彫物大工、飯田仙太郎が箭弓神社の社殿を完成させたのは、
1835年。68歳で亡くなる前年。
大里群明戸の彫物大工と後世に伝えられ、
武州人といわれるけど、
仙之助、生まれは、上州花輪宿。
渡良瀬渓流の流れを見て育ち、
2代目石原吟次郎の門下で彫物大工の素養を、
開かせた温厚な性格の彫物師!
息子岩次郎が生まれ、
兄、河明戸で大工棟梁、飯田和泉藤原金軌の元、
早くから移り住み、武州での仕事が多く、
上州での彫物が見あたらない。
箭弓神社の仕事をしながら、仙之助、
息子岩次郎、岸又八、小久保仙五郎の門人の3人に、
砂利道2キロ先の、八雲神社の本殿を彫らせている。
その八雲神社👇
(岸又八は、娘に3代目石原鶴八主利の腕のいい3男を迎えたが、
腕がいいばかりに、28歳で不幸な事件に巻き込まれてなくしている)
👇丸く渦を巻く龍の作図は、仙之助の兄弟子、小林源八の息子、
小林源太郎、榛名神社の双竜門などに引き継がれ、
初代石原吟次郎の流れが見えます。
鋭利な鑿さばきを排して、丸く、
貧困の農民が、飢えを凌ぎ、餓死者も出た時代、
彫物師たちの住民への優しい心情がうかがえる。
目立たないけど、心に残る逸品。
隣には上沼公園、八雲神社ルート66。
写真 2018.8.17 東松山市