★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

LINEってやっぱり嫌い

2017年08月09日 | ★道をひらく



「便利さ」は人の心を壊す
「不便」は人の心を優しくする



LINEについて、考えさせられる記事とその動画を見ました。

「グループLINEいじめ」がテーマの会話劇に鳥肌が止まらない / LINEがきっかけで部活仲間が自殺…かばった自分がいじめの標的に(Pouch[ポーチ]8月6日(日)11時45分)


週刊パラドックス「会話劇2014」


この動画は2014年11月8日に
第3回クォータースターコンテスト(QSC)で
グランプリを受賞した作品です。

QSCとはWEB上に投稿された
15分・ノーカットの演劇動画を競う大会だそうです↓
第3回クォータースターコンテストは"革命的な作品"がグランプリを受賞!/げきぴあ編集部 (2014年11月30日 12:00)


ものすごくリアリティがあります。
そして、やっぱり「LINEは嫌いだ!」と改めて思いました。

「Nana」といういじめっ子の主犯格、
よくいる女ボスだな~と思いました。

いたな~、こう感じの人。
自分が中心じゃないとダメな人で
邪魔なヤツをみんなで総攻撃させて喜んでるヤツ。
めっちゃタチが悪い。

一番付き合いたくないタイプだし
私がよく対立する相手でもありますね。
こいつにめっちゃ腹が立ちました。

それから、なんだか腹が立ったのは
若者言葉「それな」のスタンプ。

「そのとおり」「そうだよね」「確かにね」
というあいづちを挟むための言葉のようです。

これもなんだか出てくる度になんだか腹が立つ。

さらに、軽い気持ちでひどい言葉をうちこんだり
スタンプがキラキラと笑っているキャラを皆が連発。
ある意味、それを何も考えずに送信できる
友人たちの壊れた心。

受け手の佐藤さんがどう受け取るかの
想像力のカケラもなくなっている恐ろしさ。

LINEの「便利さ」は人の心を壊して
LINEは、言葉に殺傷能力を持たせることができる
恐ろしいツールだなって私は思いました。

言葉の含みを読むような時間的余裕がない。
相手に不快がないような言葉になるか考える余裕がない。
ポンポン言葉が瞬時に並ぶ。
だから、相手の気持ちを想像する余裕がなくなる。
顔が見えないから、表情もわからない。
本当に嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか
うまく伝えるのが難しい。

手紙しか手段がないときは
たっぷり時間があるから、相手がどうしているのか
思いをはせて、想像できただろうにね。

さらに、既読スルー問題。

ちょっと返事を書かないからってすぐ攻撃する。
私は「別にいいじゃん!」って思うんだけど
女子はこういう、同調を求めるところがあるんだよね。

だから、私は「女子」グループが嫌い。
めんどくさい。
絡みたくない。

中高生の時、女子とはつるまなかったな~。
こんなだから、つるめなかったんだけど。

私の学生時代は、ポケベルも、ケイタイも、
スマホも、もちろんLINEもない時代。
なんにもなくて、本当によかったな。

今だったら、学校行けなくなって不登校決定だな~。
だって、空気読めないし。
そもそもが空気を読みたくないもんね。

当時の女子は、連れションしてる子がいたね。
私は連れションが大嫌いだった。

友達に
「一緒にトイレに行こう。」
って誘われたけど
「え~?なんで一緒にトイレに行くの?ヤダ、行かない。」
って断った。

だって、トイレは用を足すところでしょ?
いつまでもトイレでしゃべっている女子が嫌だったな~。


この会話劇を見て思ったLINEを使うときの注意点

本当に人として信頼できる人とだけLINEする。
既読スルーされても気にしない=忙しいんだろうなと思える仲間でLINEする。
電子の文字は、人を殺傷する能力があるので使い方に十分注意する。
相手の都合を思いやる心を持って楽しくおしゃべりする。

結局は、現実と一緒だよね。

「グループLINEいじめ」には、お互いの寛容さがない。
これからの社会は、寛容さが求められるかもしれませんね。


【本物の友達の見分け方】
LINEをしなくても友達でいてくれる人。
連絡するのが不便でも、例えすぐ返事が返ってこなくても
忙しいんだろうなと思って待ってくれる人。

かな?
自分もそういう人でありたいな。


LINEをやめて2年が経ちました。繋がりやすいからこそ「LINE疲れ」を感じる人は増えている。
(2017/5/12)>終わりから始めるお片付け


LINEをしていた方がLINEが自分に合っていないと感じて
LINEをやめみての感想が書かれています。

LINEは本当に便利な道具だと思う。
でも、そこに人を思いやる心があればだけどね。

文字のやり取りは、メールで十分だな~。
私のメールはどうしても
手紙のように長くなってしまうのでLINE向きじゃないし。
LINEのように他愛ないどうでもいい話をちょこちょこしたくないし。
きっとうっとうしいって思うだろうな。

会いたい相手と時間を調整して会って、コーヒーを1杯飲みながら単純におしゃべりする時間、それが何より貴重だと思うようになったこと。

自分がホットコーヒーで相手はアイスラテかもしれない。

好みの違いをこんな些細なことで感じることができたり、表情や雰囲気を見ながら会話をすれば誤解も少ない。

メールの一文を深読みしたり、文章のトーンを推し量る必要はない。

人と会うことで自分を振り返ることもできる。


うん、うん。私も同感だな~って思いました。

時代錯誤でも、連絡取れなくて迷惑でも
自分にとってどうでもいい人にどう思われてもいい。

自分軸で生きていこう!
私は今後もLINEはしない。


こんな記事もありました。

「注文をまちがえる料理店」一般にも! 間違えても笑顔絶えない空間(2017年08月07日)

グループLINEいじめと真逆な世界。

この料理店、発想がおもしろい!
間違えるのが前提なので、みんな優しく見守ってくれる。
「あれ?なんだっけ?」
って店員が注文を取りに来たのに忘れてしまっても
「注文を取りにきたんですよね?」
ってお客さんが言ってあげる優しい店。

そんなドジをしても
みんなが不思議と笑顔になれるのがいいですね~

店員とは、こういう振る舞いをするものだ
という「すべき」の概念があると腹が立つけど
「すべき」がなくなると、こんなにも人は温かいんですね

パピーいしがみさんの言っている「包む」って
そういうことかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする