
11月23~25の3連休に北東北へ行ってきた旅行シリーズもこれで最終回です。
11月25日の朝、青森駅を出て青い森鉄道で八戸へ向かい、八戸から八戸線を「リゾートうみねこ」で南下し、久慈から三陸鉄道北リアス線で田野畑へ。田野畑から岩手県北バスの代替バスで小本駅まで到着しました。ここまでに東日本大震災の津波被災地の現在の姿を見てきましたが、最大の津波が到達した島越駅付近はバスでは通らなかったため、見ることが出来ませんでした。
小本駅にバスで到着後、次の列車まではおよそ1時間。この間は駅周辺で時間を潰しました。駅裏には、以前は海岸沿いにお店があったのか、仮設の商店が集まっていました。その中の小型スーパーで若干買い物をして、発車を待ちました。

小本駅の駅舎。1階が雑貨屋になっている

駅前の駐車場からホームを見上げると、「てをつな号」ラッピング車の姿が見えた

ここは岩泉町になる。JR岩泉線(バス代行中)の本数が極端に少ないため、龍泉洞観光はここが拠点である

駅の反対側、36-100形の標準塗装車が見える

駅裏には仮設店舗で営業している商店があった。小本付近は24.0mの津波が襲った

小型スーパーの軒先では新巻鮭が作られていた

小本駅前のバスターミナル

小本駅の2階にあった鳳凰像

ホームへ至るトンネルには、周辺被災地の写真が貼られていた。私を含め、この日の乗客には旅行者が数名いたが、みなこれを見ていた

小本駅ホームからの風景。小本駅は少し海から離れていて、ホーム上から海は見えない

島越駅側のトンネル

小本駅の駅名標

乗車する36-100形

36-100形の車内。セミクロスシート

運転台

車両は第3セクター化初期の物で、昭和59(1984)年富士重工製。軽快気動車としては最古級

宮古側の車両は、汚物処理設備が無いためにトイレ使用禁止になっている
待ち時間の後、36-100形に乗車し、終点の宮古を目指します。ここから先の区間は基本的に海は見えず、ほとんど山側を走ります。
比較的海が近いのは田老駅の辺りだけです。その田老の風景は震災から1年8ヶ月経っても、惨憺たる物でした。

摂待駅

田老駅に近づくと、まばらな住宅と、住宅の基礎だけが見えてくる

巨大な堤防もむなしく、23.8mの津波によって田老は壊滅的被害を受けた

橋の向こうに、わずかに海が見える。基礎だけ残った民家の風景は、ただただむなしさだけを覚える

田老という場所は何度も津波による壊滅的被害が発生している。そのたびに蘇ってきた場所だが、さすがに今回で高台移転を検討されているのだそうだ

積み重なっているがれきの山も見えた

駅近くの辺りもこの状態

田老駅の駅舎。横にある自転車置き場も、屋根は津波で流されたのだろう

これまでの被災風景は「何もなくなった」という感じだったが、田老は「そこにあったのに」という感じだった

田老駅の駅名標
田老駅を過ぎると、列車は山の中を走って宮古へ到着。
宮古からは山田線へ乗り換えて、盛岡へ向かいました。

佐羽根駅

一の渡駅

だんだんと街になってくる

近年になって設置された山口団地駅

宮古駅へ到着

山田線に乗り換える。車両はキハ110系100番台だ

宮古駅の辺りは、駅近くまで津波が来たものの、駅までは到達しなかった。このため駅前に限れば、あまり震災前と変化はない

JR側の駅にあったおそば屋さんは閉店していた。2011年1月の訪問時は、ここでおそばを食べたのを覚えている

宮古駅の駅舎は改修中だった

これは2011年1月時点での宮古駅。隣の土産物店は閉店したようだ

JR駅の待合室。2011年時点から見ると改修されている。天井が変わっていた

盛岡へ到着したキハ110系100番台
盛岡到着後、新幹線へ乗り換え。少し余裕をもって、後の新幹線にしてわざと「はやぶさ」にしました。
いつも「はやて」なので、一度くらい300km/hでの運転を味わっておこうかなと思っていたので。

盛岡から乗車したE5系「はやぶさ」

夕飯は駅弁。「新幹線 やまびこ弁当」

東北の名物を多用した駅弁で美味しかったです
これで11月3連休の旅行は終了。
次に北東北を旅する時には、被災地の復興が進んでいることを祈りたいです。
私ができることなんて、せいぜい旅行して被災地でお金を使うことぐらい。
最近、JR東日本が「被災地を旅する支援があってもいい」という広告も出していました。単にJRにお金を落として欲しいと言うこともあるでしょうけど、
JR以外の東北の第三セクターや私鉄に乗りにいくのなら、それだっていいじゃないかと思えます。JRだって、乗らなければ無くなっちゃいますし。
今年の3月に十和田観光電鉄は消滅しました。次になくなるのは福島交通、弘南鉄道、秋田内陸縦貫鉄道、阿武隈急行、山形鉄道あたりかもしれません。
このブログをご覧になった方にも、ぜひ東北を旅行し、東北被災地の現状に目を向けて頂きたい。義援金を出したら終わりじゃないですよ。
11月25日の朝、青森駅を出て青い森鉄道で八戸へ向かい、八戸から八戸線を「リゾートうみねこ」で南下し、久慈から三陸鉄道北リアス線で田野畑へ。田野畑から岩手県北バスの代替バスで小本駅まで到着しました。ここまでに東日本大震災の津波被災地の現在の姿を見てきましたが、最大の津波が到達した島越駅付近はバスでは通らなかったため、見ることが出来ませんでした。
小本駅にバスで到着後、次の列車まではおよそ1時間。この間は駅周辺で時間を潰しました。駅裏には、以前は海岸沿いにお店があったのか、仮設の商店が集まっていました。その中の小型スーパーで若干買い物をして、発車を待ちました。

小本駅の駅舎。1階が雑貨屋になっている

駅前の駐車場からホームを見上げると、「てをつな号」ラッピング車の姿が見えた

ここは岩泉町になる。JR岩泉線(バス代行中)の本数が極端に少ないため、龍泉洞観光はここが拠点である

駅の反対側、36-100形の標準塗装車が見える

駅裏には仮設店舗で営業している商店があった。小本付近は24.0mの津波が襲った

小型スーパーの軒先では新巻鮭が作られていた

小本駅前のバスターミナル

小本駅の2階にあった鳳凰像

ホームへ至るトンネルには、周辺被災地の写真が貼られていた。私を含め、この日の乗客には旅行者が数名いたが、みなこれを見ていた

小本駅ホームからの風景。小本駅は少し海から離れていて、ホーム上から海は見えない

島越駅側のトンネル

小本駅の駅名標

乗車する36-100形

36-100形の車内。セミクロスシート

運転台

車両は第3セクター化初期の物で、昭和59(1984)年富士重工製。軽快気動車としては最古級

宮古側の車両は、汚物処理設備が無いためにトイレ使用禁止になっている
待ち時間の後、36-100形に乗車し、終点の宮古を目指します。ここから先の区間は基本的に海は見えず、ほとんど山側を走ります。
比較的海が近いのは田老駅の辺りだけです。その田老の風景は震災から1年8ヶ月経っても、惨憺たる物でした。

摂待駅

田老駅に近づくと、まばらな住宅と、住宅の基礎だけが見えてくる

巨大な堤防もむなしく、23.8mの津波によって田老は壊滅的被害を受けた

橋の向こうに、わずかに海が見える。基礎だけ残った民家の風景は、ただただむなしさだけを覚える

田老という場所は何度も津波による壊滅的被害が発生している。そのたびに蘇ってきた場所だが、さすがに今回で高台移転を検討されているのだそうだ

積み重なっているがれきの山も見えた

駅近くの辺りもこの状態

田老駅の駅舎。横にある自転車置き場も、屋根は津波で流されたのだろう

これまでの被災風景は「何もなくなった」という感じだったが、田老は「そこにあったのに」という感じだった

田老駅の駅名標
田老駅を過ぎると、列車は山の中を走って宮古へ到着。
宮古からは山田線へ乗り換えて、盛岡へ向かいました。

佐羽根駅

一の渡駅

だんだんと街になってくる

近年になって設置された山口団地駅

宮古駅へ到着

山田線に乗り換える。車両はキハ110系100番台だ

宮古駅の辺りは、駅近くまで津波が来たものの、駅までは到達しなかった。このため駅前に限れば、あまり震災前と変化はない

JR側の駅にあったおそば屋さんは閉店していた。2011年1月の訪問時は、ここでおそばを食べたのを覚えている

宮古駅の駅舎は改修中だった

これは2011年1月時点での宮古駅。隣の土産物店は閉店したようだ

JR駅の待合室。2011年時点から見ると改修されている。天井が変わっていた

盛岡へ到着したキハ110系100番台
盛岡到着後、新幹線へ乗り換え。少し余裕をもって、後の新幹線にしてわざと「はやぶさ」にしました。
いつも「はやて」なので、一度くらい300km/hでの運転を味わっておこうかなと思っていたので。

盛岡から乗車したE5系「はやぶさ」

夕飯は駅弁。「新幹線 やまびこ弁当」

東北の名物を多用した駅弁で美味しかったです
これで11月3連休の旅行は終了。
次に北東北を旅する時には、被災地の復興が進んでいることを祈りたいです。
私ができることなんて、せいぜい旅行して被災地でお金を使うことぐらい。
最近、JR東日本が「被災地を旅する支援があってもいい」という広告も出していました。単にJRにお金を落として欲しいと言うこともあるでしょうけど、
JR以外の東北の第三セクターや私鉄に乗りにいくのなら、それだっていいじゃないかと思えます。JRだって、乗らなければ無くなっちゃいますし。
今年の3月に十和田観光電鉄は消滅しました。次になくなるのは福島交通、弘南鉄道、秋田内陸縦貫鉄道、阿武隈急行、山形鉄道あたりかもしれません。
このブログをご覧になった方にも、ぜひ東北を旅行し、東北被災地の現状に目を向けて頂きたい。義援金を出したら終わりじゃないですよ。
本当にこんな風にみんなが助け合って復興を支えなければなりませんね。
復興税もまともな使われ方をされることを願ってやみません。
困った時に助け合う気持ちは、日本人として忘れてはいけないなと。人は一人で生きているわけじゃないですから。
復興税も復興予算も、本当に有効に使って欲しいです。無関係な事業に突っ込むことは許されない。