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交流

子ども県展地区審査

2004-10-24 16:18:00 | 徒然なるままに
10月22日(金)

午前中は、3年生のマーブリング、5年生の年賀状の下絵の指導。
午後からは、子ども県展の二次審査のお手伝い。

市内の小中学校から集まった絵の中から、入選と佳作を選出し、入選作品は、次に県の中央審査にいくのだ。
かつては、すべて終わったら翌朝になっていたと言うほど応募総数が多かったそうだ。
最近は、出品数が激減し、レベルも低迷がちだという。
少子化でクラス数が減り、授業時数が減り、5日制になって、行事に追われて仕上げる時間どころか、授業そのものの時間が取れないと言う現状がある。
そういう中で、コンクールに出品する作品を描き上げるためには、子ども達はもちろん、担任の先生方も、相当苦労しているに違いない。
かといって描きたくもない(かどうかは知らないが)絵を強要されたり、締め切り直前は他の教科をつぶしてまで絵を仕上げる学校もあるそうだ。

学校全体、クラス全体で、県展を目指して図工や美術に取り組むというのは素晴らしいことだと思う。
そういう意味では学校奨励賞などは意味があるものだとは思うが、一方で、その加熱ぶりが「図工・美術嫌い」を生み出ているのは否めないと思う。

「こう描けば コンクールに入賞する」と言うノウハウと、「こんな授業が子ども達を図工・美術好きにする」と言う指導法が、イコールであれば何の問題もない。
大切なのは、図工や美術を通して子どもの心を豊かにしてあげることであって、描画力やテクニックの向上は、その後のことだと思う。

とても上手な絵がたくさんあった。どれも力作で、どれだけの時間を費やしたのだろうと、その根気と努力には頭が下がる。
でも、構図も描き方も同じような絵を何十枚も見せられると、なんだか「制服」を着て、きちんと整列している子ども達を見ているような錯覚に陥ってくる。
良く見るとそれぞれ細かなところで工夫やアイディアを見つけることはできるが、「個性」は全く感じられない。
妙なことには、そういう力作群の隣に、限られた時数の中で学年相応ののびのび描いてあるような絵や、仕上がりとしてはあっさりした絵があると、「見劣り」してしまうものらしい。
「時間がなかったのか」「途中のような絵」「描き込みが足りない」と言うことらしい。

実際、高学年になるほど出品数は減り、棄権するクラスや学校が続出だった。
生徒は
「どうせ出しても、自分の絵は選ばれないだろう」
と最初からあきらめ、
先生は
「仕上げるまでの時間が取れないし、指導が大変」
と消極的になってしまうらしい。
審査後の反省会で、
「県展が終わったら、『もう図工なんてやりたくない』と言う子を出さないよう、『下手でもいいんだ』『図工の時間が待ちどうしい』と言う気持ちで取り組めるような指導が大事。」
という感想が出ていたが、いろいろな意味で私は疑問ばかり持つ審査だった。

でも、私自身にとっては、良くも悪くも大変勉強にも参考にもなる良い機会だった。
この経験を授業に生かし、子ども達に還元できるよう、教材研究に励もうと思う。

審査が終わったのは5時半を回り、帰りはもう真っ暗だった。
朝から審査に参加されていた先生方、お疲れ様でした。

いろいろ考え事をしながら運転していたせいか、高速のインターに入りそびれ、さまようこと一時間。まるで狐につままれたようだった。

やっと明日の公民館まつりのリハーサル会場についたのは、子ども達が解散した後だった。
子どもたち、スタッフのみんな、ごめんなさい!!
明日はソーランで思いっきり踊るぞ!

ケーナ、ソーラン、父母会、役員会・・・忙しい1日でした

2004-10-24 15:11:00 | 徒然なるままに
10月23日(土)

今日は、午前中はケーナの練習。
お昼から公民館祭でソーランを踊り、
夕方、子どもルームの父母会に出席し、
夜は、中学のバザーの打ち合わせに参加。

ケーナは、久々の参加にもかかわらず、何とか「もののけ姫」が間違えずに吹けるようになった。
なかなか出なかった高い「ラ」「シ」「ド」も出るようになったぞ!
手作りのケーナ作りから始まったこの講座。
買ってきたケーナとはまた一味違う。
みんなのケーナと音合わせしながら調音するのは、難しいが楽しくもある。
後は練習あるのみ!
夢の「El condor pasa 」3部作を吹けるようになるまでがんばるぞ!
子ども達の中には、、発表会1ヶ月前の今になってもなかなか思うように音がでないために挫折しかかって、練習に集中できないる子もいる。
何とかみんなのがんばりが報われるよう、サポートして行かなくちゃ。

公民館でのソーランは、今回初めて「正調ソーラン講座」のコーナーを設け、一般の人の参加を募ったところ、たくさんの人が参加してくださり、大盛況だった。
子ども達も緊張気味ながら、一生懸命踊っていた。今回初めて幼児だけで「南中ソーラン」踊ったのだが、いつもお母さんに抱っこされていたり、陰に隠れてしまうような子達が、お母さんから離れ、何となくでもその気になってリズムに乗ってポーズを決めたりずると、それだけで見ていてもうウルウルきてしまう。
公民館祭は年配の方が多いので、こんな小さい子達の「その気」のソーランは、もう、乗り出して応援してくださっているのがビンビン伝わってくる。

子どもルームの父母会のもっぱらの話題は、ゲームとおやつだった。
ゲームボーイについては、例年頭を悩ます問題らしい。
できれば禁止してほしいと言う父母の要望に反して、子ども達の夢中になる様子は、現場の指導員の方たちの悩みの種なのだそうだ。
我が家の場合でも、高1の息子が小5でハマってしまったとき、厳しく決まりを作ったり、禁止しても、友達の家にやりに行ったり、隠れてやっていたりとかして、ますますハマって、どんどん視力が落ちていった。
全面的に禁止や取り上げてしまうのではなく、カセットの自己管理はもちろん、子どもたち同士でルールを決めさせ、楽しく遊べる時間と場も残してあげた方が良いと思う。
おやつは、お迎えが遅くなるこのためにも、できれば腹持ちの良い軽食系のものが望ましい。
実際、予算や好き嫌いなど諸々の問題点はあるとは思うが、「おやつ」も「食育」の一環として子どもの心と体を育てる大切な役割があると思う。

中学のバザーでは、私はフランクフルトの担当になった。
今年はどういうわけか、おにぎりもパンもお餅もない。食事系はカレーと焼きそばしかないと言うのに、焼きそばに入れるキャベツの高騰で、担当の人たちは頭を悩ませていた。
それより何より、役員の負担軽減のためか、少子化で会費の予算が少なくなってきたからか、恒例の地域のサークルの発表などの「呼び物」が何もない。
「利益」を考えるなら、学区内外のあらゆる年齢層の人たちが参加したりそれを見に来るような「呼び物」って、大事度と思うのだが・・・。
そのためのわずかな「お礼」の予算を削るために何の出し物もないのでは、かなり閉鎖的な利益の上がらないバザーになりそうだ。
先日の役員会で、教頭先生が、
「学区の小学生をお持ちのご家庭に、中学校の良さを口コミで宣伝してください」
とおっしゃっていたが、学校の様子を広く知ってもらう良い機会なのに、なぜ、こんな敷居の高い、閉鎖的なバザーをやるのか、全くわからない。

中2の娘は、この2学期、全く学校に行っていないのだが、私のクラス委員としての役割だけはしっかり果たさねばなるまい。なんだかとっても空しい・・・。


自然の驚異と、人的災害の恐ろしさ

2004-10-24 14:56:00 | 徒然なるままに
10月24日(日)

一夜明けて、昨日の地震の被害状況が明らかになってきている。
地震発生時は日も落ちで暗かったので、確認できなかった状況が、日の出とともにさらけ出されたその爪痕の大きさに言葉もない。
先日の台風の被害状況も恐ろしく痛ましい物だった。
「天災」という自然の驚異の前には、人はいかに無力かと言うことを思い知らされる。

宮城県沖地震の時の死者の死因のほとんどは、手抜き工事のブロック塀によるものが多く、「人的災害」でもあると報道された。
地震直後の火災も「人的災害 」という二次災害だ。
被害を最小限に食い止め、広げないためには、予防も必要だが、起きてしまった以上は、救助・非難、食料・水の確保、ライフラインの復旧などの迅速な対応が最優先だ。

そして、阪神大震災のときもそうだったが、寒い時期の避難所生活が長引いたり、家族や家を失ったことによる精神的ショックや、余震の恐怖などの精神面でのケアが重要になってくる。
特に、一人暮らしのお年寄りや生後間もない乳幼児、病人、けが人のこの季節の避難所生活は厳しいものがある。
食料や水、トイレ・風呂など生活面での不自由さは、体験した人でないとわからないご苦労があることと思う。
ただでさえ寒さに向かうこの季節の避難所生活では、睡眠不足や気持ちが弱っているときだけに、風邪など流行性の強いの病気にも気をつけてなくてはならないことだろう。

NHKの朝の連続ドラマ「わかば」の中で、
「生きているだけで丸儲け」
と言う言葉が出てくる。
今、余震におびえながら、あまりにも変わり果てた街やわが家の前で愕然とされている方たちには、恐怖と不安のほうが大きくて、その言葉を実感できるにはずいぶん時間がかかることでしょう。
これ以上被害が拡大しないことと、被災された方々が元気を取り戻され、街が一日も早く復旧されますよう、心からお祈りいたします。

「明日はわが身」であり、「困ったときはお互い様」で、今、自分達にできることは何か家族と話し合おうと思う。

地震お見舞いを申し上げます。~Xdayに備えて~

2004-10-24 14:55:00 | 徒然なるままに
10月23日(土)


新潟県で震度6強の地震が3回も起きた。
先日の台風の大雨の後の地盤が緩んでいるときの大地震ということもあり、続々と被害の状況が報告されてくる。
この季節、家を失った方々は、寒空の中避難所生活を強いられることになると思うと、本当にお気の毒だ。何より、一瞬にして命を落とされた方や、そのご遺族、依然行方不明の方々、けがをされた方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

私も25年前、宮城県沖地震を体験した。
あの恐ろしさは今でも忘れられない。
あの日、電気も、ガスも水道も使えない真っ暗な傾いだ家の中で、家族肩を寄せ合って余震におびえながら不安な一夜を過ごしたことを、今も生々しく覚えている。

阪神淡路大震災の後に気合いを入れて揃えた避難グッズも、今は物入れに眠っている状態だが、これを「警告」と受け取って、再点検、再装備しなくては!
子ども達とも、もし、家族別々の場所で被災したときには、どう対処するかを打ち合わせておかないと・・・!

地震は、時と場所を選ばず、いつ、どこで起きてもおかしくはない天災だ。
その時になったら、とにかくあわてないことだ。
今回の新潟地震で、不幸中の幸いだったのは、地震直後の火災が起きなかったことだ。
関東大震災も、阪神淡路大震災も、地震そのものによる被害よりも火災による被害が大きく、犠牲者も火災の広がりとともに増えていった。
「グラッ」ときたら、すぐ火を消し、逃げ道を確保し、机などの下に避難すること・・・・なのだが、常に家の中に居るわけではない。乗り物の中や、エレベーターの中、地下道を歩いていたり、旅行中のホテルや旅館などで、ぐっすり眠っているときかもしれない。
就寝中の地震のときに備えて、布団のそばに、履物を用意しておくと良いそうだ。(阪神大震災体験者の方の話)
大きな地震のときは、ガラスや蛍光灯が割れて、足の踏み場もなくなってしまう。
真っ暗な中でも、すぐわかるところに履物があれば、足に怪我をしないで逃げることができる。

もう一度、我が家の安全対策を見直して、Xdayに備えよう。