「総攻撃」(ルイス・セイラー監督)
ノルマンディー上陸前の訓練から上陸して総攻撃するまでを描く。
戦争映画としては小粒だがまとまっていて楽しめる。
1950年製作で、第二次世界大戦終了から5年後の作品である。戦時中の雰
囲気をよく表している。5年後ならまだ戦争の記憶も生々しい。朝鮮戦争もこ
の年に始まった。
10年ひと昔とよくいうが、これは正しい。1955年ぐらいまでの戦争映画
は戦争中の気分をリアルに描いている。それ以降のものは、戦争を題材にした
別物と理解している。
中隊長のデビッド・ブライアンが新米の小隊長ジョン・エイガーに厳しく当た
る。二人が衝突する場面が見ものだ。アメリカの戦争映画では部下が上官に抗
議する場面がよく出てくる。日本軍ではこういうことは不可能ではなかったの
だろうか。
今の日本の会社でも同じか。……国民性というものだろう。
ラストで、中隊長のデビッド・ブライアンは昇進し閑職にまわされ、対立して
いたジョン・エイガーを中隊長に任命し言う。
「私は疲れた」と。弱音だが、燃え尽き症候群である。
しかし、退け時を自分で心得ているのが見事。中年害,老害にならずにすんだ。
退け時は難しい。自分で自分に引導を渡すのだから。基本的には、人は自尊心
の塊である。自尊心を傷つけることを自分で判断するのだから。
ノルマンディー上陸前の訓練から上陸して総攻撃するまでを描く。
戦争映画としては小粒だがまとまっていて楽しめる。
1950年製作で、第二次世界大戦終了から5年後の作品である。戦時中の雰
囲気をよく表している。5年後ならまだ戦争の記憶も生々しい。朝鮮戦争もこ
の年に始まった。
10年ひと昔とよくいうが、これは正しい。1955年ぐらいまでの戦争映画
は戦争中の気分をリアルに描いている。それ以降のものは、戦争を題材にした
別物と理解している。
中隊長のデビッド・ブライアンが新米の小隊長ジョン・エイガーに厳しく当た
る。二人が衝突する場面が見ものだ。アメリカの戦争映画では部下が上官に抗
議する場面がよく出てくる。日本軍ではこういうことは不可能ではなかったの
だろうか。
今の日本の会社でも同じか。……国民性というものだろう。
ラストで、中隊長のデビッド・ブライアンは昇進し閑職にまわされ、対立して
いたジョン・エイガーを中隊長に任命し言う。
「私は疲れた」と。弱音だが、燃え尽き症候群である。
しかし、退け時を自分で心得ているのが見事。中年害,老害にならずにすんだ。
退け時は難しい。自分で自分に引導を渡すのだから。基本的には、人は自尊心
の塊である。自尊心を傷つけることを自分で判断するのだから。