on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

第2回 全日本個人参加カーリングオープン

2023-06-26 22:56:22 | 学問
 カーリングの大会は大概がチーム参加で、個人参加の大会でも大会中は個人参加同士が最後まで同じチームで通しで競技することが多いのですが、今回の「全日本個人参加カーリングオープン」は試合ごとにメンバーを代えていくという珍しい形式で行われます。
 福島県カーリング協会が主催ですが開催場所は新潟、福島のスケートリンクが夏季クローズしているのでこうなったようですが、私にとっては初めての新潟のリンクです。


 久し振りの上越新幹線で新潟へ・・・、途中の高崎までは軽井沢へ行くのと一緒のルートで車両も同じなのに、なぜかわくわく感いっぱいで、高崎までの見慣れた車窓風景もいつもと違った景色に見え、国境の長いトンネルを越えた越後湯沢を過ぎる辺りはスキー場の麓のホテルや湯沢高原へのロープウェイを懐かしく眺めていました。カーリングを始める前はスノボ・スキーに夏の海と、よく行っていた新潟県ですが、忘れるくらい久しぶりの滞在です。
 新潟駅に降り立つと、プラットホームの雰囲気は以前と変わりません。エスカレーターも以前と同じです。ところが、エスカレーターを降りるとコンコースが記憶にあったそれと全く違っていました。かなり狭く、待ち合わせスポットとして飾られていた佐渡金山の金の原石も見当たりません。ホテルのある万代口は新幹線の改札を出て在来線の跨線橋を渡り切った先にあったのですが、地上にあったはずの在来線が新幹線の下の2階に移って、広々とした跡地は工事中でした。前に新潟駅を利用したのが15年近く前とはいえ、すっかり別の駅のようになってしまったことに戸惑いました。駅の下にはちょっとセピアがかった以前の新潟駅の大きな写真があって、フラッシュを光らして撮ると新しい新潟駅が撮れました。



工事中の敷地中央付近に設けられた仮設通路を通ると雁木を思わせる古いアーケードの商店街があって、新しい新潟と古い新潟の接点のようでした。海の方に向かって大きな通りに出たら右へ曲がって直進すると宿泊するドーミーイン新潟に到着しました。中庭を囲む通路に部屋の扉が配されている集合住宅を思わせる造りで、パリで止まった長期滞在向けホテルを思わせます。部屋にもコンロこそないものの小さいながら流し台が置かれていました。


すでに夕餉時なので、荷物を置いて市街地へ・・・。新潟市に来たことはあっても、佐渡の帰りだったり、粟島への行き掛けだったりで、街を歩いたことはあっても民謡流しと花火のときに人の流れに任せて歩いたので、どう歩いたら飲食店のあるエリアに行けるのかわからず取り敢えず万代橋方向に向かっていたら、なんとなくバスターミナルとそれを囲むように並ぶブランド街が見えてきました。新潟と言えば魚介類ということで、お寿司屋さんに入って明日への力を蓄えました。かなり食べたのにお値段の安さにびっくり!



 翌朝、車で向かうメンバーに乗せてもらって会場の「三菱ガス化学アイスアリーナ」へ向かいました。サッカースタジアムのビッグスワンや市民病院が近くにあるものの広々としたエリアの一角にあるアリーナでした。
入口を入ると、まず、カーリングハウスが描かれたサブリンクが目の前に広がりました。スケートリンクを使ったカーリング施設で、これほどクォリティーが高い施設は初めてです。参加者は事前に知らされていましたが、面識がある方は3分の1程度、中には久し振りに会う人もいて同窓会のような雰囲気も漂っていました。



受付をすると、ナンバーが着いた赤と緑のビブを渡されました。試合毎にチームが変わるので、自分の出番になったらストーンの色に合わせたビブを付けて試合に参加するという要領になっています。3エンド6試合で勝敗とソルコフ指数(対戦相手の勝率が高いほど上位になる)で決められます。3エンドは試合の長さとしてはこれまで参加した大会で最短ですが、6試合は最多です。トータルのエンド数18エンドは1日開催の大会としては普通ですが、3エンドは氷の状態やメンバーの調子がわかってきたころには試合終了というシビアさを持った大会です。


