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👆日曜日、5月29日の
桐生天満宮は群馬県、
子供が背中で、何撮ってんの?
桐生天満宮は群馬県、
子供が背中で、何撮ってんの?
北関東、心に残ってた社寺を撮るには、
暑つっ・・熱かった ‼
暑つっ・・熱かった ‼
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桐生近辺を1187年から、支配していた桐生氏が、
京都の北野天満宮の御分霊を合祀して
「桐生天満宮」 と改称した1350年、
1778年から15年かけて、
「桐生天満宮」 と改称した1350年、
1778年から15年かけて、
1793年落成した社殿は、
1789年の棟札から、
群馬渡良瀬川・花輪の近くに住んでた、
関口文治郎、58歳。
公儀御彫物棟梁関東彫物大工
日光山彫物棟梁として、
使いぱっしりを、自分の子供2人にして、
弟子8人が装飾に技術を競うように、
彫り上げたもの。
群馬渡良瀬川・花輪の近くに住んでた、
関口文治郎、58歳。
公儀御彫物棟梁関東彫物大工
日光山彫物棟梁として、
使いぱっしりを、自分の子供2人にして、
弟子8人が装飾に技術を競うように、
彫り上げたもの。
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1731年に生まれた関口文次郎さん
末裔の方たちが語る伝説
群馬県に数十回通い始めるきっかけが
彫り物師・文治郎の人間像
文治郎が武州公儀彫物棟梁として
独自の世界を繰り広げた
桐生天満宮の彫り物
群馬県に数十回通い始めるきっかけが
彫り物師・文治郎の人間像
文治郎が武州公儀彫物棟梁として
独自の世界を繰り広げた
桐生天満宮の彫り物
画質は悪いけど
もう少し
次回で展開です
次回で展開です
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今日も圧倒される写真で目が覚める凄さです。
関口文次郎というお方の凄さを知りました。
とよ様が群馬県に通うことも解りました 。
桐生と言うと、織物で有名ですが、このような
凄い場所があるのですね。
凄い・(こんな表現しかできないことは哀しい
でも、とよ様のお陰で夢のような芸術を拝見出来ました。有難うございます。
桐生は織物の町ですね。
桐生神社も大通りの突き当りにあって、
古い建物が、観光にしてました。見学したかったのですが、今回も見送り。
関口文治郎と関係する事柄で群馬訪問は、数年が経ちました。
今は、記憶を辿ってるくらいの落ち着きです。
こんなに立派な彫刻の有る桐生天満宮は目を見張る建物ですね!
桐生に有るのも知らず誠にお恥ずかしい私でございます。
関口文治郎さんは、日光山彫り物棟梁だけあって、素晴らしい彫刻を残してくれました
ご自分の家の近くにこの天満宮を残す事が出来て本望だった事でしょうね。
58歳、まだお若くてエネルギーがみなぎっています。
とよさんが群馬に通われるのもうなずけました。
いつもありがとうございます。
お話は違いますが、世界のフジタが創ったフランスのランスのフジタ礼拝堂も訪ねてみたい所です。
もしあのフジタを日本が受け入れていたら、日本ではどんな作品になったでしょうか?・・・
桐生にこんな彫刻を施した神社があったなんて、
地元の人だって、行かなければ気が付かないわけで・・。
文治郎は12歳で仏像を彫り、山を越えた彫り物師を唸らせました。
北関東に多くの彫り物師が技を競った奔りです。
仏教が迫害を受けてない、穏やかな時代でした。
もし、日本が藤田嗣治さんを受け入れてたら・・
自由奔放な性格に、頑固な一面を持つ藤田さんが描くのは、戦争画の延長から解放されても、
宗教画としては、
日本では描けなかったし、描かなかった、のではないでしょうか。
ただ、日本人の気質を持ち合わせていて、
日本の画法を意固地に守ってフランスでも新しい息吹を表白した感覚は、アカデミックを超えて、見る人たちを魅了したと思います。
訪れましたら、mariaさんの感性の記事をお待ちしてます。
稚拙な返事でした・・‼