ熱塩駅には、車体をUターンさせる為の「転車台」が設置されていました。

また構内にはラッセル車や客車も静態保存されており、鉄道ファンにはワクワクする景色を作り出しています。

ラッセル車の前にある二つの丸いもの、実はあれ、国鉄時代には「A寒地仕様」と呼ばれた酷寒地向けのワイパーなんです!!。降りかかる雪を高速で回転して振り飛ばす・・・・。雪国育ちでない二人には、驚きの発見でした。

改札を潜る時の何とも切ないような、ドキドキするような気持ち。それは電車を待つ時の状況によって様々に形を変え、懐かしい過去を思い起こさせます。

誰が作ったものか・・ホームの片隅に設けられたブランコ😊 私たち以外の見学者さんはお一人だけだったのですが、懐かしそうにブランコに揺られていました。

お互いに記念の写真を写しあい、軽く挨拶を交わして別れてゆく・・廃線となった熱塩駅にはこれ以上ないほどの似合いの一時。

「日中線記念館の桜」。季節には桜祭りなども開催されるとか。その時期にはこの駅舎一帯も華やかに人で溢れるのでしょうね。

駐車場の一画にあった「天神清水」。汽車の旅で降り立った人たちは、この冷たい湧き水で喉の渇きを潤したのでしょうか?

訪問日:2015年6月21日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする