4月14日(土)雨
3月から1カ月半、まさに怒涛のような忙しさだった。(毎年のことではあるが)
でも、去年の今頃に比べれば、精神状態は雲泥の差だ。
去年の今頃は、3月11日に故郷石巻が被災し、4月5日には再び大きな地震に見舞われ、私は年度末と年度初めの慌ただしさの中、実家にも帰れず、両親の安否がようやく分かったぐらいの情報の中で、今度は原発問題まで起きて、次から次へと信じられない情報が飛び交う中での異動、着任だった。
あれから一年。
つい二週間前、前任校のクラスの子どもたちと再会を約束して離任したのが、遠い昔のように思える。
でも、一年前、彼らと桜咲く校庭で、一緒に長縄をしたり、『絆』の文字と意味を教えた最初の授業は、まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。
この春、あの子たちは、私の下を巣立ち、三年生になった。
離任式に皆にもらったメッセージ、花束、お母様方から頂いたお手紙、全部全部、大切な宝物だ。
「さよならは言わない。中学生になったみんなとまた一緒に、中学校で美術を教えて、担任としてまた会いたい。」
「十年後、先生は、どこにいても、どんな姿になっていても、必ずこの学校の六十周年記念式典に来るから、それまで、どんなことがあっても、みんなは生き延びて、必ずここで全員集合しよう!」
離任式の日、ステージからずっと一人一人の顔を見、アイコンタクトをとった。みんな、じっと私の顔を見ていた。
花道で、一人一人と笑顔で握手した。
「先生、十年後に会おうね!」
「その頃にはみんな、私の背を越して、大きくなっているんだね…。楽しみにしているよ!」
あの子たちの未来が、明るく、平和でありますように…。
さて、新天地(今年度も小学校だ)に赴任して二週間が経った。
私は、三年三組の担任になった。
去年は27人だったが、35人のクラスだ。
3日目で全員の名前と顔が一致した。
どんなクラスにして行きたいか、その3日間で方向性を決めた。
最初の2日間は様子見だったが、週が明けて最初の月曜日には、ビシッと決めた。
もちろん、学級目標は今年も
『絆~一人はみんなのために、みんなは一人のために~』
クラスの子は私のことをどういうふうに印象を持っただろう?
きっと「面白そうだけど、怖い先生」だと思っているかもしれない。
今年は、叱る時は、大きな声を出さず、まず黙って様子を見ることにした。
シンとなったところで、静かな低い声で諭すように語りかける。
口元は笑っていても、目は笑っていない。
誰かを名指しで叱る前に、その子をじっと見ている。
本人が気がつかないでいる時は、周りの子が気がついて、その子に教える。
目が合ったら、まず、目で訴える。
本人が気がついて態度を改めれば、黙ってうなづく。
気がつかない時や改めないでいる時は、そばまで行って話しかける。
「今は、何をする時間ですか?」
そういう時の目力や、あえての敬語の威圧感は、自分でも凄みがあると思う。(←末娘も妹にも言われる)
普段の私は、リラックマか、たれパンダのような動く着ぐるみ、動く4コマ漫画なので、そのギャップにまだ子どもたちはついてこれていないのかもしれない。
でも、やはり、子どもは本能でわかるのだろうか。休み時間など、私がOFFになるや否や、あっという間に周りに子どもたちが集まってくる。そう言う時の私は、ただの人の良さそうな面白いおばちゃんの素顔になっているのかもしれない。
そうそう、自己紹介の時、自分の名前の文字で始まる、自分の特徴や、なりたい自分の言葉を使って、自己紹介をさせた。
私の名前の中には、『り』という文字がある。
他の文字はあっさり考えられたのだが、「り」で始まる文字がなかなか見つからなかった。
「龍馬のように、おおらかな心」
「リラックマのように、ゆったりした心」
と思っていたのだが、末娘と妹に、
「私の『リ』って、何の『リ』だと思う?」
と聞いたら、
「『凛々しい』、とか『凛としている』じゃない?」
と言われた。
取りようによっては、「女っぽくない」と言われているような気がしないではないが、妙にしっくりきた。
『凛としている』先生であり、母親として、頑張ろう!
昨日は保護者会だった。35名中30名の参加という出席率で、後半は役員決めもあったが、終始、和やかな感じで終わった。
子どもたちが、心身ともに健やかで、安心、安全に一年間過ごせるように頑張る旨をお伝えし、ご家庭のご理解とご協力をお願いした。
学年の先生方も、職員室の先生方も、みなさん親切で、明るく笑顔が絶えない職員室だ。
でも、それは、それだけ、現実は厳しいことを物語っているのだ。
職員室の前面には「チーム○○小」と掲げられ、「ワクワク登校、生き生き学習、ニコニコ下校」という合言葉は、子どもたちだけでなく、先生方一人一人にも言えることなのだと思う。
「どんな困難なことでも、みんなで協力し合って乗り越えて行こう」
「親や教師、周りの子を困らせる児童は、実は一番困っているのは本人自身なのだ」
私は、縮こまっていた首が伸び、肩甲骨から羽が生えてくるような気がした。
新天地、まだまだ私の知らない現実の厳しさはあるのだろうが、『チーム』のみんなを信じて、私にできる精一杯のことを全力投球で尽力しよう。
今までの経験と、去年の失敗から学んだことを生かして、リベンジする!
3月から1カ月半、まさに怒涛のような忙しさだった。(毎年のことではあるが)
でも、去年の今頃に比べれば、精神状態は雲泥の差だ。
去年の今頃は、3月11日に故郷石巻が被災し、4月5日には再び大きな地震に見舞われ、私は年度末と年度初めの慌ただしさの中、実家にも帰れず、両親の安否がようやく分かったぐらいの情報の中で、今度は原発問題まで起きて、次から次へと信じられない情報が飛び交う中での異動、着任だった。
あれから一年。
つい二週間前、前任校のクラスの子どもたちと再会を約束して離任したのが、遠い昔のように思える。
でも、一年前、彼らと桜咲く校庭で、一緒に長縄をしたり、『絆』の文字と意味を教えた最初の授業は、まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。
この春、あの子たちは、私の下を巣立ち、三年生になった。
離任式に皆にもらったメッセージ、花束、お母様方から頂いたお手紙、全部全部、大切な宝物だ。
「さよならは言わない。中学生になったみんなとまた一緒に、中学校で美術を教えて、担任としてまた会いたい。」
「十年後、先生は、どこにいても、どんな姿になっていても、必ずこの学校の六十周年記念式典に来るから、それまで、どんなことがあっても、みんなは生き延びて、必ずここで全員集合しよう!」
離任式の日、ステージからずっと一人一人の顔を見、アイコンタクトをとった。みんな、じっと私の顔を見ていた。
花道で、一人一人と笑顔で握手した。
「先生、十年後に会おうね!」
「その頃にはみんな、私の背を越して、大きくなっているんだね…。楽しみにしているよ!」
あの子たちの未来が、明るく、平和でありますように…。
さて、新天地(今年度も小学校だ)に赴任して二週間が経った。
私は、三年三組の担任になった。
去年は27人だったが、35人のクラスだ。
3日目で全員の名前と顔が一致した。
どんなクラスにして行きたいか、その3日間で方向性を決めた。
最初の2日間は様子見だったが、週が明けて最初の月曜日には、ビシッと決めた。
もちろん、学級目標は今年も
『絆~一人はみんなのために、みんなは一人のために~』
クラスの子は私のことをどういうふうに印象を持っただろう?
きっと「面白そうだけど、怖い先生」だと思っているかもしれない。
今年は、叱る時は、大きな声を出さず、まず黙って様子を見ることにした。
シンとなったところで、静かな低い声で諭すように語りかける。
口元は笑っていても、目は笑っていない。
誰かを名指しで叱る前に、その子をじっと見ている。
本人が気がつかないでいる時は、周りの子が気がついて、その子に教える。
目が合ったら、まず、目で訴える。
本人が気がついて態度を改めれば、黙ってうなづく。
気がつかない時や改めないでいる時は、そばまで行って話しかける。
「今は、何をする時間ですか?」
そういう時の目力や、あえての敬語の威圧感は、自分でも凄みがあると思う。(←末娘も妹にも言われる)
普段の私は、リラックマか、たれパンダのような動く着ぐるみ、動く4コマ漫画なので、そのギャップにまだ子どもたちはついてこれていないのかもしれない。
でも、やはり、子どもは本能でわかるのだろうか。休み時間など、私がOFFになるや否や、あっという間に周りに子どもたちが集まってくる。そう言う時の私は、ただの人の良さそうな面白いおばちゃんの素顔になっているのかもしれない。
そうそう、自己紹介の時、自分の名前の文字で始まる、自分の特徴や、なりたい自分の言葉を使って、自己紹介をさせた。
私の名前の中には、『り』という文字がある。
他の文字はあっさり考えられたのだが、「り」で始まる文字がなかなか見つからなかった。
「龍馬のように、おおらかな心」
「リラックマのように、ゆったりした心」
と思っていたのだが、末娘と妹に、
「私の『リ』って、何の『リ』だと思う?」
と聞いたら、
「『凛々しい』、とか『凛としている』じゃない?」
と言われた。
取りようによっては、「女っぽくない」と言われているような気がしないではないが、妙にしっくりきた。
『凛としている』先生であり、母親として、頑張ろう!
昨日は保護者会だった。35名中30名の参加という出席率で、後半は役員決めもあったが、終始、和やかな感じで終わった。
子どもたちが、心身ともに健やかで、安心、安全に一年間過ごせるように頑張る旨をお伝えし、ご家庭のご理解とご協力をお願いした。
学年の先生方も、職員室の先生方も、みなさん親切で、明るく笑顔が絶えない職員室だ。
でも、それは、それだけ、現実は厳しいことを物語っているのだ。
職員室の前面には「チーム○○小」と掲げられ、「ワクワク登校、生き生き学習、ニコニコ下校」という合言葉は、子どもたちだけでなく、先生方一人一人にも言えることなのだと思う。
「どんな困難なことでも、みんなで協力し合って乗り越えて行こう」
「親や教師、周りの子を困らせる児童は、実は一番困っているのは本人自身なのだ」
私は、縮こまっていた首が伸び、肩甲骨から羽が生えてくるような気がした。
新天地、まだまだ私の知らない現実の厳しさはあるのだろうが、『チーム』のみんなを信じて、私にできる精一杯のことを全力投球で尽力しよう。
今までの経験と、去年の失敗から学んだことを生かして、リベンジする!
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