阪神淡路大震災から25年がたちました。あらためて当時の報道写真誌を見てみました。
産経新聞社「神戸再震災」より引用
倒壊したビルや家屋、横倒しになった阪神高速道路、猛烈な炎と煙を上げる街、どのページの写真も記憶の中にある場面でした。25年経っても記憶の奥底に仕舞われないぐらいに当時の印象が大きかったことがわかります。
それ以前は、海外で大地震が起きてビルの倒壊や橋の落下した映像が放送で流れると、日本の建築の専門家の人が、「外国は地震が少ないので建物の造りが華奢なんです。日本の建築物は関東大震災クラスの揺れにも耐えられるように造られているので、このようなことにはなりません。」と話す。確かに、外国に行くと橋脚が日本のそれとは明らかに細いものを見かけるので、そう信じていました。
それら今までの常識を根底から覆したのが、阪神淡路大震災でした。
その後の東日本大震災の被害はそれをさらに大きく上回るものでしたが、阪神淡路の教訓がなかったら、更に大きな被害になっていたと思います。震災25年目の朝のラジオで震災の記憶を風化させないことが話題になっていましたが、これから先の被害を最小限にするためにも、記憶を繋ぐことが大切だと思いました。
産経新聞社「神戸再震災」より引用
倒壊したビルや家屋、横倒しになった阪神高速道路、猛烈な炎と煙を上げる街、どのページの写真も記憶の中にある場面でした。25年経っても記憶の奥底に仕舞われないぐらいに当時の印象が大きかったことがわかります。
それ以前は、海外で大地震が起きてビルの倒壊や橋の落下した映像が放送で流れると、日本の建築の専門家の人が、「外国は地震が少ないので建物の造りが華奢なんです。日本の建築物は関東大震災クラスの揺れにも耐えられるように造られているので、このようなことにはなりません。」と話す。確かに、外国に行くと橋脚が日本のそれとは明らかに細いものを見かけるので、そう信じていました。
それら今までの常識を根底から覆したのが、阪神淡路大震災でした。
その後の東日本大震災の被害はそれをさらに大きく上回るものでしたが、阪神淡路の教訓がなかったら、更に大きな被害になっていたと思います。震災25年目の朝のラジオで震災の記憶を風化させないことが話題になっていましたが、これから先の被害を最小限にするためにも、記憶を繋ぐことが大切だと思いました。