最初の試合は前回の覇者の方と秋田の学生さん、長野の若手選手とのチームでした。長野の若手さんが自らスキップを買って出てくれただけあって、試合は順調に進んで新潟デビュー初戦を白星で飾ることができました。
休憩をはさんで3コマ目は、見知ったメンバーが3名!つまり経験が長い人が3人。これで勝てないと恥ずかしいという妙なプレッシャーがかかりましたが、順当にというか大人げなく勝利しました。
4コマ目は最初の試合で一緒だった前回の覇者の方と再び組んで快勝、目標の3勝を達成しましたが、随時更新される順位表を見ると経験がものをいうのか知り合いで3連勝している方が多いので、引き締めなあかんと気合を入れ直します。
昼食は休憩室でお弁当なのですが、個人戦なのでチームでまとまって食べるというよりも、なんとなく知り合い同士が集まって食べました。
次の試合のメンバーは私以外が初心者といいます。今までの快進撃はメンバーに恵まれ過ぎていたのか、とにかくやるしかありません。初心者が苦手そうなショットを避けるようにしたら、なんとかなってくれて勝つことができました。
ここまでくると、連勝がプレッシャーになってきます。私もですが、一緒にチームを組む人からも「私のせいで負けたらごめんなさい」と言われる状況。それでも、点を取ると落ち着くもので、自分でも信じられない無敗の5勝目を挙げました。
最終戦は、ちょっと不思議な雰囲気でした。大概の場合、プレッシャーの掛かるサードやフォースをやりたがらないのですが、この試合だけは進んでフォースやサードに名乗り出てきました。早い話、疲れてきてスィープをしないですむポジションを望む傾向が現れたのです。その最終戦も順調に得点し、終わってみれば6戦全勝していました。
で、結果は6戦全勝でソルコフ指数の関係で準優勝!初めてのリンクでは出来過ぎな結果でした。最終結果を見ると知り合いで経験が長い方々が上位に名を連ねておりました。これまでカーリング歴を聞かれると「経験年数は長いのですが・・・」と言い訳っぽく答えていましたが、決して無意味に年数を重ねたのではないことを少し認識しました。
 福島県協会のみなさま、参加の皆様、ありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新薬師寺・・・父が賞賛した古刹を訪ねて

2022-12-19 21:07:29 | 学問
 法隆寺に行った翌日、奈良国立博物館で開催されている正倉院展に行こうとしたら、「前日までに時間を指定した予約が必要」とのこと。平日だったので何とかなると事前に調べなかった私が悪いのですが、Bプランはどうしよう・・・。

 奈良公園は最近でも数回行っているけど、行っていないスポットを中心に回ることにしました。20年に一度の式年造代が一週間前にされたばかりの若宮神社、金色に輝く千手観音像が特別公開されている戒壇院、中身が見られないけど外側も公開されていた正倉院を見て回り、ふと、新薬師寺が近くにあることを思い出して、行ってみることにしました。

 父は2000年に他界してしまっていますが、一度だけ父と奈良を訪ねたことがありました。そのとき、新薬師寺に宿泊するはずだったのですが予約がいっぱいで行かれず、それっきりになっていました。父はその後母と数回宿泊しており、本堂に安置されている十二神将の話を聞いていました。

 新薬師寺は奈良公園の敷地を少し外れた住宅街にあり、若草山にハイキングに来た時に近くを通っていました。薬師寺の別院のような名前がついていますが、薬師寺とは直接の関係はなく、「新たかな薬師如来様が祀られているお寺」とのことです。


 戒壇院から大仏殿の脇をかすめ、鹿が闊歩する脇を横切り、鬱蒼とした林を通ると、新薬師寺のある住宅街に出ます。奈良公園がこんなに広かったのかと、あらためて驚きました。その住宅街に土塀が続いています。最近修復されたようで小綺麗な感じの土塀です。その土塀を半周して奈良公園とは反対側に新薬師寺の山門がありました。柵が閉じていて「鹿が入るので閉めてください」の木札がついています。柵を開けて中へと進むと、境内は意外にも狭く、こじんまりとした本堂が正面にあります。元は多くの伽藍を配した大きなお寺さんだったそうですが、今は本堂や地蔵堂などが残されています。




 本堂に入ると薬師如来像を囲むように十二神将像が車座に並んでいます。それぞれが干支の守護神になっているのですが、十二支の順番には並んでいません。その中で一つだけ、記憶にあるのが伐折羅大将像(バサラたいしょうぞう)で、学生の時に学園祭で観光ポスターを展示する際に入手したのですが、これを家に持ち帰り父に見せたのがこの伐折羅大将像のポスターだったのです。

