10月27日(火)
娘の熱も、薬が効いてか平熱状態が続き、本人もいたって元気。ちょっと咳が気になるが・・・。
お天気の方も、台風一過のきれいな秋空が澄み渡る1日だった。
今日は、1年生の授業だけで、読書感想画の下書きの修正をした。
最初のクラスは、質問攻めやあちこちのHELP に机間巡視して対応したが、45分授業の中では対応しきれないので、質問事項を下書きの隅に書いてスケッチブックを提出させた。
次のクラスでは、予想される質問事項に関して、最初に黒板に例をあげて板書してから対応した。
一点透視図法も、人体のバランスも、俯瞰・鳥瞰・煽りのカメラアングルも、全部事前に教えたはずなのだが、いざ、自分の作品に応用するとなると、何をどう使っていいのか分からないらしい。
昼掃除の時に、黒板に貼ってあった参考作品をはずしていた生徒が、しげしげとそれを見て、
「ああ、一点透視図法って、こういうことなんだ。全部の線がこの一点に集まっている!すげー!!」
と言った。
「わかってくれた?この一点の所が『消失点』で写真で言えば、カメラのレンズのピントを合わせる所なの」
「そうなってんだ~!天井を広く見せるにはこの点が下の方になって、床を広く見せる時はこの点が上にあるって、そういうこと?」
「そうそう、分かってきたね。自分でカメラで撮る時、それを意識して撮ってみてごらん。上から見下ろすように撮る時は『俯瞰』、鳥の絵の高さのように上空から撮る時は『鳥瞰』って言うの。下から見上げるように撮る時は『あおり』。普通に撮る時は『横位置』。」
「うんわかった~!おもしれ~!!」
私は、美術を教えていて、この瞬間が一番好き。
何かに気づくことによって、今まで何気なく見ていたものが、意味を持って見えてくるのだ。
前々任校の廊下の壁にあったピカソの『ゲルニカ』にこめられたメッセージ。
ゴッホの『ひまわり』が何故14本描かれているのか。
『縄文土器』が何故先が尖っているのか。
広重の『江戸名所百景はいつ制作され、どんな思いがこめられているのか。
ディズニーの『ファンタジア』の公開時、この作品を海外で見た日本人はなんと思ったのか。
『篆刻』のとき、自分の文字のルーツを知ることで、親がどんな思い出自分にその名をつけてくれたのか、その文字にどんな意味が含まれているのか。
子どもたちは、興味を示すと一足飛びで成長する。
『目からうろこ』と言う言葉があるが、今まで見えていなかったもの、見ようともしなかったものが、見えてきて分かってくると、乾いたスポンジのようにどんどん吸収していく。
そうなると、もっと知りたくて、もっと上手になりたくて、自分で調べてきたり、何回でも挑戦してくる。
そうなったらこっちのもの。
ちょっとしたヒントや、違うやり方を教えただけですぐできるようになるし、途中で諦めたりしない。
そうやって完成したものは、多少の出来不出来はともかく、達成感のある本人の『お気に入り』の作品となる。
分かったことや出来るようになったことは、今度は人に教えたくなるのだから不思議だ。
だから、『手法』の実技の時は生徒の中に『達人』やら『名人』やら『プロ』やら『師匠』をたくさん作って、出来ない生徒の面倒を見てもらっている。
そうすると、みんな喜んで偉そうに教えている。
小学校で教えていた時、美術室での授業は3年生からしか教えられないのだが、お掃除は1年生から6年生までの縦割りの6人グループで担当してくれていた。
1、2年生は、美術室が大好きで、掃除と言うよりは、上級生の作品鑑賞やら、私の作りかけの作品を何を作っているのか根掘り葉掘り聞いて来たり、見に来ているようなところがあった。(もちろん、上級生が注意して、お掃除もそれなりにやってはいたが)
あるとき、マーブリングの授業の後で、その作品を見て興味を持った1年生が、
「僕もそれをやってみたい!」
と言い出した。
「じゃあ、一生懸命やって、早くお掃除が終わらせられたら、一回だけやらせてあげるね」
と言ったら、その後はすごいすごい。頑張って5分前に終わらせたので、約束通りやらせてあげたら、大喜びで、でも慎重にマーブリングをし、その作品を大事そうに持って帰って行った。でも、それだけでは終わらなかった・・・。
翌日の業間休み。次の授業の準備をしていると、廊下の扉から例の1年生が覗いている。
「おはよう。どうしたの?」
と言うと、
「先生、昨日の、もう一回やらせてください」
と言ってきた。
実は私は、その子担任の先生から、教室でその子が皆に自慢げにマーブリングの作品を見せていたことや、その子のお兄ちゃんが1,2時間目の授業の時に、家でも皆に自慢していたことを聞いていたのだ。
「今日も、お掃除頑張ってくれる?」
「はい!」
「じゃあ。1回だけね」
と言ったら、なんと彼の後から3,4人の1年生が入ってきて
「僕たちにも教えてください」
と言うではないか。
「こんなに面倒は見切れないから、○○君、昨日教えたことを皆にも教えてあげてくれる?」
「はい!!」
そうしたらその○○君は、昨日私が説明したことを一言一句も漏らさずに説明し、優しく友達に教えてあげながら自分でもやってみせているではないか!お見事!
