みやしたの気まぐれblog

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11月3連休 北東北巡礼 その7「三陸鉄道北リアス線を南下する」

2012-12-09 23:57:10 | 乗り鉄
11月3連休の旅行シリーズ、第7回は今回の旅行のメインである三陸鉄道北リアス線です。一度では紹介しきれませんので、2~3回程度に分けて紹介します。

2011年3月11日の東日本大震災では、関東から東北地方の太平洋岸を津波が襲いました。強烈な津波は沿岸の住居や建物を押し流し、被災地域へ壊滅的な被害を与えました。鉄道ジャーナルでは現在でもこの被災状況に関して特集が組まれ続けています。その記事を見ていくと、私の知っている風景が変わっている、何もなくなっていることに気が付きます。だからこそ、自分の目でもう一度見るべきだ。今回の旅行で八戸線、三陸鉄道北リアス線を辿ったのは震災2ヶ月前に通った記憶との違いを確認し、津波被害を少しでも認識して記憶しておくためでした。それ自体は、被災地にとって何にも成らないでしょうけど、現実から目を背けるべきではないと、思った次第です。

八戸線で久慈駅に着いてから、三陸鉄道北リアス線への乗り継ぎには少し時間がありました。その間に、北リアス線の久慈駅で、駅蕎麦で食事です。ホタテ蕎麦を頂きましたけど、なぜか少しだけウニが入ってました・・・・実は子供の頃にウニを食べて目が腫れたことが2度有り、おそらくアレルギーを持っているので、半分びくびくしながら食べましたけど、軽いアレルギーっぽい反応はしましたが、少量で加熱済みだったためか大丈夫でした。

三陸鉄道久慈駅。JR久慈駅のすぐ隣に建物がある

これは2011年1月の久慈駅。駅の周りはほとんど変わっていなかった。駅の辺りまでは津波が侵入しなかったのだろうか?八戸線の隣駅である陸中夏井駅付近は最大17.1mの津波があったのだが

駅のベンチ。なんでしょう?この人形

切符売り場。三鉄グッズも販売しています。少しでも支援として、「新・鉄子の旅」の切符を購入しました

帰りの新幹線の中で撮影したのでちょっと暗いですが、こんな台紙

裏面

中はこうなっています。三陸鉄道の全線開通日から1年間有効。その日がくることを願って・・・

応援コメントやイラストが駅構内に貼られていました

おそば屋さん。予約制で駅弁(うにめし)も販売

食べたのがホタテ蕎麦。なぜか、ウニ入りだったけど

しばらく後、入札が始まり(実際の所、切符チェックしていなかったので、ただ入れるようになっただけ)、ホームへ移動して列車に乗車しました。入線してきた列車は、レトロ調車両の36-600形でした。ちょっとラッキーです。

改札を入って、跨線橋でホームへ移動します

跨線橋から見た久慈駅構内

入線してきたのは、レトロ調車両36-600形

日本宝くじ協会の助成金で寄贈された車両である

車内はレトロ調のクロスシート

運転台付近。あくまでレトロ調であり、車両自体の製造年次は2005年なので、まだ新しい車両である

けっこう人は乗ってきて、久慈駅出発時は8割程度の乗車率はあった

座席を撮影

トイレの所に貼られていた紙

行き先表示のLED。北リアス線は、現在も久慈ー田野畑と小本ー宮古の区間営業である

側線に留置されている、一般形の36-100形

こちらは「てをつな号」ラッピング車


「てをつな号」には、様々なキャラクターが手を繋ぐ形で描かれている

やがて列車は定刻で発車。田野畑駅を目指して南下していきました。
久慈駅からしばらくは山沿いを走るため、陸中野田駅に近づく前は海も見えません。しかし海が見えてくるとそこには被災地の風景が広がってくるのです。
あるものはがれき。無い物は家や建物。ただ更地になって、川の水門だけが残っている。こんな風景が目の前に広がるのでした。
ただ、私の記憶と違う風景。そう、ここで「海は見えなかったはず」。

久慈駅を出発。車庫にある気動車が見える

一般形に混じり、改造車の36-2100形「さんりくしおかぜ」が右端に見える

最初は陸中宇部駅。山間部の駅なので、特に変わりないようだ

陸中宇部駅の駅名標

このあたりは畑が広がる

続いて陸中野田駅。この先で海沿いに出るが、ここからの風景は見覚えのない風景となった

陸中野田を出ると海沿いに

不自然に、大きな水門だけがある風景。残りは更地

道路だけはしっかりと新しい、水門は古ぼけている。他には、何もない

作り途中の堤防が見える

何もない。ただ更地がある。以前はこうでなかったはずだ

作り途中の堤防に近づいた

木材だろうか?積み上げられている

重機による堤防の造成中なのだろう

一見すると、ただ堤防を作っているだけのように思える

がれき置き場。写真では小さくて分かりづらいが、「久慈地区災害廃棄物破砕・選別等業務委託」と一番上に書いている

がれきが積み重なる

こうなってしまったこと、これを忘れてはいけない

がれきの横を通り過ぎ、列車は少し山側へ入る

この写真は、上の写真とほぼ同じ場所を2011年1月に車内から撮影した物である。家はなくなり、がれき置き場があるだけだった。この付近の津波の高さは17.1mであった

細い川も護岸工事していた。きっと、津波が逆流したのだろう

野田玉川駅へ到着

2011年1月に撮影した野田玉川駅の風景。この時は、ここでやっと「海が見えた」と思ったのだ


陸中野田→野田玉川で前面車窓の動画がYouTubeに掲載されている物がありました。この方の動画と、今回の写真を見比べて頂けると、私の「海は見えなかったはず」がおわかりになると思います。これが、津波の現実です。
三陸鉄道 北リアス線 【前面展望 3】 陸中野田⇒野田玉川

ここまでで、すでに津波によって変わってしまった風景を見てきましたが、ここから先、さらに津波の現実を思い知って行きます。以下、次回。
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