車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 長野県木祖村

2022年05月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

木曽郡木祖村(きそむら)は長野県の中西部に位置する町です。松本市、塩尻市、木曽郡木曽町・朝日村に隣接。村名は、木曽郡を縦断する木曽川の源流の地であることから、木曽の祖という意味を込めて名付けられました。面積の大部分が山林で占められ、耕地面積および可住地面積は村全体の面積の2.9%しかなく、寒暖の差が激しいことも特徴。村域の薮原地区は旧中山道六十九宿35番目の宿場「藪原宿」として栄え、また伝統工芸品として生産されている「お六櫛」の元祖となった木櫛の生産がはじまったのもこの頃と言われています。「村の木:トチノキ」「村の花:リンドウ」を制定。、た

キャッチフレーズは「木曽川の水が生まれる源流の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、西筑摩郡木祖村が発足。

1968年、西筑摩郡が改称して木曽郡となり、木曽郡木祖村となる。

マンホールには「源流の里」の文字と、「木曽川の源流:味噌川」「村の木:トチノキ」「村の花:リンドウ」が描かれています。

昭和47年(1972)8月1日制定の村章は「木ソの文字を図案化したもので、木曽と木祖の両方を示し、上部は美しい立木をあらわし、中央部分は山とその間から流れる水と山紫水明の自然を表現しています。上にひらく線は、天に高くはばたく村の発展をあらわし下方の円は、豊かでのどかな村政を表現したものです。」公式HPより

木祖村イメージキャラクター『源気(げんき)くん』。名前の由来は、木曽川源流の里の「源」と村民の元気の「気」。緑から生まれたしずくが元気いっぱいに駆け回り、大河となるマントを身に纏います。駆け出す姿に健康を、しずくがむかう大海原(太平洋)のような大きな心を。元気いっぱいの源気くんは、きょうも木祖村を駆けめぐっています。

元禄8年(1695)7月14日の薮原宿大火の後、防火を目的に宿内に2箇所の高塀を設置。現在は広小路四ツ筋の、通称:上横水地点に土盛石垣の一部分が残されており、「防火高塀跡」として村史跡に指定されています。

防火高塀跡の石垣の上には、明治13年(1880)6月26日に宿内の『古畑又助』宅で御休憩された「明治天皇駐輦(ちゅうれん)所碑」が建立されています。

撮影日:2010年10月3日&2014年6月20日

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南宮(なんぐう)神社 in 長野県木曽町日義

2022年05月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

木曽町日義に鎮座される「南宮(なんぐう)神社」。御祭神は『金山彦命(かなやまひこのみこと)』

由緒「南宮神社の前身は古代より村の鎮守として近くの「古宮平」という所にあったが義仲公が柏原に築城の際、現地に移し、その産土神とし、更に美濃関が原の南宮大社を分祠勧進したものといわれています。 この由来は義仲公が幼時、養父中原兼遠に連れられ京に上った時、密かに源氏信仰の本拠である大社から特に請い受け分祠されたものであります。祭神は天照大神の兄神である金山彦命で武運、富致、厄除、安産、養蚕の神です。」長野神社庁HPより

深い緑の中、柔らかい苔に覆われながら神域を守護されるのは、長野県では珍しい丹後系の狛犬さん一対。

阿形さんの前足の間から顔をのぞかせる子狛の顔は、吽形さんの顔よりも厳つく、子をつけて呼ぶのが躊躇われるほど。丹後系狛犬の面目躍如というか、舐められてたまるか!的な😣

拝殿前に置かれた「安産守りのお石」。安産の祈願の際に「安産守りのお石」を拝殿前から一つ持ち帰り、無事安産した後のお礼参りには、他のお石を添えて返すならわしです。

境内を流れる町川用水に架かる神橋。拝殿後方には幻と言われる「旭の滝」があるそうですが、幻の名にたがわず見る事はできませんでした😅

境内の土俵は、9月上旬の例祭に執り行われる「子供奉納相撲」で使用されるようで・・静かな境内も、その日ばかり賑やかな歓声であふれる事でしょう。

参拝日:2010年10月3日

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ご当地マンホール in 長野県旧日義村(木曽町)

