1月14日(木)
『竜馬だったら、こんなとき、どう対応するだろう』
『竜馬がゆく』を読んだ後、いろいろな場面で思ったことだった。
時には
『こんな世の中は竜馬は望んでいなかっただろうに・・・!』
と、一人で憂えたり憤ってみたり、じゃぁ自分に出来ることは何か?しなければならないことは何か?なんて、真剣に考えてみたり・・・。
『クヨクヨしてたらいかんぜよ~』
『太平洋は広いぜよ~』
私の竜馬好きを知った友人が、誕生日プレゼントに送ってくれた『しゃべる竜馬人形』が落ち込んだ時の私を励ましてくれたっけ・・・。
この2、3日、職場で嫌なことがあった。
その感情を自宅に持ち込まないように、陶板浴に通って精神的なクールダウンを図った(身体的には温まったが)。
でも、やはり、4月・5月ほどではないが、精神的にかなりきつくて、胃にも来た。
口に出さないようにしようとも思いながら、ついつい、娘の前で愚痴が出てしまった。
そしたら、娘がまるで『竜馬』のようなことを言ったのだ。
「そんなこと、小さなことだよ。」
その後に続く、彼女のアドバイスは、およそ中2の女の子とは思えない、的確な言葉だった。
そう、正論だけでは世の中は成り立ってはいない。
時には流すことも必要。
大事の前の小事にとらわれて、大切なことを見失ってはいないか?
そのために、周りのバランスを考え、自分を抑え、立ち位置を考え、どう行動するか。
一方の正義だけを押し押し通しても、ぶつかるだけでそこからは何も生まれない。
義を貫くには、理不尽なことも受け止めつつ、時期を見て、言い方ややり方を変えてちゃんと『義』の通り道を考えなくてはならない。
意地を張ったり、真っ向から自爆覚悟で突っ込んでボロボロになっても、『大願成就』にはならない。
娘と話しながら、なんだか日曜日に見た『龍馬伝』を思い出していた。
上士と下士、侍と百姓、当時の身分制度の理不尽さに対し、竜馬は周りが歯がゆく思うほどの低姿勢で対応する。
だが、決してその理不尽さに屈しているわけではない。
その人間の器の大きさに心から憧れる。
まさに、『大器』だ。
剣が強くても、それを振りかざさない。
逆に、拳を振り上げて自分からはけしてして振り下ろさない人に向かって、誠心誠意諦めずに向かって行き、その人が自分から拳を下ろさせるようにするところがすごい。見習わなくてはならない。
竜馬が言った。
「たった一人、上司が剣を振るうのを止めた人間を俺は知っている。おれの母親だ」
竜馬の実母・幸は、上士に手打ちにされそうになった息子を、命がけで救った。
だが、それが元で、病気が悪化し、死期を早めてしまうのだが・・・。
でも、竜馬にそう言わしめさせる幸は、竜馬が大人になっても立派な子育てをしている母親だと思う。
上士に理不尽に仲間を殺され、その上士は『お咎めなし』だということを知されて、血気に逸っている仲間たちとは逆に、遺児となった子ども達を励ます竜馬の姿に涙が出た。
また、藩に不当な扱いを受け、自棄酒で酔った勢いで上士にぶつかり、手打ちにされかかった岩崎弥太郎をかばい、下駄で頭を殴られながら必死に耐えている姿にも胸を打たれた。
それ以上に、「あいつを殺して俺も死ぬ」と怒りまくる弥太郎に対し、
「おまんは頭がいいのだから、こんなことで犬死してははいかん。お前の頭は世の中の役に立てなければならんのだから。」
と諌めるところには本当に感動した。
竜馬も言っていた。
「けんかからは、何も生まれない」
良いものを作り上げようとする時の意見のぶつかり合いは、より良いものに近づけるために必要なディスカッションだ。
でも、そこに私情が絡んで、意地の張り合いになったり、周囲を巻き込んで険悪な状態を生み出しては逆効果になる。
冷静な判断と先を見通す広い視野。
中2の娘に諌められながら、なんだか彼女を頼もしく思う私は『親ばか』だなあ・・・と思う。
娘は言う。
「明日はいつものママになって明るく行きなよね。皆さん心配してるだろうし。今の学校、あと少しなんでしょ?」
よし!復活だ!!
いつまでもしょぼくれて、胃が痛いなんて言っている場合じゃない。
特攻隊員じゃないんだ。
ちゃんと成果を挙げて家に帰り、
「ただいま~!おかげで昨日よりいい感じになれたよ」
と、明るく娘に報告できるように、今日も頑張ろう!
