7月10日(日)
今日は、千葉県立美術館で『山下清 展』を見てきた。http://www.chiba-muse.or.jp/ART/special/110528yamashita/index.html
放浪の天才画家として有名な山下清画伯は、東京浅草に生まれた。
3歳でひどい消化不良の後遺症から、言語障害と知的障害になり、小学校に入学後は障害をバカにされてひどいいじめに遭い、暴力的な犯行をするようになってしまう。
その後、千葉県の八幡学園に入学し、園長先生の勧めで貼り絵と出会い、徐々にその才能を開花させていくのである。
展覧会では、学園時代の貴重な貼り絵作品から、代表作までたくさんの作品が展示してあり、それを描いた当時の日記も紹介してあり、とても興味深かった。
会場では、昭和32年当時の記録映画も上映されており、あの緻密な貼り絵がどのようにして制作されているのか制作風景や、画伯の声で語られる作品への思いは、感動的だった。
今回は、貼り絵の他に、下書きなしでいきなり描いたとは思えないサインペン画も数多く展示されており、力強さと緻密さ、大胆な構図と繊細なタッチが入り混じり、とても迫力があった。
また、後年、陶芸の絵付けでも才能を発揮した作品も展示してあった。
とにかく、八幡学園を逃げだして放浪の旅に出るなど、本格的な美術の勉強などしていないにもかかわらず、印象派を思わせる色使いや、正確な立体表現や奥行きの出し方には驚いた。何より、記憶力の良さと根気強さには脱帽しかない。
人間不信で、虫だけが自分の味方だと思い、虫の貼り絵ばかりだった清少年が、学園にまじり、自己表現手段としての貼り絵を習得し、旅から帰るたびに自分を温かく迎えてもらい、見てきたこと、感じてきたことを自由に画面いっぱいに表現する。
八幡学園との出会いが、天才・山下清を誕生させ、次々に作品を誕生させる『居場所』と『自己肯定感』そして『達成感』を与え続けてきたのだと思う。
そして何より、山下画伯の才能にいち早く気がついた安井曾太郎との出会いや、放浪中の画伯を捜索願を出してまで彼の才能を世にアピールしてくれた、アメリカの雑誌『ライフ』があってこそ、彼の絵は世の認める名画となっていったのだ。
今回、この目であの貼り絵でできた原画を見、まさに『天才・山下清』に感動した。この感動は、印刷物を見ただけではでは味わえない。
と同時に、彼の絵を保管していた八幡学園、傷みや退色を修復したプロジェクトの努力には頭が下がる。
今日は、とにかく目の保養と作品から発されるオーラをたくさん浴びて、実に充実した気持ちで帰ることができた。
またどこかで『山下清展』をやることがあったら、ぜひ出かけていきたいと思う。
最後に、今日7月10日は、40年前の1971年(昭和46年)7月10日に画伯が脳溢血で倒れた日であり、明後日12日は、氏の命日にあたる。
ご冥福をお祈りする。
今日は、千葉県立美術館で『山下清 展』を見てきた。http://www.chiba-muse.or.jp/ART/special/110528yamashita/index.html
放浪の天才画家として有名な山下清画伯は、東京浅草に生まれた。
3歳でひどい消化不良の後遺症から、言語障害と知的障害になり、小学校に入学後は障害をバカにされてひどいいじめに遭い、暴力的な犯行をするようになってしまう。
その後、千葉県の八幡学園に入学し、園長先生の勧めで貼り絵と出会い、徐々にその才能を開花させていくのである。
展覧会では、学園時代の貴重な貼り絵作品から、代表作までたくさんの作品が展示してあり、それを描いた当時の日記も紹介してあり、とても興味深かった。
会場では、昭和32年当時の記録映画も上映されており、あの緻密な貼り絵がどのようにして制作されているのか制作風景や、画伯の声で語られる作品への思いは、感動的だった。
今回は、貼り絵の他に、下書きなしでいきなり描いたとは思えないサインペン画も数多く展示されており、力強さと緻密さ、大胆な構図と繊細なタッチが入り混じり、とても迫力があった。
また、後年、陶芸の絵付けでも才能を発揮した作品も展示してあった。
とにかく、八幡学園を逃げだして放浪の旅に出るなど、本格的な美術の勉強などしていないにもかかわらず、印象派を思わせる色使いや、正確な立体表現や奥行きの出し方には驚いた。何より、記憶力の良さと根気強さには脱帽しかない。
人間不信で、虫だけが自分の味方だと思い、虫の貼り絵ばかりだった清少年が、学園にまじり、自己表現手段としての貼り絵を習得し、旅から帰るたびに自分を温かく迎えてもらい、見てきたこと、感じてきたことを自由に画面いっぱいに表現する。
八幡学園との出会いが、天才・山下清を誕生させ、次々に作品を誕生させる『居場所』と『自己肯定感』そして『達成感』を与え続けてきたのだと思う。
そして何より、山下画伯の才能にいち早く気がついた安井曾太郎との出会いや、放浪中の画伯を捜索願を出してまで彼の才能を世にアピールしてくれた、アメリカの雑誌『ライフ』があってこそ、彼の絵は世の認める名画となっていったのだ。
今回、この目であの貼り絵でできた原画を見、まさに『天才・山下清』に感動した。この感動は、印刷物を見ただけではでは味わえない。
と同時に、彼の絵を保管していた八幡学園、傷みや退色を修復したプロジェクトの努力には頭が下がる。
今日は、とにかく目の保養と作品から発されるオーラをたくさん浴びて、実に充実した気持ちで帰ることができた。
またどこかで『山下清展』をやることがあったら、ぜひ出かけていきたいと思う。
最後に、今日7月10日は、40年前の1971年(昭和46年)7月10日に画伯が脳溢血で倒れた日であり、明後日12日は、氏の命日にあたる。
ご冥福をお祈りする。