on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

天龍川の花火と天竜峡

2023-09-17 13:26:46 | 旅行記
 なかなか涼しくならないので、夏の話題の続編です。

 木曾駒ケ岳から下山すると、ロープウェイは2時間半待ち、整理券配布だったのでお土産売り場などを見ながら待つことができました。列に2時間並ぶという苦行は免れましたが、駒ヶ根駅に着いた時には信号機の灯りが明るく感じるほどに暮れ堕ちていました。昨日は休業していた駅近くの食堂が開いていたので、夕食用にソースかつ丼をテイクアウトして電車に乗り込みました。既に花火が揚がり始めている時間ですが、終わりの40分ぐらいは見られそうです。はやる気持ちをよそにプラットフォームのベンチあたりに簡単な屋根を掛けただけの小さな駅にいくつも止まりながら電車は進んで行きます。降りる駅の2駅手前で遠くに打ちあがる花火が見えました。間に合った。

 駅を降りて、電車の前の踏切を渡ろうとしたら、目の前で大輪の花火がどーんと揚がり、一緒に降りた乗客たちは元より運転士さんも「おーっ」と言わんばかりに見上げていました。
 旅館に荷物を置いて、揚がる花火の音を聞きながら、夜店が並ぶ道を天龍川にかかる橋へ急ぎます。以前にも来たことがあるのですが、その時とは比べ物にならないくらいの人でごった返しています。コロナ騒動を明けて4年振りの開催なので、みんな心待ちにしていたのでしょう。橋の上は縁石に腰かけて花火を見ている人は多くいましたが、混雑はそれほどでもなく、我々も空いている縁石に座って見ることが出来ました。





 打ち上げ場所が近いので大輪の花が音とともに間近に拡がって凄い迫力です。燈篭流しも行われているはずですが、既に終わっていて、川面を流れる灯りと花火との共演は見られませんでしたが、久しぶりに目の前に揚がる花火を見ることができて、大満足でした。

 翌朝、再び電車で天竜峡へ向かいました。天龍川に沿って川下に向かって走っていますが、辺りは平地で川幅も広くゆったりとしていて、ホントにこの先に天竜峡という峡谷があるのかと、思うような地形です。
天竜峡の駅は洋風のおしゃれな感じの駅舎でした。踏切を渡り、天龍川に掛かる橋に差し掛かると川が深く谷の下を流れており、まさに渓谷です。




 舟下りの船着き場がありますが、船は半分浅瀬に乗り上げたような格好で留まっています。水量が減って、この場所からは乗れないようです。確かに、川は悠々と流れていますが、手前側の岸辺は石がゴロゴロした河原も広がっています。





 遊歩道はつり橋が通行止めになっていたので一周できずに途中で引き返さなければならなかったのが残念でしたが、つり橋を通らなかったおかげで見ることができたのが桜の標準木。



 駅からすぐで手軽に名立たる天竜峡を楽しめてよかったです。

遊歩道沿いに焼き物のカップがたくさん置かれた喫茶店があったので、そこでお茶して駅に戻ろうとすると、雲行きが怪しくなってきました。駅に戻って待合室に入るやいなや雷を伴った凄い雨が降り出してきました。全開にしてあった待合室の窓から雨が吹き込んできて、周囲の人たちと一緒に慌てて窓を閉めました。豊橋までの特急券を窓口で買い、あとは電車の時間まで待つだけ・・・のはずでしたが、発車10分前に改札を入ろうとすると、「まだ入らないでください。電車が飯田を出ていないので」と、止められました。飯田と天竜峡の間ではもっと激しい雨が降っているようです。これから向かう方向ではないのですが、特急はそちらから来るので乗ることができません。次の普通列車の時間が近くなってきましたが、その普通列車も同じ方向から来るのでいつ乗れるかわからなくなってきました。天竜峡での1泊を覚悟し掛けたころ、普通列車の案内のアナウンスがありました。止めてあった車両を使って運転してくれるようです。電車は天竜峡を出ると、山岳地帯を流れる天龍川に寄り添うように走ります。舟下りの終点の時又、秘境駅で有名な小和田など丁寧に停まりながら進みますが、とにかく動いてくれることに有難さ感じていました。すっかり夜になっていましたが、車窓はだんだん都会の景色に変わって眩い照明の豊橋駅に到着しました。
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千畳敷カールの先へ・・・標高2,956メートルの夏

2023-08-27 21:15:18 | スポーツ
 うんざりする程の暑い日が続き、暑さに感けて不要不急の外出は避けて自堕落な毎日を送ってきましたが、「どけんかせんとあかん」、何とか体を動かさなくては。で、体を動かせない原因は何か?それはもちろん“暑さ”。涼しいとこに行けば体を動かせると、向かったのが標高2612メートルの「千畳敷カール」。実は11年前の2012年に行ったことがあるのですが、このときは「この先は登山装備のない方は立入禁止」の看板に阻まれ、フツーの運動靴スタイルの私は、ロープウェイを降りた周辺の散歩道を歩いて退散していました。


 そこで、今回はその先へ行ってみることにして、ザック、登山シューズ、ポール2本も準備してやってきました。前日に麓の駒ヶ根に宿泊し、バスとロープウェイを乗り継いで、懐かしい千畳敷カールに到着しました。前回は涼しさに感動したのですが、今回は麓も東京よりははるかに涼しかったのと湿度が高めだったので、感動する程の涼しさではありません。それでも、ちょっと動いたぐらいでは汗はかかないので快適です。

 ホテル千畳敷前のテラスから氷河が削ってできたカールを眺めると・・・“広い”、これから登る先の乗越浄土は千畳敷カールをすり鉢状に囲む山の一角にあたりますが、結構高く見えます。一応ワンゲル部出身で、見えるとこは近いということは経験上わかってはいますが、そこへ続く登山道は岩がごつごつしているのが遠目にもはっきりわかります。今回のコースは最初が急登で、その先は比較的緩やかなので、そこさえ越えればの思いもあってのスタートです。

 雷鳥の彫刻がある神社で安全祈願をして、前回も歩いた散歩道を進みます。剣ヶ池までは下りで、高山植物を眺めながらゆっくり歩きます。ホテルよりも下がった位置にあるため、これから登る道が一層長く見えます。
今回(2023年8月)
2012年8月

 そこにあった「千畳敷カール」の看板は、新品だったのが11年間の風雪に耐えて色あせていました。前回は越えることが出来なかった「登山装備がなかったら立ち入らないでください」の看板を過ぎると、岩が転がる急坂になります。振り返ると、剣ヶ池がずいぶん小さく見えます。


 早くも下山してくる人もいます。上の山小屋やテントで泊まった人もいるので、早い時間帯から下山者がいるようです。登り始めて40分ほど、ようやくカールを登り切って広々とした乗越浄土に到着しました。大きめの山小屋があって、少し安心します。高度が上がったので持ってきたお菓子の袋がパンパンに膨れています。少し休憩の後で、中岳へ向かいます。随分緩やかに見えますが岩のごつごつは変わらないので、歩きやすい道ではなかったです。それでも、ここまでの道に比べたら緩やかで、小気味よく前進していき、程なくして大きな岩の中岳頂上に到着しました。


 目指す駒ケ岳までは下って登ります。キャンプ場の横をかすめ、雷鳥保護のケージを見上げ、岩の転がる道を進んで行きます。しばらくなだらかな道になりますが、両側にはロープが張られています。高山植物保護の目的もありますが、こういう場所で霧に遭って道を外れると元の道に戻るのが困難になるので、遭難防止にも役立っています。新しい道標が立てられた脇に古くなって字が消えかかった道標が寝かされています。自分の力で登っている気になってはいても、その陰にしっかり整備してくれる人たちがいることを再認識しました。
 道は最後まで岩がごつごつしていましたが、最後の坂を登り切って駒ケ岳山頂に到達しました。遠くの山々は雲でところどころしか見えませんが、登り切った満足感は変わりません。標高2612メートルまでロープウェイに連れてってもらいながらも、岩の転がる道に難儀したことは達成感を得るのに充分だったようです。







 また機会があったら、山に入りたいと思います。
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真夏のカーリング事情

2023-07-31 21:48:12 | スポーツ
 冬のスポーツのカーリングも今では通年の専用リンクも増え、夏でも競技ができるようになって、東京都選手権は6月開催でした。
 それに向けて、出来立てのほやほやの私のチームは、メンバー揃っての練習をしようとしても、リンクがいっぱいで予約がとれず、休日は元より平日もおぼつかず、ようやく火曜日日の昼間にリンクの予約を取って練習にこぎ着けました。
 練習できるのは4時間だけ、ストーンを決まった強さで投げるウエイト出し、片方の色のストーンをハウス(的となる円)に止め入れ、もう一方の色のストーンでそれらを弾き出す変則クレイジーエイト、規則的に並べたストーンを弾き出すクレイジーエイトなどなど、効率よく練習できるようにメニューを作ってこなしましたが、思っていたより出来がよくて、ここでピークか?!と不安になりました。

