7月10日(日)
昨日9日、講談師・神田香織さんの立体講談『はだしのゲン』を聞いてきた。
『はだしのゲン』は、中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした漫画だ。
原爆投下前後の広島を生きる主人公中岡ゲンは当時9歳。
映画やアニメ化もされたが、講談で聴く『はだしのゲン』は、映像はないのに、ゲンたち親子の仲睦まじさや、親子の絆、子どもたちのい聞きとした姿、原爆の恐ろしさ、過酷な状況を生き抜こうとするゲンと母のたくましさが、迫力のある語り口で、生き生きと描かれていた。
特に、被爆直後の街の情景や、焼けただれた人々の描写は、鬼気迫るものがあった。
神田さんが講談の前にもお話しされていたが、日本の話芸の『落語』は笑いを提供し、『浪曲』は涙を誘い、『講談』は庶民の声、特に怒りを代弁する。
TVもラジオもインターネットもない時代に、命がけで現場を見てきた人が、その状況をつぶさに報告したことから発展して行った講談。
戦記物や英雄伝には誇張がつきものかもしれないが、聴く人の想像力を高めさせ、説得力のある話芸は、メディアなどにはない迫力がある。
つい、さっきまで、当たり前にあった生活や未来を、命を一瞬のうちに奪われてしまった人たちの怒りや無念を、講談という話術で、今の時代の人に思いを代弁する。
私の隣の席に座っていた中学1年生の男の子が泣きながら聞いていた。
ゲンに妹が生まれたところで講談は終わった。
公演が終わってから、
「私はその少年に、このお話には続きがあるのよ。学校の図書室に『はだしのゲン』というマンガが必ず置いてあるから、ぜひ、読んでみてね」
と言った。
ロビーで著書をサイン販売していた神田さんに、購入した本にサインをしてもらいながら、挨拶をした。
「私は、以前、同じこの会場で神田さんの『はだしのゲン』を公演された時のチラシを担当したものです。今回は、当時はまだお腹の中にもいなかった娘と聞きに来ました。
娘は8月7日生まれで、自分の誕生日を嫌っていました。毎年、戦争の話ばかりが放送される8月が嫌いで、戦争の話や映画を極力避けてきました。
でも、私は娘に『はだしのゲン』を聞かせたかったのです。
最後に、自分と同じ誕生日の赤ちゃんが生まれるシーンを、娘はどう感じたでしょう?
今日はありがとうございました。」
それから、ご実家がいわき市だと言う神田さんに、
「私の実家は、石巻です。」
と言ったところ、手を握って、石巻でも公演したこと、お互いに、被災地出身だけれど、自分にできることで故郷を応援すること、頑張ることを語り合った。
帰り、娘と蕎麦屋に入った。
娘は何も言わなかったが、とても穏やかな顔をしていた。
祖父母が住む津波の被害にあった石巻と、原爆投下後の広島がリンクしたのだろうか。
ずっと避けてきた『戦争』の話を、彼女はどう受け止めたのだろう。
聴きたいことは山ほどあるが、彼女の中でじっくりと熟成し、自分から私に話をしてくるまで、そっとしておこうと思う。
ただ、私も、娘と同じ年頃の時に、同じようだったのだが、私が戦争のことをもっと知らなくてはと思った時には、一番話を聞きたかった祖父は亡くなっていたので、その時の私と同じ後悔はさせたくはないと思う。
昨日9日、講談師・神田香織さんの立体講談『はだしのゲン』を聞いてきた。
『はだしのゲン』は、中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした漫画だ。
原爆投下前後の広島を生きる主人公中岡ゲンは当時9歳。
映画やアニメ化もされたが、講談で聴く『はだしのゲン』は、映像はないのに、ゲンたち親子の仲睦まじさや、親子の絆、子どもたちのい聞きとした姿、原爆の恐ろしさ、過酷な状況を生き抜こうとするゲンと母のたくましさが、迫力のある語り口で、生き生きと描かれていた。
特に、被爆直後の街の情景や、焼けただれた人々の描写は、鬼気迫るものがあった。
神田さんが講談の前にもお話しされていたが、日本の話芸の『落語』は笑いを提供し、『浪曲』は涙を誘い、『講談』は庶民の声、特に怒りを代弁する。
TVもラジオもインターネットもない時代に、命がけで現場を見てきた人が、その状況をつぶさに報告したことから発展して行った講談。
戦記物や英雄伝には誇張がつきものかもしれないが、聴く人の想像力を高めさせ、説得力のある話芸は、メディアなどにはない迫力がある。
つい、さっきまで、当たり前にあった生活や未来を、命を一瞬のうちに奪われてしまった人たちの怒りや無念を、講談という話術で、今の時代の人に思いを代弁する。
私の隣の席に座っていた中学1年生の男の子が泣きながら聞いていた。
ゲンに妹が生まれたところで講談は終わった。
公演が終わってから、
「私はその少年に、このお話には続きがあるのよ。学校の図書室に『はだしのゲン』というマンガが必ず置いてあるから、ぜひ、読んでみてね」
と言った。
ロビーで著書をサイン販売していた神田さんに、購入した本にサインをしてもらいながら、挨拶をした。
「私は、以前、同じこの会場で神田さんの『はだしのゲン』を公演された時のチラシを担当したものです。今回は、当時はまだお腹の中にもいなかった娘と聞きに来ました。
娘は8月7日生まれで、自分の誕生日を嫌っていました。毎年、戦争の話ばかりが放送される8月が嫌いで、戦争の話や映画を極力避けてきました。
でも、私は娘に『はだしのゲン』を聞かせたかったのです。
最後に、自分と同じ誕生日の赤ちゃんが生まれるシーンを、娘はどう感じたでしょう?
今日はありがとうございました。」
それから、ご実家がいわき市だと言う神田さんに、
「私の実家は、石巻です。」
と言ったところ、手を握って、石巻でも公演したこと、お互いに、被災地出身だけれど、自分にできることで故郷を応援すること、頑張ることを語り合った。
帰り、娘と蕎麦屋に入った。
娘は何も言わなかったが、とても穏やかな顔をしていた。
祖父母が住む津波の被害にあった石巻と、原爆投下後の広島がリンクしたのだろうか。
ずっと避けてきた『戦争』の話を、彼女はどう受け止めたのだろう。
聴きたいことは山ほどあるが、彼女の中でじっくりと熟成し、自分から私に話をしてくるまで、そっとしておこうと思う。
ただ、私も、娘と同じ年頃の時に、同じようだったのだが、私が戦争のことをもっと知らなくてはと思った時には、一番話を聞きたかった祖父は亡くなっていたので、その時の私と同じ後悔はさせたくはないと思う。