2022年05月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧木曽郡日義村(ひよしむら)長野県の南西、木曽郡の北東、木曽川の上流部に位置した村です。伊那市、塩尻市、木曽郡木曽福島町・木祖村・宮田村に隣接。村名は『朝日将軍・木曾義仲』が平家討伐の旗挙を行った地であることから、朝日の「日」と、義仲殿の「義」に因んで命名。木曽川上流の狭い谷底に町域が開け、周囲は急峻な地形でその標高は830mから1050mに及んでいます村の西部を木曽川が北東から南西に流れ、南部には木曽駒ケ岳の山麓に広がる木曽駒高原があり、別荘地やゴルフ場、オートキャンプ場として開発。木曽町日義宮ノ越は中山道六十九次36番目の宿場「宮ノ越宿」があり、江戸・京双方から67里38町という事で、中山道の中間地点として知られています。「村の木:ケヤキ」「村の花:ヤマブキ」「村の鳥:コマドリ」を制定。

旧キャッチフレーズは「緑と清流と歴史の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、西筑摩郡日義村が発足。

1968年、西筑摩郡が改称して木曽郡日義村となる。

2005年、木曽福島町・開田村・三岳村と合併し、木曽町日義となりました。

マンホールには、木曽義仲に因んで、源氏の家紋「ササリンドウ」が描かれています。

昭和50年(1975)8月制定の村章は「「ヒ」と「ヨ」の2字を組み合わせて村名「日義」を明快に表現、全体を飛鳥のイメージに図案化して産業、経済、文化のたくましい発展と繁栄を端的に象徴したものである。更に人情豊かな村民の融和団結を円でもって表現したものである。」合併協議会資料より

木曽八景の一つ「駒ヶ岳の夕照」。標高2956メートルの南アルプスの最高峰:木曽駒ヶ岳。沈みゆく残照を受けて照り輝く情景、想像するだけでも感動的。

撮影日:2010年10月2日

2010年の木曽路車泊の旅では、「道の駅・日義木曽駒高原」で車中泊をさせて頂きました。ここで初めて買った「赤カブ漬」の美味しさにすっかり魅せられ、以来「赤カブ漬」の大ファンに。お土産には、ネタとしてはこれ以上の物はないキノコを購入。この大きさで350円はお買い得だと思いません?

夜は暖房の聞いた情報センターで偶然ご一緒した方と旅のお話などをし、楽しく過させて頂きました。そうそう、この夜ご亭主殿は、男性用トイレの洗面台で大量のキノコを洗う、不思議な人と遭遇し、肝を冷やしたそうです😱。その後、日義村と言うと「キノコ」の話題が登場して、長く楽しんだものです。

車で旅をする私たちにとってこうした場所は本当に有難く大切な場所です。改めてその節は、本当に有難うございました🙏🙏。

 

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ご当地マンホール in 長野県旧三岳村(木曽町)

2022年05月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧木曽郡三岳村(みたけむら)は長野県の南西部に位置した村です。木曽郡上松町、開田村、木曽福島町、王滝村に。また県を跨いで岐阜県下呂市に隣接。村名は「御嶽山、乗鞍岳、木曽駒ヶ岳」の3つの名峰が見られることから名付けられました。村域は王滝川とその支流西野川の深い渓谷にわたり、92%が山林原野。中心集落の黒沢下殿は御嶽山の信仰集落で、御嶽神社の里社があり、御嶽登山口の一つ。王滝川には中京地区の水甕といわれる牧尾ダムと人造湖の御岳湖があります。走る車の中から見えたのは、山深い三岳の地を流れる王滝川に設けられた「常盤発電所」。昭和16年(1941)7月、「日本発送電」によって建設された最初の水力発電所です。「村の木:ヒノキ」「村の花:ササユリ」「村の鳥:雷鳥」を制定。

旧キャッチフレーズは「あふれる水の輝きを今 ふるさとの創造に」

明治22年(1889)、町村制の施行により、西筑摩郡三岳村が発足。

1968年、西筑摩郡が改称して木曽郡となる。

2005年、木曽郡木曽福島町・日義村・開田村と合併、木曽町三岳となりました。

マンホールには、「村の花:ササユリ」と「村の鳥:ライチョウ」がデザインされています。

昭和47年5月1日制定の村章は「みたけの「み」をはばたく鳥の形に図案化し、村の飛躍、発展を象徴する。」合併協議会資料より

旧三岳村内の街灯は、「冠雪の御岳」に「ササユリ」「ライチョウ」のデザイン。こういうさり気ないご当地ものって好きなんです(笑)

