2月3日(月)
また、悲劇が繰り返されてしまった。
1986年1月。あらゆる希望と任務と尊い命をのせての打ち上げ直後に、皆の見守る中、紺碧の空に、オレンジ色の炎と、真っ白な煙の放物線を描きながら、悲しみと絶望に包まれた地上に落ちていった、チャレンジャー号・・・
その地上には、自分達の憧れや未来の夢を託した先生を見送った教え子達や、無事の帰還を信じて見守っていた家族や関係者達がいた。
その瞬間の衝撃と悲しみは、リアルタイムで中継を見ていた全世界を覆った。
十分な訓練と、最善の準備、そして、細心の整備と注意のもとに、その打ち上げの瞬間はあったはずである。
でも、悲劇は起きてしまった。
その後、打ち上げは凍結され、その原因究明と、同じ失敗を繰り返さないための最先端の技術開発のために、時間も、お金もかけてきたはずである。
でも、悲劇は繰り返されてしまった。
その原因は、いずれ、広範囲に散らばった『夢と努力の結晶』の『物言わぬ残骸たち』が、教えてくれるのだろう。
そのメッセージは、全ての人間が、真摯に受け止めなければならない。
決して、機体の一部をインターネットで売り買いするなど、非人間的な行為に走ってはならない!
事故原因の一つに、機体の老朽化があったと聞く。
スペースシャトル一機を打ち上げるのに要する、時間、労力、費用は、莫大なものがあるだろう。
科学の進歩のためには、必要不可欠なことなのだろう。
でも、その時のちょっとした判断ミスが原因で、その莫大な努力と、成果と、何よりもかけがえのない尊い命までも、一瞬にして無に帰すような犠牲を払うのは許されないことだと思う。
映像は一時停止も、何度でも巻き戻す事も出来る。
でも時間は止められない。巻き戻しなんて出来ない。
古い機体を使ってでも打ち上げる必要性は、私などが考えも及ばない様々な背景はあるのだろう。
でも、そこに、純粋な『科学の進歩』ばかりではない、国家間の『脅威』のためという(私に言わせれば)不純な動機があるならば、そのために支払われた犠牲はあまりにも痛々しい。
コロンビア号の乗組員の方々は、ほとんどが40歳代。私と同じ『アポロ世代』である。
あの『月面着陸』を見て、どんなに宇宙に憧れ、未来を夢見、努力してきただろう。
エンデバー号での飛行経験を持つベテランもいての、順調な飛行と、任務遂行。
たくさんの『成果』をお土産に、まだ小さい子どももいる愛する家族や、苦楽を共にしてきた同僚たちのもとへ帰り着く、ほんの後15分前の悲劇。
彼らの無念さと、目の前で起きた事をいまだ信じられずにいる残された人たちの衝撃と悲しみは、計り知れない。
奇しくもNHKの朝の連続テレビ小説『まんてん』の中の、宇宙飛行士になる面接試験のシーンで、「あなたは宇宙で死ねますか」という質問を受けるくだりがあった。
実際にこういう悲劇が繰り返されてしまうと、また、科学の進歩は、遅れてしまうのかもしれない。
でも、このマイナスは、単なる判断ミスではなく、プラスに転化するために与えられた『試練』と受け止めければならないと思う。
『コンピューターは万能ではない。』ということ、このご時世、予算がないのなら、『脅威』のためではなく、地球規模での人類の歴史のために、国境を超え、人種も宗教も、主義も超えての、国際的な宇宙開発プロジェクトの構想と実現が不可欠だと思う。
宇宙飛行士とその家族は、未知の危険と、それに伴う悲劇の可能性は覚悟の上だったと思う。
その志と功績は、この悲しみを乗り越え、後進に受け継がれていくことだろう。
でも、その悲しみは永遠に癒される事はない。亡くなった人は、戻ってはこないのだ。
だから、悲劇は繰り返してはならないのだ。
でも、悲劇を恐れ、立ち止まってはいられない。そのためにも、早急で綿密な原因究明を望んで止まない。
中学時代夢中になって読んだSF作家星新一の本の中に、『プレゼント』というショートショートがあった。
国家間闘争が絶えない地球を心配して、心優しい宇宙人が送ってくれた、仲直りするのに有効な『プレゼント』とは・・・。
高校時代に心酔したSF作家レイブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』の中に、宇宙飛行士の家族の話があったっけ・・・。
久しぶりに頁をめくってみることにしよう・・・。
コロンビア号の乗組員の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、ご遺族の方に心よりお見舞い申し上げます。
また、悲劇が繰り返されてしまった。
1986年1月。あらゆる希望と任務と尊い命をのせての打ち上げ直後に、皆の見守る中、紺碧の空に、オレンジ色の炎と、真っ白な煙の放物線を描きながら、悲しみと絶望に包まれた地上に落ちていった、チャレンジャー号・・・
その地上には、自分達の憧れや未来の夢を託した先生を見送った教え子達や、無事の帰還を信じて見守っていた家族や関係者達がいた。
その瞬間の衝撃と悲しみは、リアルタイムで中継を見ていた全世界を覆った。
十分な訓練と、最善の準備、そして、細心の整備と注意のもとに、その打ち上げの瞬間はあったはずである。
でも、悲劇は起きてしまった。
その後、打ち上げは凍結され、その原因究明と、同じ失敗を繰り返さないための最先端の技術開発のために、時間も、お金もかけてきたはずである。
でも、悲劇は繰り返されてしまった。
その原因は、いずれ、広範囲に散らばった『夢と努力の結晶』の『物言わぬ残骸たち』が、教えてくれるのだろう。
そのメッセージは、全ての人間が、真摯に受け止めなければならない。
決して、機体の一部をインターネットで売り買いするなど、非人間的な行為に走ってはならない!