『竜馬だったら、こんなとき、どう対応するだろう』
『竜馬がゆく』を読んだ後、いろいろな場面で思ったことだった。
時には
『こんな世の中は竜馬は望んでいなかっただろうに・・・!』
と、一人で憂えたり憤ってみたり、じゃぁ自分に出来ることは何か?しなければならないことは何か?なんて、真剣に考えてみたり・・・。
『クヨクヨしてたらいかんぜよ~』
『太平洋は広いぜよ~』
私の竜馬好きを知った友人が、誕生日プレゼントに送ってくれた『しゃべる竜馬人形』が落ち込んだ時の私を励ましてくれたっけ・・・。
この2、3日、職場で嫌なことがあった。
その感情を自宅に持ち込まないように、陶板浴に通って精神的なクールダウンを図った(身体的には温まったが)。
でも、やはり、4月・5月ほどではないが、精神的にかなりきつくて、胃にも来た。
口に出さないようにしようとも思いながら、ついつい、娘の前で愚痴が出てしまった。
そしたら、娘がまるで『竜馬』のようなことを言ったのだ。
「そんなこと、小さなことだよ。」
その後に続く、彼女のアドバイスは、およそ中2の女の子とは思えない、的確な言葉だった。
そう、正論だけでは世の中は成り立ってはいない。
時には流すことも必要。
大事の前の小事にとらわれて、大切なことを見失ってはいないか?
そのために、周りのバランスを考え、自分を抑え、立ち位置を考え、どう行動するか。
一方の正義だけを押し押し通しても、ぶつかるだけでそこからは何も生まれない。
義を貫くには、理不尽なことも受け止めつつ、時期を見て、言い方ややり方を変えてちゃんと『義』の通り道を考えなくてはならない。
意地を張ったり、真っ向から自爆覚悟で突っ込んでボロボロになっても、『大願成就』にはならない。
娘と話しながら、なんだか日曜日に見た『龍馬伝』を思い出していた。
上士と下士、侍と百姓、当時の身分制度の理不尽さに対し、竜馬は周りが歯がゆく思うほどの低姿勢で対応する。
だが、決してその理不尽さに屈しているわけではない。
その人間の器の大きさに心から憧れる。
まさに、『大器』だ。
剣が強くても、それを振りかざさない。
逆に、拳を振り上げて自分からはけしてして振り下ろさない人に向かって、誠心誠意諦めずに向かって行き、その人が自分から拳を下ろさせるようにするところがすごい。見習わなくてはならない。
竜馬が言った。
「たった一人、上司が剣を振るうのを止めた人間を俺は知っている。おれの母親だ」
竜馬の実母・幸は、上士に手打ちにされそうになった息子を、命がけで救った。
だが、それが元で、病気が悪化し、死期を早めてしまうのだが・・・。
でも、竜馬にそう言わしめさせる幸は、竜馬が大人になっても立派な子育てをしている母親だと思う。
上士に理不尽に仲間を殺され、その上士は『お咎めなし』だということを知されて、血気に逸っている仲間たちとは逆に、遺児となった子ども達を励ます竜馬の姿に涙が出た。
また、藩に不当な扱いを受け、自棄酒で酔った勢いで上士にぶつかり、手打ちにされかかった岩崎弥太郎をかばい、下駄で頭を殴られながら必死に耐えている姿にも胸を打たれた。
それ以上に、「あいつを殺して俺も死ぬ」と怒りまくる弥太郎に対し、
「おまんは頭がいいのだから、こんなことで犬死してははいかん。お前の頭は世の中の役に立てなければならんのだから。」
と諌めるところには本当に感動した。
竜馬も言っていた。
「けんかからは、何も生まれない」
良いものを作り上げようとする時の意見のぶつかり合いは、より良いものに近づけるために必要なディスカッションだ。
でも、そこに私情が絡んで、意地の張り合いになったり、周囲を巻き込んで険悪な状態を生み出しては逆効果になる。
冷静な判断と先を見通す広い視野。
中2の娘に諌められながら、なんだか彼女を頼もしく思う私は『親ばか』だなあ・・・と思う。
娘は言う。
「明日はいつものママになって明るく行きなよね。皆さん心配してるだろうし。今の学校、あと少しなんでしょ?」
よし!復活だ!!
いつまでもしょぼくれて、胃が痛いなんて言っている場合じゃない。
特攻隊員じゃないんだ。
ちゃんと成果を挙げて家に帰り、
「ただいま~!おかげで昨日よりいい感じになれたよ」
と、明るく娘に報告できるように、今日も頑張ろう!
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