マンホール収集の後で立ち寄った「道の駅・三岳」、美味しくて安いを実感した道の駅です。記念スタンプは三岳地区のイメージキャラクター『うめみちゃん』。梅の花をモチーフにした女の子で、まん丸に真っ赤な姿で大きな瞳がチャームポイントです。

ちなみに、ご亭主殿とJ🐣さんが口をそろえて絶賛した、美味しくて安い「ほおばずし」。寿司ではないですが、木曽地方の郷土おやつ「ほお葉巻き」を強引にキャラクター化した『ほおまる』。ちょっぴりシュールなビジュアルが人気だそうです。

撮影日:2014年6月20日

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水無(すいむ)神社 in 長野県木曽町福島

2022年05月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

木曽町福島に鎮座される「水無(すいむ)神社」。御祭神は『高照姫命(たかてるひめのみこと)』

「鎮座、創立の年代は詳らかではないが、弘安年間に飛騨一の宮水無神社を御勧請奉斎したものと伝えられる。現存する記録によると、延文二年(1357)6月、越後守藤原家有(木曽領主、木曽家有)によって社殿の再興がなされたのを始めとして木曽氏代々の守護神として木曽総鎮守と称された御嶽神社と共に深く崇敬されて来た事が知られる。」長野神社庁HPより

参道途中の「忠霊碑」

結構長い石段参道に差し掛かった時点で、私はリタイア。車の近くで待機する事になりました。何しろこの日は馬籠・妻籠の宿場歩きをメインに目一杯楽しんだ為、これ以上の頑張りは明日に差し支えます。

境内入り口

二の鳥居左右より神域を守護されるのは、ギョロっと見開いた眼が特徴の狛犬さん一対。吽形さんは角を持ち小難しげな顔で。阿形さんはいかにも優しそうな笑顔で参拝者を出迎えてくれます。

幣拝殿

幣拝殿脇より神域を守護されるのは構え狛犬さん一対。流れるような尾の形、低く構えた姿はこの上なく美しいのですが・・・

こちらはどのように見たら正解なのか、多分左の丸い部分がグイっと持ち上げた頭で、右が尾の部分かなと・・撮影した本人も今となっては説明できないようです😓

低く構えて顔をグイっと上げる阿形さん。もう少し明るい環境ならもっとカッコよく写してあげられたのに・・ごめんね

さて・・・ミステリーはここから😲 何故か拝殿を正面から捉えた画像も、当然ですが本殿の画像もありません。担当したご亭主殿に聞いても「さぁ、何で無いんだろう??」と首をかしげるだけ。まぁ・・物凄く好意的に考えれば、境内入り口に残した私を心配してという事かもしれませんが、それにしても「吽・・ねぇ~(笑)」「阿・・だよねぇ~(笑)」

一人で待っていた時間に写した木曽の山並み。沈みゆく残照が物寂しさを誘い心細かったのは事実です。

参拝日:2010年10月2日

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ふらり寄り道~木曽福島 in 長野県木曽町

2022年05月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

初めての場所を訪ねる時は、まず役所関連施設と主要駅と言うのはお約束。何故なら、そこには高確率で「ご当地マンホール」がある😀。お目当てのマンホールはget、折角なので木曽町の代表駅「木曽福島駅」へ。たかが駅と侮ってはいけません。これほどの駅になれば、結構沢山の見どころも有り、ちょっとした観光気分も味わえます。

観光地にある駅につきものなのが「ウェルカムモニュメント」と呼ばれるキャッチフレーズ的な何か。踊り子さんの横にある桧に彫られた文字は「水と緑の町 史跡と民謡の郷:木曾福島」

水と緑の町に、水車は必須

木曽福島駅の南に鳥居を見つけたので、さっそくお参り。木曽町福島新万郡に鎮座される「御嶽教(みたけおしえ)木曽大教殿」

御祭神は『御嶽大神(国常立尊・大己貴命・少彦名命)』。では御祭神の前に立たれる御方はどなたでしょうか??