 そして、迎えた選手権、戦力的にはチーム力があるチームが6割、初心者が混ざっていてもベテランが要所を締められるチームが2割、こういうチームと対戦するとなると、私のチームは厳しそうでしたが、結果は1勝2敗、1勝はチーム力があるとこに勝ったので、初めて公式戦に出たメンバーが2名いるチームにしては上出来でした。
 で、全体を眺めてみると、あちこちで番狂わせといっては失礼ですが、波乱が起きていました。これは、一概には言えませんが練習不足ではないかと思いました。通年リンクが増えたとはいえ、みよたのようにクローズしているところもあって、前述のようにリンクのキャパが足りないので練習時間が取れないのです。
 これは見方をかえたら、やはり練習が大切だということですかね。。
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第2回 全日本個人参加カーリングオープン

2023-06-26 22:56:22 | 学問
 カーリングの大会は大概がチーム参加で、個人参加の大会でも大会中は個人参加同士が最後まで同じチームで通しで競技することが多いのですが、今回の「全日本個人参加カーリングオープン」は試合ごとにメンバーを代えていくという珍しい形式で行われます。
 福島県カーリング協会が主催ですが開催場所は新潟、福島のスケートリンクが夏季クローズしているのでこうなったようですが、私にとっては初めての新潟のリンクです。


 久し振りの上越新幹線で新潟へ・・・、途中の高崎までは軽井沢へ行くのと一緒のルートで車両も同じなのに、なぜかわくわく感いっぱいで、高崎までの見慣れた車窓風景もいつもと違った景色に見え、国境の長いトンネルを越えた越後湯沢を過ぎる辺りはスキー場の麓のホテルや湯沢高原へのロープウェイを懐かしく眺めていました。カーリングを始める前はスノボ・スキーに夏の海と、よく行っていた新潟県ですが、忘れるくらい久しぶりの滞在です。
 新潟駅に降り立つと、プラットホームの雰囲気は以前と変わりません。エスカレーターも以前と同じです。ところが、エスカレーターを降りるとコンコースが記憶にあったそれと全く違っていました。かなり狭く、待ち合わせスポットとして飾られていた佐渡金山の金の原石も見当たりません。ホテルのある万代口は新幹線の改札を出て在来線の跨線橋を渡り切った先にあったのですが、地上にあったはずの在来線が新幹線の下の2階に移って、広々とした跡地は工事中でした。前に新潟駅を利用したのが15年近く前とはいえ、すっかり別の駅のようになってしまったことに戸惑いました。駅の下にはちょっとセピアがかった以前の新潟駅の大きな写真があって、フラッシュを光らして撮ると新しい新潟駅が撮れました。



工事中の敷地中央付近に設けられた仮設通路を通ると雁木を思わせる古いアーケードの商店街があって、新しい新潟と古い新潟の接点のようでした。海の方に向かって大きな通りに出たら右へ曲がって直進すると宿泊するドーミーイン新潟に到着しました。中庭を囲む通路に部屋の扉が配されている集合住宅を思わせる造りで、パリで止まった長期滞在向けホテルを思わせます。部屋にもコンロこそないものの小さいながら流し台が置かれていました。


すでに夕餉時なので、荷物を置いて市街地へ・・・。新潟市に来たことはあっても、佐渡の帰りだったり、粟島への行き掛けだったりで、街を歩いたことはあっても民謡流しと花火のときに人の流れに任せて歩いたので、どう歩いたら飲食店のあるエリアに行けるのかわからず取り敢えず万代橋方向に向かっていたら、なんとなくバスターミナルとそれを囲むように並ぶブランド街が見えてきました。新潟と言えば魚介類ということで、お寿司屋さんに入って明日への力を蓄えました。かなり食べたのにお値段の安さにびっくり!



 翌朝、車で向かうメンバーに乗せてもらって会場の「三菱ガス化学アイスアリーナ」へ向かいました。サッカースタジアムのビッグスワンや市民病院が近くにあるものの広々としたエリアの一角にあるアリーナでした。
入口を入ると、まず、カーリングハウスが描かれたサブリンクが目の前に広がりました。スケートリンクを使ったカーリング施設で、これほどクォリティーが高い施設は初めてです。参加者は事前に知らされていましたが、面識がある方は3分の1程度、中には久し振りに会う人もいて同窓会のような雰囲気も漂っていました。