 本堂を出るとお寺の方がいらっしゃったのでお話を伺うと、今は宿坊はやっていないとのことでした。宿坊だった建物は2005年に火災で焼失、建て替えられた建物がビデオ上映室として公開されていたので覗いてきました。おそらく元のように建て替えられたと思われる建物は、縁側に渡り廊下があってよく手入れされた庭が立派でした。

 正倉院展が見られなかったことで訪ねることができた新薬師寺、もう増えないはずの父との思い出が1つ増えたような気がしました。
 帰り道、ハイキングの時にも立ち寄った「空気ケーキ」のお店でクッキーをお土産に買って帰りました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラファンに惹かれて法隆寺詣で

2022-11-12 15:35:04 | 学問
 法隆寺の金堂は昭和大修理の最中の昭和24年(1949年)1月26日、修理中に暖をとるための電気ストーブの漏電と思われる火災に遭いました。修理中ということで、金堂に元々置かれていた釈迦三尊像をはじめとする仏像と建物上部の壁画は搬出中で難を逃れたものの、外陣壁画は極彩色が失われて、内部の柱も焼損してしまいました。

 現在の金堂には複製したものが置かれていますが、クラファンの寄付のリターンで焼損した壁画を見ることができるという情報をネットでたまたま見つけ、飛び石連休の11月3日なら取りやすいだろうと思い付きで申し込みました。
 JR法隆寺駅から徒歩で向かいます。法隆寺には、中学校の修学旅行以来、3回拝観していますが、最後に行ったのが昭和最後の大晦日なので実に34年振りです。以前にもこの法隆寺駅から徒歩で行ったことがあり、法隆寺の五重塔を見ながら歩いた記憶があるのですが、今回は見えません。違う道だったのか、建物が増えて見えなくなったのか・・・。帰った後に奈良好きな父にそのことを話したので記憶違いではないと思うのですが、疑問が消えないまま立派な土塀に囲まれた法隆寺に到着しました。



 金堂の壁画を見学する時間は指定されているので、まず夢違観音や玉虫厨子などが置かれている大宝蔵院へ入りました。最初の部屋にあったのが背丈ほどもある液晶の大画面、法隆寺の建物や仏像が映し出されるのですが、これがタッチパネルになっていて手で広げると拡大したりずらしたりして見ることが出来るのです。展示の仕方も時代とともに変わっていくのですね。



 続いて、八角形の夢殿のある西院伽藍。聖徳太子の一万円札の透かしに描かれていた建物です。なんと、秋の特別拝観の期間中で秘仏といわれる救世観音菩薩立像が公開されており、逆光の中に金色に輝く救世観音菩薩立像を拝見することができました。ちなみに特別拝観は春と秋の2回(4月11日~5月18日、10月22日~11月22日)、設定されています。



 そして、いよいよ金堂の焼損壁画の収蔵庫見学に向かいます。保存のために厳重に温度と湿度管理された収蔵庫見学は1回に5人限定で、バックヤードに入っていくような感じです。外気の影響を受けないように前室が設けられ、保存環境を調整するための装置も見られます。そこで荷物を預けて靴カバーを付けて、特別感満載の雰囲気での入場です。
 手前の部屋には被災時には修理中のために取り外されていて難を逃れた金堂上部にあった飛天図が置かれています。柵越しとはいえ、実際に建物に収まっていた時よりも近い位置で見ることが出来て感激!
 大きな扉をくぐると、組み直された金堂の焦げた柱に12面の壁画が収められています。本来なら釈迦三尊像や薬師如来像が安置されている位置から周囲の壁画を見ていると考えると不思議な印象です。事務的に1号壁、2号壁と名付けられ無粋な感じもしますが、それが文化財と同時に研究材料であることも物語っています。壁画は色がネガフィルムのように反転した感じになっている箇所はありますが、線ははっきりしています。仏様の顔部分がなくなっているのは、そこから消防のホースを入れたためだそうで、懸命の消火活動の様子が窺えます。柱は表面が炭化していますが、外側にあたる部分はしっかりと残っています。柱や壁画の残った状態を見ると木造の建物でありながら、よくここまでで消し止められたと思えます。
 将来的には公開も見据えているとのことですが、5年後か10年後か、公開されたらまた来たいと思います。

 拝観の締めくくりは、五重塔や金堂のある東院伽藍。法隆寺の建物は細かい装飾が見どころと父が言っていました。


 五重塔の九輪の下には鎌


 重そうに柱を支える邪鬼


 金堂の柱の龍

 金堂に入ると先ほど見た壁画が釈迦三尊像や薬師如来像を周囲から見つめるように再現されていました。


 大講堂の後ろ側にある上御堂、これが特別開扉されています。しかも、開扉されるのは11月1日から3日の3日間だけ、素晴らしい巡り合わせではないか!堂内には平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像が安置されていました。

 クラファンでみつけて、思いつきでクリックした日が、2つの特別開扉と重なっていて、何ともluckyな文化の日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK技研公開で放送の未来を見てきました!

