
仙台市に「萩の月」のお菓子があって、
美味い!
萩は仙台の代名詞、昔から萩の街と思っていた。
一通の手紙が東京あきる野市に、
保管されていた。
仙台のヒーロー、伊達政宗が、
近くの川で鮎釣りをして、宿泊した大悲願寺。
垣根からあふれる程の、
白い萩のさ揺らいだ光景を見た、
政宗が国に帰ってから、是非ほしいと送った、手紙。
萩は仙台の代名詞、昔から萩の街と思っていた。
一通の手紙が東京あきる野市に、
保管されていた。
仙台のヒーロー、伊達政宗が、
近くの川で鮎釣りをして、宿泊した大悲願寺。
垣根からあふれる程の、
白い萩のさ揺らいだ光景を見た、
政宗が国に帰ってから、是非ほしいと送った、手紙。
政宗が統治していた仙台に、萩は無かったのか?

伊達政宗は仙台のが伊達家の当主になって23歳の時。
弟との家督争いに母が一枚かんで、
目が悪い政宗より、弟の政道を担いで、
当主に据える思いが、裏目に出て、
政宗 、弟を殺害したことになっている。
弟との家督争いに母が一枚かんで、
目が悪い政宗より、弟の政道を担いで、
当主に据える思いが、裏目に出て、
政宗 、弟を殺害したことになっている。
その政宗の弟が、あきる野市の大悲願寺で、
住職になっていた伝えが現住職の説法からうかがえる。
15代住職秀雄のこと。
住職になっていた伝えが現住職の説法からうかがえる。
15代住職秀雄のこと。
政宗の長女五郎八(いろは)姫は12歳で、
徳川家康の6男松平忠輝に嫁ぎ、
不運、忠輝は改易され、平民に、
21歳で離縁されて、仙台に帰る・・・
史書・・子はいなかったが通説なのですが、
子は、大悲願寺に預け、身を守っていたのではと・・。
徳川家康の6男松平忠輝に嫁ぎ、
不運、忠輝は改易され、平民に、
21歳で離縁されて、仙台に帰る・・・
史書・・子はいなかったが通説なのですが、
子は、大悲願寺に預け、身を守っていたのではと・・。
正宗が度々大悲願寺を訪れていた理由は、
孫に会いに行くため。手紙の白萩とは、孫の事。
注意深い正宗は、露骨に書かず白萩と・・・。
そうとも思えてくます。
あんなこんな、あちこち調べたのに、
さっぱり、らちがあかない。
とんぼに負けず劣らずクルクルの目。
孫に会いに行くため。手紙の白萩とは、孫の事。
注意深い正宗は、露骨に書かず白萩と・・・。
そうとも思えてくます。
あんなこんな、あちこち調べたのに、
さっぱり、らちがあかない。
とんぼに負けず劣らずクルクルの目。
歴史ものは、作者の想像が入る。
止めた。
ここはすんなり、政宗の手紙が現在も残っている、
白萩を届けてほしいと書いた内容と思うことにした、
看板に陽が映している、一通の手紙。
👇大悲願寺本堂、地元の大工12名と、木挽き14名が造った本堂。
止めた。
ここはすんなり、政宗の手紙が現在も残っている、
白萩を届けてほしいと書いた内容と思うことにした、
看板に陽が映している、一通の手紙。
👇大悲願寺本堂、地元の大工12名と、木挽き14名が造った本堂。

白萩を見る弘法大師。




👇梵鐘 1672年8月6日、横川(八王子市)の冶工、
加藤五郎衛門宗次の鋳鋼。
朝夕は、時の鐘、ゴーン。
加藤五郎衛門宗次の鋳鋼。
朝夕は、時の鐘、ゴーン。









ラグビー日本が勝って、13日がまた楽しみ。
