今日は、久々に人形劇の活動に参加しようと思い、長女を起こしに行った。
長女は、布団をかぶって泣いていた。
どこか痛いのかと聞くと、
「どうして私は起きられないんだろう」
と泣く。
そりゃあ、「あいのり」なんか見てから長風呂やってりゃあ朝起きられないわと思いつつ、
「今朝は起きようとは思っていたの?」
と聞くと
「うん」
といって泣く。
夕べ寝るときまでは、
「明日は朝から学校へ行こう!」
と思って寝たらしい。
が、兄や妹が起こされても、一緒に起きれず、また眠ってしまったのだ。
とにかく、「気持ち」はあっても、昼夜逆転の生活リズムが、急に正常に戻ることはありえない。
娘は、昨夜、自分から電話して同級生に今日の時間割を聞き、FAXを送ってもらっていた。
「どの時間割でもいいから、自分が無理なく参加できる授業に1時間だけ出席する。授業が無理なら、部活にだけ行く、というように、1日1回は制服を着て、学校に行ってみるというところからはじめてみよう。
今日は、6校時目が「総合」だから、出席しやすいんじゃない?
昼ごはん食べたら、行ってみてごらんよ」
他にもいろんな話をし、娘は涙をこぼしながらも、その時点では行く気にはなっていた。
でも、ついに今日は制服を着ることはなかった。
先日、私のEメールの送信ボックスに、未送信のメールが残っていた。
娘がタレントに当てたメールだった。
いつもは自分のアドレスから送るのに、何故、私のアドレスに残っているのか気になって読んでみると、
『私は、5月から学校に行ってません。
時々、何か行事があるときは行ってるんですが、ほとんど行っていません。
今は みんなと一緒に学校に行きたいと思ってるんですが、勉強とか、友達との距離とかが心配でかなか行動にうつせません。
○○ちゃんに、ぃぃァドバィスをしてほしいんですが…。』
1月8日、始業式の日付だった。
これは娘から、私へのSOSだと思った。でも、ここで焦りは禁物。
以前の娘は、学校に行けない理由を「いじめ」をはじめ、周りのせいにして、自分を正当化し同情を引くような文章を書いていた。
それが今回、「学校に行っていない」とか、「行動に移せない」というように、自分の行動を客観的に分析している。すごい進歩、成長だと思う。
自分自身と向き合うこと、それは、大人になっても結構辛いものがある。
こんな時、親としてはどう対応すればいいのか・・・・。
父に電話で聞いてみた。
「とにかく聞き役に徹すること。どうしたいのか、どうするのか、自分で考えさせ、自分から話させ、話をしているうちに考えがまとまるように。そして、それを行動に移せるがどうかをひたすら見守る。
指示したり、指摘したりして、プレッシャーをかけるのは逆効果。」
と言われた。
ひたすら聞き役に回る。私の最も苦手とするところだ。
「春に咲く花は、今の寒い時期に種をまき、球根を植えておくんだよ。どこに植えたか分からないくらい、何も無いように見えていても地面の下では、ちゃんと芽を出す準備としている。
枯れたように見える木だって、枝には硬い芽やつぼみが、寒さに耐えて春を待っている。
あなたの春のために、今からどんな種まきをしたらいいか、自分で考えてごらん。」
はーるよこい、はーやくこい、
あーるきはじめた ○~ちゃんが、
中学校の制服着て靴はいて、
学校に行きたいと待っている~。
長女は、布団をかぶって泣いていた。
どこか痛いのかと聞くと、
「どうして私は起きられないんだろう」
と泣く。
そりゃあ、「あいのり」なんか見てから長風呂やってりゃあ朝起きられないわと思いつつ、
「今朝は起きようとは思っていたの?」
と聞くと
「うん」
といって泣く。
夕べ寝るときまでは、
「明日は朝から学校へ行こう!」
と思って寝たらしい。
が、兄や妹が起こされても、一緒に起きれず、また眠ってしまったのだ。
とにかく、「気持ち」はあっても、昼夜逆転の生活リズムが、急に正常に戻ることはありえない。
娘は、昨夜、自分から電話して同級生に今日の時間割を聞き、FAXを送ってもらっていた。
「どの時間割でもいいから、自分が無理なく参加できる授業に1時間だけ出席する。授業が無理なら、部活にだけ行く、というように、1日1回は制服を着て、学校に行ってみるというところからはじめてみよう。
今日は、6校時目が「総合」だから、出席しやすいんじゃない?
昼ごはん食べたら、行ってみてごらんよ」
他にもいろんな話をし、娘は涙をこぼしながらも、その時点では行く気にはなっていた。
でも、ついに今日は制服を着ることはなかった。
先日、私のEメールの送信ボックスに、未送信のメールが残っていた。
娘がタレントに当てたメールだった。
いつもは自分のアドレスから送るのに、何故、私のアドレスに残っているのか気になって読んでみると、
『私は、5月から学校に行ってません。
時々、何か行事があるときは行ってるんですが、ほとんど行っていません。
今は みんなと一緒に学校に行きたいと思ってるんですが、勉強とか、友達との距離とかが心配でかなか行動にうつせません。
○○ちゃんに、ぃぃァドバィスをしてほしいんですが…。』
1月8日、始業式の日付だった。
これは娘から、私へのSOSだと思った。でも、ここで焦りは禁物。
以前の娘は、学校に行けない理由を「いじめ」をはじめ、周りのせいにして、自分を正当化し同情を引くような文章を書いていた。
それが今回、「学校に行っていない」とか、「行動に移せない」というように、自分の行動を客観的に分析している。すごい進歩、成長だと思う。
自分自身と向き合うこと、それは、大人になっても結構辛いものがある。
こんな時、親としてはどう対応すればいいのか・・・・。
父に電話で聞いてみた。
「とにかく聞き役に徹すること。どうしたいのか、どうするのか、自分で考えさせ、自分から話させ、話をしているうちに考えがまとまるように。そして、それを行動に移せるがどうかをひたすら見守る。
指示したり、指摘したりして、プレッシャーをかけるのは逆効果。」
と言われた。
ひたすら聞き役に回る。私の最も苦手とするところだ。
「春に咲く花は、今の寒い時期に種をまき、球根を植えておくんだよ。どこに植えたか分からないくらい、何も無いように見えていても地面の下では、ちゃんと芽を出す準備としている。
枯れたように見える木だって、枝には硬い芽やつぼみが、寒さに耐えて春を待っている。
あなたの春のために、今からどんな種まきをしたらいいか、自分で考えてごらん。」
はーるよこい、はーやくこい、
あーるきはじめた ○~ちゃんが、
中学校の制服着て靴はいて、
学校に行きたいと待っている~。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます