江戸浅草茅町に住んでいた、島村俊表(改め源蔵)は、
左甚五郎の流れを汲んだ、島村家の7代目。
初代は上州花輪彫刻集団の始祖、高松又八が、
武士を捨て、彫物大工になるのに入門した、
江戸彫刻、公儀彫物師、島村俊元邦教。
浅草新堀に住んでいた、越生津久根生まれの、
宮大工、吉山定右ヱ門、石井熊蔵が、
新座郡生まれの棟梁・高野武兵衛の元、
島村源蔵と組んで、
浅草から70キロ、梅香にひかれ、
風土記、実を梅の樹多く植ゆ、
取って梅干として江戸に送る、
比辺皆同じけれど殊に当村に多しと・・
1833年、仕上げた「津久根八幡神社本殿」
飢饉の始まり、無月の村に勇気を与える力神。
164メートル、弘法山の材木を挽き、
静岡県では神輿屋台に多く見られ、
埼玉県では唯一といわれる、縁下持送の力神。
力のある神は、
あめのたじからおのみこと
神話、アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れ、
中から様子を覗いたところで、
とっさに重い天岩戸を引き開けた、力持ちの神。
神話に由来したものかどうか、
私には・・?・・・?・?