さて、経営者が現場に居る店では、何とかゼロ・ボウズだけは回避しようと努力します。
知人に電話かけて、店に来てもらう。
つまり、“ サクラ ” を使ってでも、ボウズだけは避けたいと。
普通、たったひとりの客と客数ゼロと、そんなに差が無いじゃないかと考えます。
しかし、0と1との間は、水商売では天地ほどの開きがあるのです。
なにしろ、ボウズだと伝聞が悪過ぎる。 (笑)
そんな最悪なボウズですが、悪い事ばかりではありません!
例えば、前ブログに書いた、ボウズ目前の日、たったひとりのお客さんが来た時。
ヒゲは、調理場から、じーと様子を凝視します。
すると、客のルーティンや飲むパターン、つまみの好みなんかも理解するでしょう。
このプロセスが良いのです。
ボウズもどきの屈辱にまみれながら、たったひとりの客に意識を集中する。
この経験!
つまり、ボウズを経験することは、何ていうか、焼きが入った刀。
根性が入る。
或いは、長刑期の刑務所つとめを経験したヤクザさんでしょうか? (笑)
もしくは、精神的に打たれ強くなるとでも。
二度、三度ダウンしても、起き上がるボクサーか。
それとも、炭坑落盤事故にもメゲないで、九回転んでも、十回立ち上がる広岡アサかも。
ビル建築後の田園に途中入社の料理人なんかは、毎日満席が当たり前との意識があります。
すると、一人ずつの客の名前や好みなんて、覚えちゃあいられません。
いつも来店客でいっぱいだから、当然の心理として、ひとりぐらいの客の『 ありがた味 』は
希薄になります。
しかし、ボウズ経験者、つまり地獄をのぞいた者は、少し違います。
たったひとりの客でも、有り難いことを識っているからです。
この点が、一番の違いかもしれません。
ボウズ目前の日に来店したM木さんに、ヒゲはこう告げます。
「 M木さん! ( 先ずは、名前を覚えられてるだけでも嬉しい。 )
今日は、大きな下足が入っています。 バター焼きしましょうか? 」
( 大きさにこだわりがある相手の好みを記憶していて、そこを刺激する! )
「 おお、マスター! お願いね~ 」 ( 顔はほころび、声までも大きい )
これからは、田園の歴史を思い出して ・・・
昭和23年、両親が始めた最初の店
ヒゲが産まれた(昭和25年)後、父は一人東京へ修行に行く。
きっと、ボウズの日を経験して、打開策を探していたのだろう。
数年後、最初の店舗から周囲の土地を少し増やし、改装する。
名前も、田園に替える。 路地に在った玄関も、今の西銀座通りに。
二件目の店を、栄通りに開店。 ( 昭和30年代後半か? )
この場所が、京都帰りのヒゲ夫婦を鍛えるのです。
ボウズ経験しながらの試行錯誤、二代目ママ(女将)としてのカァちゃんの登場。
この写真は、カァちゃんの御披露目の為、夏場の生ビール祭りをした時のものです。
この時期、日本酒の地酒の勉強も始めていました。
そうして、数年後にビル建築に取り掛かります。
北九州酒仙の会様との交流も続き、熊本にお迎えする事も出来ました。
その時のビル前での写真。
電線が目障りなほどありますが、電線の地中下工事もあり、下の写真ではスッキリしています。
売却後の写真ですが、テナントさんが少し変わっています。
父は、他にも店舗を増やすのですが、最後はビルのテナント経営だけになりました。
http://blog.with2.net/link.php?1046790
↑ 参加中です。クリックしてもらえたら嬉しいです。
知人に電話かけて、店に来てもらう。
つまり、“ サクラ ” を使ってでも、ボウズだけは避けたいと。
普通、たったひとりの客と客数ゼロと、そんなに差が無いじゃないかと考えます。
しかし、0と1との間は、水商売では天地ほどの開きがあるのです。
なにしろ、ボウズだと伝聞が悪過ぎる。 (笑)
そんな最悪なボウズですが、悪い事ばかりではありません!
例えば、前ブログに書いた、ボウズ目前の日、たったひとりのお客さんが来た時。
ヒゲは、調理場から、じーと様子を凝視します。
すると、客のルーティンや飲むパターン、つまみの好みなんかも理解するでしょう。
このプロセスが良いのです。
ボウズもどきの屈辱にまみれながら、たったひとりの客に意識を集中する。
この経験!
つまり、ボウズを経験することは、何ていうか、焼きが入った刀。
根性が入る。
或いは、長刑期の刑務所つとめを経験したヤクザさんでしょうか? (笑)
もしくは、精神的に打たれ強くなるとでも。
二度、三度ダウンしても、起き上がるボクサーか。
それとも、炭坑落盤事故にもメゲないで、九回転んでも、十回立ち上がる広岡アサかも。
ビル建築後の田園に途中入社の料理人なんかは、毎日満席が当たり前との意識があります。
すると、一人ずつの客の名前や好みなんて、覚えちゃあいられません。
いつも来店客でいっぱいだから、当然の心理として、ひとりぐらいの客の『 ありがた味 』は
希薄になります。
しかし、ボウズ経験者、つまり地獄をのぞいた者は、少し違います。
たったひとりの客でも、有り難いことを識っているからです。
この点が、一番の違いかもしれません。
ボウズ目前の日に来店したM木さんに、ヒゲはこう告げます。
「 M木さん! ( 先ずは、名前を覚えられてるだけでも嬉しい。 )
今日は、大きな下足が入っています。 バター焼きしましょうか? 」
( 大きさにこだわりがある相手の好みを記憶していて、そこを刺激する! )
「 おお、マスター! お願いね~ 」 ( 顔はほころび、声までも大きい )
これからは、田園の歴史を思い出して ・・・
昭和23年、両親が始めた最初の店
ヒゲが産まれた(昭和25年)後、父は一人東京へ修行に行く。
きっと、ボウズの日を経験して、打開策を探していたのだろう。
数年後、最初の店舗から周囲の土地を少し増やし、改装する。
名前も、田園に替える。 路地に在った玄関も、今の西銀座通りに。
二件目の店を、栄通りに開店。 ( 昭和30年代後半か? )
この場所が、京都帰りのヒゲ夫婦を鍛えるのです。
ボウズ経験しながらの試行錯誤、二代目ママ(女将)としてのカァちゃんの登場。
この写真は、カァちゃんの御披露目の為、夏場の生ビール祭りをした時のものです。
この時期、日本酒の地酒の勉強も始めていました。
そうして、数年後にビル建築に取り掛かります。
北九州酒仙の会様との交流も続き、熊本にお迎えする事も出来ました。
その時のビル前での写真。
電線が目障りなほどありますが、電線の地中下工事もあり、下の写真ではスッキリしています。
売却後の写真ですが、テナントさんが少し変わっています。
父は、他にも店舗を増やすのですが、最後はビルのテナント経営だけになりました。
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