FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

ライフプラン、資産設計のほか、文学・社会・芸術・文化など気まぐれに日々、FPがつづるエッセイ。

「城」の夢 ― カフカにとりつかれて

2010-07-03 14:47:36 | 文学・絵画・芸術
夢は、よく見ます。

映画のように感動し、この世とも思えない絵画や音楽を夢の中で見たり聴いたり、眠りの中で1文字1文字、読み、書き、「名作」もつくりました。

夢の中では冒険や悲劇の物語が展開し、恋愛もし、涙もした。それを「夢ノート」に書き続けたものです。その頃から、よく見る夢があります。「城」。城そのものであり、山、塔、建物であり、それらのシンボルが「城」です。

そう、カフカの『城』 ―― 。中身はよく覚えていません。主人公の技師が城主に呼ばれ城の近くまで来ますが、そこから紆余曲折があり、なかなか城に入れない。城は眼の前に見えているのに、不可解な理由でいつも阻まれ、城の周りをうろうろするだけで、結局たどり着けない。そんな話です。

これを、「不条理」と呼びます。カフカ自身が言ったわけではなく、その後の実存主義批評家たちが名づけたものです。サルトル、カミュたちと同じようにカフカも実存主義の作家(不条理の文学)と言われています。

実存主義の小説はよく読んでいたので、『城』『審判』『変身』なども読みました。はっきり言って、よくわからない、というのが印象でした。作品の中身については、いずれ書きたいと思います。この「城」の夢を、何度も見るのです。夢の中のシチュエーションはそれぞれ違いますが、内容は似たものばかりです。

私は自称(事実)、かなりの方向音痴です。歩きでも車でも電車でも、初めての場所は一発では行けません。2回目以降でもしょっちゅう迷います。何度も地図を確認しないと不安で、それでも道に迷います。先日も駅から5分の所なのに簡単に行けませんでした。途中にあるホテルの守衛さんにたずねると、
「そこなら、ほら、あそこに見える高いビルがそうです。この道をこう行って、歩道を渡って、公園を突っ切って、そのすぐ横です」と言う。
―― なんだ、すぐそこじゃないか(もともと駅から5分なのですから)。
・・・それから目的地まで、30分もかかりました。

そのビルは、確かに眼の前、公園の上に高くそびえています。直線にしたら、100メートルも離れていなかったでしょう。ただ、直線には行けない。迂回したり、曲がったり、戻ったりしないとたどり着けない。それでも眼の前に、いつも建っているのです。手を伸ばせば、すぐ触れそうな所に・・・。
―― ああ、また「城」だ。
この時も、そう思いました(ただの方向音痴じゃないかと言われそうです・・・)。

夢の中でも、同じです。眼の前に「城」があるのに、私は「城」の周りの迷路を歩き回っている。解決策を求めに行くのか、そこがゴールだからなのか、誰かを救うために行くのか・・・。いくつも障害がふりかかってきて、たどり着けない。それでも「城」は、神のように、悪魔のように、ただ粛然と建っている。

いまだに道を探り、さまよっている。自分の行き着く先は、眼の前に「城」として現れているのに、そこへたどり着けない。これは「不条理」なのか、ただの怠け者なのか、そもそも能力がないのか・・・。

こんな夢を見るたびに、カフカの『城』を読み返そうかと思います。当時、よくわからなかった作品でしたが、今ならかなり、しっくりくるのかもしれません。ちなみに、村上春樹氏はカフカにだいぶ影響を受けたと聞いていますし、『海辺のカフカ』など読んでみようかと思います。この作品はまた、ドストエフスキーの父殺しのテーマが隠されているらしい、と亀山郁夫氏も興奮気味に書いていましたので。




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