事故原因の一つに、機体の老朽化があったと聞く。
スペースシャトル一機を打ち上げるのに要する、時間、労力、費用は、莫大なものがあるだろう。
科学の進歩のためには、必要不可欠なことなのだろう。
でも、その時のちょっとした判断ミスが原因で、その莫大な努力と、成果と、何よりもかけがえのない尊い命までも、一瞬にして無に帰すような犠牲を払うのは許されないことだと思う。
映像は一時停止も、何度でも巻き戻す事も出来る。
でも時間は止められない。巻き戻しなんて出来ない。
古い機体を使ってでも打ち上げる必要性は、私などが考えも及ばない様々な背景はあるのだろう。
でも、そこに、純粋な『科学の進歩』ばかりではない、国家間の『脅威』のためという(私に言わせれば)不純な動機があるならば、そのために支払われた犠牲はあまりにも痛々しい。
コロンビア号の乗組員の方々は、ほとんどが40歳代。私と同じ『アポロ世代』である。
あの『月面着陸』を見て、どんなに宇宙に憧れ、未来を夢見、努力してきただろう。
エンデバー号での飛行経験を持つベテランもいての、順調な飛行と、任務遂行。
たくさんの『成果』をお土産に、まだ小さい子どももいる愛する家族や、苦楽を共にしてきた同僚たちのもとへ帰り着く、ほんの後15分前の悲劇。
彼らの無念さと、目の前で起きた事をいまだ信じられずにいる残された人たちの衝撃と悲しみは、計り知れない。
奇しくもNHKの朝の連続テレビ小説『まんてん』の中の、宇宙飛行士になる面接試験のシーンで、「あなたは宇宙で死ねますか」という質問を受けるくだりがあった。
実際にこういう悲劇が繰り返されてしまうと、また、科学の進歩は、遅れてしまうのかもしれない。
でも、このマイナスは、単なる判断ミスではなく、プラスに転化するために与えられた『試練』と受け止めければならないと思う。
『コンピューターは万能ではない。』ということ、このご時世、予算がないのなら、『脅威』のためではなく、地球規模での人類の歴史のために、国境を超え、人種も宗教も、主義も超えての、国際的な宇宙開発プロジェクトの構想と実現が不可欠だと思う。
宇宙飛行士とその家族は、未知の危険と、それに伴う悲劇の可能性は覚悟の上だったと思う。
その志と功績は、この悲しみを乗り越え、後進に受け継がれていくことだろう。
でも、その悲しみは永遠に癒される事はない。亡くなった人は、戻ってはこないのだ。
だから、悲劇は繰り返してはならないのだ。
でも、悲劇を恐れ、立ち止まってはいられない。そのためにも、早急で綿密な原因究明を望んで止まない。
中学時代夢中になって読んだSF作家星新一の本の中に、『プレゼント』というショートショートがあった。
国家間闘争が絶えない地球を心配して、心優しい宇宙人が送ってくれた、仲直りするのに有効な『プレゼント』とは・・・。
高校時代に心酔したSF作家レイブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』の中に、宇宙飛行士の家族の話があったっけ・・・。
久しぶりに頁をめくってみることにしよう・・・。
コロンビア号の乗組員の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、ご遺族の方に心よりお見舞い申し上げます。