ゴッホ「星降る夜」
絵に限らず、芸術は本物を観るのがいい。
絵画について言えば、印刷された絵では味わえないところが多い。
絵画展に行くと、私は顔をつけるようにして作品を見ます。離れても見るが、なるべく近くにくっついています。筆の刷き方や、絵の具の塗り具合が知りたくて―。美術家でもない私が、まるで画学生か専門家みたいに絵に顔をくっつけているのは、はたの人には、なんとも滑稽かもしれません。
でも・・・。
たとえば、ゴッホの絵。ちょっと離れて見ると、風景でも自画像でも意外と端正ですっきりしています。しかし間近では、油絵の具の固まりをバターのようにナイフに付けて、1回ごとに塗りたくる、というより固まりのまま絵の具をこすり付けている、そんな跡が分かります。粗雑な壁塗りに見えて、それが離れて見ると、繊細な、あのゴッホの絵です。
油絵の具が固まって先がとがったまま、ところどころキャンパスに残っていようが、この画家にはどうでもいいのかもしれません。ひとパテずつ何十回、何百回、絵の具の跡を追って画家の内部についていくことで、作者との息遣いが重なってくるように思えてきます。(実際は混雑した館内でそこまでの鑑賞時間はありませんが。)
この「オルセー美術館展」では、人気ナンバーワンがゴッホの『星降る夜』です。夜の空に花火のように光る星の瞬き、水面に映る街頭の灯り。手前には肩寄せ合う恋人・・・。この二人は恋人なのでしょうか。私にはどうも、なにか貧しく、侘しい事情を抱えながらも中年の夫婦が身を寄せ合い、互いを思いやって、それでもなんとか生きていこうという感じが伝わってくるのです。二人の人生のドラマの中に引きずり込まれそうな気がして切なく、胸が苦しくなります。(小説家なら、この絵の男女の姿から、1編の物語が描けます。)
この絵をちょっと離れて見ると、夜空の青と、星光りの黄色(金色に近い)、そして暗い街の緑が調合されて、独特の静かさが私の心に呼びかけてきます。そばに寄って、その絵の具づかいを追っていると、ゴッホ独特の息が聞こえてきます。
「綺麗か、ほんとにきれいなのか」、「美しいか、ほんとに美しいのか」、「静かか、ほんとうに静かなのか」――。そうやって外部に向かって、心の内でつぶやきながら、1回1回、油絵の具を固まりのまま塗りつぶしていったのか・・・。私には聞こえてくる気がします。この静かさの中からゴッホ自身の不安にとりつかれた魂の息が。安らぎのひと時のために星と夜と水面、そして恋人(夫婦?)を描いていたゴッホの隠された息遣いを。
モネ「日傘の女性」 ルソー「蛇使いの女」
この美術館展では、モネの「日傘の女性」、ルソーの「蛇使いの女」など、ちょっとゾッとする絵も興味深いものでした。
少しだけ書くと、「日傘の女性」は清楚で美しい女性の姿が心地よくも惑わしのある風とともに描かれていて、“幻想の初恋”を思わせます。しかし近づくと、女性の顔は描かれておらず、目や鼻が洞穴のように暗く塗りつぶされていて、亡霊かと、思わずゾクッとします。
「蛇使いの女」は、密林の夜というだけでも神秘的なのに、何匹もの太い蛇が現れ、笛の音にくねらせ、そのうち1匹は少女の身体と膝まである長い髪に絡み付いてきているのを見てゾーッとします。顔が真っ暗で、よく見ると両目だけが見開いて暗がりからこちらを見つめている、それがなんとも不気味だけれど引きつけられてしまい、身動きできなくなるのです。
絵に限らず、芸術は本物を観るのがいい。
絵画について言えば、印刷された絵では味わえないところが多い。
絵画展に行くと、私は顔をつけるようにして作品を見ます。離れても見るが、なるべく近くにくっついています。筆の刷き方や、絵の具の塗り具合が知りたくて―。美術家でもない私が、まるで画学生か専門家みたいに絵に顔をくっつけているのは、はたの人には、なんとも滑稽かもしれません。
でも・・・。
たとえば、ゴッホの絵。ちょっと離れて見ると、風景でも自画像でも意外と端正ですっきりしています。しかし間近では、油絵の具の固まりをバターのようにナイフに付けて、1回ごとに塗りたくる、というより固まりのまま絵の具をこすり付けている、そんな跡が分かります。粗雑な壁塗りに見えて、それが離れて見ると、繊細な、あのゴッホの絵です。
油絵の具が固まって先がとがったまま、ところどころキャンパスに残っていようが、この画家にはどうでもいいのかもしれません。ひとパテずつ何十回、何百回、絵の具の跡を追って画家の内部についていくことで、作者との息遣いが重なってくるように思えてきます。(実際は混雑した館内でそこまでの鑑賞時間はありませんが。)
この「オルセー美術館展」では、人気ナンバーワンがゴッホの『星降る夜』です。夜の空に花火のように光る星の瞬き、水面に映る街頭の灯り。手前には肩寄せ合う恋人・・・。この二人は恋人なのでしょうか。私にはどうも、なにか貧しく、侘しい事情を抱えながらも中年の夫婦が身を寄せ合い、互いを思いやって、それでもなんとか生きていこうという感じが伝わってくるのです。二人の人生のドラマの中に引きずり込まれそうな気がして切なく、胸が苦しくなります。(小説家なら、この絵の男女の姿から、1編の物語が描けます。)
この絵をちょっと離れて見ると、夜空の青と、星光りの黄色(金色に近い)、そして暗い街の緑が調合されて、独特の静かさが私の心に呼びかけてきます。そばに寄って、その絵の具づかいを追っていると、ゴッホ独特の息が聞こえてきます。
「綺麗か、ほんとにきれいなのか」、「美しいか、ほんとに美しいのか」、「静かか、ほんとうに静かなのか」――。そうやって外部に向かって、心の内でつぶやきながら、1回1回、油絵の具を固まりのまま塗りつぶしていったのか・・・。私には聞こえてくる気がします。この静かさの中からゴッホ自身の不安にとりつかれた魂の息が。安らぎのひと時のために星と夜と水面、そして恋人(夫婦?)を描いていたゴッホの隠された息遣いを。
モネ「日傘の女性」 ルソー「蛇使いの女」
この美術館展では、モネの「日傘の女性」、ルソーの「蛇使いの女」など、ちょっとゾッとする絵も興味深いものでした。
少しだけ書くと、「日傘の女性」は清楚で美しい女性の姿が心地よくも惑わしのある風とともに描かれていて、“幻想の初恋”を思わせます。しかし近づくと、女性の顔は描かれておらず、目や鼻が洞穴のように暗く塗りつぶされていて、亡霊かと、思わずゾクッとします。
「蛇使いの女」は、密林の夜というだけでも神秘的なのに、何匹もの太い蛇が現れ、笛の音にくねらせ、そのうち1匹は少女の身体と膝まである長い髪に絡み付いてきているのを見てゾーッとします。顔が真っ暗で、よく見ると両目だけが見開いて暗がりからこちらを見つめている、それがなんとも不気味だけれど引きつけられてしまい、身動きできなくなるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます