私はこれ以上の便利さはいらない気がした。
宅急便の再配達問題。
テレビのニュースの
「配達するのが当たり前だと思ってるんですよ。」
と言う言葉を聞いて、ハッとしたのだ。
不便だからこそ工夫したり、
それをしてくれた人に感謝をする。
「当たり前からは、感謝は生まれない」
パピーさんはそう言っている。
本当にそう思う。
スマホを使って「いつでもどこでも」
ネットショッピングで購入すると
「当たり前」のように自宅に商品が届く世の中になった。
確かに便利。
でも、増えすぎた商品配達で
宅配ドライバーさん達を苦しめている。
配達してくれるのが「当たり前」だとお客がふんぞり返る。
もしも、昔のように物流がよくなかったら
宅配ドライバーさんが自宅まで届けてくれることを
とても「有り難い」と思うのではないかな?
スマホ。
私はスマホをあえて選ばない。
LINEもガラホに入っているけど使わない。
使おうと思えば、どちらも使える。
けして機械が弱くて、できないわけではない。
どちらかと言えば覚えは早いほうだから。
スマホやLINEは
人の大切な「時間」を奪うと感じている。
人のことを想って「待つ」ことや
人を思う「優しさ」を奪っていく気がする。
そして、LINEをしない人を迫害していく。
「みんなLINEをしているのに合わせないおまえが悪い」、と。
そういう目で人をみる。
多数派が少数派を追い詰めていく。
どうして?
やりたくないのに、どうしてみんなやってるからって
合わせないといけないの?
だから、私は「流行」って子どもの頃から嫌いだった。
「流行」なんて、いつか
「流」れて「行」ってしまうのにね。
スマホもそうだ。
アプリをダウンロードしないとできないサービスを
お店が提供するようになる。ガラケーは置き去り。
スマホが多数派だから、
少数派のガラケーを使っているお客はいらないってことか。
便利さにおぼれて、
人を想う心や、工夫したり、考えたりする脳を
私は失いたくないと思った。
私は今まで、「便利」だからAmazonで本を買っていた。
いつも自宅に届くようにしていたが、
ニュースでドライバーさんが大変なのを知って
先日、コンビニで受け取るようにした。
そもそもコンビニで受け取れることを知らなかったのだ。
そうだよね。
コンビニなら24時間やっているし、
ドライバーさんがいつきても預かってくれる。
私もいつでも受け取りにいける。
でも、商品がそんなに早く手元に来て欲しいとは正直思わない。
商品が届くまで待つ時間も楽しいものだから
お店に行って取り寄せてもらってもいいなって最近思うようになった。
手間がかかっても、不便でも、遅くてもいい。
ちゃんと手元に商品がくれば、それでいいのだから。
配達の早さはいらない。
それにネットばかり使っていると、実店舗がつぶれてしまう。
手に取って本を選べなくなってしまう。
本屋にふらっと行って、
ふと手にした本との出逢いはこれも楽しいもの
ネットではそれはできない。
コンビニも24時間営業していなくてもいいんじゃないかな。
昔の7時から23時でいいんじゃないの?
便利じゃなくてももういいよ。
コンビニのオーナーさんたちを休ませてあげたい。
スーパーだって年中無休にしないで定休日があってもいいじゃない?
便利が「当たり前」になって
有り難みをわかる人が減ってしまったから
世の中が殺伐としているのかもしれないね。
有り難みを感じられる人間に私はなりたいな
子どもたちも、色々工夫して
自分の頭で考えて生きていけるように
たくさんの不便さを体験して、工夫や失敗の経験を積んで
もしも災害で電気が止まっても
なんとかできる人になってほしいと私は思う。
「便利になって失ったもの」
待つ時間
優しさ
感謝
かな。
宅急便の再配達問題。
テレビのニュースの
「配達するのが当たり前だと思ってるんですよ。」
と言う言葉を聞いて、ハッとしたのだ。
不便だからこそ工夫したり、
それをしてくれた人に感謝をする。
「当たり前からは、感謝は生まれない」
パピーさんはそう言っている。
本当にそう思う。
スマホを使って「いつでもどこでも」
ネットショッピングで購入すると
「当たり前」のように自宅に商品が届く世の中になった。
確かに便利。
でも、増えすぎた商品配達で
宅配ドライバーさん達を苦しめている。
配達してくれるのが「当たり前」だとお客がふんぞり返る。
もしも、昔のように物流がよくなかったら
宅配ドライバーさんが自宅まで届けてくれることを
とても「有り難い」と思うのではないかな?
スマホ。
私はスマホをあえて選ばない。
LINEもガラホに入っているけど使わない。
使おうと思えば、どちらも使える。
けして機械が弱くて、できないわけではない。
どちらかと言えば覚えは早いほうだから。
スマホやLINEは
人の大切な「時間」を奪うと感じている。
人のことを想って「待つ」ことや
人を思う「優しさ」を奪っていく気がする。
そして、LINEをしない人を迫害していく。
「みんなLINEをしているのに合わせないおまえが悪い」、と。
そういう目で人をみる。
多数派が少数派を追い詰めていく。
どうして?
やりたくないのに、どうしてみんなやってるからって
合わせないといけないの?
だから、私は「流行」って子どもの頃から嫌いだった。
「流行」なんて、いつか
「流」れて「行」ってしまうのにね。
スマホもそうだ。
アプリをダウンロードしないとできないサービスを
お店が提供するようになる。ガラケーは置き去り。
スマホが多数派だから、
少数派のガラケーを使っているお客はいらないってことか。
便利さにおぼれて、
人を想う心や、工夫したり、考えたりする脳を
私は失いたくないと思った。
私は今まで、「便利」だからAmazonで本を買っていた。
いつも自宅に届くようにしていたが、
ニュースでドライバーさんが大変なのを知って
先日、コンビニで受け取るようにした。
そもそもコンビニで受け取れることを知らなかったのだ。
そうだよね。
コンビニなら24時間やっているし、
ドライバーさんがいつきても預かってくれる。
私もいつでも受け取りにいける。
でも、商品がそんなに早く手元に来て欲しいとは正直思わない。
商品が届くまで待つ時間も楽しいものだから
お店に行って取り寄せてもらってもいいなって最近思うようになった。
手間がかかっても、不便でも、遅くてもいい。
ちゃんと手元に商品がくれば、それでいいのだから。
配達の早さはいらない。
それにネットばかり使っていると、実店舗がつぶれてしまう。
手に取って本を選べなくなってしまう。
本屋にふらっと行って、
ふと手にした本との出逢いはこれも楽しいもの
ネットではそれはできない。
コンビニも24時間営業していなくてもいいんじゃないかな。
昔の7時から23時でいいんじゃないの?
便利じゃなくてももういいよ。
コンビニのオーナーさんたちを休ませてあげたい。
スーパーだって年中無休にしないで定休日があってもいいじゃない?
便利が「当たり前」になって
有り難みをわかる人が減ってしまったから
世の中が殺伐としているのかもしれないね。
有り難みを感じられる人間に私はなりたいな
子どもたちも、色々工夫して
自分の頭で考えて生きていけるように
たくさんの不便さを体験して、工夫や失敗の経験を積んで
もしも災害で電気が止まっても
なんとかできる人になってほしいと私は思う。
「便利になって失ったもの」
待つ時間
優しさ
感謝
かな。