受付をすると、ナンバーが着いた赤と緑のビブを渡されました。試合毎にチームが変わるので、自分の出番になったらストーンの色に合わせたビブを付けて試合に参加するという要領になっています。3エンド6試合で勝敗とソルコフ指数(対戦相手の勝率が高いほど上位になる)で決められます。3エンドは試合の長さとしてはこれまで参加した大会で最短ですが、6試合は最多です。トータルのエンド数18エンドは1日開催の大会としては普通ですが、3エンドは氷の状態やメンバーの調子がわかってきたころには試合終了というシビアさを持った大会です。


最初の試合は前回の覇者の方と秋田の学生さん、長野の若手選手とのチームでした。長野の若手さんが自らスキップを買って出てくれただけあって、試合は順調に進んで新潟デビュー初戦を白星で飾ることができました。
休憩をはさんで3コマ目は、見知ったメンバーが3名!つまり経験が長い人が3人。これで勝てないと恥ずかしいという妙なプレッシャーがかかりましたが、順当にというか大人げなく勝利しました。
4コマ目は最初の試合で一緒だった前回の覇者の方と再び組んで快勝、目標の3勝を達成しましたが、随時更新される順位表を見ると経験がものをいうのか知り合いで3連勝している方が多いので、引き締めなあかんと気合を入れ直します。
昼食は休憩室でお弁当なのですが、個人戦なのでチームでまとまって食べるというよりも、なんとなく知り合い同士が集まって食べました。
次の試合のメンバーは私以外が初心者といいます。今までの快進撃はメンバーに恵まれ過ぎていたのか、とにかくやるしかありません。初心者が苦手そうなショットを避けるようにしたら、なんとかなってくれて勝つことができました。
ここまでくると、連勝がプレッシャーになってきます。私もですが、一緒にチームを組む人からも「私のせいで負けたらごめんなさい」と言われる状況。それでも、点を取ると落ち着くもので、自分でも信じられない無敗の5勝目を挙げました。
最終戦は、ちょっと不思議な雰囲気でした。大概の場合、プレッシャーの掛かるサードやフォースをやりたがらないのですが、この試合だけは進んでフォースやサードに名乗り出てきました。早い話、疲れてきてスィープをしないですむポジションを望む傾向が現れたのです。その最終戦も順調に得点し、終わってみれば6戦全勝していました。
で、結果は6戦全勝でソルコフ指数の関係で準優勝!初めてのリンクでは出来過ぎな結果でした。最終結果を見ると知り合いで経験が長い方々が上位に名を連ねておりました。これまでカーリング歴を聞かれると「経験年数は長いのですが・・・」と言い訳っぽく答えていましたが、決して無意味に年数を重ねたのではないことを少し認識しました。
 福島県協会のみなさま、参加の皆様、ありがとうございました。

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Double Role

2023-05-06 22:34:13 | アート・文化
 カーリングで投げたストーンをハウス手前にあるストーンに薄く当て、両方のストーンをハウスに入れることをダブルロールインと言い、投げる力加減と当てる角度が合っていないと成功しない難しいショットです。聾者である松橋さんがカーリングと子育てを両立させるという困難を克服しているドキュメント映画「Double Role」が横浜国際映画祭で上映されました。松橋さんは東京で競技されており、松橋さんのお父様とは青森の大会で対戦したこともあるので、これを見に横浜に向かいました。クラファンのリターンで動画を見ることはできたのですが、情けないことにWi-Fiがしょぼくて静止画になったり読み込みに時間が掛かったりで前段の部分しか見れていませんでした。

 館内は満席でカーリング関係者もいますが、それよりも聾者の方々がはるかに多くい
らしているようで、会場のあちこちでは手話で会話しています。

 細かい内容はネタばらしになるので割愛しますが、松橋さんは、ご両親と旦那様が聾者ですが生まれたお子さんは聴者です。聾者から生まれた聴者をコーダと呼ぶのだそうですが、どうやって言葉を覚えていくのか気になりましたが、手話と言葉の両方を会得する頼もしさありました。

 さて、カーリングをテレビで観た人もわかると思いますが、あれは4人でコミュニケーションをとりながら進めていくスポーツで、これは耳が聞こえない人がするのは大きなハンデになるはずです。ところが実際に聾者である松橋さんのお父様のチームと何度が対戦したことがありますが、全身からもの凄いオーラを感じるジェスチャーでチームメンバーがきびきびと動いてハンデなどは全く感じさせず、私は3回対戦して2敗1分で一度も勝てていません。松橋さんもお兄様とミックスダブルスの世界デフカーリング選手権で銀メダルを獲得、国内の一般の大会でも上位に入賞するなど大きな実績を残しております。

 こんな風に氷の上ではハンデを感じさせないのですが、今回制作された記録映画を見て、日常生活の苦労を少しでも知ることができてよかったです。
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