やんちゃで有名な1年生だったが、これには正直驚いた。
業間休みが終わる頃には、皆ニッコニコで、その不思議な模様の紙を大事そうに持って教室に帰って行った。
これは、きっと放課後や明日の業間休みには大変なことになるぞと思った私は、1年生の担任の先生に事後報告をした。
そうしたら、1年生の図工の時間に『マーブリング』を取り上げてくださることになり、もちろん、美術室で先にやっていた子達はいい助手として働いてくれたそうだ。
もうひとつ。ある学校の1年生に一点透視図法の室内パースの描き方を教えた時のこと。
ある生徒が、昼休みに、さっきの授業で習ったことを応用して、自分の部屋をリホームした絵を持ってきた。いろいろアドバイスをしたら、翌日、色鉛筆で着彩までして持ってきた。
彼の担任の先生が翌年の年賀状で、
『△△君は、1年生の時、先生に褒められたのがうれしかったのか、『職業体験』先の建築事務所で、実際に製図の仕方を教えてもらって、喜んでいましたよ』
と教えてくれ、その3年後には、
『△△君は、大学の建築科を目指して、受験勉強中だそうです』
と言う年賀状が来た。
彼は、自分の
『1級建築士になって、パテシエになったお姉ちゃん(当時中3)の店を俺が設計してあげるんだ』
と言う夢にどんどん突き進んでいるんだなぁ・・・。えらいえらい。きっとその夢が叶いますように・・・。
そんなこんなを思い出しながら、一人で寒い美術室でスケッチブックを添削していると、なんだか心はホッコリしてくる。
私が今の生徒たちと一緒にいられるのもあと5ヶ月もない。
毎年、毎年、まさに『一期一会』だ。
何年か経っても、私と一緒に美術を勉強した年に作った作品だと思い出して、大事にしてもらえるような作品を完成させてあげられるように、あと5ヶ月、頑張ろう!
娘の熱も、薬が効いてか平熱状態が続き、本人もいたって元気。ちょっと咳が気になるが・・・。
お天気の方も、台風一過のきれいな秋空が澄み渡る1日だった。
今日は、1年生の授業だけで、読書感想画の下書きの修正をした。
最初のクラスは、質問攻めやあちこちのHELP に机間巡視して対応したが、45分授業の中では対応しきれないので、質問事項を下書きの隅に書いてスケッチブックを提出させた。
次のクラスでは、予想される質問事項に関して、最初に黒板に例をあげて板書してから対応した。
一点透視図法も、人体のバランスも、俯瞰・鳥瞰・煽りのカメラアングルも、全部事前に教えたはずなのだが、いざ、自分の作品に応用するとなると、何をどう使っていいのか分からないらしい。
昼掃除の時に、黒板に貼ってあった参考作品をはずしていた生徒が、しげしげとそれを見て、
「ああ、一点透視図法って、こういうことなんだ。全部の線がこの一点に集まっている!すげー!!」
と言った。
「わかってくれた?この一点の所が『消失点』で写真で言えば、カメラのレンズのピントを合わせる所なの」
「そうなってんだ~!天井を広く見せるにはこの点が下の方になって、床を広く見せる時はこの点が上にあるって、そういうこと?」
「そうそう、分かってきたね。自分でカメラで撮る時、それを意識して撮ってみてごらん。上から見下ろすように撮る時は『俯瞰』、鳥の絵の高さのように上空から撮る時は『鳥瞰』って言うの。下から見上げるように撮る時は『あおり』。普通に撮る時は『横位置』。」
「うんわかった~!おもしれ~!!」
私は、美術を教えていて、この瞬間が一番好き。
何かに気づくことによって、今まで何気なく見ていたものが、意味を持って見えてくるのだ。
前々任校の廊下の壁にあったピカソの『ゲルニカ』にこめられたメッセージ。
ゴッホの『ひまわり』が何故14本描かれているのか。
『縄文土器』が何故先が尖っているのか。
広重の『江戸名所百景はいつ制作され、どんな思いがこめられているのか。
ディズニーの『ファンタジア』の公開時、この作品を海外で見た日本人はなんと思ったのか。
『篆刻』のとき、自分の文字のルーツを知ることで、親がどんな思い出自分にその名をつけてくれたのか、その文字にどんな意味が含まれているのか。
子どもたちは、興味を示すと一足飛びで成長する。
『目からうろこ』と言う言葉があるが、今まで見えていなかったもの、見ようともしなかったものが、見えてきて分かってくると、乾いたスポンジのようにどんどん吸収していく。
そうなると、もっと知りたくて、もっと上手になりたくて、自分で調べてきたり、何回でも挑戦してくる。
そうなったらこっちのもの。
ちょっとしたヒントや、違うやり方を教えただけですぐできるようになるし、途中で諦めたりしない。
そうやって完成したものは、多少の出来不出来はともかく、達成感のある本人の『お気に入り』の作品となる。
分かったことや出来るようになったことは、今度は人に教えたくなるのだから不思議だ。
だから、『手法』の実技の時は生徒の中に『達人』やら『名人』やら『プロ』やら『師匠』をたくさん作って、出来ない生徒の面倒を見てもらっている。
そうすると、みんな喜んで偉そうに教えている。
小学校で教えていた時、美術室での授業は3年生からしか教えられないのだが、お掃除は1年生から6年生までの縦割りの6人グループで担当してくれていた。
1、2年生は、美術室が大好きで、掃除と言うよりは、上級生の作品鑑賞やら、私の作りかけの作品を何を作っているのか根掘り葉掘り聞いて来たり、見に来ているようなところがあった。(もちろん、上級生が注意して、お掃除もそれなりにやってはいたが)
あるとき、マーブリングの授業の後で、その作品を見て興味を持った1年生が、
「僕もそれをやってみたい!」
と言い出した。
「じゃあ、一生懸命やって、早くお掃除が終わらせられたら、一回だけやらせてあげるね」
と言ったら、その後はすごいすごい。頑張って5分前に終わらせたので、約束通りやらせてあげたら、大喜びで、でも慎重にマーブリングをし、その作品を大事そうに持って帰って行った。でも、それだけでは終わらなかった・・・。
翌日の業間休み。次の授業の準備をしていると、廊下の扉から例の1年生が覗いている。
「おはよう。どうしたの?」
と言うと、
「先生、昨日の、もう一回やらせてください」
と言ってきた。
実は私は、その子担任の先生から、教室でその子が皆に自慢げにマーブリングの作品を見せていたことや、その子のお兄ちゃんが1,2時間目の授業の時に、家でも皆に自慢していたことを聞いていたのだ。
「今日も、お掃除頑張ってくれる?」
「はい!」
「じゃあ。1回だけね」
と言ったら、なんと彼の後から3,4人の1年生が入ってきて
「僕たちにも教えてください」
と言うではないか。
「こんなに面倒は見切れないから、○○君、昨日教えたことを皆にも教えてあげてくれる?」
「はい!!」
そうしたらその○○君は、昨日私が説明したことを一言一句も漏らさずに説明し、優しく友達に教えてあげながら自分でもやってみせているではないか!お見事!
やんちゃで有名な1年生だったが、これには正直驚いた。
業間休みが終わる頃には、皆ニッコニコで、その不思議な模様の紙を大事そうに持って教室に帰って行った。
これは、きっと放課後や明日の業間休みには大変なことになるぞと思った私は、1年生の担任の先生に事後報告をした。
そうしたら、1年生の図工の時間に『マーブリング』を取り上げてくださることになり、もちろん、美術室で先にやっていた子達はいい助手として働いてくれたそうだ。
もうひとつ。ある学校の1年生に一点透視図法の室内パースの描き方を教えた時のこと。
ある生徒が、昼休みに、さっきの授業で習ったことを応用して、自分の部屋をリホームした絵を持ってきた。いろいろアドバイスをしたら、翌日、色鉛筆で着彩までして持ってきた。
彼の担任の先生が翌年の年賀状で、
『△△君は、1年生の時、先生に褒められたのがうれしかったのか、『職業体験』先の建築事務所で、実際に製図の仕方を教えてもらって、喜んでいましたよ』
と教えてくれ、その3年後には、
『△△君は、大学の建築科を目指して、受験勉強中だそうです』
と言う年賀状が来た。
彼は、自分の
『1級建築士になって、パテシエになったお姉ちゃん(当時中3)の店を俺が設計してあげるんだ』
と言う夢にどんどん突き進んでいるんだなぁ・・・。えらいえらい。きっとその夢が叶いますように・・・。
そんなこんなを思い出しながら、一人で寒い美術室でスケッチブックを添削していると、なんだか心はホッコリしてくる。
私が今の生徒たちと一緒にいられるのもあと5ヶ月もない。
毎年、毎年、まさに『一期一会』だ。
何年か経っても、私と一緒に美術を勉強した年に作った作品だと思い出して、大事にしてもらえるような作品を完成させてあげられるように、あと5ヶ月、頑張ろう!
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