2022-06-05 17:15:49 | 学問
 「技術が紡ぐ未来のメディア」をテーマに開催された「NHK技研公開2022」に行ってきました。

 見てしまうと「放送が10年後20年後にどうなっているのかがわかってしまうのではないか?むしろ知らないままでいて、いきなり完成形のメディアを目の当たりにする方がそのときの感動が大きいのでは?それなら、見ないままでいた方がよいのでは?」という不安感もあったのですが、折角の機会なのでと訪問することにしました。





 場所は世田谷区砧の「NHK技術研究所」、朗読の講座で何度かお邪魔した馴染みある施設です。コロナ感染予防対策で時間を区切っての入場になるので、待つことなく入場できました。
 入口では8K画面の映像がお出迎え。現在のテレビ放送の画質の最高が8K、2K、4K、8Kときたので、これから16K、32Kと進化するのではなんて思っていましたが、これ以上解像度を上げても人の目の識別能力を超えてしまうので、それはないとのことです。



 床にはソーシャルディスタンスをキープする円が映し出されています。ナイスアイデアですが、見ると保たれていないようなで、これは今後の課題。



 展示はいろいろあって、リビングの壁に大画面、紙のように丸められるディスプレー、スマホのような端末の画面を傾けると、それをのぞき込んでいるように画像も傾く立体映像、発信する側の技術と受信する側の技術の双方が完成しないと成り立たないのが、放送技術開発には倍以上の苦労があるようです。

 バリアフリーを目指す技術では、読みあげられた天気予報の文章を手話翻訳するCG画像、天気予報なのは決まった単語で構成されているので、手話のパターン表現も決まったものになるからだそうです。
 一方の視覚障がい者のための技術は、野球中継で先週の動きをオペレーターが「ショート」・「取る」・「投げる」・「ファースト」・「アウト」とクリックすると、「ショートが取って1塁に投げました。アウト。」という具合です。「映像の動きとのタイムラグがあるのでは」と質問すると、「放送自体が実際の映像の2~3秒遅れになるので、そのタイム差を利用しています」とのこと。ナルホド!
 このどちらの技術も、いきなりオールマイティな完成形を作りだすのではなく、天気予報やスポーツなどの言葉が限られた分野、つまり出来るところから進めていくというのが、開発のひとつのステップのようです。

 一番大がかりだったのは、動く立体画像を撮るシステムで、モンゴルのパオのようなテント状の囲いの四方八方にカメラが取り付けられていて、その台数26台。随分多いなと思いきや、AI搭載の各カメラが人の動きを追いながら撮影できるようになった結果、50台から100台あったカメラをここまで減らすことができたという、技術開発の結果だったのです。

 近未来の放送がどんなものになるかを物見遊山で見に行ったのですが、それらの技術開発の過程を見る結果となり、何事もできることから進めていくことが大切だということを再認識しました。とっても有意義な一日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日6月10日は時の記念日

2021-06-10 00:00:00 | 学問
家にある古い目覚まし時計、時は刻んでいますが秒針は常に30秒あたりを指したまま小刻みに触れています。針と軸を繋ぐ部分が外れてしまったようで、長針と短針は動いているので使えないことはない状態です。


時計は常に動き続けているものなので、もともとは耐久性が重視されていて、ねじ巻き式の腕時計の歯車部分には硬い宝石が使われていて長持ちするようになっています。

札幌の時計台の時計は極寒の地にありながら、ガラスがなくて吹雪にも負けずに動き続けています。


グアムの教会の尖塔にある時計は4面に取り付けられていますが、それぞれが微妙に違う時間を指していました(笑)。南の島の大らかさが感じられます。


国立の時計学校があるスイスでは時計の付いた建物が目立っていました。こちらは同じヨーロッパでもフランスのルーアンの時計、ジャンヌダルクもその鐘の音を聞いたといわれる由緒ある時計です。


ところで、時計に使われているローマ数字の4がIIIIになっていますが、これは一般のローマ数字の4であるIVが神の王といわれるユーピテルの綴りIVPPITERの書き出しと同じになることを避けたためと言われています。(諸説あります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする