木曽郡木祖村(きそむら)は長野県の中西部に位置する町です。松本市、塩尻市、木曽郡木曽町・朝日村に隣接。村名は、木曽郡を縦断する木曽川の源流の地であることから、木曽の祖という意味を込めて名付けられました。面積の大部分が山林で占められ、耕地面積および可住地面積は村全体の面積の2.9%しかなく、寒暖の差が激しいことも特徴。村域の薮原地区は旧中山道六十九宿35番目の宿場「藪原宿」として栄え、また伝統工芸品として生産されている「お六櫛」の元祖となった木櫛の生産がはじまったのもこの頃と言われています。「村の木:トチノキ」「村の花:リンドウ」を制定。、た
キャッチフレーズは「木曽川の水が生まれる源流の里」
明治22年(1889)、町村制の施行により、西筑摩郡木祖村が発足。
1968年、西筑摩郡が改称して木曽郡となり、木曽郡木祖村となる。
マンホールには「源流の里」の文字と、「木曽川の源流:味噌川」「村の木:トチノキ」「村の花:リンドウ」が描かれています。
昭和47年(1972)8月1日制定の村章は「木ソの文字を図案化したもので、木曽と木祖の両方を示し、上部は美しい立木をあらわし、中央部分は山とその間から流れる水と山紫水明の自然を表現しています。上にひらく線は、天に高くはばたく村の発展をあらわし下方の円は、豊かでのどかな村政を表現したものです。」公式HPより
木祖村イメージキャラクター『源気(げんき)くん』。名前の由来は、木曽川源流の里の「源」と村民の元気の「気」。緑から生まれたしずくが元気いっぱいに駆け回り、大河となるマントを身に纏います。駆け出す姿に健康を、しずくがむかう大海原(太平洋)のような大きな心を。元気いっぱいの源気くんは、きょうも木祖村を駆けめぐっています。
元禄8年(1695)7月14日の薮原宿大火の後、防火を目的に宿内に2箇所の高塀を設置。現在は広小路四ツ筋の、通称:上横水地点に土盛石垣の一部分が残されており、「防火高塀跡」として村史跡に指定されています。
防火高塀跡の石垣の上には、明治13年(1880)6月26日に宿内の『古畑又助』宅で御休憩された「明治天皇駐輦(ちゅうれん)所碑」が建立されています。
撮影日:2010年10月3日&2014年6月20日