on-ice off-ice

氷上のスポーツ、カーリングをやっています!カーリング以外のことも書くのでon-ice off-iceです!

新薬師寺・・・父が賞賛した古刹を訪ねて

2022-12-19 21:07:29 | 学問
 法隆寺に行った翌日、奈良国立博物館で開催されている正倉院展に行こうとしたら、「前日までに時間を指定した予約が必要」とのこと。平日だったので何とかなると事前に調べなかった私が悪いのですが、Bプランはどうしよう・・・。

 奈良公園は最近でも数回行っているけど、行っていないスポットを中心に回ることにしました。20年に一度の式年造代が一週間前にされたばかりの若宮神社、金色に輝く千手観音像が特別公開されている戒壇院、中身が見られないけど外側も公開されていた正倉院を見て回り、ふと、新薬師寺が近くにあることを思い出して、行ってみることにしました。

 父は2000年に他界してしまっていますが、一度だけ父と奈良を訪ねたことがありました。そのとき、新薬師寺に宿泊するはずだったのですが予約がいっぱいで行かれず、それっきりになっていました。父はその後母と数回宿泊しており、本堂に安置されている十二神将の話を聞いていました。

 新薬師寺は奈良公園の敷地を少し外れた住宅街にあり、若草山にハイキングに来た時に近くを通っていました。薬師寺の別院のような名前がついていますが、薬師寺とは直接の関係はなく、「新たかな薬師如来様が祀られているお寺」とのことです。


 戒壇院から大仏殿の脇をかすめ、鹿が闊歩する脇を横切り、鬱蒼とした林を通ると、新薬師寺のある住宅街に出ます。奈良公園がこんなに広かったのかと、あらためて驚きました。その住宅街に土塀が続いています。最近修復されたようで小綺麗な感じの土塀です。その土塀を半周して奈良公園とは反対側に新薬師寺の山門がありました。柵が閉じていて「鹿が入るので閉めてください」の木札がついています。柵を開けて中へと進むと、境内は意外にも狭く、こじんまりとした本堂が正面にあります。元は多くの伽藍を配した大きなお寺さんだったそうですが、今は本堂や地蔵堂などが残されています。




 本堂に入ると薬師如来像を囲むように十二神将像が車座に並んでいます。それぞれが干支の守護神になっているのですが、十二支の順番には並んでいません。その中で一つだけ、記憶にあるのが伐折羅大将像(バサラたいしょうぞう)で、学生の時に学園祭で観光ポスターを展示する際に入手したのですが、これを家に持ち帰り父に見せたのがこの伐折羅大将像のポスターだったのです。

 本堂を出るとお寺の方がいらっしゃったのでお話を伺うと、今は宿坊はやっていないとのことでした。宿坊だった建物は2005年に火災で焼失、建て替えられた建物がビデオ上映室として公開されていたので覗いてきました。おそらく元のように建て替えられたと思われる建物は、縁側に渡り廊下があってよく手入れされた庭が立派でした。

 正倉院展が見られなかったことで訪ねることができた新薬師寺、もう増えないはずの父との思い出が1つ増えたような気がしました。
 帰り道、ハイキングの時にも立ち寄った「空気ケーキ」のお店でクッキーをお土産に買って帰りました。


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クラファンに惹かれて法隆寺詣で

2022-11-12 15:35:04 | 学問
 法隆寺の金堂は昭和大修理の最中の昭和24年(1949年)1月26日、修理中に暖をとるための電気ストーブの漏電と思われる火災に遭いました。修理中ということで、金堂に元々置かれていた釈迦三尊像をはじめとする仏像と建物上部の壁画は搬出中で難を逃れたものの、外陣壁画は極彩色が失われて、内部の柱も焼損してしまいました。

 現在の金堂には複製したものが置かれていますが、クラファンの寄付のリターンで焼損した壁画を見ることができるという情報をネットでたまたま見つけ、飛び石連休の11月3日なら取りやすいだろうと思い付きで申し込みました。
 JR法隆寺駅から徒歩で向かいます。法隆寺には、中学校の修学旅行以来、3回拝観していますが、最後に行ったのが昭和最後の大晦日なので実に34年振りです。以前にもこの法隆寺駅から徒歩で行ったことがあり、法隆寺の五重塔を見ながら歩いた記憶があるのですが、今回は見えません。違う道だったのか、建物が増えて見えなくなったのか・・・。帰った後に奈良好きな父にそのことを話したので記憶違いではないと思うのですが、疑問が消えないまま立派な土塀に囲まれた法隆寺に到着しました。



