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51歳の『努力目標』

2011-07-16 13:57:00 | 徒然なるままに
7月16日(土)

3月11日の震災から、4か月が経った。
被災地となった故郷石巻に、いまだ帰省していない私。
夏休みに入ってからも、、保護者面談や研修や出張があり、ようやく休みが取れるのは7月30日からだ。
31日の娘のピアノの発表会が終わったら、その日の夜行バスで故郷に向かう。

着いたその日は8月1日。石巻川開きの本祭の日だ。

今回の帰省は、その日を思うたびに、涙がこみ上げてきてしまう。

でも、弟に言われた。
「姉ちゃん、向こうに行ったら、いろんな人達に会って、いろんな話を聞くだろうけれど、めそめそするなよ。向こうの人たちは、泣きたくても泣けない、泣いたってどうしようもないところを泣かないで頑張っているんだから。
大丈夫な所から遅れてきた人間がめそめそしていたら、失礼だ。
明るくしていろ。おれも、地震直後やG.Wに帰った時は、心がけて明るくふるまってきたんだ。」

そのことを父に言ったら、
「どうしても泣きたくなったら、渡波の海に向かって思いっきり泣けばいい。」
と言ってくれた。

今、こうしてこの文章を打っていても、涙が止まらない。
普段は、忙しくて、石巻のことを思い出している間もないのだが…。
クラスの子どもたちとの会話の中に、生活の中に、自分の小学2年生の頃の思い出や、当時の友達や恩師たちの姿を重ねる時がある。
クラスの子たちも、私の2年生の頃のことをたくさん聞きたがる。
そのたびに、その夜に見る夢の中に、懐かしいふるさとの海や、四季折々の思い出がよみがえってくるのだ。
あの美しい海、砂浜、松林、校舎、校庭、お祭りの神社、港・・・・。
ああ、それが今は水底に沈み、海岸沿いは瓦礫の山、小学校は避難所、通学路の家並みは、地盤沈下の危険区域となっている。

「姉ちゃん、渡波がすっかり片付けられる前に、その目でしっかり見て来いな。」

見て来るだけでなく、しっかりビデオに撮って来て、クラスの子どもたちに被災地の現状を見てもらおうと思う。
あの子たちが私の年になるまでには、必ず起こるであろう震災に備えて。
そして、しっかり供養をしてこようと思う。友人、恩師、知人、故郷の町を・・・。
梅雨明けの猛暑の中で、必死に生き、町の復興に頑張っている故郷のみんなを応援してこようと思う。


明日は、51歳の誕生日を迎える。
もし、私が上京せずに、地元で頑張り続けていたら、私はあの日でこの世にはいない人間だったのかもしれない。
50歳の誕生日を迎えることができなかったたくさんの同学年の人たちのためにも、どんな困難なことも、辛いことも乗り越えて、頑張って生き続け、出会う人たちを、日本を元気にしていかなくてはならない。
そして、我が子達をはじめ、未来を背負っていく子どもたちに本当の『生きる力』を率先垂範して行かなくてはならない。

それが、51歳から先を生きていく私の『努力目標』だ。



追記

現在、20:32
今日は、上記の日記を描いてから、今まで辛くて直視できなかった3月11日の記事や画像、映像をネットで見続けてきた。

私の中でいまだに受け止めきれず、心の整理がつかない出来事。
それは、まだ、現地に行っていないせいでもある。
私の頭ん中には、まだ、平常時の故郷の映像の方が鮮明だから。

見終わって、まさに津波に襲われている壮絶で恐ろしい映像や、直後の痛ましい凄惨な画像、あれから4カ月がたとうとも、いまだ電気もが図も水道も復旧していない地域で必死で頑張っている人たちがいると言う現実を突きつけられた。

そして、それは、けして、他人事ではない、近い将来の自分たちの姿だと言うことを心しておかなくてはならないと思った。

いろいろな人たちのコメントの中に、石巻の人たちの言葉を紹介してあるものがあった。
「この現状を、ありのまま、日本中の人たちに伝えてください」

私にできることは何か。
ずっとそれを考えてきた。
教師として、母として、宮城県出身者として。

震災は今も続いているのだ。
毎日のように地震は続き、台風や大潮の度に冠水し、地盤沈下を起こしている地域もある。
塩水を被った田畑、町ごとなくなった地域、沈んだ瓦礫にスクリューが絡むために船が出せない港町、物資が全く行き渡らない道路も寸断された地域・・・。

仮設住宅に入れず、体育館で避難所生活をしている幼なじみ。
せっかく助かったのに、助かったことを悔やみ、生きる希望を持てない人たちもいる。
「死ぬも地獄、生きるも地獄だよ」
「今度、地震や津波が来る時は、家族がみんな一緒の時がいいなあ。死ぬも生きるも一緒の時がいい。親を亡くした子供は本当にかわいそうだよ」

3月から故郷との電話は、辛い話ばかりだった。
その中で。
石巻の川開きの話は、遠く離れて涙にくれている私をも励ます明るい話題だった。
海があっての石巻。
北上川は、石巻のシンボルだ。
故郷のみんなが泣きながら片付け、盛り上げ、石巻再興の出発点にしようと頑張っている川開き。

悲惨な現状だけでなく、町自体が一生懸命立ち上がろうとしている姿をしっかりと目に焼き付けてこようと思う。
そしてその様子を、このHPでも紹介し、学校に帰って、子どもたち、先生方、保護者、地域の方々にも知らせよう。
被災地には、これからも継続的な支援が必要なんだと言うことを。
この痛ましい被害を風化させず、そこから学び、これからに活かせる多くの教訓を学ばなければならないということを。


50歳最後の日に、自分の原風景故郷の被災の現状と向き合い、どこかで「直視」から逃げていた自分に喝を入れてくれた画像と歌を紹介する。
石巻で泣きたくなったら、この歌を思い出して、私も踏ん張ろうと思う。


http://www.youtube.com/watch?v=MVKWtxXtZ3E&feature=related