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神田香織 立体講談『はだしのゲン』を聴いてきました。

2011-07-10 13:00:00 | 徒然なるままに
7月10日(日)

昨日9日、講談師・神田香織さんの立体講談『はだしのゲン』を聞いてきた。

『はだしのゲン』は、中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした漫画だ。
原爆投下前後の広島を生きる主人公中岡ゲンは当時9歳。
映画やアニメ化もされたが、講談で聴く『はだしのゲン』は、映像はないのに、ゲンたち親子の仲睦まじさや、親子の絆、子どもたちのい聞きとした姿、原爆の恐ろしさ、過酷な状況を生き抜こうとするゲンと母のたくましさが、迫力のある語り口で、生き生きと描かれていた。

特に、被爆直後の街の情景や、焼けただれた人々の描写は、鬼気迫るものがあった。

神田さんが講談の前にもお話しされていたが、日本の話芸の『落語』は笑いを提供し、『浪曲』は涙を誘い、『講談』は庶民の声、特に怒りを代弁する。
TVもラジオもインターネットもない時代に、命がけで現場を見てきた人が、その状況をつぶさに報告したことから発展して行った講談。
戦記物や英雄伝には誇張がつきものかもしれないが、聴く人の想像力を高めさせ、説得力のある話芸は、メディアなどにはない迫力がある。

つい、さっきまで、当たり前にあった生活や未来を、命を一瞬のうちに奪われてしまった人たちの怒りや無念を、講談という話術で、今の時代の人に思いを代弁する。
私の隣の席に座っていた中学1年生の男の子が泣きながら聞いていた。

ゲンに妹が生まれたところで講談は終わった。
公演が終わってから、
「私はその少年に、このお話には続きがあるのよ。学校の図書室に『はだしのゲン』というマンガが必ず置いてあるから、ぜひ、読んでみてね」
と言った。

ロビーで著書をサイン販売していた神田さんに、購入した本にサインをしてもらいながら、挨拶をした。
「私は、以前、同じこの会場で神田さんの『はだしのゲン』を公演された時のチラシを担当したものです。今回は、当時はまだお腹の中にもいなかった娘と聞きに来ました。
娘は8月7日生まれで、自分の誕生日を嫌っていました。毎年、戦争の話ばかりが放送される8月が嫌いで、戦争の話や映画を極力避けてきました。
でも、私は娘に『はだしのゲン』を聞かせたかったのです。
最後に、自分と同じ誕生日の赤ちゃんが生まれるシーンを、娘はどう感じたでしょう?
今日はありがとうございました。」
それから、ご実家がいわき市だと言う神田さんに、
「私の実家は、石巻です。」
と言ったところ、手を握って、石巻でも公演したこと、お互いに、被災地出身だけれど、自分にできることで故郷を応援すること、頑張ることを語り合った。

帰り、娘と蕎麦屋に入った。
娘は何も言わなかったが、とても穏やかな顔をしていた。

祖父母が住む津波の被害にあった石巻と、原爆投下後の広島がリンクしたのだろうか。
ずっと避けてきた『戦争』の話を、彼女はどう受け止めたのだろう。
聴きたいことは山ほどあるが、彼女の中でじっくりと熟成し、自分から私に話をしてくるまで、そっとしておこうと思う。

ただ、私も、娘と同じ年頃の時に、同じようだったのだが、私が戦争のことをもっと知らなくてはと思った時には、一番話を聞きたかった祖父は亡くなっていたので、その時の私と同じ後悔はさせたくはないと思う。


暑中お見舞い申し上げます。*(風鈴)* カフェ再開しました~*(コーヒー)*

2011-07-10 10:04:00 | 徒然なるままに
ただいま~!*(笑顔)*久しぶりのCafeです。

暑中お見舞い申し上げます。

関東地方は梅雨明けということで、早朝からピーカンで、強い夏の日差しが照りつけています。でも、まだ朝のうちだからか、吹く風はさわやかです。

さて、先週3日に一次試験が終わりました。

結果は、7月下旬~8月初めに出ます。


ここからは、今回の受験の総括を書こうと思います。

良かった事。

・最後までモチベーションを維持して、時間いっぱい頑張れた。

・正解不正解関係なく、マークシートの回答欄を全部埋める事ができた。

・特に1週間前から、論文の書き方がわかってきて、いろいろなことが論理的に書けるようになったこと。(本番は、演習不足で十分力を発揮できなかったが)
これを、免許取得のためのレポート作りに生かしたい。


・故郷が被災地になり、新しい環境の職場で、毎日身も心もボロ雑巾のようになりながらも、1日も仕事を休まず、身体も壊さず、試験当日、遅刻もしないで、体調万全で受験ができたこと。


・一番良かったのは、同志ができたこと。
弱気になったり、挫けそうになったりすると、お互いに励まし合ったり、支え合い、触発し合える仲間がいると言うことは、最後まであきらめない、モチベーションの維持には欠くことのできない存在だった。。
この出会いは、生涯の宝だと思う。
ぜひ、いつかは結果を出して、互いの健闘を喜び合いたい。


反省点

・今回最大の反省は、実技だった。
デッサンは、1日休むと取り戻すのに1週間はかかる。3日休むと1カ月はかかる。1週間休むと3カ月はかかると言われ、美大受験の時は毎日描いていたのに…。
今年はまったく描けなかった。
前日も、本番と同じ時間を設定して描いてはいたのだが…。
モチーフのビニール袋が描けなかった・・・。
 
いや、描けなかったのではない。自分は描いていなくてもいつでも描けるという慢心、根拠のない地震と油断…要するに実技を甘く見ていたのだ・・・。
思えば、4月から小学校の担任になって3カ月、ほとんど描いていなかった。
中学校の美術講師をしていた頃は、なんだかんだ言っても、授業でもなんでも常に何か絵は描いていた。
このたった3カ月のブランクで、こんなに画力が落ちたとは・・・。

万が一、一次試験が受かったとしたら、2次試験でも実技はある。採用されれば、4月からは美術の教員だ。
描けないでは済まされない。
毎日15分でも手を動かして、取り戻さなくては!*(汗)*

・勉強不足や認識不足は言うまでもない。
どんなに過去問題で100点取れるぐらい勉強しても、去年出たところは、今年は出ない。毎年出る分野からは、同じ問題は出ないので、他県の問題などを参考にするなど、試験問題の傾向と対策が不十分だった。
専門外の専門知識の問題は書けなくても、知っている知識を思い出せずに書けないのは悔しい。
もう一度、知識の整理をして、スキルアップを図らねば。

・論文の書き方の習得が遅かった。論理的な文章の書き方の演習と、県教育委員会が求める教師像に沿った文章の書き方ではなく、自分の思いばかりを優先して書いていたことに気がついたのが1週間前だった。*(汗)*

・仕事との両立が難しかった。
小学校担任という、今までとは全く違う環境と仕事内容、仕事量で、その上、2年生という元気いっぱい、かまってオーラいっぱいの子どもたちと全力で生活して、8kgも体重が減った。
そのお陰で、70段の階段を子どもと競争してかけ上がっても、息切れはしなくなったが…。
朝8時から夕方4時まで、座れる時間が給食を食べる10分間しかなく、仕事の要領が悪く、残業し、退勤時間内に終わらない仕事を持ち帰っても、家にたどり着くなり、3秒を待たずに生き倒れ、翌朝、夜明け前に起きだしてシャワーを浴び、出勤前まで○付けと朱書きに追われ、朝食もそこそこに出勤する。
そんな過酷な日々が続き、体重は減っても身体は鉛のように重かった。
平日の勉強時間は、ほとんどなかった。
整体に行けば
「体が悲鳴を上げていますよ、もっと体をいたわってあげてください」
と叱られてばかりだった。

2学期は、先輩の先生方から、就業時間内に仕事を終えられるような効率の良い仕事の仕方と、疲れを翌日に残さない仕事の仕方を学ぼうと思う。



さて、夏休み*(ひまわり)*まであと10日。
暑さに負けずに、ラストスパート、頑張るぞ~!!!