 金堂の壁画を見学する時間は指定されているので、まず夢違観音や玉虫厨子などが置かれている大宝蔵院へ入りました。最初の部屋にあったのが背丈ほどもある液晶の大画面、法隆寺の建物や仏像が映し出されるのですが、これがタッチパネルになっていて手で広げると拡大したりずらしたりして見ることが出来るのです。展示の仕方も時代とともに変わっていくのですね。



 続いて、八角形の夢殿のある西院伽藍。聖徳太子の一万円札の透かしに描かれていた建物です。なんと、秋の特別拝観の期間中で秘仏といわれる救世観音菩薩立像が公開されており、逆光の中に金色に輝く救世観音菩薩立像を拝見することができました。ちなみに特別拝観は春と秋の2回(4月11日~5月18日、10月22日~11月22日)、設定されています。



 そして、いよいよ金堂の焼損壁画の収蔵庫見学に向かいます。保存のために厳重に温度と湿度管理された収蔵庫見学は1回に5人限定で、バックヤードに入っていくような感じです。外気の影響を受けないように前室が設けられ、保存環境を調整するための装置も見られます。そこで荷物を預けて靴カバーを付けて、特別感満載の雰囲気での入場です。
 手前の部屋には被災時には修理中のために取り外されていて難を逃れた金堂上部にあった飛天図が置かれています。柵越しとはいえ、実際に建物に収まっていた時よりも近い位置で見ることが出来て感激!
 大きな扉をくぐると、組み直された金堂の焦げた柱に12面の壁画が収められています。本来なら釈迦三尊像や薬師如来像が安置されている位置から周囲の壁画を見ていると考えると不思議な印象です。事務的に1号壁、2号壁と名付けられ無粋な感じもしますが、それが文化財と同時に研究材料であることも物語っています。壁画は色がネガフィルムのように反転した感じになっている箇所はありますが、線ははっきりしています。仏様の顔部分がなくなっているのは、そこから消防のホースを入れたためだそうで、懸命の消火活動の様子が窺えます。柱は表面が炭化していますが、外側にあたる部分はしっかりと残っています。柱や壁画の残った状態を見ると木造の建物でありながら、よくここまでで消し止められたと思えます。
 将来的には公開も見据えているとのことですが、5年後か10年後か、公開されたらまた来たいと思います。

 拝観の締めくくりは、五重塔や金堂のある東院伽藍。法隆寺の建物は細かい装飾が見どころと父が言っていました。


 五重塔の九輪の下には鎌


 重そうに柱を支える邪鬼


 金堂の柱の龍

 金堂に入ると先ほど見た壁画が釈迦三尊像や薬師如来像を周囲から見つめるように再現されていました。


 大講堂の後ろ側にある上御堂、これが特別開扉されています。しかも、開扉されるのは11月1日から3日の3日間だけ、素晴らしい巡り合わせではないか!堂内には平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像が安置されていました。

 クラファンでみつけて、思いつきでクリックした日が、2つの特別開扉と重なっていて、何ともluckyな文化の日でした。
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NHK技研公開で放送の未来を見てきました!

2022-06-05 17:15:49 | 学問
 「技術が紡ぐ未来のメディア」をテーマに開催された「NHK技研公開2022」に行ってきました。

 見てしまうと「放送が10年後20年後にどうなっているのかがわかってしまうのではないか?むしろ知らないままでいて、いきなり完成形のメディアを目の当たりにする方がそのときの感動が大きいのでは?それなら、見ないままでいた方がよいのでは?」という不安感もあったのですが、折角の機会なのでと訪問することにしました。





 場所は世田谷区砧の「NHK技術研究所」、朗読の講座で何度かお邪魔した馴染みある施設です。コロナ感染予防対策で時間を区切っての入場になるので、待つことなく入場できました。
 入口では8K画面の映像がお出迎え。現在のテレビ放送の画質の最高が8K、2K、4K、8Kときたので、これから16K、32Kと進化するのではなんて思っていましたが、これ以上解像度を上げても人の目の識別能力を超えてしまうので、それはないとのことです。



 床にはソーシャルディスタンスをキープする円が映し出されています。ナイスアイデアですが、見ると保たれていないようなで、これは今後の課題。



 展示はいろいろあって、リビングの壁に大画面、紙のように丸められるディスプレー、スマホのような端末の画面を傾けると、それをのぞき込んでいるように画像も傾く立体映像、発信する側の技術と受信する側の技術の双方が完成しないと成り立たないのが、放送技術開発には倍以上の苦労があるようです。

 バリアフリーを目指す技術では、読みあげられた天気予報の文章を手話翻訳するCG画像、天気予報なのは決まった単語で構成されているので、手話のパターン表現も決まったものになるからだそうです。
 一方の視覚障がい者のための技術は、野球中継で先週の動きをオペレーターが「ショート」・「取る」・「投げる」・「ファースト」・「アウト」とクリックすると、「ショートが取って1塁に投げました。アウト。」という具合です。「映像の動きとのタイムラグがあるのでは」と質問すると、「放送自体が実際の映像の2~3秒遅れになるので、そのタイム差を利用しています」とのこと。ナルホド!
 このどちらの技術も、いきなりオールマイティな完成形を作りだすのではなく、天気予報やスポーツなどの言葉が限られた分野、つまり出来るところから進めていくというのが、開発のひとつのステップのようです。

 一番大がかりだったのは、動く立体画像を撮るシステムで、モンゴルのパオのようなテント状の囲いの四方八方にカメラが取り付けられていて、その台数26台。随分多いなと思いきや、AI搭載の各カメラが人の動きを追いながら撮影できるようになった結果、50台から100台あったカメラをここまで減らすことができたという、技術開発の結果だったのです。

 近未来の放送がどんなものになるかを物見遊山で見に行ったのですが、それらの技術開発の過程を見る結果となり、何事もできることから進めていくことが大切だということを再認識しました。とっても有意義な一日でした。

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今日6月10日は時の記念日

2021-06-10 00:00:00 | 学問
家にある古い目覚まし時計、時は刻んでいますが秒針は常に30秒あたりを指したまま小刻みに触れています。針と軸を繋ぐ部分が外れてしまったようで、長針と短針は動いているので使えないことはない状態です。


時計は常に動き続けているものなので、もともとは耐久性が重視されていて、ねじ巻き式の腕時計の歯車部分には硬い宝石が使われていて長持ちするようになっています。

札幌の時計台の時計は極寒の地にありながら、ガラスがなくて吹雪にも負けずに動き続けています。


グアムの教会の尖塔にある時計は4面に取り付けられていますが、それぞれが微妙に違う時間を指していました(笑)。南の島の大らかさが感じられます。


国立の時計学校があるスイスでは時計の付いた建物が目立っていました。こちらは同じヨーロッパでもフランスのルーアンの時計、ジャンヌダルクもその鐘の音を聞いたといわれる由緒ある時計です。


ところで、時計に使われているローマ数字の4がIIIIになっていますが、これは一般のローマ数字の4であるIVが神の王といわれるユーピテルの綴りIVPPITERの書き出しと同じになることを避けたためと言われています。(諸説あります)
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節分

2021-02-02 22:51:16 | 学問
 今年の節分は124年ぶりに2月2日なのだそうです。その節分と言えば“鬼”。恐いものの象徴とされていますが、あることに熱中している人を「仕事の鬼」とか「将棋の鬼」なんて呼ぶこともあります。あるいは、最上級を表す形容詞や副詞として、「上司に鬼のように怒られた」、「宿題が鬼のようにいっぱいあった」という使い方もします。この使い方には「あの人は鬼のように優しい」のように「え?」と、首を傾げるようなものもありますが、それでも最上級を示すあたりには鬼に畏敬の念を持ったイメージが感じられます。
ところで、鬼には何で角があるのでしょう、何でトラ柄のパンツを穿いているのでしょう?聞いたことがある説では、鬼門の方角、つまり北東の方角が古方位で丑寅(うしとら)の方角にあたり、それ故に“牛”の角と“トラ”の皮のパンツを穿いているということらしいのです。これでは、地元の名産品や名所を組み合わせて作られるご当地キャラの発想といっしょではないか!?鬼がゆるーい存在に思えてきます。
 で、その鬼門の方角がなぜ北東の方角なのでしょう?これには諸説ありますが、京都に都を定めたときに都の北東方向に比叡山があって、この鬱蒼とした山は都を攻める敵が身を潜めやすいので、北東が要注意な方角とされたという説があります。そう考えると恐いのは鬼よりも都へ攻めてくる人間ということになります。その人間をも脅かす新型コロナウイルス、それこそ討伐して欲しい存在です。
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