御嶽山を信仰根本道場とし、木曽大教殿は御嶽登拝の安全を祈願するための神殿と位置付けられていましたが、その後、御嶽山木曽本宮に遷座し移転したとあります。今から十数年前に参拝しただけの御縁ですが・・今はどうなっているのか

「御神像奉安殿」。蝋燭の明かりの中に浮かび上がる御神像のお姿は、いずれも神秘的な表情を浮かべて・・そこに存在。

御神水

こちらは2014年6月に立ち寄った「道の駅:木曽福島」のウッドデッキから見えた「御嶽山木曽本宮」

さて、木曽福島と言えば何と言っても「史跡:福島関跡」。駅前交番の外観は福島関所の入り口を模しており、いかにも「らしい」佇まい。

福島宿の北口、宿場を一望する根の井山(関山)麓の崖上に残る「国史跡:福島関跡」

福島関所が創設されたのは慶長年間(1596~1615)の事。江戸幕府が設置した五街道50箇所の関所の内、東海道の箱根関所、新居関所、中山道の碓氷関所と、この福島関所を四大関所と称し、特に重要視された難関でした。

関所役人達の生活用水として、また山越えで疲れた旅人の渇きを癒す命の水として使用された「関所水」。今は衛生上の理由から、湧水ではなく水道水が使用されているそうです。

日の落ちた関所の風景は、それが復元とわかっていてもあまり気持ちの良いものではありません。関所とは、単に街道に設けられた拠点ではなく徴税や検問のための施設であり、時には命にもかかわる厳しい詮議の場にもなりました。

しのび寄る秋の空気の寒さに震えつつ、駈足で見て回った福島関所跡。ここもあそこも・・できればもう少し明るくて暖かい空の下が良かったね。

訪問日:2010年10月2日

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木曽路を行く・福島宿上の段 in 長野県木曽町

2022年05月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

木曽路の宿場巡りは中山道六十九次三十七番目の宿場「福島宿」。上松宿から二里十四町四十間(約9.5k)。宿の延長は3町55間(約420m)、宿内家数158軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒、宿内人口は972人。

残念ながら昭和2年5月の大火により、宿場の町並みはほとんどが焼失。かろうじて上之段地区は大火から逃れられた為、今も出梁(だしばり)造り・袖うだつ・千本格子などを持つ建物が往時の面影を伝えています。

上記の用水画像と比べるといささか風情に欠ける「上之段用水」。用水は木曽家の館に八沢川上流から取水したのが始まりで、昭和初期まで地元住民の洗い場、社交所として利用されたそうです

ちなみに「上の段」とは、木曽氏の居館があった場所に形成され、戦国時代に栄えた城下町の事を指します。

木曽氏の居館があった「大通寺」へと通じる「寺門前小路」

宿場の面影を残す通りの一画に建つ臨済宗妙心寺派寺院「智勝山:大通寺」『柱山和尚』を開山とし、木曽関所代官の『山村良勝』によって建立。

町指定文化財の鐘楼門は安永7年(1778)に建てられたもので、福島町に現存する木造建築物としてはもっとも古いものの一つにあげられています。

境内の一画に建立された『武田信玄の息女:真理姫供養塔』。弘治元年(1555)、武田の軍勢に攻め入られた木曾義康は降伏。信濃と美濃・飛騨の国境を守る重要拠点を支配する木曾氏の存在を重く見た信玄は、義康の嫡男・義昌の正室に三女である真理姫を与えて、木曾氏を親族衆としました。戦国の習いとは言え、わずか6歳の幼い姫君が妻として嫁ぐ木曽の地はどのような場所だったのか。夫の離反により、我が子を、我が父に処刑された真理姫は、自ら義昌と離別して木曾山中に隠遁・・それでも98歳の天寿を全うした事実に驚かされます。

復元された「高札場」

木曽川沿いに見られる「崖屋(がけや)造り」。聞き慣れない言葉ですが、簡単に言うと「崖に建てられた家」・・なんて書いたら、どんなに恐ろしい場所なんだと言われそうですが、こんな感じで・・

明治時代に開通した狭い通りは、車社会に移行し始めた時代の要請に沿って拡幅。その結果、川沿いの通りに沿った建物は後退を余儀なくされ、苦肉の策で建物自体が川の上にせり出すようになった・・木曽だけに限らず、似た状況下の中で、稀に目にする景観です。

足湯を備えた親水公園の側には、御嶽街道の起点であり、聖域(霊界)への入口でもあった「行人橋」が復元されています。橋の対岸の城山には権現滝があり、御嶽登拝の人たちがそこで滝に打たれて身を清めたとも言われています。

【山蒼く 暮れて夜霧に灯をともす 木曽福島は谷底の町】『太田空穂』

訪問日:2014年6月20日

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ご当地マンホール in 長野県木曽町&旧木曽福島町

2022年05月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

木曽郡木曽町(きそまち)は長野県の南西部に位置する町です。2005年11月1日、木曽福島町・日義村・開田村・三岳村が合併して発足、木曽郡内で唯一の新設町となりました。松本市、塩尻市、伊那市、上松町、木祖村、王滝村、宮田村に、また県を跨いで岐阜県:高山市、下呂市に隣接。町域の90%を山林が占める緑豊かな山間の町で西に木曽御嶽山、東には中央アルプス木曽駒ケ岳がそびえ、木曽川が町の中央を流れる「日本で最も美しい村連合」の一つです。町のシンボル「御嶽山」を制定。

キャッチフレーズは「日本のふるさと・豊かな水と緑あふるる故郷、木曽」

2005年11月1日制定の町章は「「キ」を図案化し、澄みきった空気と水、豊かな自然を表現。町の将来像「日本のふるさと・豊かな水と緑あふるる故郷、木曽」実現の願いが込められています。」公式HPより

(旧木曽郡開田村は未訪問のため、開田村マンホールは未収)

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旧木曽郡木曽福島町(きそふくしままち)は長野県の南西部に位置した町です。木曽郡開田村・木祖村・上松町・三岳村・日義村、上伊那郡宮田村に隣接。町域は木曽川沿いの谷底にあり町家が密集。中心集落の福島は、中世は木曽氏、近世は幕府の代官山村氏が居住し、また福島関所も置かれ、木曽谷の政治上の中心をなしてきました。もと中山道の宿駅で、木曽馬の産地として知られ、御嶽山の登山口として栄えてきました。「町の木: ケヤキ・朴の木」「町の花:福寿草」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「夢のある未来へ 幸せの空間 木曽福島町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、西筑摩郡福島村・新開村が発足。

1893年、福島村が町制を施行、西筑摩郡福島町となる。

1967年、西筑摩郡福島町と新開村が合併、西筑摩郡木曽福島町が発足。

1968年、西筑摩郡が改称して木曽郡となる。

2005年、日義村・開田村・三岳村と合併、木曽町福島となりました。

マンホールは「木曽海道六拾九次之内:福し満」を基にしたデザインで、日本四大関所の一つ「福島関所」が描かれています。

「史跡:福島関跡」

「KISOFUKUSHIMAMACHI」「SEWERAGE」の文字を上下に、木曽の山や川を幾何学模様で表したデザインです。

昭和48年(1973)11月3日制定の町章は「木曽福島町のキ・ソ・フをあらわしている。これは、木曽福島町が和をもって未来に飛躍し、発展する姿を象徴する」合併協議会資料より 

天下の4大関所のひとつ「福島関所」をモチーフに誕生した木曾福島町マスコットキャラクター『福ちゃん』。顔は、木曽の銘菓「ほお葉巻き」、頭の緑は朴(ほう)の葉。妹の『しまちゃん』と一緒に、木曽福島地域をPRするのがお仕事です。

撮影日:2010年10月2日&2014年6月20日

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木曽八景:寝覚の床 in 長野県上松町

2022年05月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

木曽八景の1つで、日本五大名峡の一つに数えられ、国の名勝にも指定された「寝覚の床(ねざめのとこ)」

「花崗岩より成れる木曽川の峽谷にして河幅逼(せま)り、両岸殆ど垂直にして深潭(しんたん)を成し、其の区域甚だ狹小なれども標式的の花崗岩峽谷なりとする。両岸には階段ありて所々に水蝕の爲、刳(くび)られたる痕跡あり。岩石中には数多の甌穴(おうけつ)ありて釜石・獅子岩・象岩・鳥帽子岩・屏風岩等の名ある竒岩あり。  大正12年3月7日、名勝指定。」文化遺産オンラインより

現地案内には屏風岩・床岩・亀岩と、浦嶋堂の位置が表記。

一段高い岩の上に祀られる「浦嶋堂」。浦嶋って・・そう、あの浦島太郎の浦嶋。何故に海から程遠い山中で「浦嶋太郎」??、と気になって調べた所、上松町にある「臨川寺」の由来「寝覚浦嶋寺略縁起」に「浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。ここで時に釣りを楽しみ、神書に記された霊薬を作って売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち、開けてはならない玉手箱を開けてしまった為、齢300年の老人と化し、弁財天像を残してこの地から姿を消したという。」

「浦嶋堂」は浦島太郎が弁才天像を残したといわれる場所。右手に見える比較的平たい大岩が「床岩」。左手に壁のように見える岩は「屏風岩」

屏風岩を背景に

画像右手前にある白っぽい岩が「亀岩」・・・さすがに竜宮の亀も、ここまでついて来なかったと思うのですが😓 竜宮に仕える亀、並の亀とはひと味どころか千味くらい違うのかも。

更に『沢庵和尚』が「木曾路紀行」で言及した「浦島がつり石」なる岩があるそうで、上松の宿場を舞台とした「古浄瑠璃:浦嶋太郎」では、太郎は海から遠い木曾山中に住み、木曾川で釣り糸を垂らして暮らしていたという筋立てになっています。また浦島太郎がこの地に来た事実には懐疑的だった『貝原益軒』も、「木曾路之記」において「浦島がつりせし寝覚の床」を見聞したと記しています。

また、伝説はこうも伝えます。「竜宮城から地上へ帰った太郎は、見知った人の誰一人ない見知らぬ風景に悲しみ旅に出た。木曽川の美しい風景を見た太郎は竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱を開けてしまったところ白煙が出て見る間に白髪の翁に・・・太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であり、やっと目が覚めたかのように思われたので、この事から、この里を「寝覚め」、岩が床のようであった事から「床」と呼ぶようになった。」と・・

美しい自然の中に人は有り得ないものを見、こうであればどんなにか素晴らしいだろうと思う夢を重ねます。でもこうして人智では及びもつかない美しい景観を見てしまうと、天女も浦島太郎も・・もしかしたら夢ではなかったのかもしれないと・・・ふとそんな事を思ってしまうのです。

訪問日:2014年6月20日

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木曽八景:小野の滝 in 長野県上松町

2022年05月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

上松町小野、国道19号線沿いの一画に涼し気な水音を響かせる「木曽八景:小野の滝」。

「木曾街道六拾九次 上松(歌川広重画)」には、ちょうどこの位置に差し掛かった旅人たちが滝を指さし、何かを語り合う様子が描かれていますが・・・

現実的には、国道19号線沿いの一画という事で、浮世絵のように雄大な自然の一コマとは程遠い景観。代りと言うのも変ですが、徒歩数分で滝の側まで近寄れます😄

「広重と英泉の合作である中山道六十九次の浮世絵に描かれている上松は、この小野の滝の絵です。明治四十二年鉄道の鉄橋がこの上に架けられ、残念ながら往年の面影はなくなりました。かつてここを旅した細川幽斉は『老の木曽越』のなかで「木曽の小野の滝は布引や箕面の滝にも、をさをさおとらじ、これほどの物をこの国の歌枕には、いかにもらしける」と、手放しで誉めています。また、浅井洌は、この地を訪れて【ふきおろす 松の嵐も音たえて  あたりすずしき 小野のたきつせ】と、歌を詠んでいます。今も上松の旧蹟にかわりありません。 」現地案内より

滝の落差はおよそ20m、姿は昔から変わっていませんが中山道は国道へと変貌。写真の所為でたいした事ないみたいですが、ご亭主殿を近くに立たせると、「木曽八景:小野の瀑布」の面目躍如かな?

ワイワイと楽しんでいるさ中、轟音と共に電車が通過。電車と滝のツーショットなんて格好の土産話になったのですが、いかんせん私たちの腕では😔 小野の滝のラスト画像は、滝とは切っても切れない「不動明王:板碑」。何時の時代の建立か定かではありませんが、心づくしの花が活けられているのが、俄か旅人の心を癒してくれます。

訪問日:2014年6月20日

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