『源氏物語』は、「雲隠」の帖で、いったん終了します。この帖で、光源氏は出家し、死亡したとされるからです。作者紫式部は、はっきりと源氏の死亡を書いておらず、「雲隠」という表題のみで、帖には文章がありません(このあと、「宇治十帖」といわれる源氏の子孫の物語が始まる)。(『源氏物語ミュージアム 栄華と地獄と極楽と』)
「雲隠」まで、文庫本にして7巻分(瀬戸内寂聴訳・講談社文庫)だから、相当長い。長いけれど長さを感じさせず、一気に読めるのは、訳者の功績が大きいと思います。
政治家としての光源氏は、天皇と同等の地位、准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)まで上りつめ、栄華を我が物にしました。もともと、天皇の子だったとはいえ、母親の桐壺の更衣は身分が高くなく、源氏は皇太子(東宮)にはなれませんでした。それどころか、若気の至りで異母兄である現帝(朱雀帝)の最愛の人と密通したのがばれて、流罪になってしまいます(「須磨」)。
この最大の危機を救ったのは、光り輝く天皇の子であるという源氏自身の存在性でもあり、源氏を取り巻く女性たちでもあります。罪を解いたのは、直接には源氏を慕う現帝(朱雀帝)ですが、生活を直接支え、孤独と不安の心を支えたのは女性たち(特に明石、紫の上)です。
源氏は一度関係があった女性には生涯気にかけてやり、経済的援助も惜しみません。恋愛関係や肉体関係がなくなっても、ブスと知れず関係を持ってしまった女(末摘花)に対しても、生涯気遣ってやります。そうした心や人への思いやり(特に女性への)が、めぐりめぐって、源氏を盛り立てていくのです。並外れた容姿のみならず、学問や、文学、音楽、芸術の才も並みはずれて優れている源氏だからこそ、とも言えます。
苦難に逢っても、源氏はいずれ頂点に立つことになります。政治家としての源氏の仕事については、ほとんど書かれていません。書かれていなくても、読者は源氏が順調に出世していくのを知らされます。政権に復帰してからは、自分の流罪に関わった朝廷関係者を要職から離していきます。そして、自分の周りには、自分が朝廷政治を運営しやすいように、源氏の一族や関係者を配していきます。
これは、政治家としてのしたたかさというより、権力者としては当然のことです。いくら才能・能力があっても、沈められていくべき者が多くいるのも政治の世界、古今、変わりません。そして、父桐壺帝の妻(源氏の憧れの人、藤壺)との密通で出来たわが子・冷泉帝の正妻に、かつての愛人(六条の御息所)の娘を据え、自分が後見人になることで最高絶対の権力をものにするのです。
こうして、源氏は絶対の権力を握ると、壮大な女の園(ハーレム)を建設し、いつでも自由に、その日その日に好きな女性を訪ねることが出来るようにしたのです。まさに、わが世の春、栄華をものするのです。源氏は、稀代のプレイボーイです。女性に優しく、女性の愛と性がなければ生きていけない性分です。しかし、同時に、いつでも権力維持を考えていた政治家でもあるのです。それは、自分を守るためと、愛する女たちを守るためでもあったのでしょう。
『源氏物語』では、光源氏自身も含めて、時の支配政治に大きく揺り動かされます。女たちもまた同じです。朝廷の勢力地図が動くたびに、貴族の勢力が揺すぶられ、同時に女たちの悲喜も生じます。作者紫式部のすごいところは、このあたりを、それとなく、しかもきちんと書いていることです。それがなかったら、『源氏物語』は、単なる恋愛小説か、ドン・ファン物語で終わっていたでしょう。
「雲隠」まで、文庫本にして7巻分(瀬戸内寂聴訳・講談社文庫)だから、相当長い。長いけれど長さを感じさせず、一気に読めるのは、訳者の功績が大きいと思います。
政治家としての光源氏は、天皇と同等の地位、准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)まで上りつめ、栄華を我が物にしました。もともと、天皇の子だったとはいえ、母親の桐壺の更衣は身分が高くなく、源氏は皇太子(東宮)にはなれませんでした。それどころか、若気の至りで異母兄である現帝(朱雀帝)の最愛の人と密通したのがばれて、流罪になってしまいます(「須磨」)。
この最大の危機を救ったのは、光り輝く天皇の子であるという源氏自身の存在性でもあり、源氏を取り巻く女性たちでもあります。罪を解いたのは、直接には源氏を慕う現帝(朱雀帝)ですが、生活を直接支え、孤独と不安の心を支えたのは女性たち(特に明石、紫の上)です。
源氏は一度関係があった女性には生涯気にかけてやり、経済的援助も惜しみません。恋愛関係や肉体関係がなくなっても、ブスと知れず関係を持ってしまった女(末摘花)に対しても、生涯気遣ってやります。そうした心や人への思いやり(特に女性への)が、めぐりめぐって、源氏を盛り立てていくのです。並外れた容姿のみならず、学問や、文学、音楽、芸術の才も並みはずれて優れている源氏だからこそ、とも言えます。
苦難に逢っても、源氏はいずれ頂点に立つことになります。政治家としての源氏の仕事については、ほとんど書かれていません。書かれていなくても、読者は源氏が順調に出世していくのを知らされます。政権に復帰してからは、自分の流罪に関わった朝廷関係者を要職から離していきます。そして、自分の周りには、自分が朝廷政治を運営しやすいように、源氏の一族や関係者を配していきます。
これは、政治家としてのしたたかさというより、権力者としては当然のことです。いくら才能・能力があっても、沈められていくべき者が多くいるのも政治の世界、古今、変わりません。そして、父桐壺帝の妻(源氏の憧れの人、藤壺)との密通で出来たわが子・冷泉帝の正妻に、かつての愛人(六条の御息所)の娘を据え、自分が後見人になることで最高絶対の権力をものにするのです。
こうして、源氏は絶対の権力を握ると、壮大な女の園(ハーレム)を建設し、いつでも自由に、その日その日に好きな女性を訪ねることが出来るようにしたのです。まさに、わが世の春、栄華をものするのです。源氏は、稀代のプレイボーイです。女性に優しく、女性の愛と性がなければ生きていけない性分です。しかし、同時に、いつでも権力維持を考えていた政治家でもあるのです。それは、自分を守るためと、愛する女たちを守るためでもあったのでしょう。
『源氏物語』では、光源氏自身も含めて、時の支配政治に大きく揺り動かされます。女たちもまた同じです。朝廷の勢力地図が動くたびに、貴族の勢力が揺すぶられ、同時に女たちの悲喜も生じます。作者紫式部のすごいところは、このあたりを、それとなく、しかもきちんと書いていることです。それがなかったら、『源氏物語』は、単なる恋愛小説か、ドン・ファン物語で終わっていたでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます